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絵物語を求めて コスタ・ガブラス「z」

コスタ・ガブラス監督の映画「z」では、最後にスライドを使って、ジャック・ペラン(俳優)が事件の てん末を簡潔にのべます。軍部の犯罪が罰せられる寸前に軍部のクーデターによる独裁政権が発足、すべてを うやむやにし、軍の悪事を暴こうとした判事や新聞記者が左遷されたり暗殺されたりしたことが、静止画面と ナレーションによって、説明されます。この部分は注意深く聞いていないと聞き落としてしまうほど、素っ気なく 手短かに述べられます。それだけに、理解できると、余計ショックを受けます。独裁政権の禁止する作家や思想家の 延々たるリストが流れる中、映画は終わります。

映画は動く映像による芸術なのに、わざわざ、静止画面とナレーションによるエンディングにしたのです。絵と言葉 による説明は、絵と文による絵物語と同じようなものです。映画「z」のラストを見ると、絵とナレーションの 組み合わせは、物事を簡潔に述べるのに適していることがわかります。「z」の結末で説明されたことを、普通の 映画のドラマとして描写したなら、たっぷり30分はかかるでしょう。スライドとナレーションによる、凝縮した力強い 結末と同等のものを作るのは難しいと思います。

映画「フレンチ・コネクション」のラストでも静止画による後日譚が簡単に述べられます。麻薬をアメリカに持ち こもうとしたフランス人俳優が刑務所行きになったこと。麻薬団のボスは逮捕をまぬがれたこと。同僚を撃って しまったエディ・イーガン刑事とサニー・グロッソ刑事が麻薬課に復帰したことが矢つぎ早に画面にでて映画は 終わります。「z」に出てきたフランス人俳優がこの作品にもでており、この映画の静止画によるエンディングが 「z」の影響を受けていることが推定されます。

「アメリカン・グラフィティ」ではラストに登場人物のハイスクール卒業後が顔写真つきの文字テロップで流れます。 彼等のうちには、その後思い掛けない人生を歩んだ者もおり、人生の測り難さを感じさせます。

ジェーン・フォンダの主演する喜劇で、静止画によるエンディングにより、登場人物のその後が説明され、観客は にんまりするようになっているのがありました。題名は失念しました。この終わり方は先行する3作品のパロディです。

静止画とナレーションによるエンディングをはじめて使ったのはポーランド映画「パサジェルカ」ではないでしょう か。この映画の監督は撮影中に亡くなったので、友人たちが、撮影ずみのフィルムを集めて編集し、最後にスライドと ナレーションを付け加えて映画を終えました。代理の監督に引き続き撮らせることをせず、亡くなった監督の演出した 分だけをまとめたのです。したがって、映画は突然に謎のような終わり方をします。コスタ・ガブラス監督はおそらく この作品の影響を受けて、静止画による後日譚というユニークなエンディングを創出しました。

「ロビンソン・クルーソー」の最後にロビンソンの帰国後が簡単にのべられます。小説の最後に簡潔に述べられる 後日譚という形式は以前からあった。後日譚は、本編を読んだだけでは考えつかないような、意外なその後のできごと を、素っ気なくぶつける場合があり、その場合、作品を複雑にします。てもとの本で1例をあげると、マルセル・ パニョル「少年時代2・毋のお屋敷」では、プロバンスの別荘での楽しい思い出の物語の末尾に、物語に登場した家族 や友達のうちの幾人かは、すでに故人となったことが語られます。楽しい物語のあとに、実人生の非情さが示されるの です。また、サマセット・モームは「世界の十大小説」の中で「戦争と平和」の結末の後日譚を賞賛しています。 コスタ・ガブラス監督はこれらの結末を映画に応用したと考えられます。

絵と文による絵物語は物事を簡潔にしかもわかりやすく述べる力がある。このことはよく考えてみる必要があります。

学会の発表が昔も今もスライドと口答による説明という形で行われるのをみると、絵と文字の組み合わせによる 絵物語にも可能性があるような気がするのですが。


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