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堂々たるパクリ

上左の絵は「少年ケニヤ」第11巻で、病気になった村上を彼に恩義を感じているアフリカ人たちが 担架で運ぶ様子です。一方、上右の絵は講談社の絵本「リビングストン・アフリカ探検」の伊藤幾久造による挿し絵で、 病気になったリビングストンを運ぶアフリカ人です。

左右が違うだけで殆ど同じ絵です。すすきのような草が生えているのまで一緒です。

これらの絵には、共通の引用元があるのです。講談社「青い鳥文庫」の「リビングストン発見隊」の中に、銅版画の 挿し絵がありました。原住民は足を水につけて歩いています。すすきのような草は、盛大に生えています。
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私は伊藤幾久造の絵を先に見たので、「少年ケニヤ」の絵を見たときはまねと思っていました。
山川惣治は村上の銃を運ぶアフリカ人を担架の後ろから真横に移動させています。銃を持ったアフリカ人だけ顔の向きが違って おり、画面の単調さを救っています。

伊藤畿久造の絵では雨が降っています。これは、別の銅版画で、雨の中をリビングストンがポーターの肩にのせられて川を 渡る絵があったのと組み合わせたものと思います。苦難の旅を強調する工夫でしょう。

この時代は普通の人間がアフリカへ旅行などできなかったので、資料丸写しのようなことがよくやられていたようです。

(ところで、昔の大作家はよくパクリをやったようです。デュマはシラーの「ドン・カルロス」の1場面をそっくり 自作の「アンリ三世」に取り込んだそうですし、モリエールは「スカパンの悪巧み」の中にシラノ・ド・ ベルジュラックの「衒学者愚弄」からよいところばっかしを借りてきて、「殆ど同工であまり異曲でない」 作品を作ったし、かの文豪スタンダールも「ハイドン伝」や「イタリア絵画史」は全くのヒョーセツ だそうです。ヴォルテールはひょうせつした相手から苦情を言われると、この作品の出来が悪かったのは そのせいだと言ったとか。紫式部はそのころよく読まれていた、様々な物語からいいところをパクってきて 「源氏物語」の中に取り入れた。その手際がすばらしかったので、パクられたもとの物語よりすぐれたもの ができ、「源氏」だけ後世に残ってあとの物語は消滅してしまったそうです。(紫式部のエピソードの他は 三浦一郎著「ユーモア人生抄」「世界史こぼれ話」からそっくり引き写し))

山川惣治はクロッキーの名人で人間の体をどこから書き始めても書けたそうです。また「ライオンをどの角度 からも書ける」と豪語しています。その山川がときに資料そっくりに描くことにこだわったのは面白いことです。

「少年漫画劇場1 少年王者・大平原児」の巻末の対談の中で、山川惣治がジャングル物を描くのに必要な資料を 集めていて、空襲にも焼け残り、「少年王者」や「少年ケニヤ」の執筆に役立ったことを、小松崎茂が指摘して います。「異能の画家・小松崎茂」の中で、ナショナル・ジオグラフィック・マガジンなどの資料を小松崎茂が 収集していたことが書かれています。挿し絵画家は普段から資料を集めていて、いざというとき、それらを参照 して書くのです。全くの空想でなく、資料に基づいて書く、挿し絵画家とは、まことにすばらしい職業です。


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