13-7 ジャングル物語の系譜7 ロビンソン・クルーソー物語(1990年)
図書館へ「さんご島の少年たち」を借りにいくと、M.グリーン著「ロビンソン・クルーソー物語」が
みつかりました。探し物をしているとよくあることですが、本来さがしているのとは別のものがみつかり、そっちの
ほうが大事だったりします。この場合もそうでした。
「ロビンソン・クルーソー物語」とは、デフォーの書いた「ロビンソン・クルーソー」とその後に書かれたロビンソン
・クルーソーものの小説群とが織り成す物語のことです。早い話が「ロビンソン・クルーソーもの」を徹底して集めた評論
です。
私はまだ序論しか読んでいませんが、序論の中だけでも、すでに重要な主張がいくつか書かれています。
例えば、「ロビンソン・クルーソ
ーは冒険物語というジャンルに属する作品であり、冒険ものは、1600年頃に始まり今なお終わっていない白人ヨーロッ
パ諸国の膨張的帝国主義動向の文学的反映であり、そして幾分はその動向を鼓吹・強化・伝達したものだったからで
ある」
例えば、「ロビンソン物語がきわめて純粋で持続的な類型であるために、1719年以降多くの作者たちは、同じ物語
(同じ筋、同じ主題、同じ設定)をくり返しながら、そこから無数の強力な意味付けを汲み出すことができた。」
(ロビンソンものというのは、案外少ないのです。これに対し、ポーが創始した、犯人探しの小説群をすべて読んで
分類するなどということは、50年前はともかく、現在はもはや不可能です。)
例えば、「我々白人国家の市民は、この物語がくり返し語られるのを好んで聞きたがった。」
例えば、「冒険ものが(中略)男性主義の祭儀であったことは前述のとおりである。」
例えば、「冒険ものは総じて人種差別的(racist)であった。」
これでおわかりのように「ロビンソン・クルーソー」から「少年王者」をつなごうとするこの章の試みは、より徹底
した研究者によって、とうに達成されているのです。
もっと実のある話が聞きたければ、このHomepageを去って、M.グリーン著「ロビンソン・クルーソー物語」池尾
龍太郎訳、みすず書房刊(1993年)をお読みなさい、としか言い様がありません。
しかし私はプロでなく、素人ですので、この本と競争する必要はありません。いっそ、この本を参考にして、より
組織的に作業をすすめていくことができます。ビートルズのあるメンバーがある曲を作りましたが、別のメンバーが
その試みはすでに、名作曲家の誰某によって、これこれの曲の中で、何百年も前に使われていると、指摘しました。
しかしその時、先のメンバーは言ったそうです。「かまわないよ。僕らは始めてじゃないか。」これがアマチュア
リズムというものでしょう。
「ロビンソン・クルーソー物語」の各章に取り上げられているロビンソンものの名前。--「エミール」「新ロビンソン」「
スイスのロビンソン」「熟練水夫レディ」「火口島」「珊瑚島」「神秘の島」「宝島」「ピーターパン」「大平洋
の孤独」「蠅の王」「フライデー、あるいは大平洋の冥界」---この中には私が書こうと予定していたものも、
忘れていたものも、全く知らぬものもあります。この他関連する作品をこの10倍は集めて書いているようです。
なにしろ、グレアム・グリーンの「事件の核心」まで言及されているのですから。
私は半ば予定通り、場合によっては、この本に挙げられた書物をよみながら書いて行こうと思います。
この本に気付くのがもっと早ければ、この章を書くのはやめていたかもしれません。また気付くのがもっと
遅ければ、書き直しを要する部分が無数にできたでしょう。
「ロビンソン・クルーソー物語」を読んだあとで書いたものは、ページの色を変えて区別することにします。
それ以前に書いたものは、「ロ・物語」の影響を受けておりません。
(読み終わるのに1日かかりませんでした。ロビンソンものに関する本はこの本のあとにはもう書けないでしょう。
目からうろこが落ちるというでもありませんが、鋭い指摘が随所にあります。たとえば「宝島」のシチュエイションの
いくつかは先行する作品から失敬してきたものであるなど。「宝島」を読んで感嘆している人にとっては、先行する
類似の作品からぱくってきた物の組み合わせで、この傑作がなりたっていると言われることは愉快ではないでしょうが、
それが案外真実なのでしょう。すべてのシチュエイションを自分で考え出すのは難しいことなのでしょう。)