12-3-3b.宇田野武と武部本一郎
宇田野武の紙芝居時代の作品。
「戦中戦後紙芝居集成」(アサヒグラフ別冊)を見ていると、紙芝居画家の中に宇田野武の名があるので、びっくり
しました。まん中の絵の女の子は、絵物語の中で宇田野が描く女の子そのものです。まちがいありません。
驚いたことに紙芝居では、宇田野武は科学冒険ものが得意だったらしいのです。「シーホーク」、「南極大陸」
といった作品が紹介されています。潜水艦の絵は「シーホーク」の一場面です。絵物語は柔道ものだけだったのに。
さらに記事を読んでいくと、次のようなことが書いてありました。
....のちにSFの挿し絵でも活躍した「行動美術」の武部本一郎は宇田野武という名前で「海の鷹シーホーク」、
「南極大陸」などスケールの大きい絵を製作...(205ページ)
なんと宇田野武は「ターザンシリーズ」や「火星シリーズ」の文庫の挿し絵で有名な武部本一郎だったのです。
まるで黄金バットの正体が自分の父親だったくらいの不思議なかんじがしましたです。
そういえば左上の絵の男の子は、武部本一郎の描くバローズの主人公の面影があります。科学冒険ものが得意だったので、
SFの挿し絵に進んだのでしょう。柔道ものは絵物語のほんの短い間だけだったのでしょう。
「少年」傑作集/小説・絵物語篇の巻末の年表を見ると、武部本一郎が雑誌「少年」に挿し絵を書き出すのは昭和
36年ころからです。このころ挿し絵に転向したのでしょう。ところが少年月刊誌は次々に廃刊になります。「少年」
も昭和42年に廃刊になりました。武部本一郎描く表紙絵をみたのは、たしか文庫本「火星のプリンセス」が最初です。
昭和何年ころでしょうか。子供のころ、宇田野武の絵物語を読んだ世代がSFを読む世代になったのでしょうか。
宇田野武のwebページを作ったときにはこのことは一切知らなかったのです。前のページに書いた内容は、宇田野
イコール武部とわかってからも、少しも書き直していません。私としては宇田野武が長くメジャーで活躍したことは
ほんとうによかったと思います。
宇田野武/武部本一郎の作品を比べてみましょう。絵物語「醍醐天平」(昭和31年)とベルヌ「神秘島」
の挿し絵(昭和35年)。両方の犬をよく見てください。これらを昔見たときには、別々の人が書いていると思って
いました。
SF文庫本のカバー絵や挿し絵を書き出してからの活躍については若いファンの方々のほうがよくご存じでしょう。
「少年画報大全」(少年画報社2001年)に「月影四郎」の口絵が載っています。副主人公であろう「みどりちゃん」
の足元が肉感的で、後年「火星のプリンセス」のグラマラスな姿体を描く素地があるように思います。)