作品論 地球をねらう男
小松崎茂の絵物語で、連載の最初から最後まで私がリアルタイムで読んだ唯一の作品。
あらすじ。修二は兄とともにアメリカへ渡り、メルヴィンというメキシコ系アメリカ人と親しくなり、一緒にアラスカで
ウラニウムの鉱脈を探す。苦難と冒険の末に、ウラン鉱脈を発見する。(ここまでが前半)メルヴィンはその利益を
資金にして航空会社を買収し、武器商人となる。修二は別の航空会社のテスト・パイロットとなり、開発された戦闘機の
テスト飛行で数々の記録を作るが、野心に燃えるメルヴィンは、次々と新しい航空機を開発し、修治の記録を破って
しまう。メルヴィンの戦闘機を得たルマール国は世界制覇を企図し、クルク国に戦争を仕掛ける。メルヴィンも死の商人
としての世界制覇をもくろむ。修二の会社はクルク国に戦闘機を供給する。戦いの合間に修二は爆撃でみなし子となった
クルク国の孤児たちに石をぶつけられ、彼等の言動から戦争の悲惨さを知る。クルク国の一空軍兵士となった修二は、
メルヴィンおよびルマール国の暴挙と戦う。戦争は拡大し、メルヴィンの野望がまさに達成されようとしたそのとき、
神の摂理か、ルマール、クルクの両国は突然和解し、人類を滅亡に導くかと思われた大戦争は終結する。武器による
世界制覇の夢やぶれたメルヴィンは精神の異常をきたし、滅びていく。
連載第1回は、修二の学校からの帰宅途上、日本のごく日常的な風景がリアルに描かれます。また全編を
通じての悪役メルヴィンは早くも姿を表わしており、そのにこやかな風貌からは、これが「地球をねらう男」となって
いくとはとても思えません。(1)佐藤紅緑の少年小説のような日常的な描写から、戦闘機のとびかう未来戦の世界
(航空戦の描写は全く他の追随を許さない小松崎茂の独壇場)への飛躍、(2)温厚な紳士から、戦争を野望達成の手段
とする冷酷な悪魔へと化していくメルヴィンにみる、人の心の不思議さ・・・この二つが絵物語「地球をねらう男」の
眼目です。
潜水艦や飛行機のオンパレードである「海底王国」でも、冒頭は前の戦争で海軍の兵士だった近所のおじさんの話から
ごくごく日常的にはじまるのです。このころの小松崎茂は、東京の下町の描写からはじまり、ニューヨーク、マジソン
・スクエア・ガーデンの拳闘試合のフットライトまで登り詰める、山川惣治の名作「ノックアウトQ」にかなり影響
されていると思います。「地球・・」の主人公の修二という名も「ノックアウトQ」の章治と似ているのも、偶然では
ないような気がするくらいです。
メルヴィンの変ぼうも、山川惣治の「虎の人」で、最初は善人として登場し、ジャングルの宝を見るととたんに悪人に
豹変する日本人とインド人の混血の男のまねであるともいえます。メルヴィンはメキシコ人とアメリカ人の混血です。
連載の途中からメルヴィンの性格が変わっていったのでなく、最初からの設定であったことは第1回の扉絵に髪を振り乱し、
すごい目つきをした外国人の男の顔が書かれていることから明らかです。(読者には扉絵の男が、題名の「地球をねらう男」
であることはわかりますが、物語中のメルヴィンがその男とはとうていわかりません。)
これはまったく、私見にすぎませんが、「地球をねらう男」はメルヴィン=山川惣治、修二=小松崎茂と思って読む
と面白いのです。「地球をねらう男」が小松崎作品としては比較的ストーリーが一貫しているのは、作者の実体験が小説化
されているからと言いたい。
少年絵物語の竜虎である山川と小松崎との友情物語はそっくり「地球をねらう男」のストーリーに重ねることができます。
小松崎茂の修行時代、山川惣治とはなかよしであった。「少年王者」がヒットしたとき、「おもしろブック」の編集部を
説いて、小松崎茂に「大平原児」を連載させたのは山川惣治です。・・・少なくとものちに山川惣治はそのように回想して
います。(修二とメルヴィンは協力し、ウラン鉱山をめぐって、アラスカのギャングと闘う)。
絵物語の最盛期、山川惣治が「荒野の少年」を書くというので、「雑誌に西部劇は二つはいらない」と、「大平原児」は
打ち切りになりました。山川惣治の仕事場では「打倒・小松崎」とのぶっそうな声も上がっていたと、「小松崎茂絵物語
グラフィティ」には書かれています。画家の所得日本一になった山川惣治は次第に小松崎をライバルと考えるようになり、
一時、山川・小松崎の間に緊張関係があったと考えるべきでしょう。山川惣治はビジュアル化した少年雑誌の人気作家と
して不動の第一人者になろうとしていました。(修二とメルヴィンは航空機開発競争を通じて,次第に対立していく。
メルヴィンは、武器による世界支配をねらう男になる。)
突然に、まったくあっけなく、絵物語の時代は最盛期から、凋落の時期を迎えます。もはや山川も小松崎もなく、手塚治虫
に代表されるストーリーまんがを書くうぞうむぞうの大群によって、少年雑誌は席巻され、小松崎は口絵、挿し絵へと避難
し、山川は新聞連載を残して急激に仕事をへらします。1971年、筑摩書房刊「少年漫画劇場1」の巻末の対談で、両雄は
なごやかな懐古談に時を忘れます。対談の題は「古きよき時代」、もはや絵物語は過去のものになっていたのです。
(ロッキー山脈に作られた、核戦争にも耐える大地下壕にこもり、精神に異常をきたしたメルヴィンは、救出に向かった
修二の腕の中で、息を引き取りながら、いっしゅん正気を取り戻し、アラスカは面白かったな、と言う。)
小松崎茂は昭和29年12月号の連載開始時、山川惣治に対して複雑な気持ちを持っていた-----そして、絵物語という形式の
将来も見通していた、ですから、「地球をねらう男」には作者の実感がこもっている、とわたくしは思います。