作品論16-2
少年ケニヤの登場人物1-ワタル
「少年ケニヤ」の主人公ワタルは「少年王者」の主人公真吾とほとんど同じ顔をしていますが、よくみると真吾
ほど美化されておらず、普通の日本の子供に近い顔をしています。体格も真吾ほど筋肉質でなく、普通の体格に
近いと思います。
「少年王者」真吾のように短剣一本で赤ゴリラに立ち向かうのはたいへん難しいことで、マサイ族の長槍の扱いに
習熟してゴリラを倒すほうがまだ現実味があります。「少年ケニヤ」は「少年王者」「少年タイガー」
「少年エース」に比べて設定に無理がなく、いちばんリアルです。
物語の最初の部分を読むと、ワタルは幼く、弱々しく描かれているので、最初から読み直すと、ゼガに鍛えられた
あとのワタルと比べて、なつかしく感じます。
ワタルは理想的な少年で、まさに「気はやさしくて力持ち」です。このような主人公は月並ですが、最近のマンガ
などではあまりお目にかからないので、かえって新鮮かもしれません。現代の主人公は「ブラック・ジャック」の
ようにちょっと悪ぶったようなのが多い。
私たちはみな強い人物が好きです。ファインプレーをする選手がすきです。ゼガと助けたり助けられたりを繰り返す
強いワタルをみな好きにならずにはいられません。
私たちはみな理想的な人物が好きです。もし物語の中でなにか一つ理想を持って、一路それに向かって邁進する
人物が出てくると、作者が本気で支持している限り、必ず読者の共感を得ることができます。私たちは、困難に
立ち向かってその美徳を失わない人物を応援せずにはいられないのです。ワタルはその情け深さ、義侠心からして、
読者の共感をよばずにはおられません。
従って産経新聞社刊「少年ケニヤ」全十三巻のうち、読者がワタルに心から共感するのは、第八巻、ワタルが、
折角会えた父親とわかれて、ゾコンガ族に囲まれたゼガを助けるために、まさに焼け落ちんとする吊り橋をかけ
もどる瞬間です。
ま、このような「会ってはまた別れる」筋書きは紙芝居にはよくあることなんでしょうが、そんなことはわかっ
ていても、このときのワタルには心底応援せずにはおられない。焼け落ちる一瞬前に跳躍して橋の向こう側の
残骸にしがみつくようなことが、実際できないことはわかっていても、そのような荒唐無稽を私たちはゆるして
しまいます。なぜなら私たちはみな駆け戻るワタルに共感し、かれが助かることを信じたいからです。
さらに「少年ケニヤ」の傑作である所以は、物語の最後近く、スーパー少年であるワタルが突如として、父母を
恋しがるただの十五歳の少年にたちもどる瞬間を描いていることです。通俗的な少年向き絵物語にどうしてその
ようなすばらしいシーンが含まれているのでしょう。その2、3コマによって「少年ケニヤ」ワタルは、凡百の
少年ヒーローをしのぐ存在となっているのです。