作品論11 魔獣トルーガ
「少年」に前後編に分けて連載された後半しか読んでいないのに、作品論など書いてよいのでしょう
か。前編を読む機会はもう私にはないかもしれませんので、作者への失礼を顧みず、後編だけで感想を書いてみます。
(1)ストーリーのうまさ。凶暴な豹に襲われる物語なのですが、主人公は熱病、食料不足、奥地の小屋に孤立という
ほかの悪条件とも戦わなければならない。サスペンスが倍増されるしかけになっています。現代のまんが家は山川惣治
の作劇術を学ぶべきでしょう。
(2)主人公が熱でふらふらしながら、眼前の豹めがけてぶっぱなすと同時に気を失うという場面は、手塚治虫の
「ケン一探偵長・放射能アブ事件」のラスト(マウスボーイが時限爆弾をピストルで撃つと同時に気を失う)
によくにており、発表時期からして、大手塚のパクりではないかと思います。(「ケン一探偵長」のほうが成功して
いますが。)
(3)魔獣という語がききなれませんが、戦前から凶獣とか、奇獣とかいう言葉が濫造されていたのではないで
しょうか。その最後の例が「大怪獣」ゴジラだと思います。明らかに爬虫類をモデルにした怪物を「獣」と呼ぶのは、
獣の前にいろんな漢字をくっつけて新語をつくる習慣が以前からあったとしか思えません。「冒険だん吉」に怪鳥
とか怪獣とかが良く出て来ます。
(「漢字と日本人」という本を立ち読みしますと、漢字が便利なため、日本語は耳からきいたのでは、意味のよく
わからない言語になってしまったということが書かれていました。しかし、国語学者金田一京助先生などは、たいへん
楽観的で、漢字が非常に便利であることを強調していらっしゃいます。たとえば車間距離といった造語が簡単にできる。
これを英語でいうと、簡潔には言えないというんです。intervehiclar distanceというんでしょうか。distance
between carsでは間がぬけています。漢字は時代に合わせて造語が簡単にできる。激写、巨乳、爆睡、等々。)
ゴジラ以来、怪獣ということばは、特別な意味を持つようになりました。「密林の大怪船」(南洋一郎)のように、
やたらとおどろおどろしい漢語をでっちあげることは、はやらなくなりました。「魔獣トルーガ」はその流行の終わる
直前の作品です。「魔獣」ということばには、行き着くところまで行ったという感じがありましょう?