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10-2.「少年ケニヤ」は「ゴジラ」に影響を与えた3

(3)究極兵器の発明に苦悩する天才科学者

映画「ゴジラ」のラストはオキシジェン・デストロイヤーの発明者である芹沢博士が、人類を滅ぼすかもしれない究極 兵器の記録を永久に抹消するために自ら命を絶つという、ものすごいものでした。その後多くのゴジラ映画が作られ ましたが、どれも第1作に及ばないのは、第1作ほどのすぐれた結末を持たないことがその理由の一つと思います。

ゴジラが水爆実験におこって、地上に姿をあらわし、水爆製造国でもない日本を滅茶滅茶に破壊するというアイデアは 秀逸でありました。原爆被爆国であり、第五福竜丸事件を経験し、平和憲法をもつ日本の、アメリカを非難する気持ち を娯楽映画にたくした。

また、怪物ゴジラは映画の最後には必ず倒されなければなりません。ゴジラを倒す兵器を適当に考えつくのは簡単です。 しかしその究極兵器を発明した科学者が、兵器の悪用を恐れ、人類を破滅から救うために、発明の秘密とともに自ら をほうむるという悲劇的結末のアイデアは傑作でした。

原爆製造に協力した科学者たちはその驚くべき破壊力が敵国の一般市民に向かって使用されるとは考えなかったのか。 そのような残虐な兵器を生み出すことに、科学者の良心は痛まなかったのか。----日本人の思いを映画「ゴジラ」の 結末における芹沢博士の行動に凝縮したのです。

「ジキル博士とハイド氏」やシェリー夫人の「フランケンシュタイン」以来、自分の発明のためにかえって身を滅ぼす 天才科学者の話は多い。「透明人間」しかり。「モロー博士の島」しかり。「蠅」またしかり。

しかし自分の発明品の恐ろしさをさとり、自分と発明とを抹殺する話は少ない。この先達は、「悪魔の発明」のジュール ・ベルヌでしょう。しかしゴジラの原作者・香山滋にはおそらく、もっと手近のお手本があったと思われます。

産経新聞社刊「少年ケニヤ」第六巻において、原爆の製造には成功したが、それが戦争に使われるのを恐れ、原爆研究 所とともに、原爆を破壊しょうとする、良心的な科学者が出てきます。山川惣治はベルヌの「悪魔の発明」を知ってか 知らずか、その現代版を描きました。

「ゲルヒン君、君はあの爆発を見なかったのか」とシュタイン博士は、追ってきた、ナチの工場責任者に向かっていう のです。「あのまま研究がすすめば、あの何倍もの原爆ができるのだ。その時、いちどに何万、いや何十万という人間 を殺すことになるのだ。」「何十万という罪ない女や子供まで殺す原爆で戦争に勝ちたいか。わしはその人達を殺す より、わしの良心に恥じて此処で死をえらぶ」

ここでの山川惣治は非常に巧妙で、ナチの原爆製造を非難するだけでなく、じつは、広島、長崎に原爆を投下したアメ リカをも非難しているのです。そんな非人道的な兵器をつかってまで戦争に勝ちたいのか。日本人は みなそう言いたかった。山川惣治は登場人物の口を借りて、啖呵をきっているのです。シュタイン博士の風貌は他の 科学者たちに比べてなんとなく日本的です。

香山滋はおそらく「少年ケニヤ」のシュタイン博士をお手本にして、その変奏曲を描きました。より徹底した科学者像 を描いたとも言えます。良心ある学者ならこうすべきだという理想を示したのです。

チェコのカレル・ゼーマンはベルヌの「悪魔の発明」を1958年に映画化しました。「ゴジラ」(1954年)の4年後 です。カレル・ゼーマンは「ゴジラ」をみたでしょうか。「悪魔の発明」の今日的な意味にかれが気付いたのは「ゴジラ」 と独立してでしょうか。それとも....


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