5-6 卓越した文章6 -張り扇の音-
山川惣治の代表作のうち、「少年王者」は「少年ケニヤ」と違い、テンションの高い、美文が多く
なっています。
たとえば、「砂漠の嵐篇」。焼失した密林を捨てて、動物たちを引き連れ、新天地を求めて、砂漠を横断する大冒険を
敢行する真吾は、水が尽きてのたれ死に寸前に、大密林を発見し、狂喜します。そこのところ......。
...もう、狂ったように、熱にうかされたような行進だった。ああ、みどりしたたる木々の色。芳香をはなつ新鮮な果実
のかおり、天にもとどく、ていていたる大木、つるにしたたるつめたい清水。うっそうたる木かげ。大密林は、こつ
ぜんとして、かんなん辛苦、十四日にわたる大旅行ののち、ついに眼前にあらわれたのだ。.....
大密林は...のところなぞは、完全に張り扇の音が鳴り響いているわけです。
このひとつ前のコマが素晴らしい絵なのです。砂丘にのぼった真吾の眼下、はるかに延々と連なる大密林が遠景で描か
れています。おおっとうなるような見事な絵の次に一ページいっぱいに緑したたる森林と、動物達が描かれ、トランペ
ットを吹き鳴らすような歓喜の文章が続くので、読者としては、まったく喜んで、名調子に陶酔してしまいます。
「ていていたる」は、広辞苑によると、亭々たる(樹木などの高くまっすぐにのびているさま)と書くんだそうです。
わたしはもっと難しい字をかくのだと思っていました。少々意味が分からなくてもよろしいわけです。「芳香をはなつ
新鮮な果実のかおり」もいま引き写すと、少々へんで、「芳香をはなつ新鮮なる果実」か「新鮮な果実のかおり」でい
いと思うんですが、長年、そういう批判が頭に浮かばぬほど、陶酔していました。
このような美文は、ひとつには、戦前の雑誌「少年倶楽部」の熱血感動小説の影響で、もう一つは紙芝居の語りに由来
すると思います。
同じ雑誌連載でも漫画少年に連載した「銀星」や「ノックアウトQ」ではこれほどの美文は見られません。読者を扇情的
に引っ張る読み物にかぎって見られるのではないかと思います。また「少年ケニヤ」でも、もっと冷静な文章が続くのは
、大人の読者の目があるからでしょう。
戦前の「少年倶楽部」の熱血感動小説といっても、実際あまり読んでいないのです。しかし「神州天馬峡」を書いた吉川
英治などは、その文章は張り扇の音がすると言われていますので、子供むけの読み物も、その特徴がでていると思い
ます。井上光晴の小説で書き出しがすごい迫力の文章で始まるのがあり、これは面白そうだとおもったら、それは山中峰太郎
の少年向き小説を冒頭に引用しているのでした。
(尾崎秀樹著「思い出の少年倶楽部時代」を読むと、吉川英治の「神州天馬峡」は、全く平明な語り口でした。それ
に対し、山中峯太郎「敵中横断三百里」などは100倍くらいオクターブの高い文章でした。高垣眸の「竜神丸」もハイ
・テンション語が横溢しています。「少年倶楽部」の読み物で、現在あまり抵抗なく読めるのは、江戸川乱歩と吉川
英治くらいでしょうか。大仏次郎もちょっと努力がいります。)
「少年王者」の連載されていた「おもしろブック」のライバル誌に「冒険活劇文庫」(のちの少年画報)というのが
あり、永松健夫の「黄金バット」や小松崎茂の「地球SOS」などを連載していました。この「冒険活劇文庫」に、
本郷弓雄というひとが「怒濤万里を征(ゆ)くところ」(池田かずお絵)という絵物語を連載していました。これが、
少年向きの読み物・絵物語史上、もっともテンションの高い文章ではないかと思います。
清水勲は「漫画少年と赤本漫画」の中で、池田かずおの絵が深みのある情感を伝えてくれたので、とりわけ好きだった
と書いています。「劇画の星をめざして」の中には、本郷弓雄の文章は恥ずかしくなるほどの名文調だったが、それに
心酔したという内容のことが書かれています。人気があったようです。別冊太陽に「怒濤万里を征くところ」の
粗筋のコマがのっていました。そこを引用します。
....十六世紀の欧亜の一角に覇を唱えていたカタロニア国の暴君ヘドロ王は、独りおのが意に従わぬスパルタ国を併呑
しょうとして、オリムピアの繋駕競争に名を借り、スパルタ国の王子ダリウスを、奇計をもって殺そうとしたが、
却(かえ)ってダリウスのために、一子バンの右腕を切り落とされて終(しま)った。(後略)。
むずかしい言い回しを随分つかっています。「欧亜の一角」「覇を唱えていた」「おのが意」「併呑」「繋駕競争」
(どんな競技なんでしょう)「名を借り」「奇計をもって」。
また、むずかしい漢字をわざわざ使っています。「却(かえ)って」「終(しま)った」。
真っ向上段に振りかぶった文章です。「欧亜の一角」なんて振りかぶり過ぎなんですよね。「欧州の一角」でいい
と思うんです。ヨーロッパのうちの一国なんです。絵に見られる登場人物の服装からして。ユーラシアの一国なんて
わざわざいうことない。そのあと、「艦船百数十隻をもってスパルタ国を攻撃した」という文が続くのですが、百
数十隻の艦船を動員した作戦なんて、歴史上無いんじゃないかと思います。せいぜい数十隻というところで、八十
隻に余るとか、海をうめ尽くす五十隻の艦隊といっても十分大艦隊に聞こえます。艦船百数十隻は大げさすぎます。
根本圭助著「異能の画家・小松崎茂」には、「本郷弓雄」氏が「冒険活劇文庫」の編集長であったことが書かれています。
編集長みずから筆を執(と)って、看板の読み物をものしていたわけです。おおげさな文章でも文句をいう編集者
がいないわけです。それと、結局、本郷氏はプロの作家ではなかった。素人だったのですね。素人というのは、何に
よらず、過激なものではないでしょうか。(Webサイトの作者も含めて。)本郷弓雄氏が、目一杯、ハイテンションの
文章を書いたのは、そんな事情もあったのでしょう。(しかし「冒険活劇文庫」をそだてた名物編集長だったそうです。)
山川惣治の「少年王者」の文章には、当時の少年雑誌の文章の傾向があらわれていると思います。