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5-5 卓越した文章5 -大人のストーリー2-

 

前の頁に引用した、ベルギー領コンゴの治安官ガーシャとギャバ族の酋長のやりとりは、腹芸の 応酬で、まことによく書けています。

アフリカの様子はサンケイ新聞の記者から聞いて研究することもできたのでしょう。「少年ケニヤ」最後の部分 はゲリラ・マウマウ団のエピソードを中心に描くことが、サンケイ児童文庫版ではあと2巻、角川文庫版ではあと4巻を 残したところで、構想が立っていました。このへんから「少年ケニヤ」の中でもいちばんリアルなストーリーになって いきます。

山川惣治は「少年ケニヤ」がPTAなどから随分やり玉にあげられて、抗弁したりしています。いわゆる悪書追放の 標的となったのです。そのことは作者にはショックだったでしょうが、作品を引き締める良い効果もあったのではない でしょうか。「少年ケニヤ」の最後のほうはゼガもワタルも、ライオンなどを無闇に殺さず、無手勝流できりぬける ことが多く、そのため全編を通じて、変化の飛んだストーリーになりました。

治安官ガーシャは「二台のジープをつらねて」くるのです。これはその前に大勢の役人をつれてまたやってくるだろう と酋長が予測していたので、「大勢の役人を連れて」とは書かず、ジープの台数で、大人数で来たことをあらわして いるのです。

ガーシャは「ゆうゆうと」部落にはいってきます。余裕を持って酋長を「呼びたて」ます。親切に医者をつれてきて やったふりをしていますが、「呼びたてる」ところに、決意のほどがあらわれます。「医者をつれてきた。病人を よくみてもらうといいよ。」全く他意ないように、親し気に言います。「ずんずん」小屋へ近付きます。 それが本来の目的ですし、きょうはこちらが優勢なので、村人の意向を頓着する必要がないからです。「平気で」 ドアを開けます。この前は我が身を案じて引き下がったのに。

山川惣治の文章は一語一語が生きています。

一方、酋長の方は、「あいそよく出迎え」ます。村上はもう逃げたあとですから、恩人がつかまることを心配する 必要がないからです。病人は二日前に死にました、と神妙に、しゃあしゃあとうそを言います。

ガーシャは「逃げたな」と思います。いままで悠然としていたのが、急に「逃げたな」と直接話法になって、なかば いきどおり、半ばあせる気持ちをあらわしています。

ジープは村上を追跡していきますが、「ギャバ族の酋長」は「平然と」しています。今までたんに「酋長」と書いて いたのが急にここは「ギャバ族の酋長」とあらたまった言い方をしています。ギャバ族を誉める調子があるのです。 彼はこの前は恩人を救おうと必死だったのですが、今度は打つ手はもう打ってしまった後なので、満足しているのです。

結局ガーシャは、タンザニアとの国境近くで追跡を諦めます。かれは私怨で村上を追跡しているのではないので、 管轄地域を出てまで追跡する必要はありません。割り切るのも大人の分別です。村上は国境に救われます。(映画 「大いなる幻影」のラストみたいです。)

ガーシャも酋長も大人の芝居を演じて、それぞれにいいところがあります。山川惣治は、大人を満足させるストーリー を書きました。子供向きの作品だから子供だましのストーリーしか書けないというのは間違いです。逆に大人向けの 小説でも全く子供っぽいストーリーの作品もあります。


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