5-3 卓越した文章3 -素晴らしい想像力-
サンケイ新聞社刊「少年ケニヤ」第8巻(角川文庫では第11巻)。焼け落ちた吊り橋の右と左に親子
が別れてしまうところ。
ゼガの声を聞いてワタルは吊り橋をかけもどり、橋が焼け落ちる直前に、奇跡的に向こう側に飛び移ってぶら下がり
ます。その次のコマの説明を読んでみましょう。
「 ドドドド、ドッ!!
非常にうまい。
ワタルが吊り橋のもう一方の端に腕一本でやっとつかまっており、どうなるかもわからないのに、そちらはほって
おいて、村上とケートのほうもたいへんだということを矢つぎ早に描写するのです。このとき、ゼガも大勢のゾコンガ
族におさえこまれているので、三重のピンチです。
吊り橋はゼガ側で焼ききれたので、村上とケートの側では、振り子の腕が長く、比較的ゆっくり落ちていって、崖に
ぶつかり、ぶら下がるだろう。だからもう少しで渡り切るところまで行っておれば、崖にたたきつけられることなく、
なんとか助かるだろう、というところまでは、だれでも想像できます。
「どうやら命だけは助かった」というのですが、「もし手すりにつかまっていなかったら、千尋の谷底に落下していた
でしょう」と書いてもいいのです。
そのあと、「ふたりは顔を見合わせて、互いに励まし合いながら、」というところは、なかなか思いつきません。
「よじのぼりました。」というのです。綱につかまって、少しずつ上がっていくのですから、「よじのぼる」以外の
表現はありません。
「ワタルの方を振り向く余裕もありません。」そりゃそうだろう、と思います。説得力十分の文章です。
こう書き写してみると、説明の文章は、思ったより短く、一コマに四つの文しかありません。凝った言い回しもして
いません。しかし、もし吊り橋がおちて、手すりの綱にぶらさがって助かったとすると、どういうことになるだろうと、
いろいろ細かく想像をめぐらせて、あり得るだろうことを、的確に書いているので、迫力ある文章になっているのだと
思います。
燃え落ちた橋が、長く尾をひいて崖へぶら下がった時、もう少しで、橋を渡り切ろうとしていた村上とケートは、
からくも手すりの綱につかまってぶら下がり、どうやら命だけは助かりました。
二人は顔を見合わせて、互いに励まし合いながら、一生懸命で、綱をよじのぼりました。
ワタルの方を振り向く余裕もありません。」