5-1 卓越した文章1
絵物語の作者の中でいちばん上手な文章を書くのは、山川惣治です。絵と文章のバランスがいちばん
取れていたので、第一人者になったともいえます。
文章がうまいというのは、きれいな言葉や、凄みのある言い回しができるというのではありません。何が大事か、何を
言うべきかをよく知った上で、普通の言葉を使って書けばいいのです。子供むけ絵物語ですから、凝った言い回しは
必要ないのです。
私の好きなところを、お話します。
「少年ケニヤ」第6巻(角川文庫では第9巻)。アフリカにあるナチの原爆工場で。ドイツの科学者シタイン博士ら
は、完成したばかりの原爆を、戦争に使われない様、わざと爆発させてしまいます。烈火のごとく怒ったナチの原爆
製造責任者フォン・ゲルヒンは、兵士たちをつれて、科学者たちを追跡します。科学者たちが追っ手に追い付かれる
ところが良く書けています。長くなりますが、引用してみましょう。
---シタイン博士や研究所の学者たちは村上と別れて密林を逃げていましたが原爆が爆発した時、おもわずふりかえり、
やがておそってきた爆風の中でも学者らしく観察しました。
これが一コマぶんの説明です。
爆発の瞬間、逃げるのも忘れて観察した、というのです。うーん、プロらしい態度だ、立派だ、と思うでしょう。
「全く恐ろしい。我々の学理と計算どおりだ!」---というところは、台詞でなく、地の文でも書くことができます。
---そして、自分達の学理と計算どおりの凄い威力に戦慄し、こんなむざんな兵器を世にださなくてよかったと
おたがいに言い合いました。-----と書くこともできるのです。しかし、絵物語ですから、端的に台詞として言い放った
ほうが、簡潔で力強いのです。ここがこのコマのアクセントとなっているのです。「こんなむざんな武器を
世に出さなくてよかった」ストレートな言い切り!!
ひどい疲れ方で一行はまた逃げていきました。---なぜひどい疲れ方なのか、学者先生たちは、密林を逃げていくという
ようなことは全く不得手なのです。また彼等が原爆を破壊することだけ考えて、自分達が逃げる用意はろくにして
いなかった善意の人たちであることをしめしています。このままでは追い付かれてしまうかもしれない。私たち読者は
、同情し、心配します。そしてこの文は科学者たちの悲劇的な運命を暗示もしているのです。
夕方、「あっちだ!」と追跡の声がしました。---夕方でも、正午ごろでも、薄暗くなったころでもいいですが、ここ
は時刻を言う必要があります。時刻をいうだけで、一歩ひいた、客観的な、淡々とした描写になるのです。もっと
大袈裟に盛り上げることもできます。-----ああ、そしてついに追っ手の声が聞こえ、追い付かれてしまったのでした!
-------というように。しかし作者はそうは書いていません。追っ手の声が聞こえるようになったのは夕方だった、と
平静にのべているだけです。そのほうがかえって恐ろしいのです。追っ手の声は、「見つけたぞ!」ではいけません。
「あっちだ!」のほうがまだ少し距離があります。まだ少し距離があるほうが、かえってサスペンスを生むのです。
山川惣治は物語のクライマックスだけでなく、それに至る、つなぎの場面が非常にうまいと思います。クライマックスに
もっていく、助走の部分が、確実で、うまいのです。
「全く恐ろしい。我々の学理と計算どおりだ!こんなむざんな武器を世に出さなくてよかった」
ひどい疲れ方で一行はまた逃げていきました。夕方、「あっちだ!」と追跡の声がしました。---