4.雄大な構想力と粘り2

 前置きが長くなりましたが、山川惣治の構想力について語るために「少年ケニヤ」の例を挙げます。

 産経新聞社刊「少年ケニヤ」(昭和28-30年)全十三巻の白眉は、第四巻地底の恐竜の国の冒険から、第五巻大恐竜の追撃、 さらに第六巻ナチスの原爆工場での冒険に至るまでと思われます。おそらく作者の最初の、あるいは初期の構想は第七巻ナチス部隊 のてん末を描いたところで終わっていたのでしょう。(主人公村上ワタルは第六巻で一旦父親と再会するのです。)そこから先は 考えていなかったのではないでしょうか。しかし、作者はよくレベルを持ちこたえて物語を続け、だれることなく十三巻 まで延長し、読者が長い読書の旅をなつかしく思い出す気持ちになるまでになったところで、この傑作にふさわしい結末を提示し て、物語を終えます。全くすばらしい作品としか言い様がありません。

 しかし第七巻を越えると、最初に準備したあらかたのエピソードは使ってしまったのか、後半は前半ほど大きな筋はなくなりま す。したがって作者の非凡な構想力を表わしているのは「少年ケニヤ」前半であると思われます。

 主人公村上ワタルの父親は、ナチスの原爆工場の責任者である、フォン・ゲルヒンに偶然命をすくわれ、心ならずもナチスの 原爆製造に協力することになり、恐竜の国から生還したワタル、ゼガ、ケートの三人は村上を追って、原爆工場に潜入します。 この原爆工場のエピソードは第五巻から始まり、第六巻に驚くべきクライマックスを迎えるのですが、驚嘆すべきは、その発端が すでに第二巻において用意されていることです。村上がゲルヒンに出会うのは第二巻なのです。

 そもそも「少年ケニヤ」が成功したのは、ワタル、ゼガ、ケートの三人が村上を探して、広いアフリカを旅するという設定が 素晴らしかったからです。広いアフリカ大陸には人類の知らない前世紀の怪物や、未開の部族(他の地域の人間との意志の疎通の困 難な人々)がすんでおり、次々と新しい冒険を繰り出すことができます。この三人が旅に出たのが、ほかならぬ第二巻なのですが、 これで作者はマサイ部落周辺の狭い地域に制約されることなく、物語を続ける自由を得たことになります。作者は「少年王者」を 越える大長編はこれで半ば成ったと小躍りしたかもしれません。この喜びがジャングル物語に原爆工場というとんでもない構想を 思いつかせ、さらにそのエピソードに突き進む前に、恐竜の国での冒険という全く架空の設定を楽しみつつ書かせるという余裕を 生んだのではないでしょうか。

 私が子供のころ、最も喜んで読んだのは、恐竜の世界での冒険が描かれている、第四巻です。おかげでこの巻は現在、表紙がとれて ぼろぼろになっています。しかしこの巻をもう一度読み直してみると、恐竜の国での冒険には、父親村上は参加していないことに 気がつきます。子供のときには、そのようなことには、全く気付く暇もなく、エピソードを追っていたのでした。村上は第二巻で フォン・ゲルヒンに偶然命をすくわれたあと、ワタルたちが苦難の旅を続ける合間に、第三巻と第四巻でちらっと登場するだけで、 第五巻までほとんど登場しないのです。村上はワタルたちが奇跡的に地上の世界に戻ってくるまで、ナチの工場で スタンバイしていたのです。

山川惣治はワタルたちの冒険潭を息つくひまもないエピソードの連続で語りつつ、とんでも ない時限爆弾----アフリカにおけるナチの原爆工場のエピソードを準備していたのでした。作者はきっとそのことを誰にも言わず、こっそり 暖めていたのでしょう。「これを読むとみんなびっくりするだろうな」とわくわくし、ほくそえみながら、毎日の神経をすりへらす連載を 続けていたのでしょう。これこそ雄大な構想力といわざるをえません。

山川惣治の非凡なところは、日本人を主人公とするジャングルブック、ターザン物語という先入観を、恐竜の登場、ナチスの原爆製造 という2つのとんでもないエピソードで破って見せたところにあります。しかもそれらを連続パンチで繰り出したのでした。


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