4.雄大な構想力と粘り1

 山川惣治の代表作の一つである「少年王者」では、作品のタイトルに「大長編絵物語」と唱っています。 これは集英社の編集部が用意したものでしょうか。それとも作者自らがそう称したのでしょうか。 連載の最初から「大長編絵物語」と銘うっているのではなく、連載が長くなった途中からと思われます。 このような絵物語は空前絶後です。

 山川惣治の代表作である「少年王者」も「少年ケニヤ」も絵物語を代表する長い作品であり、物語の最後では、読者が 十分納得する大団円が待っています。「少年タイガー」も、これらに比べるとやや劣った出来ですが、3年以上、 1000回を越す新聞連載を締めくくるにあたり、作者は大長篇にふさわしく、また今までにない落としどころを模索 し、なんとかやり遂げます。

 「少年ケニヤ」など十巻を越す絵物語の最後まで読者を飽かさずに引っ張ってゆくストーリー・テリングと雄大なる 構想は紙芝居作家でもある山川惣治のすぐれた特徴であると、他の絵物語作家が誰しも認めるところでしょう。

 桃元社が昭和50年(1975年)に出した復刻版絵物語「銀星」「ノックアウトQ」合本では古風ながら完結した物語を読むことができます。 栄枯盛衰の激しい少年雑誌の連載にもかかわらず、またまだ世の中が貧しく、単行本の発行の少ない時期に完結した物語を 残せたのは、雑誌の名編集長の存在も大きいかもしれませんが、山川惣治の物語作家としての根性をしめすものと思います。

 マンガ文化の隆盛をみる今日、単行本何十巻にも及ぶマンガはめずらしくありませんが、この中には、主人公は共通するが、 独立した物語の集まりであり、集まり全体の大きな結末のないものもあります。例えば鉄腕アトムがそうです。鉄人28号もそうです。 これらは主人公とそれをとりまく舞台の設定が時代遅れになったり、陳腐になったため、作者が続行する気力を失って終了した ものですが、作者さえその気になればいくらでも続けることができます。これらをかりに「鉄腕アトム型長篇」とよびます。 一方、一旦完全に終了し、新たに始めようとすれば、「新」とか「続」とか「第二部」とかの文字を追加しないと始められ ないもの、正篇を越す自信がなければはじめられないものがあります。これはたとえば白土三平作「カムイ伝」が そうです。これらを仮に「少年ケニヤ型長篇」とよびます。

 山川惣治のあと、「少年ケニヤ型長篇」で目立った成果を残したマンガ作家は何人いるでしょう。山川惣治に代わって、少年 雑誌のいちばんの売れっ子になった手塚治虫は、早々と「0マン」を残しました。「ぼくのそんごくう」も完結させました。 しかし、私のみるところ、その後、手塚治虫はこれらを越える長篇を長らく残せませんでした。「W3」も「バンパイヤ」も「ノーマン」 も「ミクロマンS」も「0マン」を越えていません。(時代に遅れず、ついていっているのは驚異的ですが)手塚治虫が「0マン」 にまさるとも劣らぬ成果を残したのは大人のためのストーリーマンガを描きはじめてからで、彼は虫プロ倒産の試練を経て、火の鳥の ごとく復活し、「アドルフに告ぐ」「陽だまりの樹」という堂々たる「少年ケニヤ型長篇」を完成させました。

 手塚の他に、長篇マンガの目立った達成を残したのは白土三平で、前述の「カムイ伝」の完成のころには完全に手塚治虫を抜いた かに見え、(手塚の弟子が白土をほめたりした、と手塚はこの頃をのちになって回想します)手塚は模索の時代に入ります。「カム イ伝」の挑戦がなければ、手塚は生涯の最後の時期に大長編を残せなかったかもしれません。白土は山川惣治同様、紙芝居出身の作 家であり、手塚治虫を越えるために絵物語の力を借りようとする傾向が見られます。「少年ケニヤ型長篇」の見事な例である「カム イ伝」がかれによって書かれたのは偶然ではありません.

 他にちばてつや、ちばあきお、大友克洋、鳥山明、宮崎駿らが「少年ケニヤ型長篇」を残したようです。私はそれらの作品を一部しか 読んでいませんし、熱中して読むことはなかったので、彼らの作品がたしかに「少年ケニヤ型長篇」なのか、厳密には「鉄腕アトム 型長篇」なのか、あるいは全く別のものなのか、しかとはわかりません。その他にも、原作者つきの長篇、中国の古典をマンガ に直した長篇を完成させた作者はいます。また近年、女性作家で並々ならぬ構想力を示したひともおおぜいいるようです。さらに 山川惣治に似た画風の諸星大二郎も2000年現在長篇を執筆中と聞きます。しかし「少年ケニヤ」に匹敵する面白さと国民的人気と後世の 作家への影響力を持った作品を残せた作家はいったい何人いるでしょう。


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