五十国の橋の下流側左手に小さな空き
地があります。

そこにカヌーの具合が悪いので持ち上
げて修理をしているところです。 158キ
ロを下る最中に、船はだいぶ損傷をうけ
て修理の連続ですが、

この傷が釧路川での勲章になるわけで
す。 自分で直しながら旅を続けることな
んて 普通ありますか?
1990年の写真ですが、今のように携
帯電話がどこでもつながる時代ではな
く、携帯電話自体がまだ、実用化にな
るかならないかの時でした。 

この当時は、無線をカヌーに積んで、
サポート隊の車と連絡を取りながら下
っていました。 
釧路川を下って、海に出たところです。 
最初の4年間位はたしか、写真に写って
いるコンクリート製の橋は無かったです。
  

釧路の町に、はじめてカヌーを持って や
って来たとき、ソビエト(この時は)との漁
業問題で釧路は秋刀魚漁の減船に追い
込まれて灯が消えたようでした。

その後、バブル景気で生き返りますが、
それも束の間の繁栄でした。初めて出き
たばかりの東釧路のダイエーに行った
時、あまりの大きさにビックリしました。ま
るでアメリカのスーパーのようでした。今
はそれも無くなり、兵どもの夢の後です。

初めて釧路湿原を下ると、驚かされるこ
とは、なんだかアマゾン川支流のようなう
っそうとした木々に川が囲まれているこ
とです。 そして流れは 茶色く濁った流
れとなります。  ワニがでてきそうで
す。

1日目。2日目の命が掛かる難所を越
え、緊張しながら、カヌーを途中で修理し
て ここまで来ると、川岸から多くの鳥達
が美しい声を聞かせてくれます。
急に開放された気持ちになれます。ホン
トにノンビリした充実した心になります。
年によって、水量がかなりの開きが
あります。 この写真も湿原内です
が、上の写真に比べれば、水の色も
やや落ち着いた茶色です。 流れに
よる砂の巻上げなどが水の色に反映
します。
一日目の昼食の場所での、写真
だと思います。

右側のカヤックの彼女は我々の
グループではないと思います。
この写真も、1日目の昼食の場所です。下りはじ
めて5年間は人に会ったりカヌーに出会うことな
どまったくなかったんですが。

カヌーブームによって、95年頃から上流部で多く
のカヌーに会うようになりました。 それでも屈斜
路湖から海まで下る人は、ほんの一握りです。

写真の黒い部分は焚き火の跡です。私達ではあ
りません。一応、このようにマナーの悪いカヌー
愛好家のせいで、段々と地域で肩身がせまくな
っていきます。
85年にはこの辺りは サンゴ草が生え 美しい
場所でした。 この写真を見ると 見る影もない
ほど荒れたうえに、車が沢山 入って来てるのが
わかります。 ほとんど北海道ナンバー車です。
屈斜路湖を出るとき、晴天に恵まれ
ると、なんだか 幸先がいいみたい
で気持ちで出ることができます。

この時、ガイドする私は必ず全員
を事故無く海まで連れて行こうと
 心に決意します
湿原でのワンショトです。

きつく厳しい源流部の危険を共に
してカヌーで下っていくと ひとりひ
とりの人柄が浮き彫りされてきま
す。いままで一緒に下った人達は
良い人がとて多かったです。
屈斜路湖から釧路川の流れ出
し橋の前の写真です。

この時は暖かい日だったようで
ね。この地域は寒暖の差が大き
いので、翌日、防寒服を着てい
ることもあります。
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