岩保木水門から3キロ位下ったところに
 大きな簗があります。

86年から90年位までは、木製のヤナで
した。そして下って行くと下流に向かって
左側が通行ができるように開いていまし
たが、このいかつい鉄製になってからは
開いていることはなく、カヌーで通行がで
きず、このすぐ手前でカヌーを持ち上げ
てヤナ下まで運び、そこから再スタートし
ました。
シラルトルキャンプ場です。 ここは湖
側が砂地で奥が湿地になっています。
 この季節、奥の湿地で鶴が子育てし
ている姿を、見ることができました。


1993年の奥尻島地震の日、この
キャンプサイトで寝ていました。 突
然、大地がブヨブヨと動き、テント外の
湖畔に大型船が急に来たような大き
なさざ波が続いてきました。
弟子屈の町の川岸は、白樺の森が伐採
され、釧路川に橋が掛けられ、観光セン
ターと公園が作られ随分かわりました。

観光センター前の芝生で朝食です。 写
真は96年頃だと思います。

最近はマナーの悪い人が多くなり、残念
ですが、このように自由に食事をしたり、
宿泊はできなくなりました。 マナー低下
は残念です。
確か、97、98年のツアーのサポートして
くれた彼女です。 この時は東京〜釧路
のフェリーが、襟裳岬手前の十勝港に寄
って、襟裳岬の前を航海していきました。

海霧が帯状に流れ、遠くに日高山脈、そ
して目の前の海で、沢山のイルカが船と
共に飛びながら泳でいく 風景はすばらし
いものでした。

でも十勝まわりの航海はこの後、1度しか
ありませんでした。バブル崩壊の波が日
本全体に、、、、、
茅沼駅で参加者解散のときの写
真ですね。 後ろに写っている牛
達の草原部分が斉藤牧場の一部
です。長い間のツアーでしたから 
随分と時代の移り変わりがあり、
牛肉自由化の時に斉藤さんは牛
をやめて砂糖大根に牧場を変え
ました。2003年に寄った時は子牛
がいました。話を聞いたら少し牛
を預かることを始めましたと話され
ていました。 

列車は一日に10本程度しかこの
当時は走っていませんでした。
これは湿原ではないかと思い
ますが、よく分かりません。 
兎に角 上陸できるところは
少ないです。
弟子屈の町を出て、右から川が入ってくるとこ
ろに大きなテトラポットで囲まれた落ち込みが
あります。  その落差の部分はカヌーを持ち
上げて下におろして再スタートです。  
85年頃はコンクリートで固めてなく、荒地の中
を右から川が入ってきました。 

2002年の時からは、落差の周りと中央に入
っていたテトラがはずされたので、カヌーで直
接下ることができました。  現在はどうなって
いるかわかりません。
反対岸が牧場のようなの
で、 2日目の写真だとお
もいますが
どこだろう、
岩保木水門の土手の上です。こ
のときは参加者が多いですね。
ここから海までが2時間〜3時
間です。 ここから釧路湿原を見
渡すことができます。
釧路川5クリック
シラルトルキャンプ場の湿原側の
風景です。この写真は古いと思
います。 装備にタープがないの
で、 ここの朝は いつも どんよ
りと垂れ込めた曇り空ではじまり
ます。87年頃ではないかと思い
ます
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釧路川4








































































































































































































































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