小さな旅の記録 (H21年)

T] 尾瀬ヶ原(天神平、谷川岳、水上温泉)
1. 旅行日 平成21年6月7日〜8日
2. 日 程 1日目 関越道で水上IC→土合の先に有るロ−プウェ−で天神平(谷川岳)→水上温泉(泊)
2日目 水上IC→沼田IC→戸倉(駐車場)→鳩待峠→尾瀬ヶ原→鳩待峠→戸倉→沼田IC→関越道→自宅
3. 全 走 行 距 離 612 km
4. 記録と
感 想
朝8時半に出発して、初めて八王子ジャンクションから圏央道に入り鶴ケ島経由で関越道の水上ICまで行きましたが、
 圏央道が中央道に接続する迄は八王子からR16で川越まで行く等しかも、途中が交通渋滞でかなり時間が掛ったの
 が、現在は直接関越道につながり大変便利になりました。そのお陰で途中2回トイレ休憩などでつごう30分ほど休み
 ましたが、水上ICまで3時間半で行けました。
水上ICを降りて一度その夜泊まるホテルの場所を確認してから上越線の土合の先にあるロ−プウエ−乗り場迄行き、
 そこから天神平まで一気に10分で昇るとそこはスキ−場で残雪がわずかに残っていて、しかしその残雪は黒く汚れて
 いてさわる気がしませんでした。
しかも、風が強く生憎谷川岳も雲の中で良く見えず30分ほど天神平にいてホテルに4時には着きましたが、一度行って
 見たかった谷川岳を雲の合間に僅かながら見れた時は感激しました。
その夜は温泉に入りぐっすりと休みましたが、翌日は6時に起きて7時半には出発。沼田ICへ行き、戸倉と言う駐車場
 に9時半に着きそこからシャトルバスで鳩待峠へ向かいましたが、途中の国道は東北を旅した3年前に金精峠へ向け
 て走った大変懐かしい国道で見覚えのある景色の中を尾瀬へと走りました。
鳩待峠へ10時過ぎに着き、其処からの山ノ鼻と呼ぶ尾瀬ヶ原の入り口まではかなり勾配のきつい坂道で、石段あり
 木の階段ありの中を歩きました。そして、帰りの登りを案じながら進むとようやく中継地(山ノ鼻)に着き、その先に広大
 な尾瀬の湿原がありました。
そこで、山ノ鼻で一休みして中田代迄行こうと歩き始めると、途中の木道からは無数の水芭蕉とリュウキンカ(黄色の
 かわいい花)を眺める事が出来て十二分に尾瀬を堪能しましたので、帰りの妻の足の疲れを考えて、途中で引き返し
 山ノ鼻で昼食を摂り13時半に尾瀬を引き上げました。
それから再び鳩待峠へ向かいましたが、案の定かなりのきつい登り坂で木々の間から峠のロッジが見えた時はホット
 しました。    
そこでシャトルバスで駐車場まで戻り群馬県を後にしましたが、途中で立ち寄った白沢は、3年前に東北を回った時に
 初めて泊った道の駅で、此処で料理を食べ温泉にも入った懐かしい場所で懐かしく、写真を撮った後沼田ICへ向かい
 帰路につきました。
今回の尾瀬ヶ原への旅は、妻と一緒に行った久し振りの小さな旅でしたが、これからもこうした旅を少しでも多くしたい
 と思っています。 
5. まとめ 現在高速道路は土日と祭日が1,000円で乗り放題なのは有り難い事ですが、今回の選挙で政権交代が実現しました
 ので、高速道路の無料化が実現しそうですが、それが結果的に良い事かどうか(通行量の増加や事故等の関係で)
 その見極めが必要になるでしょう。
気が付いたのですが、尾瀬にある案内板や看板そして木道の多くに「東京電力」の文字(又はロゴ)がありました。
 帰ってから調べると尾瀬ヶ原は東京電力の所有地で、かつて此処にダムを造ろうと買った土地が広大な湿原である事
 が分かり、特別天然記念物の指定を受けるに及んでダムを造ることを諦めたのだそうです。しかし、今でも東京電力の
 所有地であることに変わりはなく環境庁と群馬県等の関係自治体とどの様に管理区分けをしているか判りませんが、
 看板に東京電力の文字があちらこちらに書いて有った訳です。木道は県と東京電力が分担しあって設置管理をして
 いるそうです。また、尾瀬についての詳細は下の尾瀬の部分をクリックするとウイキペディアで見る事が出来ますので、
 是非見て下さい。→ 尾瀬
山ノ鼻の直ぐ近くに「至仏山」と呼ぶ一部に雪をかぶった山が有り、其処は登山道が整備されていて登る事が出来る
 のですが、尾瀬を歩く人達は至仏山へは登っていませんでした。しかし、此の山に登るときっと尾瀬ヶ原が一望出来て
 また別な景観を楽しめることでしょう。
一方、山ノ鼻から中田代方面へ向かうその先には燧ケ岳(ひうちがだけ)が観えていましたが、地図によると燧ケ岳は
 群馬県では無く福島県に聳える山だそうです。
尾瀬ヶ原と尾瀬沼は別の場所にあり、山ノ鼻方面から尾瀬ヶ原を半分ほど過ぎた竜宮と呼ぶ場所を右に折れてかなり
 歩くと、尾瀬沼に出る様です。私は尾瀬ヶ原の中に尾瀬沼が有るとばかり思っていましたので、完全な思い違いをして
 いました。
思えば、昨年(H20年)釧路湿原を観ましたが、湿原の中を歩く此の尾瀬ヶ原も素晴らしい遺産であると思います。
 まだ行っていない方は、是非一度出掛けて見ては如何でしょう。ただ、足腰を鍛えてから行かれる事をお勧めします。


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小さな旅の記録 (H21年)

U] 上 高 地
1. 旅行日 平成21年9月13日
2. 行 程 中央道→松本IC→沢渡(駐車場)→シャトルバスで大正池→かっぱ橋→バスタ−ミナル→沢渡→松本IC→中央道
3. 走行距離 253 km
4. 記録と
感 想
8時過ぎに家を出て、途中諏訪湖でトイレ休憩を取りそれでも10時には松本ICに着きました。当日は日曜日と言うのに
 中央道は混むこともなく順調に走れましたが、さすがに諏訪湖のサ−ビスエリアはごった返していました。
松本ICからは一般道に出て約1時間で沢渡(さわんど)駐車場に着きましたが、途中幾つものトンネルを抜けて山合い
 を進むと大型車とのすれ違いにヒヤリとしたり対向車を先に行かせて走るなど、その道は結構狭く走り難く感じました。
その駐車場は一般車で混み合っていて、最初は仲々見つからなかったのですが、幸いにして一台だけ停めるスペ−ス
 が見つかり其処へ停めて出発の準備をしていると、駐車場の管理人は早速「満車」の看板を出していました。
30分ほど待ってようやくシャトルバスが来ましたのでそのバスに乗り大正池へ向かいましたが、このバスも満員状態で
 幾つものトンネルを抜けると其処からが上高地でした。
大正池は(アルバムに書いた通り)想像していたより小さな池で、良く雑誌の写真で見る景色よりも見劣りしました。
 処で、雑誌に出てくる抜群の写真は、恐らく池にボ−トを浮かべて絶景ポイントを捜がしながら撮影しているのでしょう。
大正池でお弁当を食べてから「かっぱ橋」を目指して自然研究路を歩きましたが、お弁当を食べていると小さなカモが
 近付いて来て何か食べものをよこせとせがんでいるようです。其れを無視すると今度は大きなカモが寄って来ました
 が、小さなカモが大きなカモを追い返しているのには笑えました。
かっぱ橋へ行く途中の木道は幅が広く平坦な道で歩き易く、尾瀬を経験していますので安心しました。それに、梓川は
 結構急な流れで、木道の両側は湿原で灌木と草がおおい茂り、森林浴さながらの清々しさを感じながら歩きました。
暫く行くと、上高地を紹介したウエストン(英国の牧師)の碑が有りましたのでそれを見て、更に歩くとかっぱ橋が見えて
 来ました。しかし、その途中にホテルが在ったり土産物店が在ったりして、結構俗化していました。
かっぱ橋は良かったのですが、人混みの中で写真を撮ったくらいで、楽しみにしていた穂高岳も上半分が雲の中で良く
 見えず、山の天気が良さそうだと意気込んで行った割には午後から曇ってしまい残念でした。
そこで、ひと休みしてから予定していた明神池を回る周回コ-スへ出発しようとしましたが、あまりに観光客が多くしかも
 ロ−ヒ−ルで歩いている女性を見るに及んでは、山歩きの支度をしないその軽装振りに呆れ、人息きれにも参り妻も
 此の先を歩くのは嫌だと言い出しましたので無理に歩かせてはまずいと思い、今回の上高地は此れまでと判断し、
 14時半にバスタ−ミナルを後にしました。
もとの駐車場には3時過ぎに着きましたが、その後途中の道の駅で本物のワサビを買い、ゆっくりと景色を眺めながら
 6時少し前に自宅に着きました。

5. ま と め まだ行っていない上高地を一度訪ねて見たいと思っていましたが、あまりの人の多さにウンザリした事と、観光地として
 の前宣伝があまりに知れ渡り過ぎて景観を楽しむと言うより人間を見に行った感じの方が強く夢から覚めた感じがして
 いますが、今度はシ−ズンオフの静かな上高地を訪ねて見たいと思います。
上高地がこんなにも大勢の観光客で賑わうのは、手軽に行ける事と雑誌などで広く知れ渡っているからでしょう。
 その点尾瀬ヶ原はかなり奥まった所に有り、健脚の人でないと仲々歩けない事が判っているので行った時はそれでも
 かなりの人が訪れていましたが、上高地よりはましでした。
上高地の周囲に白骨温泉や平湯温泉などがある事を知りませんでしたが、此の方面にはバス路線がしっかり整備され
 ていて、また安房峠(又はトンネル)を越えると飛騨の高山へ抜けられることも判りました。
当日(H21年9月13日)は長野の天気予報が晴マ−クでしたので行く事に決めましたが、やはり山の天気は気紛れ
 で、海抜1,500mの高地は午後から風と共に曇って来てしまいました。そこで、此れからはいつでも行ける事が判りまし
 たので、今度はかっぱ橋から明神池にチャレンジしようと思います。


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小さな旅の記録 (H22年)

T] 南 房 総( 内 房・外 房 ) の お 花 畑
1. 旅行日 平成22年2月27日〜28日
日 程 1日目 首都高速湾岸線→東京アクアライン→海ほたる→木更津JCT→マザ−牧場→館山ファミリ−パ−ク→白浜フラワ−パ−ク→千倉
2日目 南房総のお花畑を4箇所見学→鴨川(道の駅)→房総スカイライン→君津→東京アクアライン→海ほたる→首都高速経由し帰宅
走行距離  556km
記録と
感 想
朝8時前に出発し海ほたるに10時半過ぎに到着。30分ほど人工島内を見てマザ−牧場へ向かった
そのマザ−牧場(動物達の飼育やお花畑のある観光牧場)は高台にある精か、午後から牧場は風が強く入場を諦めた。
 そこで、館山のファミリ−パ−クへ向かった。此処は、100万本以上は有るポピ−と金魚草やスタ−チス、ストックや
 菜の花などが見事だった。
次に白浜にある白浜フラワ−パ−クへ行き、熱帯植物園で多くの植物を観たり、ポピ−、金魚草、ストック、スタ−チス等
 を観てから野島崎灯台に寄り千倉(宿泊先)へ向かった。
翌日は勝浦まで行く予定でいたが、チリ地震の津波が午後房総半島へ来るとの情報を知り、鴨川の近くにある4箇所の
 お花畑を早々に観て、みぞれ混じりの雨の中を房総スカイラインを使って君津へ行き、再び東京アクアラインを通って帰路
 に着いた。
1日目の午後はマアマアの天気で、お花畑をのんびり観る事が出来たが、最初に行ったマザ−牧場の強風には参った。
2日目はとにかく朝から雨で、傘をさして見学したが、消防車が津波による避難を告げて走っていたので、鴨川オ−シャン
 パ−クの道の駅でお土産を買い有料道路を通って引き上げた。しかし、早目に行動して正解で有った。
まとめ まだ会社勤めをしていた頃に海ほたるが工事中であったが、ジャンボなシ−ルドマシ−ン(直径:14m)による掘削現場を
 見学する機会が有り、当時は船で人工島に渡って見る事が出来た。その後その人口島を「海ほたる」と名付けて人に
 知られるようになったが、その海ほたるは5階建ての鉄骨構造になっていて、とにかく海上に建っているので海からの風
 が強く寒かった。しかし、建物内には飲食店とゲ−ムセンタ−、それに土産物屋が殆どで、上り線と下り線の駐車場に
 入る道路が周りを取り囲んでいる。
川崎側の浮島JCTを進むと東京湾の海底を走っている事が良く判り、10kmほど走ると陸上に出た所が海ほたるになる。
 最近通行料が安くなった事が影響して、とにかく大勢の客でごった返していたが、集客数に困っていた業者達に取っては
 有り難いことだろう。
海ほたるから千葉へ向かう道路は橋の上を走る事になるが、トンネルよりかなり短かかった。そして、取付け道路を走り
 最初にマザ−牧場へ行き駐車場に車を停めたまでは良かったのだが、とにかく風が強く、これでは飛ばされてしまう様な
 気がしたので、残念ながら入場は諦めて周りに観える花だけを眺めて館山へ向かった。
内房の道路は海沿いを走る割には意外とトンネルが多く、しかも対面通行なので、少々怖かった。そして、君津から富津
 方面へ向かったが、館山までは走りでがあり漸く館山のファミリ−パ−クへ着いたのが、2時頃だったと思う。
館山ファミリ−パ−クは数十人の観光客が居たが、中は広く何と言っても黄色やオレンジ色のポピ−が畑一面に咲いて
 いる様は見事だった。何でも10万株が植えられていて、20本以上のポピ−がひと株にまとまっているのだが、その内の
 10本以上に花が付いている。そこで、10本×10万株=100万本のポピ−が咲いている事になるが(画像でご覧下さい)
 それはそれは見事で、温室ではなく晴れた空のもとで見事に咲くお花畑にさすがに出不精の妻も歓声を上げていた。
其れから白浜に有るフラワ−センタ-に行ったが館山からは近かった。此処は館山より小規模だったが、やはりポピ−や
 金魚草、ストック等が咲いていた。そして、大きなド−ムの中に熱帯植物が生い茂っていたが、珍しい植物が多かった。
 白浜フラワ−センタ−を観た後は野島崎灯台を観て、R410沿いのお花畑を観ながら千倉へ向かったが、観光ガイドに
 載っている写真よりどこも小規模だった。その中で、道沿いに咲くお花畑が綺麗だったが其処が「白間津」の花畑で有る
 事をその日は知らずに通り過ぎたが、翌日少し戻って確かめると正しく白間津の花畑で、どうも花を栽培して市場に卸して
 いる花農家の畑で有るらしい。
宿には4時過ぎに着き6時からの食事の間に温泉に入ろうとしたが、やはり温暖な陽気の精か私は少々のぼせて鼻血が
 出てしまい、とうとう私だけ温泉に入るのを見合わせた。しかし、宿の食事はさすがに新鮮で大変うまかった。
翌日は、ロ−ズマリ−公園、花の広場公園「花夢・花夢」、鴨川花の駅と先程の白間津の花畑を含めて四か所を観たが、
 何しろ雨が本降りになり更に車の前には消防自動車がゆっくり走りながら「津波が来るので避難して下さい」と呼び掛けて
 いたり、行く先々の花畑が少規模であったりで風と雨に体が冷えて来たので、鴨川の道の駅で孫達へのお土産を買って
 から有料道路を通り君津へと向かった。
丁度28日の日曜日は、東京マラソンの日で都心は混むだろうから、金谷からフェリ−で久里浜へ抜けようかと思ったが、
 津波でフェリ−が欠航である事をカ−ナビで知り、帰りも東京アクアラインで帰ることにした。そして、丁度お昼に海ほたる
 に到着したので昼食をと思ったが、事によるとアクアラインが閉鎖されそうに思えたので、立ち食いそばで簡単に済ませて
 12時半には海ホタルをあとにした。
家には3時過ぎに着いたが、テレビで3時40分に「アクアライン通行止め」と報じていて、妻と二人で顔を見合わせて早く
 切り上げて正解で有ったと話し合った。
今回の旅は前半は花を十分観る事が出来て良かったが、後半は雨と津波で散々であった。しかし、海ほたるを行きと帰り
 の2回立ち寄る事が出来たことと、内房〜南房総〜外房(鴨川)の草花を堪能出来てまずまずの旅であった。

南房総の花畑をデジカメ集(アルバム)で紹介しています、是非ご覧ください。


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小さな旅の記録 (H22年)

U] 諏 訪 大 社 (下 社) 御 柱 祭 の 木 落 し
旅行日 平成22年4月11日(日)
行 程 双葉SAより観光バス(早朝6:00発) →木落し会場(9:00着)→1回目(11:30)→2回目(1:30)→3回目(4:15)→帰路へ
記録と感 想 娘の嫁ぎ先の父上と一緒に行動し木落し会場へは観光バスで移動しましたが、朝6時前に家を出て双葉SAへは6時過ぎに着きました。
朝会場へ到着(9:00)した時は生憎の小雨でしたが、一回目の木落し(春宮二)が落された11時半頃には雨もすっかり上がり陽がさして来ました。
氏子の人達が木落し坂に綱を持って斜面に並んでから御柱が落ちる迄に2時間が掛るので、二回目(秋宮三)の木落しの前に弁当を食べました。
圧巻は3本目(秋宮一)の御柱で、過去の記録の中では8番目に大きな御柱でしたが、落す迄に時間が掛り1時間半近く遅れてしまいました。
御柱祭最後の此の日の三回の木落しで怪我人が数人出て救急車で運ばれて行きましたが、怪我をしてでも御柱に掴まり
35度の急斜面を落ちる諏訪の人達の心意気が何とも素晴らしく思いました。
帰り掛けに再び小雨になりましたが、日中は良く晴れて素晴らしい御柱祭でした。
その様な訳で、山梨到着が7時過ぎになりましたが、終わって見ると快い疲れが数日続きました。しかし、次回の御柱祭を観に行けるかどうかは判りませんが、とにかくバスの駐車場から会場までは往復2キロ以上を歩かなければなりません。
しかも、下諏訪町と会場間をシャトルバスで往復していましたが、かなりの人達が順番待ちをしていましたので、結局は体力
勝負かも知れません。
山梨からは17〜18人ほどの参加でしたが、長野方面からも集まり全部で80人程が2台の大型バスに分かれて会場に向かいました。しかし、下諏訪町の実行委員会が主催・運営する桟敷席は抽選でしかも当選すると下諏訪町役場まで取りに行かなければならないので、少々割高でしたが駐車場を確保出来るかどうかを含めて今回のバスツア−は此方を選んで正解でした。

まとめ 諏訪大社には上社と下社が有りどちらも木落しが行われますが、下社の方が滑り落ちる高低差と坂の長さの点ではるかにスケ−ルが大きく勇壮で人出も多く大変混雑するとネットに出ていましたので、折角観るのであれば人気のある方を観たいと申し込みを調べると既に指定席の予約は終了しており半分諦めかけていると、旅行会社にツア−が有ることを妻がチラシで見付けましたので、折角車で行っても駐車できない事や立見席で思う様に観れないなどのことを考えて旅行会社へ申し込むと運良く桟敷席が取れたとの連絡が有りました。
しかし、会場に行って見ると桟敷席とは言っても簡単な区画が有るだけでシ−トが一面に敷かれてありましたが、前夜の雨で水が溜まっており用意したビニ−ルを敷き持って行った座布団を敷いて其処に腰を下ろして見学しました。
処が、結局7時間以上会場に居た訳ですがすぐに腰が痛くなり此れには参りました。しかも、桟敷席は大勢の人で混み合い足を前に出すことも儘ならず、途中で会場内を歩いたり腰を伸ばすなどをやり腰をいたわりました。この日はとにかく腰の痛さに振り回されました。又、山梨へ戻ってからは腰と股関節が数日痛く、毎日のウォ−キングに差支える痛さでした。
日本三大奇祭の一つに数えられる諏訪大社の御柱祭は、とにかく氏子たちが町の名誉を掛けて7年に一度諏訪大社まで山から切り出した大きなモミの木を木落し坂から落し、町中を引きまわして(里曳き)神社まで運ぶ迄の祭りですが、此れまでテレビでしか観た事が無かったので、思い切って観に行って良かったと思います。
御柱が急な斜面を滑り落ちる時に観ている人達が一斉に歓声を上げるその臨場感はやはり実際に観て見ないと判らないと思います。しかも、35度の斜面を氏子達や塩をまく神官達が下へ降りて行く時に足をとられて転げ落ちる時にも、大きな歓声がわき上がりこれも愛嬌が有って楽しいものでした。
しかし、此の木落しはお祭りのひとつの行事ですが、大変危険な行事で数トンは有る御柱の上に氏子達が乗り途中で御柱から落ちてしまう氏子も居て、御柱に挟まれて怪我をしたり最悪は人身事故になりかねない危険を伴うお祭りですが、其処が又たまらない所なのでしょう。氏子の人達も町の名誉と誇りを掛けて取り組んでいました。しかし、木落しは事前の練習が出来ないブッツケ本番ですから、本当に危険と背中合わせであることを実感しました。
会場は桟敷席の囲いや通路、川の柵や簡易橋、国道へのタラップ、簡易トイレそして、多くのスッタップとその運営にはかなりの費用が掛っていますので、桟敷席が3,000円〜4,000円と割高でも無料の席での立ち見より恵まれています。しかし、多数の警察官や消防団そして、4〜5台の救急車の配備などさすがに諏訪を上げての7年に一度のお祭りであることが良く判りました。

御柱祭の画像を、デジカメ集(アルバム)に載せていますので是非ご覧ください。


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