小さな旅の写真集(H22年)

     南房総(千葉)                                  -ホ−ムペ−ジのトップに戻る-

 此処は最初に行った館山ファミリ−パ−クにあるポピ−畑ですが、園内の説明書きによると10万株が植えられているとのこと。すると、一株に20本程のポピ−の茎が有りその内の約半分に花が咲いていましたので、凡そ100万本のポピ−が咲いていたことになります。

そして、ポピ−畑の向こうに温室が有り、そこに植えられていたのが金魚草やスタ−チス、ストックと言った花々で、一本
100円で売られていました。

                  撮影日:、2010年2月27日
此処は、金魚草とスタ−チスそしてストックが植えられている温室ですが、室内はやはり暖かく此の様に観光園として経営しているものと露地栽培している園芸農家を館山から白浜に掛けて沢山観る事が出来ました。

此処南房総は冬でも霜が降りない温暖な地なのだそうです。
最初の画像を90度方向より撮ったものですが、こうした畑が行く先々に有り観光資源として役立てられていました。

誰でも畑の中に入って行けますので、丁度この時も数人の人が畑の中にいる所を撮ったものです。人の大きさと比べ此の畑がどんなに広いかが判ります。
菜の花もフラワ−センタ−の道の筋に植えられて(自動車道の道路脇にも菜の花が植えられていて)、正しく菜の花ロ−ドと言った雰囲気の中を草花を眺めながらクルマを走らせた事を思い出します。
此の花がストックだそうです。とにかく、温室の中は花の香りと温かさで気分が良く妻は此処へ来れて良かったと大変喜んでいました。

此処が2番目に行った白浜にあるフラワ−センタ−ですが、キンセンカの花畑を撮ったものです。

此のフラワ−センタ−はすぐ前が太平洋で、波の音が聞こえる中で見学をしました。帰ってから地図を見ると確かに房総半島の先端に白浜がありました。どうりで、此処を観てから千倉へ向けて走っていると野島崎灯台が有ったり、何処かの漁港を通ったりと房総半島を余り知らなかったのですが、今回の旅で知識が豊富になりました。
此処は翌日(28日)行った「花の公園花夢花夢」ですが、
千倉から安房鴨川に向かう途中に有りました。

しかし、どのお花畑も昨日のフラワ−センタ−よりかなり小さくガイドブックに紹介されている写真とは随分違いこじんまりしていてがっかりしました。

更に、生憎の荒天で津波も来ることなので、鴨川の道の駅で孫にお土産を買ってから房総スカイラインを走り、君津へ向かいました。
千倉から安房鴨川に向けて雨の中を走ると、消防自動車が津波の警戒を呼び掛けている所を何度も目にしました。

此の日は雨が降っていましたので、妻が車内から消防車を撮ったのが左の画像ですが、ワイパ−がうつらない様にうまく撮れていました。
此処が往復とも寄った海ほたるの館内です。ご覧の通り、
5階建てになっていて中央にエスカレ−タ−が配置されていました。5階のうち2階と3階は駐車場になっていて1階と4〜5階に飲食店とゲ−ムセンタ−などがおさまっていました。

此の画像には人混みの様子がうつされていませんが、特に行きの海ほたるは大勢の人でごった返していました。

しかし、帰りは津波の影響で東京アクアラインが通行止めになるのを見越して早目に海ほたるに寄りましたが、山梨へ帰って来た3時過ぎにアクアラインがまさしく通行止めになったことをニュ−スで知り判断が正しかったことを実感しました。
此の画像が、海ほたる〜木更津方向を撮ったものですが、
遠くに橋が少し見えています。

私は勤めていた頃に、前田建設が建設中の人工島(海ほたる)を見学した事が有りますが、当時は橋が無く船で渡った事を覚えています。

その時に海底トンネルを掘るシ−ルドマシ−ンの実物を見たのですが、直径が14m以上もあり掘削後セグメントピ−スをはめて内径12.6mのトンネルに仕上げることが、その当時のメモに残っていましたが、そのセグメントピ−スを搬送する設備を納入したのです。

この日は風が強く私達には長く居る所では有りませんでしたが、若い人達にはきっと楽しいのでしょう。家族連れや恋人らしいカップルがいて賑やかでした。

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             小さな旅の写真集(H22年)

     
諏訪大社(下社)の御柱祭                                 2010.04.11      

此の画像は、岡谷(長地区)が披露した最初の木落しです。

この様に御柱がある程度せり出されると氏子達が自分たちの御柱に名付けられた此の場合は「春宮二」と「ようこそ木落し坂へ」の幕を持って挨拶をしながら坂を下り、そのあとで勇ましいトランペットの曲とかん高い木遣りが披露されて愈々少しずつ御柱が更にせり出されて行きます。

そして、半分近くせり出た時に御柱を支えている後ろの綱を斧で断ち切り、35度の急斜面を氏子達を乗せた御柱が勢い良く滑り落ちて、滑り落ちると同時に周りの氏子達が一斉に御柱の周りに駆け寄り木落しが終わります。
此の画像は、落ちて行く途中のものですが、かなりの速度で落ちて行きました。その時に見物客は一斉にどよめきと歓声を上げてスリルを楽しむのです。

此の木落し坂に接続して国道が走っていますが、その後氏子達は国道の上を御柱を500m程曳いて仮置き場に納めた後に此の日の行事が終了するとのことでした。
此の画像は、当日3本目の木落しで、下諏訪地区が披露した「秋宮一」の御柱ですが、何でも此れまでの御柱祭で8番目に大きなモミの木との事でした。

その精か氏子達の数も2回目までより数倍多く、御柱の向きを修正するのにかなりの時間が掛り、予定時刻の3時をはるかに超えて4時半近くに漸く落されました。
その落されて行く途中を撮ったものですが、此れまでの御柱の長さが10mに対して1.5倍近くは有った様に思います。

最後に大きな御柱を披露した辺りは実行委員会の作戦であったのかも知れませんが、確かに見応えが有りました。

それが、1時間を過ぎても坂上の御柱の姿勢を変えることが出来ずに片側だけで曳いて直そうとしても仲々直らずに果たして上手く落されるのか少々心配になりました。

音声のない左の画像からは迫力が今ひとつ伝わって来ませんが、此の時見物客からは大きな歓声が上がり、怪我がない事を祈りながらしかし、その壮大な祭りのクライマックスを楽しんでいました。
更に落ちた御柱の画像ですがこの画像には御柱の上に氏子がいません。途中で全員落ちてしまった様です。しかし、三本目の木落しでは怪我人が出ずに最後まで滑り落ちましたので、木落しに時間が掛った割には結果が良くまずまずでした。

追記
4月25日の午後にア-カイブスとしてNHKで放送した2004年(前回)の御柱祭が大変素晴らしかったので、追記します。

それは、富士見町と金沢地区(茅野市)の山出しから木落しそして川越えまでと、里曳き〜上社へ御柱を奉納して終わる御柱祭で、氏子達の結束力と一丸となって御柱を上社へ届ける最初から最後迄をまとめたものですが、圧巻なのは木落し後に予定されている川越しが当日の悪天候(降雪)と時間の遅れでメドデコと呼ぶ御柱にV字に取り付けた木材に十数人の氏子が乗って川を渡る所でメドデコを取り外し御柱のみを川に入れると言う此れまで此の日の為に頑張って来た氏子達にとって実に悔しい思いで総代が決断した結論を承知しなければならない場面を追い掛けたものですが、しかし、総代の決断を誰も悪く言うものはいなかった、と言う内容でした。

そして、今年の御柱はメドデコを付けたまま立派に川越えを成功させた事も伝えていました。そこで、2016年に行われる次回の御柱祭を観に行けるとしたら、川越えのある上社を観て見たいと思いました。その時は私は72才になっていますので今から体を鍛えて体調を整えて行こうと思っています。
此れは砥川と呼ぶ川の反対側から撮ったものですが、カメラの背中側に国道142線をまたいで木落し坂が有ります。

画像は有料の桟敷席を写したものですが、恐らく数千人はいたでしょう。そして無料の立ち見席には数万の人達が押し掛けていて大変な賑わいでした。

桟敷席は砥側に土嚢を積んで簡易な杭とロ−プで一応は川への転落を防止する安全対策が取られ、上下2ケ所に橋を設けて主に此処で入退場の人をチェックしていました。

画像には写っていませんが、カメラ側に簡易トイレが設備され、諏訪太鼓やアトラクションを行うステ−ジも有り女性のアナウンスで木落しの状況や一部交通制限を掛ける知らせなどを放送していました。

そして、その隣には地元が作った食べ物を売るテントが並んでいたり土産物を売る売店が有ったりと、国道下のエリアも賑わっていました。
此の画像は午後から撮ったものですが、桟敷席は足や腰を延ばす余裕もない位大勢の人達でごった返していました。

桟敷席へ入るには前もって渡された首から下げるワッペンを要所要所に居るスタッフがチェックをして確認をするのですが、私が申し込んだ桟敷席だけでも1,500人でしたので、恐らく他の桟敷席を含めると数倍の見物客が入場していたと思います。

見物した4月11日は下社の木落しの最終日で木落しは全部で3日間行われましたが、下社とは別に上社でも3日間木落しが行われました。(上社は下社より早く行われました)

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