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                                                                      更新記録:H23年05月新規作成
                      平成23年以降の「近況報告」更新記録 

                         此れまでの近況報告リスト一覧                                                       

以下のリストのタイトルをクリックすると、各々の詳細を見ることが出来ます   H23年09月15日作成
平成23年(2011年)06月以降
06月09日 今年の梅雨はどんな梅雨に 震災後の日本人の評価、最近の中東情勢など
07月28日 平成23年山梨の夏 今年の梅雨明け、スペースシャトルの最終帰還など


平成23年(2011年)06月以降


07月28日

平成23年山梨の夏
                                      
今回の近況報告の初めは6月下旬に2件の世界遺産が新たに登録された事でしょう6月24日に小笠原諸島が世界自然遺産に登録され、平泉が世界文化遺産に再チャレンジの末に6月26日に登録されましたが、久し振りの明るい話題に私は
大変満足しています。特に、平泉は大震災後の東北地方の人達を元気付ける何よりのプレゼントですが大変嬉しく思いました
しかも、ユネスコの審査会で満場一致で推挙されたと聞きますので、それも有り難く思います。私も5年前に東北を旅行した時に平泉へ行きましたが、藤原清衡により建立された中尊寺も見事ですが毛越寺(もうつうじ)を知った時は、平泉を新たに発見したことに感動しました
平泉駅に寄りそこから最初に在る毛越寺迄歩きましたが境内に建築物は少なく礎石と大きな池だけの寺に最初は戸惑いましたが、平安時代には中尊寺より毛越寺の方が藤原氏に大切にされた事や「大泉が池」と呼ぶ池には多くの石組みが配置され、それが周りの景色に見事に溶け込んでいて毛越寺を「もうつうじ」と読む事が出来なかったことなど不思議な体験をした一日でした。それにその年の大河ドラマの主人公が源義経でしたので平泉の資料館では義経の特別展をしていた事や町営の温泉にも入りましたがいずれにしても平安後期に奥州藤原氏が約100年にわたり栄華を築いた平泉の浄土の文化と歴史の重さをユネスコに評価して頂いたことと、私も平泉へかつて行けたことを想い胸が熱くなりました。そして翌日行った石鳥谷や盛岡市や小岩井農場それに遠野や想い出の三陸海岸などあの時の旅以来、岩手が大好きになりました
まずは嬉しいニュースから始めることが出来て嬉しい限りです。

今年の山梨は5月27日に梅雨入りをして7月9日に梅雨が明けました。例年より12日早く、そして昨年より8日も早く梅雨の季節が終わりましたが 梅雨明けが早いと言う事は太平洋高気圧の勢力が強く、梅雨前線を早く北に押し上げたからで梅雨が早く終わったことは有り難いのですが今度は夏の高気圧がその分長く居座ると同時に 高気圧の勢いが強いことはその分
最高気温が高い日が続くことを意味しそうで、昨年の猛暑が中途半端では無かっただけに今年の夏も此の先が不気味です

幸いにして甲府盆地は熱帯夜が殆ど無いのは助かりますが全国一の最高気温がニュースに流れない事を願うばかりですそうした折に娘夫婦が私達に最新式のクーラーをプレゼントしてくれましたそれは 孫が夏休みの間は実家で過ごすのですが
今迄のクーラーが故障して数年前から使えないのを見兼ねて、節電型のクーラーを7月上旬に入れ替えてくれました。私は、どちらかと言うと風が当たるのが苦手なのでクーラーは程々にしていますが 孫とお婆ちゃんと犬と猫は涼しい居場所が出来て助かることでしょう。

スペースシャトルのアトランティスが7月21日に無事帰還し30年に及ぶスペースシャトルによる宇宙輸送システムの時代が終わりました。その間に135回打ち上げられ チャレンジャーの発射失敗(1986年)とコロンビアの帰還途中での空中分解
(2003年)の2度の事故が有りますので成功は133回ですが、チャレンジャーの構造試験に使用された材料を集めて造ったエンデバー、それとディスカバリーそれに今回最終飛行をしたアトランティスの3機を使って国際宇宙ステーション(International Space Station)の組み立てが始まった1999年からは 宇宙ステーションへの宇宙飛行士の送り込みと交替、そして物資を運ぶことが主目的となりました。今後暫くはロシアのソユーズが宇宙飛行士を運び、日本のコウノトリ(H-II Transfer Vehicle、略称: HTV)などで生活物資を運ぶことになりますが、宇宙ステーションを現時点では2020年まで使う事を検討中だそうですから、
あと9年の間に次期宇宙計画を構築することになります。

Live door の元社長の堀江貴文さんが6月20日に収監されましたが、2年数ヶ月を東京拘置所で過ごすと報道されました。私は、結果は結果として刑に服する彼を皆の様にとやかく言いたくありませんが、ひと言 「潔い」と思います。
色々な成り行きで多くの投資家に損害を与えたことは事実ですが、しかし今の若者の中でハッキリとした考えを持ち、それを
行動で示し社長然としないラフな服装や大きな夢を語るなど彼の人間性を評価する者の一人として2年数ヶ月の中で出所後の自分自身の活躍の場をしっかり構築して欲しいと思っています。彼だけが悪いのでは無く日本経済の仕組みにも問題が有ると思っています。その点前回も登場した田原総一朗氏は彼のサイトの中で、「まったくの冤罪で見せしめの何ものでもなく日本人は成り上がりに対してやたらに厳しい。成り上がりを否定する文化がある」と酷評しています。私は、やはり社会に対して自分の発言と行動に行き過ぎが有った事は多分事実であり田原氏の様な酷評では有りませんが 確かに若い起業家達の見せしめに使われた点は田原氏に同感です。又、ホリエモンは10年後にロケットで宇宙観光をする夢を語っていますが、4月の植松努氏の講演(北海道の赤平でロッケット開発を続けている町工場の若い社長の話)の中で、ホリエモンはその発射実験に北海道まで訪ねていることを知りました。そこで、ホリエモンはホリエモンとして悪しき日本の社会通念を打ち破って、彼らしく日本を
リードして欲しいと思います。暮々も法律に違反していないので全くの無罪を主張する小沢一郎の様になって欲しく有りません
政治家として人間としての「道義的責任」は如何に複雑な人間社会であっても筋を通して欲しいものです。その点、服役後でも
40才と若いホリエモンがどの様に活躍するのか楽しみです。自分自身を「人生を生き急ぎ過ぎた」と考える彼を、此れからも
応援したいと思っています。

今年の夏は東京電力と東北電力で毎日の消費電力量を昨年の最大電力の15%を削減する取り組みが7月から始まりました。大企業では土日操業で対応を始めましたが、そもそも日本は電気を無駄に使い過ぎています。当初はスーパーなどの照明が暗く違和感を覚えましたが、最近では今迄が明る過ぎた様に感じて少し節約志向に向かう必要があると考えるようになりました。そして、脱原発の気運が世界規模で広がりを見せていますが、世界はともかく日本の脱原発運動は、それならば代替電力をどうすべきかの方向性もなくただ危ないからだけではエネルギー政策が立ち行きません。将来的に自然エネルギーによる発電が可能になりコスト的にも見合う様になれば、特に地震国の日本は原発を変えて行く事に私も賛成ですが、此れまでの反対運動の殆どがそうであった様に、ただ反対することでどの様にすべきかの主張もなくただ反対するだけでは無責任の何物でも有りません。将来の方向づけを考えた上での運動で有るべきで、まずは原発の安全性を要求することが優先されます。何でも反対の行為は、人間の身勝手と浅ましさを今回も感じています。

6月12日に放送されたNHKスペシャル「あなたの寿命は延ばせる~発見
長寿遺伝子~」をご覧になられた方も多いと思いますが、「サーチュイン遺伝子」が生物の延命に大きく関わっていると言う内容でした。私はその番組中に登場した「レスベラトロール」という物質に付いてどこかで聞き覚えが有りましたので調べると、昨年の山梨大学の生涯学習講座でポリフェノールの一種類で赤ワインの果皮に含まれている「レスベラトロール」が皮膚ガンの抑制に効果が有り細胞の中のミトコンドリアが出す活性酸素に反応して活性酸素を減少させる働きも有りその結果として延命が可能(ポリフェノール全体の効果)であることを学びましたが、聞き覚えが有る筈でした。しかし、余り摂り過ぎると逆に害になるとの事で赤ワインを楽しく飲んで長生きをしようと言う講義でした。処が 7月3日の朝刊に何とレスベラトロールの広告が載っているでは有りませんか。これには驚きました。番組では、現在は医薬品として承認されていないサプリメントとしての扱いで有ることを説明していましたが、(株)分子生理化学研究所の広告では摂り過ぎに注意の文言は有りませんでした。詳しくはワインの成分をご覧ください。

サーチュインとは、NAD依存性脱アセチル化酵素群であり、体内で非常に重要な役割を担っている酵素群(蛋白質)。そのSIRT1(サーチュイン)
やSir2(サーツー)[哺乳類ではSIRT1で、酵母ではSir2]は長寿関連遺伝子と呼ばれる。最初に発見されたものは酵母のSir2(サーツー)で、
ヒトのサーチュインは7種類(SIRT1~SIRT7)が知られていて、ヒトのSIRT1は酵母のSir2に高い相同性を示す。そして、このサーチュインは食物
不足など環境ストレス因子に応じて活性化され、細胞修復やエネルギー生産などに影響を与える事が分かっている。
又、サーチュインは「生体機能」の調整役として働いていると考えられる。例えば、サーチュインやサーツーが活性化された場合、遺伝子保護
物質であるセストン(DNA統合制御蛋白質)のアセチル化(分解)を防いでくれる。そして、此のアセチル化防止によりDNAの露出を防ぎ、
アロメア短縮を促すテロメアーゼの作用を抑えてくれることが分かっており、その作用によって細胞の寿命を延ばしてくれる。人間は60億個
もの細胞で形成されて毎日新陳代謝を繰り返しており、細胞の寿命を決定するのは、染色体に繋がる紐状の「テロメア」だと考えられている。
                                     「
http://www.910810.com/halfage/sirtuin.phpより転記

株式会社LIXILは、株式会社住生活グループの事業会社であったトステム株式会社、株式会社INAX、新日軽株式会社、サンウエーブ工業株式会社、東洋エクステリア株式会社が2011年4月1日に統合して誕生した住生活グループ最大の事業会社ですが(此処迄は報告済)傘下に販売や生産、メンテナンス、サービス、住宅不動産他のセグメントや流通小売り(ホームセンターなど)を担う各社とともに「LIXIL経営理念」のもとで、総合的な住環境ソリューションを
提供する会社を構成し、海外拠点も17カ国で展開しています。但し、サンウエーブは製造部門が除かれていますが、詳細は不明(LIXILが、グループ全体のマーケティング戦略を担当する役割と関係しているのかも)

 一方、私が尊敬する人物の一人に、潮田健次郎氏(大正15年)がいますが、彼はアルミサッシ大手のトーヨーサッシの創業者ですが、潮田氏の以下の言葉に感銘しています。
一般に企業家というと、創業者を含めて会社を所有している経営者を言うのですが、そうではなく、自分の全責任で仕事のイノベーションができる人。それが企業家です」と述べています。現在 健次郎氏は85才で長男の洋一郎氏に全てを引き継ぎ、新会長の潮田洋一郎氏は「住生活グループ」を代表し (株)LIXILを立ち上げました。

最近の出来事で、ノールウエーでビルが爆弾テロで破壊され、大勢の市民を銃で殺害したり、かつてリレハンメルで冬期オリンピックが開かれたフィヨルドの美しい国に何故こうした事件が起きるのか(?)何処の国にも異常な人間がいることを悲しく思います。そして、中国の新幹線が追突事故を起こし多数の死者を出ましたが、中国が威信を掛けた鉄道網の整備が遅れることと、鳴り物入りで開発した技術が逆に国益を損なう結果になっている事を残念に思います
もっと足元を固めた考えが必要に思います。時速300kmの特許にしても此れでは世界から相手にされないでしょうし
中国のプライドも地に落ちました。しかも、事故で転覆をした車輛を翌日埋めてしまうとは全く考えられ得ません。事故の調査や乗客の救出も出来たかどうか(?)怪しいのに中国はまだまだ一流国では無い侘びしさを感じます。

66回目の終戦記念日が今年も来ますが(昨年も書きましたが)、私の直ぐ下の妹が元気ならば66才になっている事を終戦記念日が来ると想い出します。60才でガンの再発で天国へ行ってしまった妹ですが、もう6年が経つのかと思うと淋しくなります。そして、最近知ったのですが、鹿児島の南九州市にある「知覧特攻平和会館」のホームページを開くと、中高生向けの見学用事前学習資料があり「特攻作戦”は何故行なわれたのか」と題する5ページの資料が有りますので上段のリンクをクリックして見て下さい。PDFで見ることが出来ます。

6月~7月に掛けて5回の生涯学習講座が有りましたので、報告します)

講    座    名 概      要
山梨に由来するモダニズムの群像 モダニズムとは、日本(山梨)のモダニズム、モダニズムの変遷
自然の中で生きる力 最近の子ども達、ピグミー族と現代人の違い、健康を保つには
富士山をプロジュース 富士山とは、富士山の定義、富士山を世界遺産として守るなど
山梨出身の歌い手たち 森進一、水越けいこ、レミオロメンの紹介など
燃料電池の描く未来 日本のエネルギー事情とその政策、燃料電池の開発状況と見通し

おわりに

ドイツのフランクフルトで開催されたFIFA女子サッカーの決勝戦で7月18日の早朝に何と「なでしこJapan」が米国と戦い、延長戦を引き分けてPK戦となり3-1で勝利すると言う劇的な勝利となりました。体格とパワーに優れたアメリカを相手にチームプレーで堂々と勝つことが出来て妻と二人でテレビに向かい万歳をしました。私は9年前にハノーバーへ社用で行きましたが、フランクフルトは南西に200km離れていますが、テレビで見るドイツは何処へ行っても同じ様な雰囲気があります。とにかく優勝など予想もしなかった強豪のアメリカを総合力と運も味方して勝利したニュースが日本を心豊かにしました。そして翌日凱旋しましたが、東北の人達にも元気を上げてくれて震災の復興に弾みが付くと良いですね。

私は毎日のウォーキングの時に、小さなラジオを胸のポケットに入れてイヤホーンで聞きながら歩くのですが、ラジオ放送では無く何時もテレビの音声を聞いています。特に、NHKの昼の番組で日本中から地方の様子や特産物などを紹介する番組があるのですが、結構聞いているとその場景が伝わって来て楽しいものでした。ものでしたと言うのは、
7月24日でテレビのアナログ放送が終わり歩きながら聞く事が出来なくなったからです。思えば、今のラジオはAMと
FMとFM波のテレビの音声を聞く事が出来るのですが、現在のものは2台目で最初は今から15年前に出張の折に聞いていたニッケル・水素の充電式電池で聞くSONY製のラジオでしたが、途中で壊れてしまい家電量販店で2台目を買い求めた時に、いずれテレビの音声は聞けなくなる事をその時店員から聞いた覚えがあります。そして、いよいよその日が来たことを思い出しました。それに、自宅のテレビの1台は地デジですが、食卓で見るアナログテレビはまだ十分使えるので地デジチューナーを接続して現在のテレビで見れるうちは、此の方式で見ようと思っています。しかし、
アナログテレビでもハイビジョン仕様の地デジチューナーを接続すると結構画質が良い事が判りました。いつの日か、
アナログテレビ放送が有ったことを懐かしく思う時が来るのでしょうが
私の車のカーナビも地デジではないのでその内に地デジチュ‐ナ‐を追加しようと思っています。そして、7月24日の正午でアナログ画面がアナログ放送終了画面に変わった時は、テレビ放送の時代が変わった事を実感しました。しかし、地デジ化が済んでいない人がいる様で老人は仕方がないとしても、此れだけ総務省を初め放送局も広報していても社会参加をしていない無頓着な人がいることを残念に思います。

今年の梅雨は梅雨入りから梅雨明けまでが43日間で、昨年より10日以上短かったのですが、昨年は葡萄が梅雨の長雨で病気になりかなり被害が出ましたので、ブドウ農家にとっては有り難い早目の梅雨明けに喜んでいる事でしょう
そして、梅雨明け後の気温が高いと葡萄の生育には良いのでしょうが、近頃赤ワインに含まれるポリフェノールのことが様々に報じられていますので、ワインの売れ行きも良いかも知れません。しかし、一端梅雨が上がると正しく35℃を超える暑さが続いていますので、そうした中で台風6号が迷走して本土に近付き今度は太平洋に向かうなど今年の夏も昨年同様に酷暑に苦しむことになりそうです。そう言えば、今年は梅雨明け後にセミの鳴き声が少なくどうしたのかと不思議に思っていましたが、此処へ来てようやく「蝉しぐれ」の季節となりました。

熊谷たみ子さんのこと
 皆さんはアイヌ出身でジャズ歌手の熊谷たみ子さんをご存知ですか。私は大腸がんで余命少ない彼女がアイヌ語で「アメージング・グレース」を唄う姿をYou Tubeで見ましたが、この曲はかつて白血病で亡くなった「本田美奈子」さんが歌った事を覚えています。そして この曲は英国の牧師が作詞した讃美歌だそうです。それを自分の体にアイヌの血が脈々とながれる熊谷たみ子さんがアイヌの言葉で歌ったところが私は素晴らしいと思いました。
 以前、アイヌ神遥集を書いた「知里幸恵」さんいついて書きましたが、アイヌの娘の幸恵さんがアイヌの叙事詩である「ユーカラ(又はユカラ)」の中から神が謡う神遥を日本語に翻訳し「アイヌ神遥集」にして大正期に発表しました。そして
その本の最初は「銀の滴降る降るまわりに、金の滴降る降るまわりに」と言う歌を私は歌いながら・・・フクロウ(梟)の
神様が謡う文章で始まりますが、私はアイヌの人達が大好きです。丁度北海道を旅した年に先住民族としてのアイヌの人達の人権を国会で議決したことを覚えていますが、北海道の地名の80%がアイヌ語に関わっている事や、戦国時代にはコシャマインなどの戦いがあり、江戸時代にはクナシリメナシの戦いが有るなど民族同士の争いを経てアイヌの人達を偏見・差別し日本に同化させようとした明治時代以降のアイヌの人達の辛く苦しい時代が続きましたが、漸くアイヌの人達に明るい光が射して来ました。しかし、この話は長くなりますので後日まとめたいと思っています。

私は自身の仕事として機械の設計に永く携わって来た関係で最近妙に不安に思えてならない事が有ります。つまり、道路を走るクルマやバイクの速度が早過ぎてしかも無謀な運転をする場面を幾度となく見掛けますがクルマを動かすと言う事は便利な半面一歩間違えば自分を含めて他人の生命迄も奪い兼ねない大変な事をしていることに気付いていない人が多過ぎると言う事です。それは、私の長い経験から大きな質量を大きなエネルギーで高速に移動させると言うことがどれだけ危険であるかを殆どの運転者は判っていないと言うことです。運動エネルギーや慣性モーメントがどれだけで有るかをその数値はともかく、間違えば殺人犯にもなる大変な行為をしているのに、その備えもなく平然と運転している。私はクルマの運転をする時はその道路に合った速度と十分な車間距離を保つように心掛けています。
慣性モーメントを知り過ぎていることが過剰に考えてしまうのかも知れませんが、制限速度にしてもルール上で設けられた数値であっても、その道路の状況に合わせた速度は自分の判断で的確に決めるべきで、毎日のウォーキングで危険な光景を目にする度にハラハラしますが、それが余計な心配で済めば良いのですが、最近アクセルとブレーキを踏み間違える事故が多発していますし、どこか世の中が狂っている様に私には思えます。

私は「月光の曲」がベートーベンの曲で有ることは知っていましたが、アイネ・クライネ・ナハト・ムジークと月光の曲の
区別がついていませんでした。そこで調べると、ドイツ語のEine(不定冠詞)・ kleine(小さな)・ Nacht夜)・musik(曲)は小夜曲と呼ぶそうで、「小夜曲」と「月光の曲」は全く違うことが分かりました。しかも、「月光の曲」はムーン・ライト・
ソナタで、小夜曲はモーツアルト作曲のセレナーデで有る事も判り、間違って覚えたと言うよりもその識別が曖昧で
有ったことを理解しました。確かに、Moon Light Sonataが「月光の曲」で有ることは明白です。

ワンダー通信
 近頃のワンダーはすっかり我が家に慣れて、浴室のタイルに思いっ切りお腹を付けて涼んでいるか、私達が過ごす場所の近くで伏せの恰好でフローリングや畳にお腹をしっかりつけて大人しく過ごします。そして、トイレに行きたくなると数回吠えて連れて行けと催促します。しかも、猫の餌を盗み食いをしたり食卓の誰かの椅子の下に陣取って上から食べものが落ちて来ないかと待ち受けます。ワンダーが見えなくなると決まって椅子の下に座っていますが、それとも其処が涼しく居心地が良いのかも知れません。それに、私達がつい大きな声を出すと大声でワンと吠えるのですが、前の家で夫婦喧嘩が絶えなかったのかも知れません。それと、いつ迄も家族の顔を正面から見詰めているのですが、そうした仕草を時々見掛けます。別に何かをせがんでいる様子はないのですが、シーズー犬の習性かも知れません。最近再び毛が伸びて来ましたで、お母さんが小さなハサミで切り揃えていますが、ペットショップでは毛を刈り取られた羊の様に電動バリカンで丸裸にされます。でも、何とも見すぼらしいので鋏でトリミングをするのですが、どうしても顔の部分は動いて目にハサミが当たってしまいそうで、顔の正面がまだ少し伸びています。なにしろ去年の今頃は転々と歩いていたはずでさぞかし暑かったでしょうが、ワンダーは空腹と暑さに負けずに生き伸びて来た事を褒めてやりたいと思います。そして、今週から孫が夏休みで実家へ遊びに来ますので、私と孫とワンダーで近くのコンビニまでおやつを買いに出掛けますが、孫と一緒に歩く時のワンダーは私の時より数段嬉しそうに喜んで歩きます。孫と歩くのが余程楽しいのでしょう。それでは次回は我が家のペット達を紹介しますのでお楽しみに


それでは、今回の近況報告は此れまでにして8月は休みを頂き、9月に8回目のリニューアルをやり、10月に新しいホームページを転送したいと思います。8月後半から作業に入りますので、途中で私の「掲示板」で経過を報告しますので、お待ち下さい。それでは皆様、今年の夏に気を付けながら体調を崩さずにお過ごし下さい 私も気を付けます。




06月09日
 

今年の梅雨はどんな梅雨になるのでしょう                   
 5月連休があっという間に過ぎて、3月11日に起きた東日本大震災の復旧と復興が続いていますが、福島第一原発のトラブル処理が3ヶ月が経つ今もその見通しが立たないどころか、地震で原子炉の配管が損傷していることが判り今後どのようになって行くのかが最大の心配ごとです。しかも、冷却水を循環させ原子炉内部を安定冷却させる計画が行き詰まり年内に解決させる東電の計画書の見直しやら益々判らなくなりました。しかし、静岡県の御前崎に在る浜岡原発の運転を津波対策が完了する迄全て取り止めたことは様々な事を人は言いますが、私はその決断に敬意
を表したいと思います。そして、5月中旬に富士山に農鳥が今年も出来て山梨の田圃でも5月下旬ごろから田植えが
始まり、我が家の庭のサクランボが色付くと、ムクドリが啄ばんで行く姿を今年も見る事が出来る心地よい季節になりました。そして、そうした今も 近くにある温泉ホテルの木々の間からカッコウの鳴き声が聞こえていて初夏を感じます。
しかし、今年は梅雨入りが平年より早くなってしまいましたので、私はしばらく苦手な季節を過ごすことになりそうです。

今回の地震と津波で瓦礫が何と2500万トンと見積もられて其の処理に取り組んでいるものの、その処理を拒んでいるのが瓦礫の一時置き場が絶対的に不足していることだそうです。そこで、海水が入り当面は耕作出来ない農地を借り上げてそこを瓦礫置き場にしてはと検討されている様ですが、海岸沿いに農地を持つ農家にとっては早く塩分を除去することが必要でも其の処理に数年は掛り、瓦礫置き場に提供すれば更に除去が遅れるそうした苦渋の選択を迫まられている辛い状況にあるそうです。それと、今回の震災で東北にある多くの部品メーカーの工場が被災し部品の供給が出来なくなり自動車を初め全国の多くの工場の組み立てが滞っているとのニュースが報じられており、しかし
さすがに5月になると部品の調達が徐々に回復して来たようですが、茨城にある鹿島コンビナートの原料を搬入する港湾設備が使用出来なくなり、ゴムや自動車のブレーキ部品関係が間に合わないなど北関東や東北地方がこうした産業を支える重要な基地で有ったことを知らなかった人は私一人ではないでしょう。しかも、海外の自動車メーカーも重要な部品を東北の工場から輸入していて米国のメーカーでも一時組み立てがストップしたそうですが、改めて日本の技術力のものすごさを知る機会にもなりました。

さて、前回4月の下旬に近況報告をしてからひと月半が経ちましたが、地震や津波そして放射線の影響から避難を余儀なくされ県外へ一時移住したりと、東北地方を中心とする甚大な災害への対応がまだまだこれからも長期に渡り続くことでしょう。そうした中で、ジャーナリストの田原総一朗さんが5月にベトナムのホーチミン市へ出向いた折に次の様な話を現地で聞いたそうです。「さすがに日本人は偉い。此れ程の大災害に遭いながら、東北でも東京でも混乱や暴動が起きることもなく人々が落ち着いて秩序正しく生活をしている。こんな国は他にはない。世界中の人々が日本はすごい、素晴らしい国だ、と言っている」と言うのです。

田原氏はホーチミン市で日本政府や東電の批判をすると、日本からの進出企業約30社の支社長たちは日本領事館でのレセプションの席でその様に語ったそうだ。彼はこの話を聞いて、政府や東電を批判したことが恥ずかしかったと言う。現在、ベトナムは先の戦争(ベトナム戦争)から見事に復興し昨年の経済成長率は10%を超えたが、若者達の多くが昼間働き夜間に大学に通っていること。特に女性の進学率が極めて高い事などを聞いたと言う。こうした情報は
「田原総一朗 公式サイト」のメール配信で得ていますが、世界中が日本を見直している事を知り元気づけられました。

オサマ・ビンラディンの死
 パキスタンに潜伏中のオサマ・ビンラディンを米軍が殺害したと、オバマ大統領が演説で明らかにしました。5月2日(日本時間)。ビンラディンは10年前にニュ-ヨ-クのWTC(ワ-ルド・トレード・センター)を乗っ取った民間航空機で体当たりさせて高層ビル2棟を崩壊させ、国防省(ペンタゴン)にも民間航空機を突入させて建物の一部を破壊させた国際テロ組織アルカイダの指導者ですが、何故パキスタンに潜伏していたのか謎の部分も有り良く判りません。しかし
アメリカが威信を掛けた隠密作戦で居所を突き止めたと言います。ですが5月13日にパキスタン北西部の治安部隊訓練施設付近が自爆テロ攻撃され80人以上の犠牲者が出るなど予想通りの展開となっていますので暫くは、世界中でタリバンや各地に潜在するアルカイダによる報復テロ攻撃が起こる可能性が考えられて不気味さを感じます。
しかも、パキスタンと米国との関係が此の事件でギクシャクし、アフガニスタンから米兵を撤退させる計画のアメリカにとっては、こちらの方も心配です。

最近の中東情勢
 3月の近況報告でリビアのカダフィー大佐が率いる政権への反政府デモが広がり、暫定政府が樹立したことを報告
しましたが、その後政府軍が傭兵を中心に無差別に市民を殺戮したことで安保理の人道支援採択を受けて多国籍軍
(NATO中心)がリビア政府軍に攻撃を仕掛けましたが、あれから2ヶ月以上が経つ現在も膠着状態が続いています。
どうも、多国籍軍は地上戦を避けて空爆による封じ込めを展開していますが、政府軍は空爆時に物陰に隠れて爆撃を避け逃れている様で反政府軍も素人の兵隊を十分訓練出来ない為に政府軍よりも戦力が勝っていないなどの事情があるそうです。その中で、国際刑事裁判所(ICC)の検察当局がカダフィー達3名を市民への弾圧が人道に対する罪に当たるとしてICCの裁判所に逮捕状を請求しましたが、ICCは容疑者を逮捕する独自の警察組織を持っていない為
誰がカダフィー達を逮捕するか(?)リビア当局や周辺諸国の協力が必要になるので、現実には逮捕できない状況にあるとのこと。しかし、此処へ来て英国の外交官が反政府軍と会見した報道が流れましたが、まだまだ先の長い道程なのでしょう。又、ムバラク大統領失脚後のエジプトは、
エジプトの仲裁により パレスチナで2007年から敵対関係を続ける西岸のファタハとガザのハマスが和解したとのこと。ファタハとハマスは暫定的な連立政権を組み早期に選挙をやり正当な統一政府を作るとともに、今年9月のパレスチナ国家独立に向けて準備を進めることになったそうです。

 そしてパレスチナ自治区と国境を接する隣国のヨルダンの国王とオバマ大統領が会見し食料支援と引き換えに両国の友好関係継続の声明を出し、米国はイスラエルに対してパレスチナへの譲歩を提案するなど此処へ来て世界情勢が目まぐるしく動いています。そして、革命後のエジプトも異なる3つの勢力が各々の考えを主張し合い国内が大混乱していますし、イエメンでも反体制派の襲撃で大統領が負傷し国外へ脱出したそうで此のまま逃亡するのではないかとの憶測が報じられています。いずれにしても、中東情勢が益々混迷状態に陥っていいます。一方、長く紛争が続いたアフリカのコートジボアールでは漸く内乱が終息し国連事務総長が出席し新政府を祝いましたが、紛争の火種は常に
指導者の対立によるもので、犠牲者はいつも一般庶民とその子ども達ですから空しいものを感じます。

何処かの国も大震災復興のこの時期に、足の引っ張り合いや政権争いをやっている場合ではないでしょう。しかし
菅内閣不信任案が否決されてマズは安心しましたが、今度は「菅おろし」の要求が民主党内部からも出されて、何が
何だか判らなくなりました。しかし、それにしても自民党の谷垣総裁には大変失望しています。つまり、菅内閣不信任への大義名分が全くありません。ただ、「能力が無いから辞めろ」ではそれは大義名分では無く、「自民党ならこうして
見せる、だからそれが出来ない菅内閣は信任出来ない」と発言すべきで、谷垣さんともあろう人が何故代案を出さないのでしょう(?)そこが判りません。
 
古河市兵衛と渋沢栄一(前回の続き)
 前回では古河鉱業や古河電工そして富士電機グループの創業者としての古河市兵衛と、国立第一銀行の頭取や、東京証券取引所の創設と、現在の一橋大学及び日本赤十字社の設立など500に及ぶ財界や教育界や社会貢献に関わった実業家の渋沢栄一について紹介しましたが、此のお二人の関わりについて調べましたのでまとめます。

古河市兵衛は若い頃に家が没落し大変苦労する中で、京都で生糸問屋を営む「小野組」で実力を発揮して一番番頭に出世したが、明治政府の公金取扱い業務の政策変更により「小野組」は壊滅的な打撃を蒙り倒産に追い込まれた
その折り、小野組は国立第一銀行から多額の融資を受けていたので小野組の倒産で第一銀行も連鎖倒産の危機に直面したが、市兵衛は自分の全財産を含めて小野組のかなりの資産を処分し銀行に返済した結果第一銀行は倒産を免れた。その時第一銀行の頭取で有った渋沢栄一は此の古河市兵衛の志に深く感銘しそれを機に市兵衛と栄一の信頼関係が築かれた。


「小野組」破綻後、市兵衛は独立して秋田県にある鉱山(阿仁鉱山など)の経営に取り組んだが、最初は政府からの許可が仲々取れずに困窮し、渋沢栄一から融資の内諾を得るものの、やはりこれも最初は許可が得られなかった。
しかし、市兵衛は努力を重ねて政府から草倉鉱山(新潟県)の払い下げを受けることに成功した(明治8年:1875年)
その後、市兵衛は鉱山経営を足掛かりに最終的に「足尾銅山」を買収したが、新たな鉱脈が発見(開発)されるまでは厳しい経営が続く。そして、山師集団の強い反発にあいながら明治14年にとうとう大鉱脈が発見されそれ以後合理的な鉱法による操業を考案し大量の銅鉱石の採掘が可能となった。そして 前回報告の通り、富士電機や古河電工などのグループ企業が市兵衛亡き後、後継者達により築き上げられた。

一方、渋沢栄一は今の埼玉県深谷市の豪農の家に生まれた。生家は「藍玉」と言い藍の葉を発酵・熟成させた染料である(すくも)を突き固めて固形化したものを販売し、更に養蚕を兼営して米・麦・野菜の生産も手がける農家で、
原料の買い入れと販売を担うため一般的な農家と異なり、常に算盤をはじく商業的な才覚が求められた。栄一も父と共に信州や上州まで藍を売り歩き、藍葉を仕入れる作業も行った。14歳の時からは単身で藍葉の仕入れに出掛けるようになり、この時の経験がヨーロッパの経済システムを吸収しやすい素地を作り出し、後の現実的な合理主義思想につながったと言われている。しかし、栄一は人の薦めで徳川幕府の幕臣となり一橋慶喜(15代将軍の徳川慶喜)に仕えたが、パリで行われた万国博覧会に将軍(徳川慶喜)の名代として出席する慶喜の弟の徳川昭武の随員として
フランスを訪れる。その後、パリ万博を視察したほかヨーロッパ各国を訪問する昭武に随行したが、各地で先進的な産業・軍備を実見する機会を得ると共に、将校と商人が対等に交わる社会を見て感銘を受ける。因みにこの時に彼に語学を教えたのが、シーボルトの長男で通訳として同行していたアレクサンダーで、帰国後もその交友は長く続き、
アレキサンダーは弟のハインリッヒと共に後に明治政府に勤めた渋沢に対して「日本赤十字社」設立など度々協力をするようになった。このようにして幕末から新政府樹立への転換点で、栄一自身が政治家ではなく身に付けた豊富な経験と博識を買われて明治政府は新政府樹立に功績のない幕臣の栄一を登用するようになった。

 明治時代の栄一は大隈重信に説得されて大蔵省に入省すると、大蔵官僚として省内の様々な改革案の企画立案を行ったり、度量衡の制定や国立銀行条例制定に携わる。しかし、予算編成を巡り大久保利通や大隈重信と対立して、
明治6年(1873年)に長州出身の井上馨と共に退官した。その後は民間人として活躍することになるが、幕末から明治に掛けて活動し時代の寵児となった渋沢栄一が実業家として活躍する中で、幾ら財産が出来てもそれを私財にしない彼の物の考え方が(時代を動かした)政治家達とは常に一線を画した彼の(根底にある)思想である事が判かったように思う。それは、常に清廉潔白で物欲を求める事なく社会への奉仕と社会貢献に生涯を捧げた偉大な人物であることを知った。そして、その様な思想は甲州財閥の根津嘉一郎達に影響を与えたと思う。その点 古河市兵衛は、とにかく金を儲ける事が最大の取り得で「金儲け」の才能は素晴らしいが、学問や文化人としての素養は全くなかったと言う

最近の福島第一原発事故の対応については、地元の人達には気の毒ですが毎日はっきりしない状況が続くと興味が半減し、原発は原発のプロに任せるしかないと思うようになりました。恐らくそのように考える人も多いと思います。
反面、日々の状況を正確に国民に伝えるように、と求められている東電は発表せざるを得ませんが、発表を聞いてもその先がどうなるかが判らない情報では不安が残るだけであまり聞く気にもならないと言う心理が働くのだと思います

 そうした中で、1~4号機の廃炉と7、8号機の建設中止が5月20日に東電から発表され、原発が津波で水没した
映像も公開されましたが、原発の建設条件に津波の想定を少なく見過ぎていた事が結果論として言えるので、今後
どの様な津波が襲うかが誰にも判らない以上、海岸沿いに原発を造る事は止めるべきであり、多量の冷却水を必要とする今の原発システムの見直しと、他の電源開発の模索が必要となるのでしょう。私も前回の「近況報告」で詳しく
調べて書き込みましたが、此れまでの進展を見て新しい展開が公表されるまでは静観しようと思っています。

大津波の調査
 最近の大津波では、2004年にインドネシアのスマトラ島沖で起きた津波で周辺国を合わせると22万人以上が犠牲になりましたが、日本でも明治29年(1896年)に明治三陸大津波が有り、此の時は大船渡で2.2万人の犠牲者が出て38.2mの峠を津波が越えたとのことです。とすると、何故大津波が発生する可能性が有る福島に原発を造ったのか、一説によると、今回の地震は千年に一度の規模とのことですが、それほど古くはない100年と少し前に現実に大津波が起きている事実をどうして反映させなかったのか、「想定外」という言葉を安易に使い過ぎる様に思う。しかし、民間電力会社が自前で原発を造れば「費用対効果」から建設費用を少なくすることは当然で、こうした点に今回の問題が有る様に思います。最近、発電と送電を分ける話題が浮上しているのも、出所は同じなのかも知れません。

東京大学の井出准教授達は、全世界のデジタル地震観測網の地震波記録を分析 (1)最初の3秒間はゆるやかな破壊(2)次の40秒間に陸地方向に破壊が進行して(3)その後に、日本海溝付近で約60秒間の大きなすべりが発生
(4)再び陸寄りで90秒間の深部破壊 の4段階で震源断層の破壊が進んだことを解き明かした。(5月20日)

 そして
大津波を起こしたのは(3)の段階でこの時 震源断層に蓄積されていた地震エネルギーが100%放出されただけでなく、ダイナミックオーバーシュート(動的過剰すべり)と呼ばれるすべり過ぎ現象が発生し、陸側プレートの先端が変形しながら大きく跳ね上がり、津波の規模を巨大化させた。すべり量は、蓄積したエネルギーの2倍に相当すると言う。一方、人が感じるような周期の短い地震波(ガタガタ地震)は、(2)と(4)の深部の破壊過程からしか放出されていないとのこと。

(株)L I X I L(リクシル)の誕生
  トステムとINAXは2001年に経営統合しましたが、今回 新日軽・サンウエーブ・TOEXを吸収合併し5社が統合して
新しいグループ会社(株式会社LIXIL)を今年4月に設立しました。詳しく調べていませんが、将来の住環境を見据えて
のグループ統合と思われます。トステムは以前の東洋サッシで YKKや不二サッシと同様、ビルサッシや住宅用サッシの製造を手掛けていますがサッシの国内シェア一位を保ちながら、近年は木造住宅の外壁材料(スーパーウォール)や玄関ドア、屋根材などの生産にも進出していると聞いています。同じくINAXはかつての伊奈製陶で愛知県常滑市に生産拠点を持ち、TOTOと並び衛生陶器の2大メーカーです、一方、新日軽は高級質感のあるアルミサッシメーカーでサンウエーブはシステムキッチン、そしてTOEXはかつての東洋エクステリアで門扉やフェンス、カーポート等の製造で知られています。しかも、グループ会社はその他にトステムビバ(ホームセンターでDIYや建築用資材の販売)などを傘下に持ち、新築住宅やマンションや住宅のリフォームなどに幅広く対応する体制(組織化)の整備と読み取れますが
トステム・INAX・新日軽・サンウエーブ・TOEXと言った従来からのブランド名は今後も継続維持するとのこと。

尚 社名の「LIXIL」は Living × Life(住・生活)のLifeのLと iを逆にしたもので 此の方が形も整い、LIXLI(リクリー)
より言葉の響きもよさそうです。次回に、もう少し企業のなり立ちなどの詳細を調べてご報告したいと思います。

生涯学習講座(5月に3回講座が有りましたので、報告します)
講    座    名 概      要
体験的ポールラッシュ伝 ポールラッシュの紹介、彼の精神と人となりなど
子どもの「育ち」を追跡する 疫学研究とその意味と意義、コホート研究と山梨、エコチル調査
生きている火山、富士山 火山の分類、富士山の成立ち、富士山の過去の噴火など

おわりに

此れから私の嫌いな本格的な梅雨の時期になりますが、春先の陽気の急激な変化に漸く体が追い着いた頃に、今度は長雨の季節を迎えます。梅雨は誰でも鬱陶しいものですが、私の場合は此の時期の体調管理が特に難しく血糖値がいつも高止まりになると共に、雨降りの時のウォーキングでクルマがはねた雨水でズボンがびしょびしょになるのも
この時期です。しかし、此れからはウォーキングで汗をビッショリかきますので、下着とシャツを全て着替えると気分がスッキリしますが、その時にズボンもはき換えて今年は不愉快さをクルマの精にはしないことにしようと思います。

最近、山梨でもタバコの欠品が続いています。自動販売機にもコンビニでも売り切れの表示をあちこちで見掛けます。
JTによると、全国6工場のうち2工場が被災し、原料や材料品の輸送に影響を受けていることに加えて計画停電などで製造に支障が出たそうです。私は40代前半に禁煙しましたので影響はないのですが、毎日ウォ--キングをしている通りにあるカメラ屋さんのタバコの自販機が突然消えました。恐らく震災以来品切れ状態が続きしかもタスポが無いと買えないことから自販機を置くメリットが無くなったのでしょう。最近は、他の銘柄に替えて売れ筋のマイルドセブンやハイライトを増産することで都心では出廻って来たそうですが、山梨まではまだ届いていないのかも知れません。

 自販機と言えば、清涼飲料水の自販機が震災後にホットの飲み物が全てクールに変わりました。自販機によっては「節電のため」と書かれたものも有りますが、殆どの自販機はそのままです。そして、夜間の自販機の多くが暗く照明を落としていますが、蛍光灯の電力は温めるヒーターに比べれば少ない訳で、其処までやらなくても良さそうですが、
日本中が自粛ムードにある今の状況では仕方がないのでしょう。

上の孫が4月から小学校へ通い始めましたが、どうしても集団登校の仲間入りが出来ずに泣き出してしまうそうです。
そこで、ママが何とかなだめて行かせたり、学校まで連れて行って先生に引渡したりするそうですが、娘も仕事が有るので遅刻をしてしまう様で慣れる迄が大変です。しかし、入学後2ヶ月が経ちましたので少しずつ余裕が出て来ました。私達も、児童館へ4時少し前に毎日クルマで迎えに行っていますが、学童では無い一年生は自分の家へ帰りますが、
孫の場合は両親が仕事で日中は家が留守なので、実家である私達の家まで歩くことは可能ですが児童館の子供達と遊ぶのも大切と考え、しばらくは今の学童の生活で過ごさせようと、娘と話しています。 

3年前の今頃は、私は北海道の旅をしていましたが、道内での最後の旅の前日に妻から東北で大きな地震が起きて道路が不通になっていると連絡が有りました。当日は松前の先にある江差に居ましたが地震の影響は無くそう言えば江差の沖にある奥尻島が津波で大きな被害を受けた事を思い出しました。そして、翌日は函館を観て青森へ向かい八幡平などを観て太平洋側を南下する計画を止めて東北道を一気に山梨まで走った事を覚えています。その東北の海岸沿いが地震と津波で大変なことになっている事が信じられません。3年前の地震は岩手と宮城にまたがる栗駒山周辺が震源地でしたが、一関辺りで自衛隊のヘリコプターが編隊を組んで被災地に向かっている姿を見てその日の内に山梨へ帰ることにしました。それが、3年後に再び東北がこの様な大災害に遭うとは思っても見ませんでした。
そして
この先の復興には5年も10年も掛るでしょうが 粘り強い東北の人達をこれからも支援し続けたいと思います。

東海を含む関東甲信が5月27日に梅雨入りしたと発表されましたが、「梅雨入り宣言」 を昭和26年から出している
気象庁が今までで2番目に早いと伝えています。私も27日の発表には驚きました。そこで、昨年の梅雨入りを手帳で調べると6月13日とありますので、17日も早い梅雨入りです。しかも、台風2号が梅雨前線に沿う様に北上しましたが
台風の影響も有ったのでしょうし、太平洋高気圧が今年は勢力が強くその分梅雨の時期が早くなっているそうです。
そもそも、5月に2回も台風が発生した年は記憶に有りませんが、何だか今年も暑い夏になりそうで、不気味です。
そして、私は此のページの最初に梅雨が嫌いなことを書きましたが、まだ転送を済ませていないうちに梅雨の本番を迎えるとは、何とも此れからの暫くの生活が思いやられます。

私は、パソコン(ディスクトップとノートパソコン)の背景を雪を頂くヒマラヤ(多分)の山とその手前に湖(又は池)そして中間に沢山の木々が茂り右側に中国様式の三重の塔そして左側に小さなお堂を配した富士通から配信された壁紙を毎日見ていますが、ディスクトップの方の画像が昨年12月に突然赤い縞模様の画面になり色々と試みましたが結局もと通りにならずひと冬を過ごしましたが、それが5月末に何と正常な画面に復帰しました。徐々に暖かくなって来た事が良くなった理由かも知れません。人間 不自由さに慣れてしまうと案外それが気にならなくなるのは不思議なものです


今年の6月3日は雲仙普賢岳が爆発し火砕流が山沿いを襲い多くの人達が犠牲となったあの時から20年目の節目の年です。私は平成18年に九州をひと回りした時に 島原で「雲仙岳災害記念館(がまだすドーム)」を見学しましたが
多くの報道関係者を呑み込んだ火砕流で焼け焦げたカメラやビデオカメラの展示を見ました。そして近くの 道の駅に
その後の土石流ですっかり埋まってしまった家も見ましたが、その現場を忘れない為に埋まったままの家屋を大きな建物で永久保存したり 埋まったままを見ることが出来たりと、当時の災害のものすごさを知りました。そして、今回の
東日本大震災を思い自然の脅威を改めて考えさせられましたし、生涯学習講座で「火山と噴火」について学びましたので、火山の噴火や地震への理解を深める事が出来ました。それにしても 普賢岳の噴火から20年、早いものです。

 ☆がまだす」は、「頑張る」を意味する島原地方の言葉ですが、詳細は「雲仙普賢岳」をクリックしてご覧下さい。

我が家のペット達
 犬のワンダーは最近食欲が出て来て猫の餌も食べてしまうのですが、その分太って来ましたので量を制限しました。冬の頃は6kgでしたが、恐らく7kg近くになっているでしょう。今度 病院でメタボで無いか診て貰うことにしています。
 次に猫のミルですが、野良ネコと喧嘩して右耳を咬まれて処置をしましたが、現在は完全に治り 処置の時に剃った毛も少しずつ生えて来ました。そして、野良ネコとの喧嘩の怖さと処置の痛さで元気が無かったのですが、優しく言葉掛けをしてやると最近は2階に避難せずに食卓の椅子で過ごすことが多くなりました。動物も人間と同じ様に心のケアが大切と言うことでしょう。
 そしてウサギのルカですが、夕方の1時間ゲージから出すと居間中を元気良く飛び跳ねます。しかし大量のフンを
するのには参りますが、ウサギのフンは硬く丸いのでゲージに戻した後にフンの掃除をしています。何しろ私達が一日留守をしても水と餌を切らさなければ猫とウサギは留守番が出来ますが、その点犬は毎日2kmを歩かなければならず家に残すとワンワン吠えて近所迷惑になりそうした事情と、今回の大震災で私達も今は何処かへ旅行をしたくはない
心境で 此れからの計画も立てていませんが、観光地に閑古鳥が鳴くのも気の毒なのですが申し訳なく思っています。

近況報告」のページを、H22年までとH23年からに分けることにしました。それは、H18年から始めた「近況報告
ですが、5年続けるとページが長くなり古い記録を読むのにかなりスクロールをしなければならず、又ページのトップに戻すのに時間が掛るので見直しました。そこで以下の様にページを分けましたので其れぞれのページでご覧下さい。

それでは、次回は8月の初旬に報告したいと思っていますが それ迄に震災の復興や原発の方向性が少しでも進んで
いて欲しいと思います。