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             ぶらり旅(北海道)                    

                                                                        2008年(平成20年)        
洞爺湖では7月7日〜9日迄の三日間、先進国首脳会議(洞爺湖サミット)が開催されましたが、左の画像とは反対側の山の頂上に会場となった
ウインザ−ホテルが見えて居ました。

しかし、残念ながらサミット開催中の天気が悪く洞爺湖は良く観えなかったのですが、私が行った5月28日はご覧の通り快晴で湖面も周囲の山並みも大変良く観えていました。

警備のパトカ−に一台も合わなかったのは何よりでしたが、あまりに用心のし過ぎだった様にも思います。
此処は、午後に行った釧路湿原細岡展望台ですが、先に行った釧路市立展望台からの眺望が今一つであったので、館長に聞きこちら側の展望台に行って見ました。

ご覧の通り、手前をくねりながらゆったりと流れる釧路川の流れのその先に湿原は有りますが、奥の方が見えなくなるほどとにかく広大で、さすがに
ラムサ−ル条約に登録されている日本で一番広い湿原であることを実感しました。(東西が最大25km×南北が36kmで、面積は約2万ha。山手線で囲まれた都内の面積の数倍あるそうです。)

しかし、本当は湿原の先に阿寒の山並みが観えると案内板には書いて有りましたが、残念ながらこの日は山並みは見えませんでした。

そして、此処へ来る途中でエゾシマリスやキタキツネに出合いましたが、
人を恐れずに逃げることもなく此処は自分達のナワバリとばかりに悠然と暮らしていました。
此処は、知床岬へ行く途中でクル−ザ−から観た知床半島の海岸ですが良く見ると中央に黒い動物が左方向に歩いているのを見る事が出来ます。

その黒い動物が北海道に棲むヒグマで、知床で3度見る事が出来ました。
そして、そのヒグマを発見すると、船長は思いっきり陸地に船を近づけて、船を停めて暫らく見せてくれます。

そのクル−ザ−は48人乗りで数百人乗りの大型観光船よりも料金は割高ですが、大型観光船では陸地に近づけないのでヒグマを真近かに見ることが出来る点で、結局こちらの船を選んで正解でした。
(此の船は水深数メ−トルの所まで近付けて見せてくれました。)

その他、知床岬には常設の番屋が有ったり、定置網の漁場が有ったり滝を利用して水力発電をやっていたり、岬の灯台には年に一度燃料を補給するために海上保安庁の船が出入りする波止場が有るなど、今迄知らなかったことが幾つもありました。
此れは、礼文島にだけ咲くレブンアツモリソウですが、スコトン岬へ行く途中の群生地には沢山のレブンアツモリソウが咲いていました。
(詳しくは、レブン・リシリの草花でご覧下さい。)

此の花は6月初旬に咲き始めるそうで、訪れた6月6日はまさしく咲き始めの時期でラッキ−でした。
此処が函館山の山頂から市街を見下ろしたものですが、左右の海岸線の間の距離は1kmしかないことが判りました。

それは、函館山はかつて独立した島でしたが、海岸に打ち寄せる砂で埋め立てられて地続きになったのだそうです。かつて行った九州の桜島の場合もかつては独立した島でしたが、その後の火山の噴火で埋め立てられて陸続きになりましたが、函館の場合は海から運ばれた砂で埋め立てられたそうです。

そして、此処函館は大変ハイカラな街で、江戸時代に開港した歴史のある港町であることは知っていましたが、明治の時代に鹿鳴館をモデルに現在も存在する公会堂を造ったり、戦後のある時期にはサケ・マス船団が一斉に函館港から出航して行った大変景気の良い時代が有ったことなどを、
資料館で教えて貰いました。

1)期 間:H20年05月26日〜06月16日(22日間)

2)日 程
5月26日(月) 昼食後、新潟港へ向け出発し19時にフェリ−乗り場に着いた。しかし、苫小牧への出港が夜中(23:30)になるので、船内へ持ち込む荷物の確認と食料の調達などをやりひたすら乗船を待った。 山梨
長野
新潟
北陸道の米山で夕食をとったが、柏崎辺りでは北陸道の地震復旧工事が今も続いていて、車線規制などの地域を通った時は少しずつ道路の改良をしていることが良く判った。
5月27日(火) 途中秋田港へ寄り、苫小牧へ夕方の5時半に着く。
早速道央道を使い室蘭を経由して洞爺湖畔の壮瞥へ9時前に到着した。
秋田港へ寄り北海道 朝の6時に秋田港に着いたが、新潟港から乗船したシニアの男性と少し話をした。彼は、秋田と青森を一週間の予定で車で回り、再び新潟へ戻るとのこと。そして、津軽海峡を通過する辺りで、北海道に45年暮らし国交省の建設機械関係の運転指導に長年従事した方と話しが出来た。北海道はとにかく広いから、車の運転には気を付けて、70Km/h以下で走れば大丈夫。そして、鹿などが飛び出して来るので急ハンドルによる事故を起こさない様に・・・などとアドバイスをしてくれた。それから、苫小牧へ夕方着き登別から室蘭を経由して壮瞥の道の駅へ21時前に着いた。壮瞥(洞爺湖畔)は気温が低く(5℃)電気アンカを付け温かくして休んだ。
5月28日(水) 洞爺湖サミット会場のウインザ-ホテル入口を経由し洞爺湖畔を観ながら有珠山→支笏湖→白老のアイヌ民族博物館→千歳 北海道 いよいよ、まずは洞爺湖畔を走り、有珠山でロ−プウエ−に乗り昭和新山を観た後に支笏湖へ行った。それから、一旦苫小牧まで戻り白老に在るアイヌ民族博物館へ寄り、白老〜千歳まで道央道を使って移動した。
5月29日(木) 千歳→夕張で石炭博物館や夕張市役所に寄ってから→狩勝峠→鹿追 此の日は夕張へ行き、南富良野〜トマムを経由して狩勝峠へ。そして、然別湖の南に在る鹿追迄行った。出来れば然別湖にある温泉で一日入浴を楽しみたかったが、残念ながら実現しなかった。
5月30日(金) 鹿追→音更の十勝牧場→帯広→広尾→天馬街道→日高育成牧場→浦河→襟裳岬→白糠 広大な十勝平野を観て見ようと十勝牧場へ行ったが、牧場の中心部は馬への感染防止が理由でその先へは行けなかった。そこで、帯広へ行き広尾道を通って浦河側へ抜けJRAが経営する馬の調教場を観てから襟裳岬、そして釧路の手前に在る白糠迄約420Kmを走った。
5月31日(土) 白糠→釧路市湿原展望台→細岡展望台→厚岸
→根室
いよいよ釧路湿原を半日観て歩く日が来たが、釧路市の展望台は手前のブナの林が邪魔をして湿原を良く観ることが出来なかった。そこで、館長にその点を聞くと此の展望台の反対側に在る細岡展望台を教えてくれたので行って見ると、確かに湿原の広がりの見晴らしが素晴らしい展望台だった(途中エゾシマリスとキタキツネに出合った)其の後厚岸港へ寄り、風連湖を経由して根室まで行った。
6月01日(日) 根室→納沙布岬→根室市資料館→開陽台(中標津)→屈斜路湖→美幌峠→美幌温泉→相生 根室では納沙布岬へ行ったが、数キロ先に在る水晶島(歯母舞諸島)が全く見えず、仕方なく「根室市立歴史と自然の資料館」へ行ったが、此処の館長が根室の歴史を詳しく教えてくれた。そして、シマフクロウの剥製の大きかったことが印象に残っている。
其の後、中標津に在る開陽台へ行ったが、根釧原野は観る事が出来たもののその先に在る国後島が見えず、仕方なく屈斜路湖を右手に観ながら美幌峠へ行き、美幌温泉に入って相生で一泊した。
6月02日(月) 相生→阿寒湖(ビジタ−センタ−)→摩周湖→硫黄山→清里温泉→斜里町 相生にはかつて相生線が北見まで通っていたが、現在は廃線となり此処に機動車やラッセル車、そして当時の駅舎などを整備して町が鉄道公園として大切に守っていた。その公園を朝見学してから阿寒湖へ行き最初にアイヌ部落を訪れたが11時開演との掲示板を見たので見学せず、ビジタ−センタ−へ行き阿寒の事を勉強し、ボッケと呼ぶ亜硫酸ガスが時々ブクブク噴き出す粘土質の場所などを観てから、摩周湖→硫黄山→屈斜路湖の砂湯→清里町の温泉に入り斜里で泊まった。
6月03日(火) 斜里町→神の子池→裏摩周→開陽台へ寄り標津を経由し羅臼町(展望台)→知床峠→知床自然センタ-→宇登呂温泉→宇登呂港 斜里岳を観ながら神の子池(摩周湖と地底でつながっているとか)と裏摩周を観て再度開陽台へ寄り、羅臼の展望台から漸く国後島を見て知床峠を通り、知床自然センタ-で知床の四季を大画面で観てから宇登呂へ行き温泉に入って休んだ。此の夜近くの料理屋で食べたウニやホタテそしてカニやホッケなどは新鮮で実に美味かった。
10 6月04日(水) 宇登呂→知床岬(クル−ジング)→網走→サロマ湖
→紋別

10時発のクル−ジング船で、知床岬まで往復約3時間の旅を楽しんだ。そして、1時過ぎに戻り網走へ向かったが仲々着かず、結局網走監獄博物館などを見学する事が出来ずに紋別まで走った。また、紋別の手前に有る湧別で温泉に入る予定であったが、結局時間が無く取り止めた。処で、紋別へ行く途中で観たサロマ湖はとにかく広かった。それにしても48人乗りのクル−ザ−は、例えばヒグマを発見すると岸の近くまで接近し見せてくれるサ−ビスには感心した。その点、大型観光船は沖合いを通るのでクマを観る事が出来ないとのこと。
11 6月05日(木) 紋別→猿払→稚内港→納寒布岬→宗谷岬→稚内 紋別から猿払までのオホ−ツク海は地図上の海岸線そのもので、のんびり走ることが出来た。そして、猿払で食べたホタテのカレ−は、此処で獲れる噛み応えのある天然ホタテで実に美味しかった。午後からは稚内へ行きフェリ−乗り場と駐車場を確認したのちに、納寒布岬と宗谷岬へ行き、此処でも晴れていればサハリン(樺太)が見えるはずなのに、全く見えず2時間ほど居て稚内へ戻った。
12 6月06日(金) 稚内港→礼文島(観光バスで島内めぐり)→利尻島→利尻富士温泉→宿泊先へ
4時過ぎに起床して、フェリ−乗り場で乗船券と観光バスの乗車券を買い6時20分に礼文島(香深港)へ向け出港した。まず礼文島では、高山植物を4時間半掛けて観て回ってから、利尻島(沓形)へ行き、利尻富士温泉に入ってから宿泊先へ向かった。それにしても、礼文島で観た可憐な草花は想い出に残ったが、更に昼食に食べたウニ丼の美味かったことも忘れない。
13 6月07日(土) 利尻島(観光バスで島内めぐり)→稚内港→サロベツ原野→富士見(羽幌の手前) 利尻島では、2階建てのバスで島内を一周する観光に参加したが、礼文島に比べると高山植物の数も少なく名所も少なく平凡な観光だった。しかも、途中で観た海底にいるウニやタコを観る探勝船にも乗って見たが期待したものとは掛け離れていた。それに、12時半に観光を終えて稚内へ戻る船の待ち時間(3時間半)は長く、NHKの大河ドラマを見たりして時間を過ごしたが、稚内に戻ってからも結局天気も悪くサロベツ原野は良かったものの、羽幌までの予定を途中で切り上げねばならなかった。
14 6月08日(日) 富士見→羽幌→小平→留萌→層雲峡(旭川の先)→旭川
本来は、羽幌で温泉に入る予定がNGになり、次の歌志内までお預けになってしまったが、此の日は小平(おびら)や留萌でニシンの番屋を見学したり、留萌から道央道を利用して大雪山系にある早雲峡へ行ったりと結構長距離を走った。そして、この日は旭川に泊まった。
15 6月09日(月) 旭川→旭山動物園→美瑛を経由し富良野→歌志内→カモイ岳温泉→歌志内 旭山動物園を午前中に観てから、美瑛を経由して富良野へ行った。しかし、富良野のラベンダ−畑は実に観る物が無く、早々に引き揚げて歌志内へ行った。しかし、道の駅に併設されている温泉は定期検査で休館なので、近くに有るカモイ岳温泉を教えて貰いやっと温泉に入る事が出来た。
16 6月10日(火) 歌志内→赤平炭鉱跡→砂川を経由し三笠市博物館→岩見沢→マオイの丘(長沼) まず歌志内市役所へ行ったが、そこで教えて貰った近くに有る資料館は休館状態で確かに町全体が寂れていた。そこで、赤平(あかべら)に有る立鉱跡(住友鉱山)へ行ったが、此処も寂れていて残念だった。その後砂川を経由して三笠市立博物館で直径2.5mのアンモナイトの化石を観たり、幌内炭鉱の展示を観てから、長沼に有るマオイの丘へ行きそこで久し振りに外食をした。
17 6月11日(水) マオイの丘→羊が丘展望台→札幌→北海道大学→大倉山(宮の森)ジャンプ場→定山渓を経由し中山峠→京極温泉→京極 此の日は羊ヶ丘展望台で札幌の街を観てから札幌市街へ入り、余りの雑踏に辟易して時計台だけを車窓から眺めてその後北海道大学へ行った。その北大は実に雰囲気の有るキャンパスで、博物館を観たりポプラ並木を見に行ったり、学食でカツカレ−を食べたりして2時間以上を過ごした。その後、大倉山と宮の森に在るジャンプ場を観てから、中山峠を越えて京極へ行き此処の温泉に入ったが、羊蹄山(蝦夷富士)が正面に観えて、実に気持ちが良かった。
18 6月12日(木) 京極→倶知安→小樽→余市→積丹半島一周→岩内 京極から倶知安を通り、小樽で運河を観に行ったが、何と300mしかない運河に呆れて近くの資料館で全盛期の小樽を見学したり、余市ではかつての漁場を見学し、積丹半島を一周して岩内まで行った。
19 6月13日(金) 岩内→ニセコ→長万部→なとわ恵山(函館の近く) 岩内から雨の中をニセコへ行ったが、こちら側からは羊蹄山が見えず噴火湾側に有る長万部で資料館を見せて貰った。
其の後、小さな港町を走り、恵山の近くにある道の駅で休んだ。ここでは、オ−トバイでテント生活をしている千葉のシニアを見掛けたり、軽のワゴンで旅をしているご夫婦に出会ったりした。
20 6月14日(土) なとわ恵山→函館山→五稜郭→トラピスト修道院→松前城→江差
いよいよ函館へ入り、初めに函館山の頂上から津軽海峡を望む函館の市街の眺望を楽しみ、五稜郭を訪ねてから函館郊外に有るトラピスト修道院へ行き、知内を経由して松前城を見学した。そして、北海道最後の宿泊地である江差まで行った。江差の海岸からは、奥尻島が見えるはずだが、日本海に沈む夕陽の精か島影は見えなかった。
しかし、此の日に東北地方で大きな地震が起きて居るとの連絡が入り、青森に着いてから震源地周辺の被害状況を良く調べてその後の予定を見直すことにした。
21 6月15日(日) 江差→函館(基町の公会堂などを見学)→函館港→青森港→浅虫温泉 北海道
青森県
江差から函館へ戻り、函館が華やかなりし頃のハイカラな函館(鹿鳴館に似せて造った公会堂や、洋物店)を見学したのちに13時15分発のフェリ−で北海道を後にした。そして、青森港へ2時間掛けて着いてからは浅虫温泉に泊まった。幸いにして青森は地震の被害は無いとのことだったが、岩手と宮城に大きな被害が出ていることが判り、慎重を期して八幡平や盛岡への計画を取り止めて山梨へ直帰することにした。
22 6月16日(月) 浅虫→八甲田山→奥入瀬渓流→十和田湖→東北道→外環を経由し関越道→圏央道→中央道→自宅
                      自宅到着は23:50
東北
関東
山梨
朝詳しく状況を調べてから、八甲田山と奥入瀬渓流だけは観て帰ろうと八甲田へ向け出発したが、そのロ−プウエ−の始発が1時間以上もあとと判り諦めて、奥入瀬へ向かう途中に在る酢が湯温泉(本当はその日此処に泊まる予定でいた)に寄った後に奥入瀬渓流を堪能し、十和田湖を少し見てから十和田インタ−から東北道へ入り、900km以上を走り、山梨へ深夜に到着した。

3)全走行距離:5,300km〔内、北海道走行分:3,930Km)〕

4)旅の感想
* 旅全体の印象

@ とにかく北海道は広大で、そのスケ−ルの大きい事は行く前から想像はしていましたが、行けども行けども仲々着かない一直線の道は
  ただひたすら走ったと言う印象が今でも記憶にありますが、その北の大地を20日間観て歩くことが出来たことが何よりの収穫です。
A 今回の旅を含めて4度のぶらり旅で全国津々浦々を観る事が出来ましたが、此れからはまだ観ていない場所を選んでスポットで観て
  見たいと思っています。
B 洞爺湖サミットが開催される前に先に洞爺湖を観てから、あとはゆっくりと道内を観てまわれたことが良かったと思います。(計画が上手
  く実現出来て良かったと思います。)
C 礼文島や利尻島へ行けたことや釧路湿原や知床岬、そして大雪山系の早雲峡など北海道全般をこの目で観る事が出来て、満足の行く
  旅でした。

* 今回の旅で、特に楽しかったこと

@ 狩勝峠から観た十勝平野の広がりは、此処が日本の領土であることを疑うほどの、壮大な大地を観る事が出来たこと。
A 道東の3つの湖(屈斜路湖、阿寒湖、摩周湖)とサロマ湖や網走湖などのオホ-ツク側の湖も観る事が出来て、北海道の広がりを実感出来
  たこと。
B 知床岬をクル−ザ−で海上から眺める事が出来たことと、キタキツネやエゾシカとエゾシマリスそしてヒグマも見る事が出来たこと。
C 礼文島で、この島にしか咲かない幾つもの高山植物を観る事が出来たこと。
D ニシン漁華やかなりし頃の漁場や番屋、そしてニシン御殿や回船問屋などの立派な建物を観れたこと。
E 北海道大学で北海道の歴史や開拓史そして、ポルラ並木や落ち着きのあるキャンパスを散策出来たこと。
F 根室で、背丈が70cmものシマフクロウの剥製を見たことと、アイヌの人達の民族としての長い歴史や貴重な文化、そして日本民族との
  壮絶な戦いなどを知ることが出来たこと。

* 北海道全般で想い出として印象に残っていること

@ 新潟から苫小牧、函館から青森のフェリ−を利用して、体力的にもあまり疲れずに22日間を過ごせたこと。利尻島や礼文島へ船で行けた
  こと。 
A 根室の資料館で、シマフクロウの大きな剥製を観たことや、知床自然センタ-で知床の四季を大画面で見る事が出来たこと。そして、各地
  の博物館や資料館で、北海道が近代化する以前の北方民族の生活ぶりや差別などの実態を詳しく知ることが出来たこと。特にアイヌの
  人達に強制的な従属を迫ったり、搾取などの歴史を知ることが出来たことは私にとって今後の生涯学習の課題が一つ出来たたように思い
  ます。
B 同時に、明治政府が推進した北海道の近代化の中で、多くの囚人が強制労働させられ、こうした多くの犠牲の上に北海道の近代化が進
  められた事が、多くの人達は良く判っていない様に思います。
C ニシン漁華やかなりし頃の番屋や漁場、そして回船問屋の立派な建築物を沢山見ましたが、ニシンは2割が食料で、あとの8割は作物の
  肥料に加工されて使われたことなど、あまり学校教育では習うことが無い北海道独自の歴史を詳しく知ることが出来ました。
D 美味しいウニや天然ホタテ、そしてホッケやカニなどを沢山食べる事が出来たこと。そして、温泉にも何度も入る事が出来たこと。
E 北海道の地名の多くが、アイヌ語と深く関わっていること。そして、アイヌ語を音訳したり意訳したりして、地名の80〜90%がアイヌ語と関
  わっていることを知り、なるほど道外とは言葉の響きがどこか違う事を計画時点で有る程度は調べては行ったが、更に理解が深まりま
  した。

* 今回の旅のまとめ

@ 一昨年までの旅で経験した事を出来るだけ今回は改善し特に体調管理に努めたお陰で胃を悪くすることもなく、気力を充実させて旅を続
  けることが出来ました。
A 旅の途中で雨の日もありましたが、まあまあ天候にも恵まれて旅を終える事が出来ました。但し、海上の天気は今ひとつで、殆どの島など
  が見えませんでした。
B 今回は、危険な目に遭うことも少なく、車を接触させることもなく無事に帰って来ることが出来ました。
C また今回も、多くの人達と親しく話が出来ました。特に、行きのフェリ−で45年間北海道で暮らしたシニアの男性から北海道の事を詳しく
  教えて貰ったり、東京から軽のワゴンで来られたご夫妻から旅の楽しみ方をしっかり聞くことが出来ましたが、旅を楽しむにはその土地
  の人達と仲良くなって薦めてくれた場所へ行くと、きっと大きな感動があると話してくれました。
D 普段知る機会がなかったハイカラな函館の街や、三笠市の誕生秘話。そして、根室に歯舞町が今も有ったりと、教科書では知る事が
  出来ないことをいっぱい教わりました。
E 北海道を離れる前日に東北地方に大きな地震が有り、その影響で青森から徐々に南下しながら帰ってくる当初の計画を断念せざるを
  得ませんでしたが、東北道の一関辺りで、自衛隊のヘリコプタ−が編隊を組んで被災地に向かう様子を見た時は、一直線に山梨まで帰
  えることを決めました。

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5)ぶらり旅の編集後記〔H20年(北海道)〕                                               H20年10月
* 昨年は体調が少々悪かったことなどで北海道への旅を延期しましたが、逆に2年掛りで北海道への準備をその分慎重に進めることが出来ました。しかし、何と言っても洞爺湖サミットが近づいていましたので(警備上の取り調べが有ると気分が悪くなるので)、その点だけは当初から考えて、最初に洞爺湖周辺を観たあとは洞爺湖から離れる作戦を取りましたが、幸いに検問には一度も合わず
大正解でした。

* 温泉に入ったり、美味いものを食べたり、北海道にいた20日間は本当に楽しく過ごす事が出来ました。それに、利尻島と礼文島行きを旅の中間に入れたことも、旅にアクセントが付いて仲々良い企画だったと思います。

* さて、今回の北海道への旅で長期の旅は終えて、あとは行きたい所を数日掛けて行って見ようと思っています。

それにしても、日本列島は細長く、結局4回の旅で、1万6000km余りを走ったことになりますが、何よりも自分が行きたい所を何処までも納得が行くまで行って見る事が出来たことが、一番の成果であったと思っています。

* しかし、世の中には車で旅をすることが根っから好きな人がいて、こうした人達は見知らぬところなら何処でも良いと話してくれた人がいましたが、私の場合は旅をすることが唯一の目的ではなく、行って見てそこで自分の目で確かめて納得をすることが目的で、例えばキャンピングカ−で家族連れで来ているファミリ−などはキャンプが目的の様に思えましたが、けれども人はどの様に過ごそうともそれはその人の自由なのですから、余計な詮索は無用でしょう。

最近、家の近くにキャンピングカ−ショップが出来て、キッチンセットなどを搭載した300万円はする本格的な車を見掛けますが、
興味はありますがそれを購入してまでも行って見たいとは思いません。

* 今回の旅は、今までで最も長距離(5,300km)を走ったにしては、車にかすり傷も付けず、無事に終える事が出来ました。

一昨年九州へ行った時は、島原で走っている道がカ−ナビの指示から離れて行く事に気付きUタ−ンをしようとバックをすると、後部のバンパ−とバックドア−が低い柵に接触して凹んでしまいましたが、今回はそうした事もなく無事に全行程を終える事が出来ました

* しかも、北海道が広いことを物語る例として、22日間(道内は20日間)の歩数が何と22.3万歩になっていた事が後日判りました。

と言う事は、一日当たり1万歩以上歩いたことになり、我ながら良くも歩いたものだと感心します。

* 今回の旅の総括としては、ぶらり旅の最後に残った北海道をほぼ全て観て歩けたことで、国内をくまなく観て歩くことが出来、念願が叶ったことです。

北海道では、時には怖い事も有りましたが、しかし全体として大変有意義な毎日でした。また、健康に注意しましたが怪我もなく元気で過ごすことが出来たことも幸運でした。

最近思うのですが、全国16ヶ所のその日の天気や気温を天気予報で見る時に、今までは北海道は札幌だけしか知りませんでしたが今回は帯広も釧路も旭川にも行けましたので、これからは天気予報を聞くたびに日本国内16ヶ所すべてに行けたお陰で、その都市のひとつひとつを懐かしく思い出しながらテレビを見る事が出来て楽しくなります。

しかも、いずれも本州と地続きである日本の最北端である宗谷岬と、同じく九州の最南端である佐多岬(地図上では直線距離で約2,000km)をどちらも尋ねることが出来て、感無量です。

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