■君といるだけで(2)



「奥様がお呼びです」
うららかな陽気にまぶしそうに目を細め、窓ガラス越しに豪華な庭を眺めていたハウルに紅いビロードのお仕儀の小姓が呼びにきました。
ハウルは今日でペンステモン夫人のところを去ることにしていました。これから夫人に最後の挨拶をしに行くところです。


”この世界に来て右も左もわからなかった僕に、先生はたくさんのことを教え込んでくれた・・・。”
ハウルは夫人にお世話になったこの2年間のことを思うと、感謝してもしきれないような気がしていました。
”だけど今の僕にはここにいる資格がない。このままでは先生に恩を仇で返すことになってしまう。”
ペンステモン夫人が体調を悪くして隠退を決意したとき、ハウルにはこうすることしか思いつきませんでした。


小姓に連れられてよく磨きこまれた階段を登り、薄暗い、けれど品のいい応接室を通り抜けると、ハウルはある部屋の扉の前に立ちました。
「失礼します」
軽いノックの後そう言って小姓が開けた扉の向こうには、テラスへと続く大きな窓から暖かな日差しが差し込んでいます。
その柔らかな光がたちこめる場所に、豪奢な飾りが掘り込まれた椅子に優雅に座るペンステモン夫人の姿がありました。
小姓は夫人の方を向いて軽く一礼すると、脇に抜けてハウルのためにと道をあけてくれます。
ハウルは静かに夫人の元へと近づいてひざを折りました。挨拶のために伸ばされたそのか細い手をとり、敬愛のキスをおとします。


「・・・先生、短い間でしたがお世話になりました」
ハウルはペンステモン夫人を見上げると、ありったけの気持ちを込めてそういいました。


「いいえ、ハウエル。あたくしこそ最後までお前を育て上げられなくて、とてもすまないと思っています」
いつも強面で厳しかったペンステモン夫人ですが、この時ばかりはハウルに慈愛のこもったわびるような眼差しを向けました。


「とんでもありません。先生は私に魔法以外のことも含めてあらゆることを教え込んでくださいました。
私こそ、このまま先生をおそばで支えながら跡を継ぐことが出来なくて、本当に申し訳ないと思っています。
こんな私に広い世界を見聞する許しをいただけたことを、今ではとても感謝しています」


「ハウエル・・・」
ペンステモン夫人はハウルがとった手をしばし眺めていましたが、ふっと視線を下に向けたかと思うと、すぐにまたハウルを見据えてこう言いました。


「あなたがどんな道に向かおうとも、あたくしはあなたを見つめています。
あなたが困ったときには、あたくしを忘れず訪ねなさい。きっといくらかは力になることが出来るでしょう。
そしてあなたにはこれからペンドラゴンという名を授けます。その名はきっとあなたを助けてくれることでしょう。
・・・さぁハウエル、従僕に新居までは送らせます。あたくしの馬車に乗ってお行きなさい」


「・・・はい、先生。それではこれで失礼いたします」
ハウルは再び差し出された優雅な手を取って丁寧に一礼すると、小姓に連れられて夫人の部屋を後にしました。





ハウルが去った後、夫人は椅子に腰掛けながらしばらくじっと考え込んでいました。


「マダム、どうかしましたか?」従僕が考え込む夫人に尋ねました。


「・・・ハウエルは生きる目的を失いかけています。ですがあたくしではどうしてやることも出来ません。あの子が自分で見つけるほかはないのです。
けれども彼はそんな無力なあたくしに敬愛の情を示してくれました。そして悪の道に引き込まれつつある自分を押し隠そうとしています。
ハウエルが悪に染まるかどうかは、呪いなどで変わるものではなくあの子自身にかかっているでしょう。
あたくしがあのような目くらましの魔法にかかると本当にあの子は思っていたのでしょうか。
それでもそれがあの子が私を思う気持ちの裏返しであったとしたら・・・」


ペンステモン夫人は先ほどハウルが挨拶のために手をとったときのことを思い出していました。
あの時彼の手からは強力な呪いの力が流れてきていましたが、もちろん夫人はそんなことはおくびにも出しませんでした。
それよりも彼がどうして今この時にそんなことをするのかを考えていたのです。
すなわち、何ゆえハウルを見る目を曇らす必要があったのかということ。


おそらく何か後ろめたいことでもあったのでしょう。それでも、あたくしを見つめ感謝する気持ちは伝わってきました。
彼は、これまで何人かがそうであったように悪への誘惑にさらされているのかもしれません。
それでも、彼は悪ではない。今のあたくしには彼を信じてやることしか出来ない・・・。


「あぁ・・・少し話しすぎましたね。あたくしはしばらく休みます。あなたたちはハウエルの言うところまで送ってやりなさい」


「はい、マダム」従僕は静かに去っていきました。





ハウルは従僕に連れられて馬車に乗り込みました。
行き先はキングスベリーの大通りに面したところに借りた新しい仕事場です。
短い間でしたが住み慣れた先生の家を離れ、新しい仕事場に移るのは少し寂しいものです。
ですがこれからは新しい仕事場で自分の好きなようにやっていいのです。それだけがこれから先の不安を跳ね除ける光のようなものでした。


新しい仕事場まではあとふたつの角を曲がるというところまで来た所で、ハウルは馬車の窓に一人の女性の姿を見かけました。
いえ、正確には女性ではないかもしれません。それは紛れもなくあの日貴族の館で見た魔女の姿でした。
魔女は広い大通りの向こう側を歩いていました。
人ごみの中の魔女は町のにぎやかな方に進んでいて、もうまもなく見えなくなってしまうでしょう。


「すまないが、ここで降ろしてくれないか。出来れば荷物はこの住所に届けておいてくれたまえ」
ハウルは新しい住所のメモを従僕に渡して手短に言うと、馬車を降り大通りを渡って魔女の後を追い始めました。





ハウルは魔女の後を追い続けました。そして、念のために髪型や姿を少し変えておきました。
もちろんそんなものがあの魔女に対して効果があるとは思えませんでしたが、本当の姿を知られるよりはいいというものです。
また、こういった姿がえの魔法はペンステモン先生の好ましくないものだったので、いつか使ってみたかったという思いもありました。
そう、自分はもうペンステモン先生の弟子ジェンキンスではなく、魔法使いのペンドラゴンなのです。
これからは自由に自分の思うままに魔法を使っていい。そんな気持ちがハウルを少しばかり思い上がらせていたのかもしれません。
魔女の後をつけたことを後悔するのはこれから少し後のことでした。


魔女は思いのほか早足で、人ごみをすり抜けてぐんぐん進んでいきました。
キングスベリーの旧市街に入ると町並みはとたんに複雑になっていきます。
人通りもまばらになってきたので、この頃になるとハウルは魔女から少し離れて歩くようになっていました。


魔女は旧市街の中の石畳のある中庭の家に向かっていました。
堂々とした古びた細長い館で、窓には菱形のガラスがはまっていました。カベには魔法の印が組み合わさって描かれているところをみると
おそらくここも魔法使いの館なのでしょう。魔女は正面玄関のノッカーをたたき、館の主人を呼び出しているようでした。





まもなくして玄関に挨拶にでた館の主人らしき人物は、長身で黒い魔法使いのガウンをまとっており、色があせたような赤毛のいかつい顔をしていました。
そして、ハウルの覚えに間違いがなければ、それは兄弟子のサリマンでした。
驚いたことにサリマンは魔女を中へと迎え入れたようすです。
ハウルは少なからず驚きましたが、あの晩自分が術にかけられるまで分からなかったのを思い起こすと無理のないことなのかもしれません。
魔女はぎりぎりまで気配を隠しておくのを得意としているようでした。


しばらくして魔女がその家を出てきたとき、ハウルは隣の家の高い塀に寄りかかって中庭にある石畳の数を数えているところでした。
魔女は姿を変えたハウルの横をすり抜けるようにして歩いていくように思えましたが、ふと立ち止まってハウルの方を向くとこう言いました。


「どこかでお会いしたことがあったかしら?」
美しい顔から生み出されるその微笑みは人の心をとろけさすようでした。


「・・・いいえ初めてです、お美しい方。私はウィリアムと申します」
しばし魔性の微笑みに魅了されながら、にこやかに笑ってハウルは答えました。


「そう、ウィリアムさん。私もあなたのような素敵な方にお会いしてたらきっと忘れられないわ・・・」
魔女はハウルのいつもの碧眼とは違う深青の瞳を見つめながら、どこか探りを入れているようでした。
それでもハウルに気づいた様子はありません。ハウルは自分の術に少しだけ自信を深めました。


「・・・どうかしら、あなたさえよろしければこれから少しお茶でもいかが?」
魔女は得意そうな媚びるような目でいいました。


この若く美しい魔女が本当にあの荒地の魔女なのでしょうか。だとすればまったく驚くべき魔法です。
魔女はペンステモン先生よりも、もっとずっと古い魔女のはずなのですから。
ハウルはこの魔女がなぜこんなに魔力があるのか、そのよりどころは一体何なのかを知りたい欲求に取り付かれ始めていました。


「・・・あなたのような方に誘っていただけるなら、喜んでどこまでもお供いたしましょう。」
ハウルは素性を隠して芝居を続けることを、少しずつ楽しみだしていました。


後にして思えば、それが大きな間違いの元だったのです。































つづく



ペンステモン先生はいろんなことが見えてそうだけど、最後は人によって変わるもんなんだって思っていそう。
だから何にも言ってくれないんじゃないのかな。声に出しての影響とかもよく考えていそうだし。
だけど、今回はけっこうしゃべっていただきました。私のペンステモン先生への妄想です。


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