■君といるだけで
ハウルがウェールズ大学時代に書いた論文は「魔術と呪文」でした。
それまで人には言えないでいましたが、彼には”人には見えないもの”が見えるのです。
テーマを決めたきっかけは些細なことでしたが、それまで見ぬふりをしてきて触れてはいけない世界だったものに
筋道を立てて学術的に取り扱うということは、自分でも意外なほど新鮮なものでした。
夢中になって論文に取り組んでいるうちに、ハウルはいつしか普通の人が入り込んではいけない領域にまで踏み込んでしまったようです。
ハウルがインガリーの国へとつながる違う次元の扉を見つけるまでには、それからそう時間はかかりませんでした。
ハウルは姉のミーガンとその家族を愛していました。
そして両親亡き後自分を大学までやってくれた姉夫婦には感謝もしていました。
だから違う次元の扉を通ってインガリーの国を見つけたときも、偉大なる魔法使いのペンステモン夫人に師事すると決めたときも
ハウルは姉夫婦とその家族のために頑張ることを疑いませんでした。
でも彼らは見たこともない国の話をするハウルよりも、卒業してスーツを決めて真っ当なところで働くハウルが見たかったのです。
彼は次第に出かける先を言わなくなり、家にいる時間もだんだん短くなっていきました。
キングズベリーのペンステモン夫人のもとで修行をするのは、厳しいけれど楽しいものでした。
先生は怖いし厳しいけれど愛情深い方で、ハウルは彼女を尊敬していたし、ある意味両親のいないハウルは母性を感じてもいたのでした。
だけど修行に打ち込み自分の魔力が上がれば上がるほど、ハウルは何故だか同時に虚しさも感じるようになりました。
この魔力はミーガンたちにとってはまったくもって必要のないものであり、また奇異なものでもあるのです。
ハウルは自分が頑張るための目標をなくしつつありました。
彼はペンステモン夫人の元でも口数が少なくなっていき、ふさぎ込むことが多くなりました。
ある夜、ペンステモン夫人と同行したある貴族の夜会でのことでした。
夫人が旧知の友人たちと話しこみだしたので、ハウルはそっとはなれて一人テラスへと出ていました。
にぎやかな広間の様子とはうって変わって、外は静かで生暖かい風が庭の樹々を揺らしています。
ふと、ハウルはある古い大樹のところに目が吸い寄せられました。
いつからそこにいたのでしょう。ハッとするような妖艶な美しさの女性が一人立っていたのです。
「・・・あなた、ペンステモンさんのところのハウエルさんね?」
女性は優雅な、しかし謎めいた魅力のある低めの声で囁きました。
「ええ、そうです。ハウエル・ジェンキンスです。・・・ペンステモン先生をご存知なんですね。」
ハウルは隙なくにこやかに笑って答えました。
「そう、ペンステモンさんのご高名はよく存じ上げてますわ。
あたくしにも少しは魔力があるものですから。ご同業として・・・ね」
伏せ目がちに、ふっと軽くその人は笑いました。
「あなたのことも噂には聞いているわ、
兄弟子のサリマンさんとは比べ物にならない程の才能の持ち主なんですってね」
「それはいくらなんでも大袈裟な話でしょう。私はまだ修行中のみですからね」
何か含みのある物言いに謙遜しながら、ハウルは彼女を注意深く観察することにしました。
「ハウエルさん、どうかしら。
あなたはどうやら今の状況には甘んじてらっしゃらないようだけど
一度、思い切ってあたくしのところにいらしてみるのも面白いのではないかしら」
「僕が甘んじていないように見えますか?」ハウルは魔女の真意をはかりかねていいました。
「そう、あなたはそこに甘んじてはいられない。」
魔女は媚びるように、また値踏みをするように大きく上から下まで舐めつけるようにしていうと、
ハウルには魔女の声が少しずつ威厳を帯びていく様に聞こえました。
「おまえの心臓は本当はもっと自由に生きたいんだといっているよ・・・!」
カッと見開いた目はハウルの心の中まで入ってきそうに見えました。
魔女の言葉は一つ一つがハウルの全身に絡みつくように取り囲んでいきます。
「・・・かわいそうに。おまえはまわりを愛しているのにね・・・。
私とくればおまえの心も魔力もすべて開放してあげることができるよ。
そしておまえは本当の意味で、もっともっと自由になれるのさ・・・!」
そのとたん、ハウルの心は深遠な闇の淵に浸かっていました。
声をかける荒地の魔女。長く豊かな髪の妖艶な魔女はその年齢を感じさせないような艶っぽさで問いかけました。
「かわいそうだね、そんなに魔力があふれているのに。
苦しそうだね、おまえはまわりが大好きなのに。
もっと自由に生きてみないかい?おまえのあらゆることを教えてあげるよ。
みなぎるパワーを開放してあげよう。おまえはもっと幸せになれるよ・・・」
ねっとりと絡みつくような漆黒の闇。
そこに浮かび上がる魔女の姿は、まるでそこに求めていた答えがあるかのようでした。
「・・・・・・!」ハウルは目を閉ざし、手を魔女のほうへと掲げました。
抵抗しないと凄い勢いで自分を持ち去られてしまいそうです。
その時、後ろのほうからテラスへの扉を開ける音が小さく響きました。
「ハウエル、何をしているのです」
威厳ある眼差しをたたえて静かにペンステモン夫人が現れました。
とたんに周りの空気が急に清々しい夜気へと変貌していきました。
あれほどハウル自身が吸い込まれそうだった空間は今はどこにもありません。
ハウルは額に手を当て脱力すると、自分を正気に戻すようにと頭を軽く振って答えました。
「いいえ、先生。何でもありません」
先生は静かに微笑むと、「そう」とだけ答えました。
その日からハウルの悩みは濃くなりました。
荒地の魔女に本当の気持ちをあばかれてしまったような気がしていたからです。
いまや完全にハウルは生きる目標をなくしていました。
ペンステモン夫人の体調が悪くなり、隠退すると聞いたときもハウルは残念な反面、心のどこかでホッとしてもいました。
これで修行をしなくてもいいのか・・・この身の自由さに、知らず嬉しさがぐっとこみ上げてきたとき、
ハウルはあの夜の魔女のことを思い出して、思わず肝を冷やしました。
”もっと自由に生きてみないかい?おまえのあらゆることを教えてあげるよ。”
あの時ペンステモン夫人が来なければ、ハウルは今頃荒地の魔女の元に控えていたかもしれません。
それほど魔女の言葉は妖しく魅力的に響きました。
”一度、思い切ってあたくしのところにいらしてみるのも面白いのではないかしら”
面白いか・・・それもいいかもしれないな。
ハウルは半ばやけっぱちになってそう思いました。
つづく
タイトルを見るだけで結末は一目瞭然な感じですが(笑)
どうにもそこまでたどりつけそうになくて、いったん「続く」です。
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