マンハッタン・カフェはデヴィッドとむぎが初めて入った例のカフェだ。
ホテルからそれほど離れてはいない。
一哉はデヴィッドと待ち合わせをして、そこで状況を改めて聞いた。

「やはり、どこかで迷子になっているんだろね・・・むぎ」

「・・・・・・・」

「ただ、言葉もあまり通じないだろうし、暗くなってくるし、寒くもなってくる。なんとか早く探し出さないと・・・。どうする、一哉?」

「・・・・・・女の足だ。そう遠くに行っていることはない。おそらくこの近辺でうろついているんだろう。ただ、ここに戻ると言っても目印が高層ビルだけでは当てにはならない。うまく日本人にでも出会ってくれるか、ホテルについて聞ければなんとか帰ってこれるはずだが・・・。それがうまくいってないんだろうな・・・」

「・・はあ。非常事態の場合のことも教えておくんだったな・・・。ごめんよ、一哉」

「・・・別にお前に謝られることじゃない。俺が悪いんだ」

眉をひそめて息を吐きながら言葉を吐く一哉に、デヴィッドの視線が釘付けになる。

「・・・・一哉」

「とにかく、二手に分かれてもう一度、ここから半径500メートル付近を捜してみよう。それでもダメなら仕方が無い。御堂の名前で警察を動かすことにする」

「最終手段はそれしかないね。何かあってからでは遅いし・・・」

そこで二人は別れて走り出した。

(・・・むぎ。どこに行ったんだよ、お前は・・・)















一哉の読みは正しかった。

そんなに遠くに来ているはずはなかったのだが、むぎは今、自分がどこにいるかわからなかった。
辺りも暗くなってきてコートを着てこなかったむぎは寒さを感じ、歩き回っていて見つけた大型の量販店の店内の隅にあるイスに腰掛けて途方に暮れていた。
勿論、ここにたどり着くまでに親切そうな人にたどたどしい英語でホテルを聞いてみた。
しかし、手取り足取り教えてもらった通りに歩いてみたつもりでも、どうしても知っている道に出なかったのだ。
人間、道に迷うと同じ道を延々と回っている錯覚に陥る。
むぎもまさしくそれに当てはまっていた。
歩くたび、ますます細い道へと何故か進んでいく。
ここは動かない方がいいのかもしれないと、見つけた店内へと避難したのだった。


(なんでこんなことになっちゃったのかなぁ・・・)




むぎは回想する。
無我夢中でホテルを飛び出してから、数分ほど走り、次に早歩きになり、やがて、トボトボと歩き出していた。

(一哉くんの馬鹿馬鹿馬鹿・・・・)

そんなことを思いながら辺りを見ることも忘れ、ただ足が向くままに歩いていた。
ハッと気づいた時、目の前が開けていた。
どうやらかなり広い公園らしかった。
デヴィッドと二人でいろいろと出かけていたが、ここに来たことはなかった。

(・・・・そういえば、昨日誘ってくれた時に自然に囲まれた素敵な場所があるって言ってたっけ。ここに連れてきてくれるつもりだったのかな・・・?)

のんびりと遊歩道を歩いていく。
青い空、暖かな日差し、穏やかな風景・・・。

先程までの荒々しい感情が嘘のように消えていく。
こうして一人冷静になってみると、一哉にひどいことをしてしまったのかもしれないとむぎは思う。
ただでさえ、蒼い顔をして懸命に仕事に頑張っているというのに・・・。
それも大勢の会社の人間、多くの人達に多大な迷惑と損害を与えてしまわないためにという一哉の責任感の強さと優しさからきていることだというのに・・・。

(・・・・・一哉くん、ごめん)

遊歩道を歩いては、また近くのベンチに腰掛けて感慨に耽り、そしてまた歩き出す。
そうやって歩いていくと、今度は大勢の子供たちが遊戯施設を使って遊んでいる場所に出くわした。
日本の子供もアメリカの子供も、無邪気に遊ぶ姿は同じ。
ジッとそれを眺めていると、自分が子供の頃を思い出す。
姉の苗とよくこうして近くの公園でどろんこになって遊んだものだった。
夕方になると母が大きな声で呼びに来た。
母は洗濯物が大変だと嘆いていたが、父は何故かどろんこ姿を見ると喜んでいた。
二人とも女の子だっただけに、男の子のように遊ぶ姿が元気よくて嬉しいのだそうだ。
そんな両親も今はいない・・・。
苗は安藤征志を追ってイギリスへと旅立って行った。
今でも定期的に連絡をくれるが、どうやら二人で幸せにやっているらしい。
むぎが御堂一哉と付き合うことになったと知らせた時にはとても喜んでくれた。
ただ、安藤は家柄の違いに多少心配していたらしいと苗から聞かされたが、苗は『むぎなら大丈夫!』そう言って励ましてくれた。苗自身もあの安藤家の両親と渡り合っていかねばならないのに・・・。

(お姉ちゃん・・・・あたしなら大丈夫って、いつも言ってくれたよね。あたしもそう思って頑張ってきたんだ。実際そうやってお姉ちゃんを見つけることが出来たんだ。でもね、今のあたしはなんか・・・自信ない・・・。やっぱ一哉くんには一哉くんに相応しい人が側にいるべきなのかなーとか、あたしじゃいつまでたっても認めてもらえないんじゃないのかなーとか、考えちゃうんだよ・・・)

コロコロと足元にボールが転がってきた。

「Hey,you!」

金髪の小さい男の子がこっちに向かって手を振っている。
投げてくれと言う事なのだろう。


「OK!」

そう少年に叫んでむぎはそのボールを投げ返した。
よく近くの男の子たちとキャッチボールをして遊んでいた時期もあったので、ボールは緩やかにカーブを描きながらも少年のミットへと納まった。

「Nice!」

少年は嬉しそうにそう叫んだ。
むぎも笑顔で手を振った。

(・・・そうだよなぁ。いつまでもウジウジしてるなんてあたしらしくないな。逆境にも果敢に立ち向かう前向きなそのままのあたしを一哉くんは選んでくれたんだし・・・。それに、一哉くんのことも心配だ。やっぱ帰ろう・・・)

そう考えたら、むぎの気持ちは随分と楽になった。
楽になったとたんにお腹が空いてきた。
遠くに売店が見えている。
そこまで行くとどうやら、ハンバーガー屋だった。
思わず自分のポケットを探り始めるむぎ。
何も持たず飛び出してきた感がしたが、小銭入れだけがスカートのポケットに入っていた。

「ラッキー! これでハンバーガーと飲み物くらいなら買える」

むぎは喜び勇んで売店へと向かって行った。

「・・・どこで食べようかな?」

ハンバーガーとコーラを持ちながら辺りをキョロキョロと見渡す。
こういった場合、やたらと広い場所は決めるのに困る。
少し奧へと進んでいくと、更に広い芝生の広場を見つけた。

「ここがいいかな・・・」

むぎは広々とした芝生の中に足を入れる。
大きな木の下の芝生の上に腰を下ろして、ハンバーガーを食べる。

「うーん・・・アメリカのハンバーガーはやっぱすごく美味しい!」

我ながら現金だと思うが、ウジウジしてても仕方が無いと結論が出たのだから、とにかく動くしかないと自分で思っていた。
しかし、食べ終わって食欲が満たされると、すぐに腰を上げることが出来なかった。
今朝の一哉に何かを投げつけてしまった。
すごい音がしていたので、かなり固いものを投げたらしい。
自分では頭に血が上っていて夢中だったために、あまり覚えていない。

「・・・怒っているかな・・・一哉くん」

そう思うとなかなか帰る気にはなれなかった。
そこで、ふと、辺りを眺めてみる。

イヌを散歩させている人。
カップルで芝生に寝転び、日向ぼっこを楽しんでいる人。
ベンチに腰掛け、編み物をしているお年寄り。
日本でも変わらない風景がここアメリカの公園でも繰り広げられている。

暖かい日差しがほどよくむぎの身体を温め、そして木の木陰が暑くならない程度に日陰を作ってくれていた。
ここがどこなのかはわかっていないが、それほど遠くに来ているわけではないので帰り道くらいすぐにわかるだろう・・・。
そう思ってむぎはまだ深刻に考えていなかった。

そのせいであろうか・・・。
いつまにか、ウトウトと木によりかかったまま眠ってしまったむぎであった。









・・・・・
・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



「Hey!」

「Hello,there!」

誰かの声がする・・・・。
身体を揺すられているようだ。

「・・・・・ん」

むぎが目を覚ますと、心配そうに顔を覗き込んでいる男女がいた。

「・・・・あ」

むぎが辺りを見渡すと、すでに公園内は薄暗くなってきたところだった。
どうやら、ウトウトとしてたのが本格的に眠ってしまっていたらしかった。
起こしてくれた二人は芝生で寝転んでいたカップルのようだった。

「You should be careful!」

どうやら、こんなところで寝ていると危ないと注意してくれているようだ。

むぎは慌ててペコリと頭を下げて、ごめんなさいを繰り返した。

カップルがむぎの側を離れて行った後に、やっと現実に引き戻された感じがした。
明るい昼間でさえ、ここがどの辺なのかわからなかったのに、果たして無事に暗くなる前に帰りつけるのだろうか・・・。
取り合えず、むぎは来た方向へと歩き出した。

しかし不安は的中する。
ホテルは確か70階建てだ。
ここが日本ならば、間違いなくその建物だけを目印にしてもたどり着ける。
しかし、ここではそんな建物だらけなのだ。
いくら見上げてみても、みな同じ建物に見えてしまい、目印にならない。

「ハッ・・・そうだ。携帯・・・」

いつもポケットに入れてあった一哉から渡された携帯を探す。
しかし、ない。

「あ・・・・もしかしてあの時投げつけたのは・・・あたしの携帯?」

これで連絡をするのは不可能になった。
公衆電話のかけ方を教えてもらってはまだない。
たとえかけられたとしても今の状況を説明できるだけの自信はなかった。

とにかく自力で帰り着くしかない。
親切そうな店の人にホテルまでの行き方を聞くことにした。
しかし、質問はできても、その答えを聞き取れなかった。



そして、今の状況になってしまったのだ。







・・・はあ。なんとか日本語がわかる人に出会えればいいんだけどなぁ・・・。
どこにでもいる日本人なはずなのに、どうして肝心なときにいないんだろう・・・。
とにかく、ホテルに連絡とってもらって一哉くんかデイジーに伝言頼んで迎えに来てもらわないと・・・。
ううう・・・結局、具合の悪い一哉くんに迷惑かけてしまった・・・・はあ。
そんな自己嫌悪におちいっていたときだった。

「Good evening.」

そう声をかけてきた人がいた。
あたしが顔をあげると、その人は人懐こそうな微笑をあたしに向けてくれた。
白髪のおじいさん・・・。
どこかで逢ったことあったっけ・・・?

あたしがきょとんとした顔をしていたので、そのおじいさんはちょっと悲しそうな表情をしたけれど、すぐに思いついたようにあたしを指差した。
てか、本当は指を指したのは買って以来かかさず胸につけている、蝶のピンバッチだった。

「ああああああああ!! あの時のお店のおじーさんだ!!!!」

ようやくと思い出したあたしに、おじいさんは嬉しそうに握手をしてくれた。

「あああああ、あたしのほうこそ、うれしー♪」

あたしは握手している手をブンブンと振りながら、半ば叫んでいた。

「お・・・御願いです。助けてください。えええーっと、Help me!」

その言葉とあたしのすがるような瞳に、おじいさんは何か感じ取ってくれたのか優しく微笑んでくれた。

「Wait here until I get back」

そう言うと、おじいさんはあたしの側を離れて行った。

「えっと、ここで待っていろっていうことだよね・・・?」

今はこのおじいさんに頼るしか方法がないあたしはおとなしく待つことにした。
五分ほどで、おじいさんが誰か女の人を連れてあたしの側に来た。

「This is My wife」

そう言ってあたしに紹介してくれた。
Wife・・・っていうことは奥さん??
あたしはまた慌てて挨拶をした。

「な・・・Nice to meet you. My name is Mugi Suzuhara」

その上品そうな奥様はにっこりと微笑んでくれた。

「こんばんは、むぎ。何か困っていらっしゃるのかしら?」

「・・・・!?」

あたしは暫く放心状態になった。

「もう、安心してくれていいんですよ。私は日系二世で、日本語話せますから。主人のお客さまだそうですね。主人がぜひに助けてあげてくれと言ってます」

よかったぁぁぁぁぁぁぁ・・・・。
あたしはホッとして涙が出てきてしまった。
そんなあたしの肩を優しくおじいさんが撫でてくれていた。
そのご夫婦はあそこで古くからアンティークのお店を開いているウッドご夫妻だそうだ。
ここはたまにご夫婦で買い物に来るそうで、隅っこのイスに寂しそうに一人で座っている女の子がいるので気になって見たら、あたしだとすぐにわかったそうだ。
あの蝶のピンバッジには人を招く力があるんだとおじいさんが自慢げに言った。

奥様が公衆電話からホテルへと電話をかけてくれて、ホテルから一哉くんに連絡をとってくれてあたしのいる場所を伝えてくれるらしい。
あたしは心の底からこのご夫婦に感謝していた。









「・・・・どうだった一哉?」

「ああ・・・やはりダメだな」

「そりゃ、これだけの人の多さだし、狭いようで広いからな。世の中ってやつはね・・・」

「・・・・・仕方ない。警察に連絡をいれる」

「ああ・・・そうだね。大伯母さまにまで伝わらなきゃいいけど・・・」

「口止めさせとくさ・・・」

そう言って一哉が携帯を取り出した時だった。
一哉の目の前でそれが鳴り出した。
一哉がすぐに出る。
その様子をデヴィッドがジッと見つめる。
都会の明かりが一哉の蒼い顔に赤みが差したのを薄っすらと映し出した。

携帯をポケットへとしまいながら、一哉がホッとした声を出した。

「ホテルからだ。むぎの居場所がわかった」

「OH−! 間一髪セーフだ。で、どこにいるんだ?」

「ジャングル・BLEACHIという店だそうだ」

「Wow! ここから正反対の場所じゃないか・・・さすがはむぎだよ・・」

「・・知っているのか?」

「ああ・・・ここら辺の地図は網羅してあるのさ」

「いろいろな特技があるな、お前は」

「一哉ほどじゃないさ。さあ、僕の車で行こう。すぐそこに停めてある」

「ああ・・・頼む」

二人はデヴィッドの銀色の車に乗り込む。
一哉はやっとむぎを見つけた安心感に身体の力が抜けていくのを感じていた。








「本当にいいの? お迎えが来るまで私達がいたほうがいいんじゃない?」

「いいえ。ここに迎えに来てくれるってわかったんですからもう大丈夫です。これ以上お引止めできませんから・・」

「そう? それなら私たちはそろそろ行くけれど、またなにかあったら電話番号を教えておくから遠慮なくかけてくださいね」

そう言って番号を書いた紙を渡してくれた。

「はい。何から何までありがとうございました。このお礼はまた改めてお店のほうに伺いますので・・・」

あたしは何度も頭を下げた。
本当に助かった。

「いいえ、困ったときはお互いさまですよ。日本でも、ここアメリカでもね」

「はい。あたしも困った人がいたら助けてあげたいです」

奥様はあたしが言ったことをすぐにおじいさんに通訳してくれて、おじいさんも一緒になって微笑んでくれた。
そして、お別れの握手をしているときにおじいさんはまたあたしにこう言った。

『その蝶は人を呼ぶだけでなくて、愛も呼ぶんだよ・・・』

そして、あたしのほっぺにキスをしてくれた。

「Good luck」

あたしはいつまでも二人に手を振っていた。









「いたよ、一哉。あそこだ」

その声にあたしはイスから立ち上がった。
デイジーがすぐに駆け寄ってきてくれてあたしの手を握ってくれた。

「むぎ。心配したよー。一哉と二人であちこち探したんだよ」

「うん・・・ごめんね。心配かけちゃって・・・・」

「大丈夫かい? 寒くないかい?」

「う・・・うん。大丈夫」

一哉くんは静かにデイジーの後ろからあたしに近づいてきた。
あたしは少し怖くてなかなか一哉くんの目を見ることができなかった。

「・・・むぎ」

そこで初めて一哉くんの顔を見た。
一哉くんは少し笑っているみたいに見えて、あたしはホッとした。
そして、黙ってなにかをあたしに差し出した。
それは、あたしが一哉くんに投げつけた携帯電話だった。

「・・・お前、これを俺に投げつけて迷子になっててどうするんだ?」

「う・・うん。ごめんなさい」

あたしはそう言って一哉くんから携帯を受け取った。
・・・・と、その時。

・・・・チャリーン・・・・

一哉くんの身体から何かが床に落ちた音がした。
そして、それを見つけた一哉くんがしゃがんでそれを取ろうとした。

・・・・その時・・・・・・・



まるで・・・スローモーションのように・・・・

あたしの目の前で・・・・

一哉くんの身体から力が抜けて・・・

崩れるように倒れこんでいくのが・・・・・

見えた・・・・・





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第九話 「スローモーション」