翌朝、あたしは起きてきた一哉くんのスーツを真っ先に見た。
やはり、着けてはくれてないみたい・・・あーあ。
でも、仕事で行くのにあんなバッジつけていくわけがないか・・・。
まあ、仕方がない・・・。
あたしはその話題には触れないで一哉くんを送り出した。

「今日は買い物どーしよーかなぁ・・・・」

なんとなく気が乗らなかった。
まだ買い物に行かなくてもいいくらい、材料はあるにはある。
けれど、これは言葉の勉強も兼ねているのだから、部屋に閉じこもっていてはなんにもならないのだ。
そんなことを考えていた時に電話が鳴った。

「Hello」

「Oh,hello.It’s me」

「え・・・えっと、デイジー?」

「あはは、そうだよ。随分とすんなり出られるようになってきたね・・」

「あ、あはは。そうでもないよ。まだドキドキしてる」

「OK.OK.大丈夫だよ。ところで、今日はどうするの?」

「え? えっと、買い物行こうかと思っていたんだけど、あまり気乗りしなくて・・・」

「ふーーん。それじゃ、今日は僕と出かけないか?」

「え? いーの?」

一人で出かける気分じゃなかったから、丁度良かった。

「勿論、平気だから誘っているんだよ」

「うん、嬉しい。ありがと」

「OK.それじゃ、15分後にロビーで待ち合わせでいいかな?」

「うん」

あたしは急いで支度にかかった。
・・・・でも、一哉くんの友達とはいえ、二人で出かけてもいいかなー。でも、すでに何度か二人で出かけてるし、一哉くんも別に何も思ってないみたいだし、まっ、いいか。

今日もデイジーはかっこいい。
立っているだけで絵になる人って本当にいるんだなぁ。
ラ・プリンスのメンバー皆も立っているだけで絵になる人達だったけれど、この人はなんというか夢の中から出てきた・・・そんな雰囲気を感じさせる人だった。

「おまたせー」

「Hi.Mugi.今日も可愛いね」

「あ・・・ありがと」

ただの挨拶なのはわかっているけど、やっぱり気恥ずかしい。

「今日は僕のお薦めに連れて行ってあげたいんだけど。OK?」

「う・・うん。どこかな?」

「取り合えず、車に乗って」

「うん」

この間乗せてもらった銀色のオープンカーで街中を走り抜けていく。
こうやって風を受けて走るのって本当に気持ちがいい。
車の往来が激しいから、そんなにスピードは出せないけれど、それだけに風景がゆっくりと見られて楽しい。

そうこうするうちに車はどこかの駐車場に入っていく。

「どこなの?ここ」

あたしが聞くと、デイジーは楽しそうに答えてくれた。

「ここは美術館だよ」

「え? ここって美術館なの?」

大きなオフィスビルのような建物だ。その入口に『MOMA』と書かれた大きな旗がはためいているのが見える。

「ここには僕が好きな絵が展示されているんだ。」

「へぇぇぇぇぇ」

「君は美術に関してすごく詳しいらしいね」

「ええぇぇぇ?!」

その言葉に驚いたのはあたしのほうだ。

「?・・・一哉がそう言ってたよ。君は美術に関しては教師になれるくらい詳しいって・・。だから、僕の好きな絵を前に君と語れるのが楽しみだったんだけどな・・・」

一哉くんの・・・・・馬鹿!

う・・・ぅぅぅぅぅ。好きだけど、そんなに詳しいわけじゃないから・・・・

「まあ、取り合えず行こうか?」

「う・・・うん」

デイジーはあたしの様子を見て何か察したのか、またクスクスと笑っていた。

はあ・・・本当にすごい・・・。
建物自体がすでに芸術品って感じがする。

「・・・ここは1929年に近代美術専門の美術館を設立しようと、三人の夫人が設立して展示会を始めたのが発端なんだ。今では、10万点もの展示品がある」

「へぇぇぇぇ」

「・・・マティスの『ダンス』、ピカソの『アヴィニヨンの娘たち』、ゴッホの『月星夜』あたりが有名かな」

「デイジーって、詳しいんだね」

あたしはちょっと意外だった。

「ふふふ。昔からそういう環境にいたから・・・・・かな?」

「・・・・そういう環境?」

「さあ、僕の好きな絵はこれだよ・・・」

あたしの疑問には答えないでデイジーが連れていってくれた場所には・・・・。

「もしかして・・・これは・・・モネ?」

「Wow! さすがじゃないか。これはモネの『睡蓮』だよ」

どこかで見たことがある絵だった。一哉くんに教えてもらった美術書だったかな?

「モネの柔らかいタッチと、自然美が僕は好きでね」

あたしは絵に近寄ってじっくりと見てみる。
うーーーん、やっぱり本物ってすごいかも。
なんか胸に伝わってくるものがある。

「なかなかいい眼をして見ているね。一哉の言っていたこともあながち嘘じゃないじゃないか」

「え? そ・・・そうかな・・・」

「ふふふ。ここにはあとは、ダリやシャガールといった有名な絵もあるよ。本物を見れば見るほど目は肥えていくから、勉強になると思うよ」

「うん」

あたしはとても楽しくなって、あちこち見て回った。


さすがにアメリカの有名美術館。見て回るだけで一日が終わっていく。
帰路の車に乗っている頃には、すでに夕焼け空だった。

アメリカの夕焼けも日本の夕焼けと変わらないなぁ・・・・。
そんな当たり前なことを考えていたとき、デイジーが言った。

「実はね、今日君を連れ出したのも、一哉に頼まれたんだよ」

「え? 」

赤い夕日を顔に受けながら、少し眩しそうな顔をして運転しているデイジーだ。

「今朝電話がかかってきてね。彼女は一人にしておくと何を仕出かすかわからないから、面倒を見てやって欲しいって・・。本当は自分が側にいて見張っていたいけれど、当分は無理そうだから君に頼むってさ・・」

「一哉くんってば、そんなにあたしのこと信用ないのかなぁ・・・。一人で買い物だって行けるようになったのに・・・」

「ふふふ。ねぇ、むぎ。彼が僕に頼むなんて言ったの今回が初めてなんだよ」

「え?」

「あれだけのパーフェクト人間なんてそういるもんじゃない。そんな彼が僕に頼みごとさ。空港へ迎えに行く時も、言葉は悪く言ってるけど瞳は真剣そのものだったよ。君が心配で仕方ないんだね・・」

「う・・・うん」

そう・・・それが一哉くんの優しさなんだとわかっている。
でも、やっぱりもうちょっと信頼してほしいなぁとも思っちゃう・・・。

「・・・・・妬けるね」

「え?」

「ふふふふ・・・」

最近、デイジーはたまにこういうよくわからないことを言うようになった。
そして、あたしが追求しようとしても教えてはくれない。
言っている意味が、段々と予想できるようになってきたけれど・・・まさかね・・・。

「さあ、暗くなる前に帰ろうか・・。道路も少し空いてきたし・・・飛ばすよ」

そう言うなり、デイジーはアクセルを踏み込んだ。






「んもーー一哉くんってば、あんまりデイジーに変なこと言わないでよね」

「変なことなど言った覚えはないぞ・・・」

今日もまがりなりにも早いとは言えない時間に帰ってきた一哉くんに、コーヒーを煎れながらあたしは抗議した。

「だって、美術は教師ができるくらい詳しいぞ・・・なんてー」

「実際お前は教師をしてただろーが・・・。俺があれだけ教えてやったんだ、詳しくて当たり前だ、馬鹿」

「ぶーーーーー」

あたしはまた頬を膨らませる。
最近はよくこの顔をするようになったあたしだ。

「それで? 美術館に行ってどうだったんだ?」

「うん。すっごく楽しかった。さすがはアメリカだよねぇ・・・。建物自体もスケールが違うし、美術書でしか見たことない絵もたくさんあった。今までそれほど感心のなかった絵に、こんなに興味もてるなんてなんだか不思議な気がするー」

「適応能力の高さはお前の利点だからな・・・」

え・・・それって誉め言葉かな・・・・。
あたしは思わず一哉くんの顔をまじまじと眺めた。

「・・・・なんだ?」

「う・・・ううん。なんでもない」

あたしは話題を変えた。

「ねえ、デイジーって、なんだか依織くんに似ていると思わない? 」

「・・・・外見の雰囲気は似ている部分がありそうだが・・・性格は違うな」

「えーーー。なんかハッキリ物を言ってくれないところなんて、似てるみたいだけど・・・?」

「ハッキリ言わない? 俺は付き合い長いがそんなところは感じないが・・。何か言われているのか?」

「え・・・うーーーん、だからハッキリ言ってくれないからわからないんだよ。聞いても答えてくれないし・・」

「なんて言われたんだ?」

「そ・・それは・・」

一哉くんに言えるわけないじゃない・・・誤解されちゃ困るし・・・。

「ふーん、まあ、いい」

「あ、こんなこと言ってたかな。一哉くんはどこでもビジネスマンの顔してるって。自分にもそんな顔しているから、なんか寂しかった見たいなこと言ってた」

「あと、いろんな女の人連れて歩いていたってさ・・・・」

その部分だけ、強調して言ってやった。

「お前・・・・まさか、まだ根に持ってるわけじゃないだろうな?」

「やだなぁ・・・根に持ってるだなんて言い方・・。ただ、デイジーがそう言ってたって言っただけだよ」

「・・・実際ビジネス感覚で付き合っていたんだから仕方ないさ」

「・・・? 女の人と?」

「ああ・・・以前に言ったとおりだ。そして、今はそんなことしていないし、出来ないって言っただろ?」

「う・・・うん。わかってるよ」

あたしは半分冗談のつもりだったのに、一哉くんは真面目に答えてくれたのでちょっとびびっちゃった。

「デヴィッドにはそんなつもりはなかったが、そう言ったふうに思われるのは、ある意味仕方のないことかもしれないな。俺はそういうふうに育てられてきたから・・・」

「・・・・・・」

「外にいるときは自然と仕事の顔になってしまう。学園でも同じだ。生徒会長としての顔。生徒としての顔。ある意味みんな俺にとっては仕事だ」

「でも、家にいるときは意地悪な素の一哉くんでしょ?」

「ああ・・・そうだな。家の中にまで仕事の顔を持っていくことはなかったからだろうな。だから、同じ家に住んでいたお前たちには、素のままの俺でいられたんだろう」

「・・・・ふーん」

「そう言った意味では、松川さんと俺とではえらく違う」

「依織くんと?」

「・・・ああ。あの人は自分自身そのものを覆い隠してしまう。だから、どこにいても表面的だった。たとえ、家の中の俺たちにさえもだ。・・・そうだっだろ?」

「・・・うん、そうだね」

「それがお前が来たことにより、崩れたんだ」

「・・・あたしのせい?」

「そうだ。松川さんも変わり、この俺も変わった。こっちに来た時もいろいろと言われたぜ。デヴィッドも言ってたんじゃないのか?」

「うん・・・言ってた」

「・・・デヴィッドは見たところ、つかみ所がハッキリしていなくて松川さんに似た感じだが、あいつは自分の感情に素直に行動している・・」

「へえ・・」

「そういったところで俺とやつは気があっているというのかな・・・」

「・・・そうなんだ」

あの優しい笑顔の裏にある素直な感情ってどんななんだろう。
まだ出会って数日しかたっていないけれど、あたし自身デイジーがどんな人なんだろうとある種の興味があった。

「さてと、そろそろ俺は寝るぞ」

「あ・・・うん。遅くまでつき合わせちゃってごめんね」

「いや。お前のわけのわからん一日を聞かされるだけで、大爆笑だからな。いい気休めだ」

「なによーーー。一哉くんに笑われるためにあたしはここまで来たんじゃないんだからねーーー」

「・・・・・・」

え?
ちょっと・・・急に真顔にならないでよ・・・一哉くん・・・。

「・・・・・お前・・・・・」

「・・・え?」

「いや・・・なんでもない」

一哉くんはそのまま自分の寝室へと入ってしまった。
・・・・・なにが言いたかったんだろう・・・。
ちょっと気にはなったけど、まだあたしはそれほど深刻に考えてはいなかった。




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第四話 「一哉とデヴィッド」