部屋まで荷物を持ってきてくれたデイジーに丁寧にお礼を言って別れた。
毎日帰りが遅くて、一緒に夕食をとることは困難だから材料のほとんどは朝食用だけれど、これであたしもいちいちルームサービスを頼んだりしなくても食事はできる。
やはり、生活というものは自分でいろいろとやっていくほうが楽しい。
あたしは旅行で来たつもりじゃないから・・・。

幸い冷蔵庫もあったので、材料はそこに仕舞う。
キッチンも広くて使いやすそうだ。


あたしのお城が再び活気付くのを感じて、嬉しくなった。
今夜からだって、夜食くらいなら作ってあげられる。
一哉くんが帰ってくるのが楽しみだ・・・。



夜になって、簡単に夕食を作って食べて、お風呂も入ってリビングで英会話の勉強の続きをすることにした。
今日、デイジーに教わったことを復習してみる。
さっそく明日から買い物に出かけるためだ。
そのうち、スーパーだけではなくていろいろな買い物もしてみたい。
本当は一哉くんについていて欲しいけれど、忙しい一哉くんに迷惑はかけたくない。
そして、一哉くんの少しでも役に立てるように・・・なりたい。

しかし・・・・だめだ。
一人でやっていると・・・・・つい、うとうととしてくる。
静かだからかと思って、テレビもつけてみたけど、訳のわからない英語が段々と子守唄のように聞こえてきて・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・









「・・・・・結局、またこんな時間か・・・・ふう」

腕時計に目を向けながら、一哉はため息をついた。
少しでも早く帰ろうと、仕事にいつも以上にめりはりをつけて処理していたのだが、次から次へと組み込まれていく仕事に翻弄されてしまう。

やりがいはある。
日本での遠回しの仕事に比べたら、直接の現場での仕事ほどやりがいのあるものはない。
疲れた体で帰ってきても、その充実した疲れ自体が心地よく感じられたりもする。
しかし、今は・・・・・・。

一哉は鍵を開けて、部屋に入る。
誰も出てくる様子はない・・・。

「・・・・・やはりか・・・・」

期待はしていなかったが、楽しみにしていた自分がいた。

リビングへと足を入れると、そこには英会話の本とノートの上に突っ伏したまま寝ている恋人がいた。

「・・・ふ。お前も頑張っていたか・・・」

それだけで、ふっと自分の疲れが癒された気がした。

「それにしても、いくら時差ボケだといっても今は日本は昼間だぞ。夕べも熟睡したくせになんでまた爆睡できるんだ?」

そんなことを呟きながら、スーツの上着を脱ぎ、ネクタイをはずす。

突っ伏しているむぎの頬から髪をすくう。
それでもむぎは起きない。

「相変らず、無防備なやつ・・・」

一哉はむぎを抱え上げた。

そのまま、むぎの寝室まで運ぶ。

静かにむぎをベッドに横たえて、優しく上掛けを肩までかけてやる。

「・・・・・ふう。もう、俺のベッドに寝かせるのは無理だからな。自制がそろそろきかなくなりそうなんだぜ、ふん」

「・・・・おやすみ」

一哉は昨夜のようにむぎの額にキスをすると、そのまま寝室を後にする。

「俺が爆睡できるのはいつのことになるやら・・・だな」

一哉は苦笑しながらバスルームへと向かった。





「う・・・・・ん」

眩しい光にあたしが目を覚ますと、そこは煌びやかな天井が見える場所。
いつのまにか、ベッドに寝て布団もかかっている。
自分でベッドに来た記憶はない。
・・・・・と言うことは・・・・。

またやっちゃったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ

今度こそ一哉くんが帰ってくるまで待って、おかえりって言って、夜食も作ってあげようと思ったのに・・・・。
自分のふがいなさに涙が出てきそうになる。

しかし、すぐに気を取り直すと慌てて時計を見た。

ホッまだ早朝だ。
一哉くんが起きてくるにはまだ時間がある。
・・・にしても、きっと一哉くんがここまで運んでくれたんだろう。
疲れた体で帰ってきたのに、申し訳ない・・・。

と・・言う事で、あたしは急いで着替えて、朝食の準備をする。
久し振りのあたしの作る和食の朝食。
一哉くんに食べてもらえることが嬉しい。

さすがはあたし。
野菜とかちょっと種類違うけれど、お味噌もお醤油もあるからちゃんと和食になる。
出来上がりも近くなって、そろそろ一哉くんを起こしに行こうかと考えていたら・・・。

「・・・・どうしたんだ、これ?」

「か・・・・一哉くん。お、おはよう」

「・・・ああ。和食か・・・」

「うん! すぐに出来るから顔洗って待っててよ」

「・・・ああ。しかし、この材料どうしたんだ?」

「食べながら話すよ。いいから、早く支度してきて!」

「・・・・・・」

納得いかないような顔をしながらも、一哉くんは支度をしに向かった。


「いただきます!」

一哉くんと向かい合わせにする食卓。
一年ぶりだ・・・。

「どう? ちょっと野菜とかお魚とか日本のと違うっぽいけどなかなかでしょ?」

「・・・ああ。ところで、さっきの質問に答えろ。あと、ルームサービスはどうした?」

「えっと、材料は昨日昼間のうちに買い物に行ってきたの。ルームサービスはデイジーさんに頼んで断ってもらった」

「・・・なるほど。昨日もデヴィッドに買い物に付き合わせたのか」

「う・・・うん。でも、今日からは一人で行ってくる。ちゃんといろいろと教えてもらったし、道も覚えた。」

「・・・ふう。俺としてはなにかやらかさないか不安で仕方がないんだが・・。どうせ止めても無駄なんだろう?」

「うん。大丈夫だよ。昨日一日で随分自信ついたんだから・・・。アメリカって言ったって同じ人の住む町じゃん。
なんとかなるから心配しないで平気! それになんにもしないでいてもつまらないし・・」

「ああ・・・そうだな。部屋に閉じこもっていろとも言えないし、俺もこれから毎日お前の美味い食事が食べれるのなら、言う事はない」

「え・・・?」

それって、あたしの食事が食べれて嬉しいってこと・・・だよね?
良かった・・・・。
あたしは思わずニッコリと笑っていた。

いっ、いたタタタタタタタタタターーーーーー

急にほっぺが痛くなった。
それは・・・一哉くんがあたしのほっぺをつねっていたからだ。

「な・・・・ふぁにすんのーーーー?」

「いや・・・・・夢だと思っているんじゃないかと思ってな」

「んもーーーーー。それなら自分でつねるよ」

「そうか・・・それは悪かったな」

これはきっと一哉くんの照れ隠しなんだってわかってるけど・・・・相変らず素直じゃないな・・。

「今日も遅いの?」

「・・・・今夜はわからないな」

「ふーーん。今夜こそ、待ってるから・・」

「もう、期待もしてないぜ」

「うぅぅぅぅぅ。ごめん」

「ふっ、嘘だよ。無理することはない、俺はお前のよだれをたらした寝顔を見ているだけで癒されてるぜ」

「え? よだれ!? うそっ」

思わずあたしは手で口元を拭っていた

一哉くんは笑いながら席を立っていく。

「ごちそうさん。じゃ、行って来る」

「う・・・うん」

あたしも慌てて席を立つと、ドアまで一哉くんを送っていった。

「それから、これを渡しておく」

「なに?・・・・お金?」

「食材費だ。お前、自分の金で買ってきたんだろ?」

「あ・・・うん。でも、それくらいあたしが出しても・・・」

「俺が食べる食材なんだから、俺が払って当たり前だろう? それにしっかりと通貨の計算も勉強しておけよ。それから、あまり現金は持ち歩くな・・・」

「う・・・うん。ありがと。心配かけてごめんね・・」

「じゃあな」

そう言ってあたしにお金を握らせて一哉くんは出て行った。

やっぱり一哉くんは優しい。
普段の憎たらしい口ぶりに本気でむかつくとこもあるけど、それでもいつもちゃんとあたしを見てくれているのがわかるから安心していられる・・・・んだけど・・・。
それにしても、ほんとに毎日忙しそうだな・・・。
文句は言わない約束だし、あたしのことは良いけれど、一哉くんのことが心配。
せめて美味しい物でも食べさせてあげるくらいしか、今のあたしにはしてあげれることがない。

ということで、早速買い物、買い物。

スーパーでの買い物は簡単だった。
なにせ、篭に入れていって清算すればいいのは日本も同じだ。
お金の計算だけ間違えないように注意すればいい。
あとは品物の中身を間違えないようにするくらいかな・・・・。

ちょっと自信がついてスーパーから出てきたあたしは、ふと、思いついた。

初めてのお買い物記念に一哉くんに何か買っていこうということだ。
勿論、スーパーじゃなくて普通のお店で・・・。
黙って買うことも出来ないだろうから、英語を話すことになる。
そうやって買い物も出来るって知れば一哉くんも安心してくれるだろう。

・・・・さて、問題はどこで何を買うか・・・だ。

覚えた道から遠く離れないように気をつけながら店を捜してみる。

「あ・・・」

途中で綺麗な小物が置いてある店を見つけた。
店内に入ってみると、どうやらアンティークな品物を置いてあるようだ。

「May I help you?」

そう言って優しそうな白髪のおじいさんがニコニコして近寄ってきた。
あたしはちょっとビクっとしたけど、それでもにっこり笑ってみる。
そのまま品物を見ていたら、ペアになっている綺麗な物を見つけた。
手に取って見ると、それは蝶の羽を抽象的なデザインで模っている。
丁度半分に別れていて、合わせると一匹の蝶の形になるらしい。

「へえ・・・綺麗」

あたしがそう呟いていると、おじいさんが側に寄ってきてそれを身振り手振りを交えて説明してくれた。
どうやら、あたしが英語があまり得意でないことがすぐにわかったらしい。
あたしがわかった説明によると、それはピンバッジらしい。
後ろにそれぞれピンがついていて、服に差し込んで止められるようになっている。
そして、素敵だったのがその羽が開くようになっていて、下に小さいけれど写真がいれられるようになっているのだった。そう、ロケット式になっているアンティークのピンパッジだった。
それを見てあたしは決めた。

「I’ll take this one.Please wrap it.」

「Thank you very much.」

やった・・・素敵なもの買えた・・・。
小さなことだったけれど、あたしはとても嬉しかった。




その夜も、決して早い時間に帰ってこれたわけではなかった。

「暫くはむぎにかまってやることは出来そうにもないな・・・」

わかっていたこととは言え、努力してもどうにもならないことに苛立ちを感じ始めていた一哉だった。

ガチャリ・・・。
ドアを開ける。
しかし、また室内は静かである。

「・・ふ」

むぎに対する笑いではない。
せっかく自分を追いかけて海外にまで来てくれた恋人に、何一つしてあげることの出来ない自分への笑いであった。

そのままリビングへと足を延ばそうとしたとたんに、背中から抱きつかれた。
咄嗟に身を翻す。

「おかえり、一哉くん」

そこには笑顔で出迎えてくれた恋人がいた。
思わず抱きしめようとしたが、先程の自分への苛立ちが反響して返ってきて動けなかった。

「ああ・・・ただいま。進歩したようだな・・」

「うふふ。やっと、おかえりって言えた。今日はいろいろと嬉しいことがあって、興奮してて眠くならなくて・・」

そう明るく言うむぎに一哉も思わず笑う。

「極端なやつだな・・・お前」

「まあ、いいから。疲れたでしょ?お風呂入ってくれば? その間にお腹すいてたら何か作るけど?」

「いや、腹は減っていない。コーヒーだけ煎れておいてくれ」

「はーーい」

帰ってきて、むぎがいる。
それだけで十分に癒されることがわかってしまう一哉にとって、いずれは日本に帰さなければならないだろうと思うこと自体が恐ろしくなってくる自分に驚いていた。

風呂から上がると、むぎはコーヒーをリビングに運びながら早速一哉に話しかける。

「ねえねえ、今日はちゃんと一人で買い物行ってきたんだよ?」

「・・・ほう」

「・・・・んもう、それだけ?」

「・・・それだけって・・。お前、出来て当たり前なことなんだぞ、馬鹿」

「・・・・ふん。あたしには大変なことだったの!」

「それは大変だったな」

「んもーーー」

こうして一日の終わりにむぎの話を聞いてやるくらいしか出来ないが、今は自分がこうしているのが楽しいのがわかる。

「それでね・・・・これ」

むぎは小さい箱を一哉の目の前に置く。

「なんだ?」

「初めてお買い物出来ました記念品」

「・・・? なんだそれは」

「だから、初めてアメリカで一人で買い物できました記念に一哉くんにプレゼント。勿論、あたしのお金で買ったからね」

「・・・・お前」

むぎの健気な可愛さに一哉はある種の感動を覚えながらも、素直に喜べないでいた。
それは何度も沸き起こっている自責の念であった。

「ね・・・開けてみて」

一哉は黙って包みを開いていく。
中から出てきたのは、蝶の羽を模ったらしい美しいピンバッジだ。
しかし、片方の羽しかない・・・。

「ほら、お揃いなんだよ?」

むぎが自分のシャツの胸元を大げさに指差す。
むぎの胸元を飾っているのは右側の羽部分。色は赤系。
一哉の手元にあるのは左側の羽部分。色は青系。
二つ合わせて、一匹の蝶の羽の形になる。

「綺麗でしょ? あとこれにはもう一つ秘密があるの」

「・・・・秘密?」

「その羽は蓋になってるんだ。ちょっと開けるの大変だけど開けてみて」

確かによく見ると、羽の部分が二層になっており、開けられるようになっている。
一哉が開けてみると、中には何もない。

「そこには写真が入れられるんだよ、ほらっ」

むぎは自分のバッジを外すと、中を開けてみせる。
そこには、以前一哉がアメリカに立つ前に、むぎと出かけた時に一緒に撮った二人の写真が入っていた。

「・・・・・・・俺にもいれておけってことか?」

「・・・う、うん。でも気が向いたらで・・いいよ」

「・・・・・考えておく」

その一哉の返事に、むぎはちょっと頬を膨らました。

「それじゃ、俺は寝るぞ」

「う・・・うん。おやすみなさい」


気に入らなかったのかな・・・・・・なんか冷たいよ・・・一哉くん・・。
ちぇ・・・・・・せっかく喜んでもらえるかと思ったのに・・・・。
仕事で疲れて帰ってきたのに、ちょっとはしゃぎ過ぎちゃったのかな・・・。
はーあ・・・・・落ち込み・・・・。

あたしは飲み終わったカップを片付けると、自分の寝室へ戻った。



一哉は一人自分の部屋で先程むぎからもらったピンバッジを眺めている。
素直に喜んでやれなかったことに、更なる自責を感じながらもどうにもならない自分がいた。

やがて、一哉はベッドサイドの引き出しを開けてみる。
そこには、先程のむぎが見せたのと同じ写真が写真立てに入った状態であった。





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第三話 「赤い蝶 青い蝶」