一哉は仕事へと向かう車の中で一人笑う。
夕べのこと、今朝のむぎとのやりとりを思い出してはクククと幸せそうに笑っている。
運転手も秘書も主人の個人的なことには干渉しない。
にしても、普段のクールな主人とはえらい違いの様子に若干気にしている風である。

それに構わず、一哉は思い起こす。

期待はしていなかったが、一哉はむぎとの一年ぶりの再会が劇的なものになることを少しは望んでいた。
ドアを開けたとたんに、むぎの明るい笑顔が自分の胸の中に飛び込んできてくれることを・・・。
そうしたら、熱く口づけて、そのままベッドヘ直行しようとまで考えていた。
しかし・・・現実は・・・・。

よだれをたらしそうな勢いで、自分のベッドで爆睡している恋人の姿を見たのだった・・・。

半ば呆れながら彼女に近づくと、なぜか彼女は自分の上着を抱きしめている。
皺が寄らないようにきちんとハンガーにかけてあったはずなのだが、今や、むぎの体の下になり、更に皺がよってしまっていた。
自分を思って抱きしめていたのか・・・。
そんな可愛いむぎの仕草に、愛しさが溢れてくる。
そっと、上着を取り出すと、再びハンガーへとかける。
そしてまたむぎに近づくと彼女の額に手を当てる。
すでにアメリカの季節は肌寒い季節だ。
外から帰って来たばかりの自分の手はまだ冷たい。
かすかに反応した彼女に囁いてみる。

「・・・むぎ」

彼女は薄く眼を開けると、微笑みながら両腕を伸ばしてきた。
まるで、自分を誘うように・・・。
一哉は微笑むと顔を近づけていく。
すると、むぎの両腕は自分の首に巻きつき、そのまま抱き締めてきた。

「・・・おかえり、一哉くん」

「ああ・・・ただいま」

その瞬間、やっとむぎの元に帰ってきた気がした。
この一年というもの、むぎだけではなく自分だってどれほど彼女に逢いたかったことか・・。
逢って力の限り抱き締めたいと、どれだけ願っていたか・・・。
しかし、仕事を途中で投げ出して恋人の元に走るなど、御堂家次期当主としては絶対にしてはならないことであった。
そして、そう教育されてきた一哉にとって、やりたくても出来ないことだった。
だから、むぎがアメリカに来たいと言ったとき、どれだけ嬉しかったことか・・・。
もしかしたら、そのまま日本に帰せなくなるかもしれない・・・。
そんな思いで彼女の到着を待っていたのだ・・・。
そして、今、彼女は自分を抱き締めてくれた。

・・・が、抱きしめたまま彼女は動かない・・・。

「・・・・? むぎ?」

反応はない。

「・・・・また爆睡かよ」

一気に気がそがれた一哉は、どっと力が抜けた。

「ふっ・・・まったくお前らしいよ・・・」

せっかく逢えた恋人をまた離す気にはならない。
自ら自分のベッドに潜り込んでくれたのだから、このまま一緒に寝ることにした。
むぎの体を動かして、下に敷かれていたかけ布団をむぎにかける。
こんなに動かしているのに、むぎは目覚めない・・。

そのまま一哉はバスルームへと向かった。

風呂から出ると、いつものように下半身だけパジャマを着た恰好で一哉はむぎの隣に潜り込んだ。

そのままむぎの寝顔を眺める。

「人の気も知らないで呑気に熟睡してやがって・・・。俺はこれから睡眠不足が続きそうだな・・・」

そう呟くと、むぎの額にキスして一哉は眼を閉じた。


・・・で、朝、起きてからの二人の会話があれであった。

男の朝の生理現象について想像も出来ないほどの無垢な恋人と、これからの毎夜をどう過ごしていこうか考えると、多少頭の痛いことではあるが、それでも帰ればむぎがいてくれることを思うと、そんなことは些細なことに思えるのであった。

(・・とにかく、なるべく早く帰れるように仕事を片付けていこう・・)

無駄な時間は過ごさない一哉ではあるが、より一層効率よく仕事へ取り組む意欲にかきたてられていた。

「おい、急げ!」

運転手は主人に追い立てられ、慌ててアクセルを踏み込む。
秘書もまた、大変な日々になるであろう。

そんな出勤風景であるが、一哉の傍らにはむぎに言われたとおりに、食べかけの朝食用のパンが置かれていた。








一方、朝食を終えたむぎは、そんな一哉の苦悩の夜があったこととは露とも知らず・・・・。


あーあーあーあー暇だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ


と、退屈していた。

掃除しようにもホテルなんだから、掃除するとこもないし・・・・。
洗濯したくても洗濯機はここにないし・・・。
外にでるにしても、言葉もわからなきゃ地理にもうとい。
英語の勉強しようにも、会話というものは相手がいないと成り立たない訳で、一人で本読んでても効率が上がるとも思えない。

うーーん・・・一哉くんは今夜も遅いというし・・・。
それまであたしは、一体何をしていればいいのだ・・・・。

それに、朝食は一哉くんのために自動的に運んできてくれるらしいけど、それ以外は自分で頼まなくちゃならない・・・ということは英語をしゃべらなくちゃなんなーーーーい。
はぁぁぁぁぁぁ。
結局、一哉くんがいないとなんにもできないじゃん・・・あたし。

せっかく一哉くんの側にいるんだから、やはり彼のために何かしてあげたい。

うーーーーーーーーーーん

あたしは外を眺めながら腕組みをして考える。

「そうよ! めげてはいられない。わからなければ聞けばいい。知らなければ覚えればいい!!
鈴原むぎさまは前進あるのみです!」




・・・・と、思い立って来たのは50階。

結局、昨日お世話になったデヴィッドに頼ることにした。
あたしに付き合ってくれる時間があるかどうかはわからないけれど、取り合えず聞いてみることにした。

「えっと・・・50022・・・・」

ルームナンバーを見つけて、チャイムを押した。
暫くしてデヴィッドが顔を出してくれたけど、どうやらまだ寝てたみたいだった。
しかも・・・上半身裸・・・。
あたしはちょっと慌てて下を向いてしまった。
御堂家では、男四人の裸なんて見慣れてたけど、やはり違う人だと緊張してしまう。

「ああ・・・むぎか。Sorry,僕は朝寝坊なんだ」

「あ・・いえいえ。あたしがいきなり来てしまって、ごめんなさい」

「で・・・・なにか用かな?」

「えっと・・・ちょっと御願いがあって・・・」

「そっか・・・じゃあ、支度するからちょっと部屋で待っててもらえるかな? 支度できたら部屋に電話するよ。電話のやり方も覚えておいたほうがいいだろ?」

そこで彼は少し笑ったようだ・・・。

う・・・電話すればよかったか・・・でも、いきなり英語ででられたらパニック起こしそうだったんだもん・・・・。

「うん・・・」

「ごめんね、まさか君を男一人の部屋にいれるわけにもいかないだろう。一哉に殺されたくないからね」

そういってデヴィッドはウインクして見せた。

「え・・・・いえいえ。どーぞお気遣いなく・・・」

思わず動揺して変な日本語をしゃべってしまったと、言ったあとで気づいた。
デヴィッドはまた楽しそうに笑うとドアを閉めた。

うううううううううううううう・・・・また自己嫌悪・・・。

仕方ない。おとなしく部屋で待つことにする。
30分ほどたった頃、部屋の電話が鳴った。
あたしは慌てて電話にでる。

「は・・・ハロー」

「Oh-,Hello」

ひーーー、ちょっと、ビビる。

「・・・ふふふ。大丈夫だよ。ちゃんと通じてる」

「はあ・・・ありがと」

「それで、御願いってなにかな?」

「あ・・・えっと。ちょっと買い物に行きたいんだけど、できたら付き合ってもらいたくて・・。後、いろいろと教えてもらえたら助かるなーって・・。あ、でも忙しいならいいです。お仕事とかあったら申し訳ないし・・・」

「ああ・・・僕はわりと自由な仕事だから、平気だよ。OK。じゃあ、10分後にホテルのロビーで待ち合わせしよう」

「あ・・・ありがとう」

あたしは電話を切ると、また復活した。
よーーーーし、頑張るぞーーー。

10分後にロビーに行くと、デヴィッドはすでに来ていた。
サングラスをかけて、とても目立っている。
通り過ぎていく女の人がみんな振り返る。

すごいなぁ・・・思わずそんな様子に見とれてしまう。
あ・・・いかんいかん。

「ごめんなさい。お待たせしました」

あたしはペコリと頭を下げた。

「いえいえ、どういたしまして。レディーを待たせるわけにはいかないですよ」

あたしは少しホッとした。

「それで? なにを買いたいの?」

「えっとね、食料品を買いたいの。それも出来たら和食の材料・・・」

「うーん、そうだね。今はこっちも和食がブームだから大きいスーパーへ行けば十分あるだろうけど、でも、どうして? 
ホテルの食事じゃだめなのかな?それとももうホームシック?」

「ううん、そうじゃないけど。あたしね、日本では一哉くんの家で家政婦していたの。だから、せめて食事だけでも作ってあげたくて・・・」

「へぇー。家政婦さんか・・・。それで一哉のハートを射止めたんだ・・・」

「えーと、まあ、いろいろとありまして・・・・」

「ふーん。まあ、いいよ。じゃ、行こうか? 僕の車でいく?」

「あ・・・ううん。出来れば歩いて行けるところにないかな?」

「うーん、10分くらいのところにあるかな? でもどうして?荷物大変じゃない?」

「あ・・・そうだけど、一人でも行けるように道覚えたいから・・・」

「へえー。君は努力家なんだね。よし、じゃあ、買い物講義と行きますか。勿論僕がたくさん荷物持ってあげるから心配しないで買い物してくれていいよ」

「うん、ありがと」

あたしたちは、並んで歩き出した。
町行く人はみな外国人・・ていうか、ここではあたしのほうが外国人。
奇妙な感じだったけど、とても新鮮で楽しい刺激だった。

スーパーについてデヴィッドは、いろいろと教えてくれた。
品物について、お金の計算について、言葉について・・・。
これなら、なんとか一人でも買い物に来れそうな気がしてきた。

お昼はシャレたカフェに入った。
そこでも、いろいろと教わる。

「ねぇ、デヴィッドってお仕事なにしてるの?」

「あれ? 一哉は言ってなかった? 僕はモデルやってるんだよ」

「へぇぇぇぇ・・・納得。とても綺麗だものね」

「あははは。女の子に綺麗って言われるのもどーもね・・・」

「・・そうかな?」

「まあ、よく言われるけれどね・・・」

「ふーん」

「だから、仕事の入っていない今は自由なんだよ。また何かあったら喜んでお手伝いするよ」

「あ・・・ありがとう」

デヴィッドって本当にいい人だなぁ・・・。
あたしは心からこの素敵な人に感謝していた。

「それで・・・君は一哉と夕べは素敵な夜を過ごしたのかい?」

「え? ううん。あたし、寝ちゃってた・・・」

「・・・・一年ぶりの再会の夜なのに?」

「う・・・ん・・・。いつのまにかぐっすり・・・」

「あはははは。さすがは君だね・・」

「う・・・どういう意味ですか?」

あたしはちょっと、むっとした。

「・・・誉めているんだよ?」

「・・・・・そうですか?」

「うん・・・そう」

なんだかこの人って・・・雰囲気が依織くんに似ている気がする。
なんだろう・・・・女の子慣れしているところ?
ううん・・それだけじゃなくて・・・・。
その優しそうな笑顔の奧にある何かの影?

・・・依織くん・・・。
今頃どうしているのかな?
あたしが一哉くんとつきあっているって知ってても、あたしのことが好きだって言ってくれた。
あたしが断った後も、変わらず優しくて、いつも心配してくれていた。
どこか救いを求めるような・・そんな瞳をしながら・・・。

「一哉は、君に優しい?」

突然とデイジーはあたしにそんなことを聞いてきた。

「え・・・ええと。そーでもないかなー。いつも意地悪ばかり言ってるよ。一年ぶりに逢ってもあんまり変わってないみたい・・・。今朝も言い合ってきたし・・・」

「へえー。あの一哉がね・・・」

「・・・どうして?」

「ん? 僕が知ってる一哉は、いつも女性には優しいよ。よくこっちでもいろんな女性を連れて歩いていた時期もあったけど、でも、どこか表面的だったな」

一哉くんがモテるのはあたしも知ってる。
でも、いろんな女の人を連れて歩いていたなんて聞いていい気はしない。
あたしは膨れた頬を隠すように飲み物に手をだす。

「一哉はどこへ行っても、どんな女性連れていてもどこかビジネスマンの顔をしていたよ。まるで仕事でやっているんだみたいな感じ・・かな。だから、みんなに優しいし、穏やかに接しているように見えた。だからかな。ああ・・・好きじゃないんだなって感じていたよ。僕も似たようなところがあるから、わかっていた」

「ただ、友達である僕にも、そんなビジネスマンの顔をなかなか取ってくれなくてねぇ。でも、久し振りに会った今の一哉は違っていた。なにが彼を変えたんだろうって思っていたところへ、君の存在を聞かされたわけ・・」

「・・・そ、そう?」

「うん・・そう。僕は驚いたよ。そして、彼が君に対しては素で接しているんだって、今わかって更に驚いたとこ・・・」

「・・・・・・」

「・・・・・・・・そして、彼を変えた君に僕は興味があるよ」

「・・・え?」

「ふふふふ。さて、そろそろ行こうか?」

「あ・・・・う、うん」

なんか、あたしに興味があるって言った?
聞こうとしたら、はぐらかすようにさっさか席を立ってしまったデイジー。
それにしても、あたしが一哉くんを変えた?
あたしにはまったくわかんないけど、そう言われるとやっぱり嬉しかった。

両手に荷物を持ってくれているデイジーが、あたしに歩幅を合わせてゆっくりと歩いてくれる。
デイジーもさぞ女の子にモテるんだろうなと思う。
そして、この人も女の子をとっかえひっかえしていたのかな?
・・・・依織くんも瀬伊くんも・・・・そして一哉くんも・・・。
今はみんな違うとは言え、・・・・まったく男ってやつは!
思い出して、あたしは腹が立ってしまった。

「・・・なんか怒った顔しているね? 変な話聞かせてしまったかな?」

「あ・・・ううん。なんでもない」

「クス。ならいいけど。 あと、忠告しておくけれど、一人で買い物するなら夕方には帰るようにして。ここは安全なほうだけれど、まだまだ夜になると女の子一人は危険だ。日本のようにはいかないから」

「う・・・うん」

そう。ここはアメリカなんだ。
少しでも一哉くんのために、あたしがしてあげられることをしてあげよう。
大好きな彼のためなんだから!

あたしは急に足早になると、デイジーを抜く勢いで歩き出していた。
デイジーは一瞬、驚いた顔をしていたけれど、またおもしろそうに笑いながら後をついてきていた。



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第二話 「ここはアメリカ」