【 人形の夢4 】

 大地の揺り籠、侵入者を隔てる門の前であの男はこう言った。
 全てに決着を付ける前に。
 己が身を案じた友の言葉さえ払い除け。
 烈火の気迫がぶつかり合い、空気が震えるほんの少し前。
 其れは少し、自嘲にも似ていた様な気がする。
『やはり、今の俺はお前の写し身……守るべきものも同じか』
『俺とお前は相容れぬ存在……並び立つことはあり得ん』
 あの時男は何を想っていたのだろう。
 同じ者を守るべき立場にありながら、何故戦うことになったのだろう。
 俺はお前なのか、それとも違うものなのか。

「さて、お前はどうするのだ? この俺を」

 そんな事を脳裏に蘇らせていたゼンガーは、目の前に座る男の言葉で現実へと返ってきた。
 隻眼の、己自身と全く同じ容貌をした男―――ウォーダン・ユミル。
 彼はあの彼なのか。
「ゼンガー…ゼンガー・ゾンボルトよ」
「……」
 二つの剣はそれぞれの想いを秘めたまま、同じ色の瞳を交差させた。
 しかしこの沈黙が、そう長くは続かないだろうと、共通の思考に至りながら。

***

 己の頭を撫でてくれる優しい手がある。
 普段は白の手袋に納められているしなやかな指が、癖の強い銀髪を撫でている。
 実を言えば、さっきからずっとこの状態なのだ。
 そう、赤子をあやす様な仕草で。
 振り払おうとして結局止め、相手に抗議の意味を込めて睨み付けた。
『…俺は子供ではないぞ…!?』
『だが、妙に可愛らしい』
『……』
 妙にきっぱりとした返答。
 思わず大きく開きそうになった口が何かを言おうとして、再び閉じる。
 男は嘆息する代わりに軽く、肩を落とした。
 其れを見た青年が小さく笑う。
 好きにしろ、と言う合図。
 頭一つ分身長の低い彼が、手を伸ばしながら己の頭に触れているこの瞬間。
 愛しく、悲しく、そして嬉しくて仕様が無い。
 想いが胸中を支配する。
『なに、未来の予行演習代わりだと思ってくれればいい』
『だから、俺は』
『愛しい存在である事に、変わりは無い』
『…!』
 思わず、顔を伏せた。
 たった一言で傷つき、血を流す心がある。
 たった一言で舞い上がり、跳ねる心がある。
 有りもしない未来を無邪気に願える時間は疾うの昔に過ぎ去ってしまったのだ、もう。
 この痛みを怺え、束の間の喜びに身を委ねることしか許され無い。
 不意に撫でていた手の動きが止まった。
『そして…君は君だ。誰の変わりにもならない』
 ―――其れは俺にとってお前がそうである様に?
 そう、問い掛けたくなった。
 しかしそれでも、決して彼の言葉は己と同じ意味を持ち得ないだろう。
 甘い期待なぞ、しない方がマシだというのに。
『エルザム』
『何だ?』
 告げるまいと誓ったこの想いを。
 今お前に言ったとしたら。
『…何でも無い』
『? 良いのか?』
 一体お前はどんな顔をするのか。
 どんな風に応えるのか。
『ああ。…というかいつまでこうしているつもりだっ』
『何だ、てっきり君も喜んでくれているものだと』
『誰が…!』
 ―――これから先もずっと、決してお前に告げる事は無いだろうけれど。
 屈託なく笑って、他愛もなくじゃれ合う。
 年齢を重ねようとも、変わらない彼の振る舞い。
 上に立つ者として兼ね備えている天性の魅力。
(だが、俺が惹かれたのは其れだけでは無いのだ)
 ゼンガーは不意に目を細めていた。

***

 郷愁の念。
 古く遠き故郷を思い出す様に。
 今また、胸が熱い。
 其れはいつかの遠い記憶の中でしか存在し得ぬもの。
 もう二度と、あの存在を目にする事は無い。
 触れる事すら出来ぬ、存在になってしまったのだから。

***

 某連邦軍基地内、兵舎棟の一角。
 広いラウンジにあるテーブルで、突っ伏したまま寝ている男が居た。
 たまたま通りかかった人物が其れを見かけて近寄ると、男の肩に手をかける。
「ん―――」
「ゼンガー、こんな所で寝ていると―――」
「…ッ……エルザ―――!?」
「……いや、残念ながら違う」
「カ…イ少佐」
 半ば反射的に突然飛び起きた男の反応に戸惑いながら、
近寄ってきた人物――カイ・キタムラ少佐――は瞬時に表情を曇らせて答えた。
その一方で結ばれて行く世界の輪郭を視界に納めた男――ゼンガー・ゾンボルト――は、
徐々に意識を明確にさせ、銀の瞳に意思が宿る。

(違う、もう二度とそんな事は有り得ん)

 深く刻みつけた筈の感覚を再度修正する。
 深い傷を抉ってしまったのは己自身だ、どうしようもない。
「も、申し訳ない」
「いや、疲れていたんだろう? 気にするな」
「……」
 気まずさを取り繕う事が、この男には出来まい。
 カイはそう思う。
「俺とて、眠れたわけではないからな」
「……」
 横の椅子に腰掛けながら放たれた言葉を、男は理解するまでに数秒を要した。
 彼も又、同じ気持ちを抱える仲間であったのだ。
 そんな事に今更気付き、ゼンガーは項垂れる。
 広いラウンジに人影が二人、月の光のみに照らされて影を作る。
 長く伸びた影が床に闇を創り出した。
 其処は光の差さぬ世界。
 男が床へと視線を見遣っていると、少佐の呟きが聞こえてくる。
「この夜が明ければ、基地はいつも通りの喧噪を取り戻す。…そこにあいつの姿を探しはすまい、そう思う」
「…ああ」
「だが、人の記憶は…心はそう容易くは無い…困った事だな」
 台詞の最後が苦笑で消えてしまったのは、彼の優しさだろう。
 己を、気遣ってくれている。
 しかし彼も又同じ想いを持っているからこそ。
「カーウァイ大佐には俺から休暇の申請を出す。…休め」
「いや、それは…!」
 食い下がろうとした――己でも訳の分からぬままに――ゼンガーは正面から見据えられ、怯む。
「正気で居られるのか?」
「…っ」
「エルザムが、居ない、この基地で」
「!!」

 新西暦160年代から盛んになったスペースコロニーの独立自治権獲得運動、
ID4は地球政府とコロニーの間に大きな確執を生んだ。
 人類を更なる進歩に導く筈の夢の宇宙進出が、皮肉な事に新たな世界闘争の火種を蒔く事になったのだ。
 技術開発しかり、新たな研究しかり、数多くの新事業が無重力空間で行われた。
 幾つかのコロニー間での行き来も手伝い、コロニー経済が興隆してくる。
 ついで治安維持活動についても、代々続く軍門一族であるブランシュタイン家が統括していた為、
大きな問題は起きなかった。
 ―――そう、あの瞬間までは。
 コロニーの台頭を恐れた地球連邦政府はID4を弾圧。
 連邦とコロニーの対立は激化し、ついには機動兵器を使用したテロ事件が数多く発生することとなる。
 やがてある事件によりコロニーの命運は大きく変わることになった。
【エルピス事件】
 地球至上主義者のテロリストがスペースコロニー・エルピスへ潜入、内部で毒ガスを使用し、
住人の大半を死に至らしめた事件。その犠牲者の中には連邦宇宙軍総司令官マイヤー・V・ブランシュタイン、
その長男エルザムと彼の妻であるカトライアも含まれていたのだ。
 そう、運悪く休暇中だった彼が――後に聞いた話によれば、テロリスト達は其れを狙っていたのだとも噂される――
数多くの犠牲者達の中に、名を連ねていた。
 彼の名が、其処に映し出されて、しまった。
 この後、連邦によるコロニーの治安維持とID4の弾圧が強化され、結局コロニーが独立することはなかった。
 全てが連邦にとって都合よく働いている。
 その結果に疑いの視線を向ける者はあっても、糾弾する者は居なかった。
 否、糾弾出来よう筈も無い。
 最大の軍門一家であったブランシュタイン家は現・次期当主共に死亡、
勘当状態の次男が居るのだが、彼は既に連邦の影響下にある。
最早、連邦にとっての天敵はいないも同然だった。
 ある種、コロニーに住む人々の心の拠り所だった、ブランシュタイン家も途絶えたのだから。
『悪逆非道なテロリスト達により、我々連邦軍は宇宙の要である
連邦宇宙軍総司令官マイヤー・V・ブランシュタインという大きな存在を喪った―――
彼の者達の無念を晴らすべく、我々はここに自治運動の強化を求める!』
 軍上層部が主催で行った彼らの喪式には多くの人々が集まり、その中で連邦軍総司令部長官の挨拶である。
(何と空々しい演説か…?)
 今まで軍の式典で行われていた演説に興味など無かったが、
ふと我に返った瞬間に耳に届いた言葉には憤りすら通り越した憐憫の笑さえ浮かべられる。
 おおよそ全てが、どうでもよく、感じられていた。

 カイ少佐の言葉は真実、其れを知っても尚食い下がることは出来なかった。
 此処が己の居場所であると知っていたから。
 死に場所は必ず戦場になることを感じていたから。
(お前に、出逢える場所ならば……)
 離れたくは無い。
 しかし、深い溜息と共に零された言葉に思わず目を見開く。
「…早い内に、この部隊も解散するだろう」
「何…!?」
「殆どのデータ収集は終了している。
この休暇に関しても、そのデータを基にして最終確認用プログラムを作成する為の有余期間に過ぎん」
「…!」
 カイは今一度ゼンガーに向き直り言う。
「ビアン総帥の下へ行くが良い。…あの人なら、お前も従うだろうからな」
「!」
 冗談交じりの台詞だったが、其れは男の内面を的確に見抜いていた。
 半ば連邦に嫌気がさしていた事、この基地に残る事が心情的に無理だという事、全てを少佐は知っていた。
 これから起こりうる戦争の火種を感じていなくとも、
自然と己は彼の有名な博士の下へ行こうとしただろう―――そう、見抜かれていたことに苦笑を禁じ得ない。
「休暇が終わり次第、手続きをとる。後はお前次第だ、ゼンガー」
「…了解…!」
 強い視線が諭す様に睨んでくる。
 ―――逃げるのでは無く、戦いながら生き延びよ。
 その生を手放すな。
 決して。
「生き残った俺達が、やらなきゃならん事が沢山ある。そうだな?」
「無論」
 豪快に笑うカイ少佐につられて、ゼンガーも頬を緩める。
「気負うなよ、お前の悪い癖だ」
「…承知」
 肩を叩くのではなく、1・2回ゼンガーの頭を叩いてから、少佐は去っていった。
 男はその仕草に、危うく涙が出そうになった事を隠すので精一杯だった。

***

「…沈黙に沈黙で答えるか、お前は」
「……」
 隻眼の男が軽くため息をついた。
 表情も変えず、立ちつくす男に対して些か困り気味だ。
 どうも判断――否…この場合は決心、決断とでも言う方が適切か――に迷っている様子。
(処遇を待つ身が、逆に相手に対して誘導をしたり気遣ったりしなければならんとはな)
 では、と身構えて新しく問うた。
「…俺の」
「…?」
「俺の名は?」
「!」
 そう尋ねた相手の表情が、僅かばかり変化した事を男は見逃さなかった。
 瞬き程の時間に、銀の瞳が揺らめいた。
 少なくとも、先程よりかは反応がある。
「俺の、名は? まさか知らぬ訳でもあるまい…」
「……。ウォーダン」
「何…」
 逡巡の後に返ってきた言葉。
 迷いを秘めながらも意思が灯る銀の瞳が真っ直ぐに此方を見た。
「ウォーダン・ユミル―――それが貴様の名だ」
「ウォーダン・ユミル……ウォーダン…」
 隻眼の男がその名を復唱するのを見ながら、ゼンガーは尚迷う。
 教えてしまっても良かったのか。
 だが、教えなければどうなるというのだ。
 名前を切っ掛けにして記憶が戻る事もあると言うが、この場合は当てはまらないらしい。
 安心でも無い不安でも無い、正に混沌とした想い。
 ところが。
「矢張り、そう簡単に記憶は戻らない、か」
 相手も同じ事を思っていたのだと、驚く。
「ウォーダン、か…ゼンガー、此は本当に俺の名前なのか?」
「…嘘を言ってどうする」
「確かに。別に違う名を与えた所で何も変わらんな」
「…ならば、お前はウォーダンだろう」
「そうだな、俺はウォーダン・ユミルだ」
 一々名前如きで何故、此処までの問答を…!
 ゼンガーはそう思いかけて、しかし考え直した。
 隻眼の男が死ぬ間際に拘っていたのはその部分だからである。
 己が己自身である事に、自我を持つ存在である事に、写し身としての存在では無い事に、意義がある。
 己の矜持をかけた、自己存在としての意地。
「ふむ…」
 と呟いてから、ウォーダンは急に押し黙った。
 左腕を右手で押さえながら、何かを思索しているのかもしれないし、していないのかもしれない。
 その姿勢は己が無意識にとる姿勢と全く同じだった。
 ―――次の行動に移るべく、何かを考えている時の。
「…で、お前は俺をどうしたい?」
 問題は振り出しへと返った。

***

 連邦軍全体で行われた喪式、教導隊内部で行った式、最後にこの基地で行われた式。
 正式な葬儀としては、全体で行われたもののみがあげられるが、
後者二つは遺された者達が自身の心を整理する為に必要な儀式だ。
後者に親族は参加しない。
させない、と言った方が正しいだろう。
共に30分にも満たない、簡単な葬式。
何度も死者を悼む行為は、遺族にとって拷問に等しい。
 直接の上官であるカーウァイ大佐は、最後の基地で行う式の前日、ゼンガーを部屋に呼び出した。
 ブラインドから差し込む西日が、夕暮れ時を告げている。
 紅く、鮮やかに。
『負の意識を、いつまでも引きずってはいけない』
『…はい』
『戦場に生きる者であれば、常に先陣で戦う者であれば……分かるな?』
 柔和な紳士、と言った容貌をしていても、其れは己よりも長く戦場に身を置いた者の言葉だった。
 大佐という階級にもかかわらず、前線指揮官として戦場に立ち戦う。
 今回のこの部隊における技術錬成の中には、この人と直接渡り合わなければならないものもあった。
 男が答える。
『承知』
『だが、皆は彼を知っている。
彼は皆に知られている―――形式的な弔いであっても、彼らは此で縛られずにすむ』
『……』
 彼を知る者達にとって、あの盛大な式典は遠い世界の話だ。
 虚構で塗り固められた、如何にも、と言った風な弔いの方法。
 戦場には戦場の、前線基地としての弔い方を行わなければ、この基地の者達が縛られる事になる。
 死者に対する想いに、その悲しみに心を喰われる。
 死に神が構えている鎌に気付かず、又新たな悲しみを増やしてしまう。
 そんな永劫の連鎖を生まない為にも。
 声の調子が変わった。
 戦士としてではない、この人自身の声。
 芯の通った強い響きを持つ言葉。
『何も無理をして参加する事はない』
『…いえ』
『疲れているのだろう? 顔に出ている』
 苦笑を浮かべたカーウァイ大佐の顔も又、心なしか窶れている様にも見えた。
 失われた部下の命が、彼をも蝕む。
『あいつの為にも、最後まできちんとお別れを言いたい』
『…そうか』
 退出して良し、との声にゼンガーは一歩下がる。
『だが…少しは泣けたのか? ゼンガー』
『―――』
 その問いに答える事が出来ぬまま、扉を閉めた。

 夕日に彩られた長い廊下に、己の靴音を響かせながら考える。
(この想いが恋だと気付いたのはいつだったのか)
 間違った道を歩んでいる事に怯えながらも、惹かれる己を諫める事も出来ずに。
 ただ、好きだと、言いたかった。
『我が友、今日も書類に困っているのか』
『…喧しい』
 さも可笑しそうに尋ねた彼を一蹴する。
『……』
『……』
『……』
『…何の用だ』
 何故か、彼との会話では沈黙を保つ事が出来ない。
 此が他の者であれば其れは全く平気なのだが。
 痺れを切らした男の方が、いつも青年に問い掛けてしまう。
 今回も、渋々の様子で訊いてみる。
『今日はカトライアと私との料理対決の日でな』
 ―――いつのまにそんな日が出来たのだ。
 今までの付き合いの中、そんな日があるとは知らなかった。
 無論、初めて聞く言葉だ。
『しかし審判が居ないのでは話にならん』
『俺に来いと?』
『ああ、簡潔に言えばそうなる』
『…書類が』
『無論、手伝わせて頂く』
『……』
 青年の強引さに勝てた試しは無い。
 鈍く痛みを訴える一方で、喜びに満たされている心。
 手に触れられる距離にありながら、実際に触れる事を許されては居ない。
 ―――ましてや、その腕に。
 沈む太陽の真上に星々の輝く紺の幕。
 優しい夜の帷が降りてくる。
 昼間の輝く様な眩しい光では無く、仄かに淡く灯る光。

   熱に、未だ我が身体は支配されている。
 そう想う。

***

 男が先程から、同じ言葉を繰り返す。
 執拗に。
 急かされている、と感じるのは間違いではないだろう。
 己は、答える術を持たぬというのに。
「どうしたいのか…俺は、お前の意思を訊いているのだ」
「……」
「お前は、俺を、どうするつもりなのだ?」
「……」
 わざとゆっくりに、部分的に切られた言葉を脳内で反芻させる。
 隻眼の男は――己の気付かぬ内にベッドに――座ったままの姿勢から、ゼンガーを見上げた。
 その仕草が子供じみていても、銀の瞳に宿る意思は振る舞いを理解している傲岸不遜な大人の目だ。
「俺は記憶をもたんぞ?」
「…何も。お前の記憶に聞きたい事があるのだ、記憶が戻るまで…」
 ウォーダンが不可解だと首を傾げる。
「それまで、俺をここに置くというのか? 早い話が軟禁か」
「…それは違う…!」
「何が?」
 細められた己と同じ銀の瞳が鋭さを増した。
 立ち上がり、一歩ゼンガーに近付く。
「ならば言うがいい…俺の記憶に何を望む…?」
「……」
 低く凄みを増した言葉に、ゼンガーは答えられぬまま拳を強く握った。
 ―――何処まで真実を話すべきなのか、この男を信じているのは何故か。
 不器用な男が選んだ道は、長い反復思考の中で見つける事が出来たある一つの想い。
 其れは最愛の親友にも未だ告げた事の無い想いだった。
 今が告げるべき時なのかどうかは分からないが、
此処で言ってしまわねばもう二度と告げることが出来ない様な不安に駆られる。
 重々しく、口を開く。
「お前は…俺の敵だ」
「!」
 ウォーダンがにじり寄ろうとした足を止めた。
 黙ってゼンガーの方を見る。
 漸く実際にこの男から話が聞けるのだ。
(喋り始めた口を、塞ぐ道理は無い…な)
「戦場で何度も撃ち合い―――」
「敗れたのが俺という事か」
「…ああ」
 殊更驚くでも無くすんなりとゼンガーの話をウォーダンは聞いていた。
 其れが間違いなく己の記憶であることは確かだろう。
 戸惑いも疑問も浮かばない。
 寧ろ素直に受け入れてしまっているのだから。
 それに、目の前の男は嘘を付ける様な相手でも無い。
「ならば余計にお前の行動がわからん。何故敵である俺を助けた?」
「……」
「ここが戦場では無いからか? 怪我人だったからか? 獲物を持っていなかったからか?
 甘いぞ…そんな事では」
「…人の話は…」
「何?」
「…人の話は…最後まで聞けッ!」
「!?」
 鋭い喝。
 ウォーダンは言葉に従い黙り込んだ。
 ゼンガーには分からない。
 何故こんなにもこの男の言葉が堪えるのか。
 まるで翠玉の瞳に射抜かれた時の様に、思考も言葉も目の前の相手に絡め取られるあの感覚に良く似ている。
 不可解な全ての気持ちが、己自身の内より生まれいずるのも又同じ。
 分からないから、余計にタチが悪いのだとも。
「…俺にもわからぬ…ただあの瞬間に、俺はお前と…理解し合えるのかもしれない、と…」
「……」
「たとえ…敵であろうとも…お前は俺にとって大事な存在かもしれない…そう思ったのだ」
「……」
 ゼンガーの脳裏には最期の戦いが蘇る。
 この世に存在してはならない二つ目の剣。
 あらゆる世界の分岐が生み出したもう一人の己。
 一体何が道を違えさせたのか、己でさえ影であり本体でも有り得た筈だ。

(―――お前と出会わない世界もあった筈だ)
(そうだな…彼女の世界の様に)
(そう、お前が居ない世界も―――)
(ならば今は素直にその幸運を享受したまえ)
(…っ…!)

 男の辿々しい台詞を静かに見守っていたウォーダンが言う。
「…甘いな…」
「うむ…そう言ってもらっても結構だ…」
「だが」
「…?」
 全てを言い終わった男が疲れ切っているとでも言うかの様に瞼を下ろす。
 俯くゼンガーに触れる手―――ウォーダンの手がゼンガーの肩に置かれている。
 そして自身の額を男の胸に預けて、低く呟いた。
「だが…決して嫌いでは無い…」
「…!」
「フ…むしろ……」
「むしろ?」
「いや、何も」
「……」
 己の肩に掛かる暖かさと重みは、本当に人間であるかの様だった。
(そう、真に肝心な事を未だ言ってはいない)
 彼が人間ではない事を。
 己の性格をそのままコピーした人造人間、すなわち機械である事を。
 告げられずにいる。
「……」
 しかしそれ以上はウォーダンから何も問われない。
 言う機会を逃してしまったのだと、後悔した。
 困惑した面持ちで視線を下ろすと、右のこめかみ髪の生え際に引き連れた傷跡。
 深くは無くとも、後は残る程の傷。
 ゼンガーは髪の隙間に見え隠れする傷に触れた。
 そう言えば。
「…左目は見えんのか…」
「ああ―――支障無い」
 もしやこれは己がつけたものかもしれない、と疑いつつも言えなかった。
 きっぱりとウォーダンは肯定する。
 別に問題はないと付け加えた上で。
 すぐにまた黙ってしまう。
 先程までの詰問する勢いは何処へやら。
 ゼンガーはウォーダンの傷を撫でながら、ウォーダンはゼンガーの方に己の額を預けたまま。
 二人の男は互いに沈黙を守っていた。


<続く>
 
<戻る>
 
 writing by みみみ

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