【 人形の夢3 】



 この世のきざはしをくらぶれば流れゆくいのちにうたかたの床


 今日の天気は晴れの様だ。
 ガラスの向こうで薄暮の空が見える。
 徐々に青くなる空には薄く広がる雲の群れ。
 ベッドに横たわったままでは、空しか見る事が出来ない。
「……」
 ―――動くべきか、動かざるべきか?
 男はずっと考え続けている。
 少なくとも今からであればすぐに夜が明け、朝になり、また夕暮れが迫る。
 前回の覚醒がいつだったのかは分からないままだ。
 微睡む意識の中、夢現の感覚は時間を指し示すものとして頼りない。
 1日が経ったのか、其れすらも。

 自己を保つ為に一体何が必要なのか。
 何が私自身であると言わしめるのか。

 ついついそんな事を考えてしまう程、閑だ。
 戦う者にはそんな考えなど要らぬ。
 目の前の敵を撃ち倒し、己が掌中の剣が折れても尚、未だ戦おうとする意思。
 相手が如何に強大であろうとも、心を折る事の無き様に。
 己自信がそんな存在であると、確信的思考が胸中を支配しているにもかかわらず、
悠長な事にそもそもその考えが何処から来たのか、などと問うている。
 この部屋に人が入ってきた気配は無い。
 どんなに深く眠りに落ちていても、己以外の存在が出現すればすぐに気付く筈。
 其れが、あの椅子に座っていた男であれば―――尚更の事。
 絶対に、分かる。
 感じる事が出来る。
 …その理由も未だ以て理解不能だ。
 助けて貰ったから、と言っては生温い。
 喪われた記憶と何か関係しているのかもしれないな、と呟く。
 再び部屋中に視線を流しておいて、男はある事に気付く。
(左目が…見えていない…?)
 試しに身体の横に置いていた左手をそのまま真っ直ぐ肩まで持ち上げてみたが、何も映らない。
頭を回転させてから、漸く視界に入った。
握っては開き、開いては握るを数回繰り返した後、小さなため息をついて胸の上に下ろした左手が。

『あの時、言っておけば良かったのか?』
 渇いている。
『俺は今日から、お前達の敵だ』
 飢えている。
『貴方を守ります』
 欲している。

 うっすらと痕の付いた左手の甲。
 男の前に現れた時、全身傷だらけだったのは覚えている。
 しかし殆ど消えてしまった其れ等の中で身体に刻み込まれた記憶の痕跡。
 其れに併せて刹那フィードバックされてきた幾つかの想いがある。
 記憶と呼ぶには曖昧で、だが確固たる何か。
 己を形作るものの一つ。
 過去から現在に通じる記録。
 忘れ得ぬ、言葉が想いとして心に刻まれている様なのだ。
 不思議と取り戻したいと強く想わないのは、忘れてしまった方が良い事だからか。
 隠蔽すれば楽になれると、以前の己が想っていたからなのか。
 考え込んでいる内に、男はとりあえずどうでもいい気分になってきた。
 拘りも必要も無く。
 存在している事の意味など。
「……」
 ―――叶う筈の無い願いを抱いたまま眠り続けるは愚かか否か。
(其れしか出来ぬ)
 空に浮かぶ雲が、二度と同じ形を留めぬ様に。
 川に流れる水も大地に降り注ぐ雨も、同じ水で在る事の様に。
 降り積もる想いと変化し続ける心。
 やがては一つの答えを得るその時まで。
(俺は、俺であるのだ)

***

 休みたい身体に反して精神が休む事を許さない。
 仮眠を、望んではいない。
 張りつめた意識、緊張の連続。
 全ての生き物にとって最も蜜なる時間であろうに。
 同じベッドに横たわりながらも――ベッドとはそもそも休憩をする場所である筈だが――、
互いの気配を探り合っているというこの不思議さ。
(……打開策を探した所で、君には無駄だろう…)
 ため息は心の中で精一杯大きくする事にしておいて、さり気なさを装ってはいるものの、
自然と気配が鋭くなってきた青年の様子に、敏感に男が反応した。
「―――諦めの悪い」
 突然の呟きに青年が男の方へ寝返りをうつ。
 一瞬、驚きの表情を浮かべた男。
 至近距離に闇夜に浮かぶ月光がある。
 長い前髪と同じ、薄い色素をした彼の瞳が、感情を隠しながら言ったのだ。
 まさか素通り出来るとは思っていなかっただろうが、拗ねた声音で青年が返答。
「…君に似たのだ」
「そうか?」
「其れ以外に何が在る」
 翠玉の瞳は己を居殺さんばかりの意思で尋ねてくるのだが、其れを柳の如く流し続けている。
 普段とは全く逆の立場になっている事すら、不思議で可笑しく思えて。
 不謹慎ながら愉快な状況でさえある。
 無論、そんな事は微塵も表情には出さない。
 己には出せないだけなのかもしれないが。
 男は暫しの沈黙後、無表情に肯定した。
「……。無い、な」
「ならばそうだろう」
 振り返った青年はさも可笑しそうな表情をしている。
 内心、複数の感情が渦巻いていたとしても、其れを決して表に出す様な人柄では無い。
 目の前にいる、唯一人の男の前にいる時を除いては。
 彼としてもどうして良いのか分からないのだろう。
 表情を決めかねたらしく、笑っている様な困ってしまった様な。
 元よりその想いは隠すつもりも無い。
 お互いの感情を多少乱暴でもぶつけ合った方が良いのだという事は、付き合いの時間から学んでいる。
 だからこそ、素直に怒りと困惑と哀願の色をした緑瞳が。
 頑なな銀の瞳に近付く。
「…どうしても?」
「どうしても」
 譲り合い、なんて言葉とは程遠い戦いだった。

***

『…何故名前を付ける…?』
 赤い髪の男が忌々しげに舌打ちをした。
 周りに並ぶ“人形”たちに視線を流しておいて、苛つき様を隠しもせず。
 あの男――自分たち組織のリーダー――に呼び出された後、このラボに寄るのが日課になりつつある。
 …貴方は其れを分かっているのかしら。
 目の前で作業に没頭する女に向かい、独白とも取れる言い方。
 問い掛けるにはしては余りにも、弱い。
『あら、その方が何かと便利よ。人間を相手にするからには何を於いても必要だわ―――
固有名詞を持つことで、この子達は怪しまれずに任務遂行できるじゃない』
『詭弁は止めろ』
 少し、冗談めいた口調も男には通じなかった。
 普段ならば流されてしまう所だが、今回の場合は怒りを買ってしまったらしい。
 確かに最初から機嫌が悪い様にも見えた。
 …そんな時程、良く話しに来る。
 男の性格を体現した様な髪と瞳がゆっくりと女を見据えている。
 明るい紅の色。
 灼熱と呼ぶには未だ浅く、しかし血の色と呼ぶには濃さが足りない。
 瞬間に燃え上がる幻想的な紅。
 ―――それはまるで。
『知っているのか?』
『何を?』
『惚ける気か、レモン、お前は―――』
『……』

 貴方が、私の名を呼べば、私は何かに囚われる。
 私が貴方の名を呼べば、貴方は、何を思い出してくれる?

『―――お前は此奴らに何を見ている?』
『…何も』
『嘘だ』
 レモンは赤い髪の男から視線を逸らした。
 背を向け、再び作業へと意識を移す様にも見せかけて。
 その仕草に男が異変を感じ取る。
『自我を持つ“人形”を創り出す事で、何を望む?』
『……』
『あの男の言う兵士に自我が本当に必要なのか?』
『……』
『兵士に自我という意識は邪魔なだけだ。疑問を持たずに黙々と任務をこなせれば其れで良い』
 男の言葉が真実である事を、知っているのは自分自身。
 ただどうしてもその事実を認める事が出来ない理由が、在る。
 震える声音を制御して普段通りにつとめる。
 突然振り向き、正面から男と睨み合った。
『―――それだけじゃ、“永遠の闘争”は叶わないのよ』
『俺達が創り出せば良い。此奴らを上手く動かす事で其れは可能だ』
『……』
 不意に女の唇が、音を発さずに動いた。
 アクセル、と。
 男の名を静かに呼ぶ。
『……』
『私たちが望むのは人が進化し続ける事の出来る世界…。
終わらない戦いの中、人間は自己進化を止める事無く…更なる段階へと進む、世界…そうでしょう?』
 そのまま言い淀んでしまう。
 この目の前の男こそ、分かっている筈だ。
 あの男――大佐――が抱いていた野望を知った時に、少なからず反応をしたではないか。
 逡巡の末に従う事を決めた、あの場面を忘れるはずがない。
 葛藤の末に割り切った現実が形を変えて自分の目の前に現れている事への怯え、それとも苛立ちが―――。
 だが次の言葉を待てる程、アクセルは心に余裕が無い。
『好きにしろ…!』
 乱暴にドアを叩き付けて部屋を出て行く男の背には、怒りだけでは無く失望の色さえ感じ取れる。
 常に男女である事の相異からも、考え方には違いが生まれてきた。
 戦場に対するそもそもの姿勢が違うらしい。
 確かに自分自身は前線に出る様なタイプではない、彼はその戦陣を切り開く長なのだ。
 その事も、きっと関係している。
 しかし今回ばかりは失敗する事の許されないもの。
 それ故に女が戸惑う理由が、何かに執着する様が理解出来ない。
 戦いとは、兵士とは、合理的である事が何よりも優先されるべき存在だから、こそ。
 彼自身が兵士である事に少なからず、矜持を持つからこそ。
 彼女の行為が、時折彼の神経を逆撫でしているのだろう。
 引き留めようとして持ち上げた――その次に何を言うのかも分からないままに動いていた――右手を、
身体の横へ力無く下ろす。深呼吸をする様な深いため息が零れ出た後、左手はそっと右腕に触れる。
(アクセル、私はね―――)
 告げていない真実が胸の奥で闇を生み出す。

***

「…動かないで欲しい」
「無理な話だ」
「頼む」
「……」
 先程から続く問答に疲れを覚えてきた。
 何度と無く繰り返しては、懇願する男の言葉をにべもなく振り払う。
 視線すらもう合わせようとは思わない。
 ―――合わせた時点で、此方の敗北が決められる。
 青年が常に心に戒めている事の一つだ。
「だが、このままあの男を放っておくわけにもいかん。…そう言ったのはお前だ」
「それはそうだが、だからといって私が行ってはいけない理由にはならない」
「俺がまず様子見を―――」
「私ではいけない理由を聞かせて頂こう」
「……」
「……」
 背中に感じる気配は意気消沈と呼ぶに相応しい。
 今振り向けば、酷く悲しげな顔をしているのだろう、きっと。
 譲らない、強固な意志をした男が時折見せるそんな表情が、昨夜から続いているのを分かっていても尚。
 そこに愛しさが増す自身を叱りつつも、退くに退く事が出来ない。
 男が堪えきれずに呟いた。
「…お前が」
「私が?」
「……。“俺の判断に一存する”と言ったから、だから、俺は」
「―――それは」

 ガラスの割れる音。
 壁に何かが叩き付けられた。
 椅子がひっくり返る。

「「!?」」
 二人は同時に駆けだしていた。

***

(飽きた)
 そう思うと同時に身体を起こして、辺りの気配を窺った。
 ―――誰も来そうに無い。
 自己思索にもいい加減果てが見えてきた所でふと思った事がある。
(…騒げば、あの男が来るのではないか…?)
 この時点では、男の事しか頭に入っていない。
 己が騒ぐ事で当然駆けつけるのはあの男であろうと勝手に決めつけた上で。
 部屋の隅々までもう一度視線を泳がせた。
 男の座っていた椅子が一つ。
 窓には薄生地のカーテン。
 ドアの右、壁際に腰程の高さの木棚。
 何故か僅かな隙間を残して開いているドア。
 そして、ベッド。
(どうするか)
 立ち上がり――急に身体を動かしたせいなのか、少々の立ち眩みを覚えながら――腕を組む。
 ゆっくりとした動作で一歩一歩踏み出して、部屋を歩く。
 見たところこの建物自体はそんなに広くはないようだ。
 ならば、大きな音さえたてれば異変に気付く、つまり誰かが駆けつける筈。
 多少離れていても、すぐに分かる、音。
「…左手であれば、構わんな…」
 軽く左手首を回して、子細を確かめる。
 ―――異常無し。
 上体を捻った勢いのまま、拳を窓ガラスに叩き付けた。
「…っ…!!」
 思っていたよりも簡単に割れた一方で、己の左手首が在らぬ方向へと曲がった。
 鈍い痛みが走り、一瞬苦痛の表情を浮かべる。
 だがそれは次の瞬間、笑みに変わっていた。
 額に脂汗を浮かべ、序でに肩までおかしくなった事を感じながらも次は椅子を引きずる。
 左手首と肩の異常を無理矢理ねじ伏せておいて、棚に椅子を投げつけた。

***

「何をしている!?」
「…遅い」
 叱責された事など気にも止めない、不遜な態度。
 駆けつけた男――ゼンガー・ゾンボルト――は、ベッド横に立つ男を睨んだ。
 左肩が力無く垂れている様子からすると、どうやら暴れた際に負傷したと見える。
 左手が紅く染まっていた。
(…血が流れているのか)
 最初からそうだった様な気がするのだが、あの時は動転していたのか。
 この男を運び込んで傷の手当てまでしたのは己だというのに。
 最も、傷の多くは殆ど治りかけており、大きな傷さえ塞がり始めていたのだ。
 異様な程の回復速度に驚くばかりで、血の事など考えては居なかった。
 考えられなかった。
 例え、この男が。
「何の真似だ?」
「…病人を一晩も放っておく方がおかしいと思うが」
「本当の病人ならばこんな騒動を起こす筈が無い」
 ―――精巧に造られた己の写し身であったとしても。
「…成る程、其れもそうか」
「逃げたかったわけでもない様だな…何のつもりでこんな事をしたのだ!」
 ゼンガーは言いながらも不思議な気分に陥る。
 同じ顔、同じ声、同じ口調。
 己でありながら己に在らず、戦いの末に自我を持った“人形”。
 悲しくも虚ろな存在だというのに。
 何故こうまで安心しているのだろう、己は―――信頼に近い程の、確信がある。
 大きく引きつれた傷が、左目を完全に覆っていた。
 あれでは完全に視力を失っているだろう。
 残された瞳が睨み付けてきた。
 同じ色の銀の瞳を更に隠しているのは、やはり同じ色をした長い前髪。
 ―――髪の癖まで、一緒とは恐れ入る。
 彼らがつくり出した“人形”達は限りなく人間に近い。
 外見上の判別はほぼ不可能だ。
 その身体に本当の紅い川が流れていないだけで。
 男が言う。
「お前に聞きたい事がある。お前も俺に聞きたい事がある……そう言った筈だな?」
「そうだ」
「ならば、無駄に時を過ごす必要はあるまい」
「……」

(……当たり前だが、よく似ている…寧ろ…同じであると錯覚させられる)

 部屋を出て3メートル程離れた壁際に佇む青年が会話を聞きながらそう考えた。
 付き合いの深い者でなければ、声だけでの判別は無理だろう。
 距離を持てば、通信装置からの音声であれば余計に。
 ある種独り言の様な、やりとりだ。
 ただ自分ならばその差を感じ取る事が出来る、はっきりと。
 違える事は無い、決してその存在を。
「名は?」
「ゼンガー、ゼンガー・ゾンボルトだ」
「ゼンガー……」
「…お前の名は?」
「知らん。全く思い出せん、な。―――過去の記憶が無い」
「!!」

(…矢張り…)

「残念ながら、俺はお前の質問に答えられそうにないという事だ」
「そうだな…」
 男達は再び睨み合う。
 渾身の一撃を叩き合う、前触れにも似て。
 沈黙の対峙が続く。
 ―――問い掛けは短く回答が即座に求められる、と。
「どうする? ゼンガー・ゾンボルト」
「……」


<続く>

<戻る>
 
 writing by みみみ

 戻る。 
© 2003 C A N A R Y