【 人形の夢2 】 |
―――名は体を表す、と言う。
(…旧暦よりも遙か昔の…東方謂われのある、諺……)
女はふとそんな事を思い浮かべながら作業にあたっていた。
諺とは常に真理を含んだ世の口癖。
どれだけの時が経とうとも、変わらぬ何かが在るという証拠。
人が豊穣なる地球を離れ、宇宙へ行く事を目指しているこの未来でさえ。
伝えられる、一種の智慧の様な、ものか。
(…この子達の名前って…そんな意識で付けたものじゃないんだけど……やっぱり…)
研究の傍ら愛読したのは、神話の類。
何故か、今までに配属されてきたどんなラボでも、そう言った系統の書籍は事欠かなかった。
しかし暇潰しに、ただ空いた時間などに読んでいた――目を通していた――というのが実際の所。
こんな時代に神を信じるのか、と問えば怒られるかもしれない。
(別に、信じて無い訳じゃなくて。でも、信じてる訳でも無いのよね)
偏った読書歴の中から、記憶に残っているものを引っ張り出してきて、名として使う。
ある程度の必要に迫られて使っている。
それだけなのだが。
―――このシリーズも、今回で数えて15体目か。
或る男が感嘆の意とも僅かな嘲笑を帯びるでも無くそう言った事を思い出す。
其れは結構な数では無いのか。
大量生産品とは比べものにならぬ時間をかけた割には。
(…それでも、まだ…)
最終調整の為の入力の手を休めて、“人形”を見上げた。
より複雑な判断を組み合わせた思考プログラム、人間と何ら変わらぬボディ。
他より優れている、という意味合いで『ナンバーズ』と呼ばれてはいるものの、
量産型で採取したデータを基に微々たる変更を加えた思考パターンを新しく創る度に使用している為、
個体差――人間で言う所の“個性”――が生じてしまっている事は否めない。
つまり、任務遂行のみを目的とした兵士で構成される“理想の軍隊”には余り相応しくない。
『此奴らには確実に任務を遂行するだけの能力さえ有れば良い。画一性の無い人形など作るな』
そう憤る人間が居る事も知っている。
研究には膨大な数の実験が必要だ、と言った所で理解されはしないだろうし、
理解された所で別問題だとすっぱり切られるのが関の山だろう。
無論、重々に承知済みだ。
しかし。
(…独自の思考と判断…任務遂行の為に最も合理的手段を演算する、………)
―――3人寄れば文殊の知恵。
この場合を説明するには少々不適切とも言える言葉だが、機械のみで出し得る答えには限りがある。
と、女は以前に結論を出した。
その中には人間が予想し得ないものもあるが、其れを更に発展させる事が出来るのは人間で有るとも言える。
学習し、経験してきた記録媒体の中から、
現在の自身が持ち得る思考パターンを組み合わせて最高の結末を生み出す事。
もしそれを単なる量産型AIで代替させるのであれば、実践投入するまでにどれだけの時間がかかる事か。
(…違うのよね)
敵をインプットさせて撃ち落とすだけであれば何も問題はないだろう。
ここまでややこしい話にならなくてすむ。
問題は、機械が欲しいのでは無い、と言う事だ。
全方位式索敵レーダーと自動追尾式ミサイルを組み合わせた様な迎撃システムを持つ駒では無く、
人間の様な柔軟な思考性を持った忠実な兵士を欲しているのだ。
同一性の機械では、永遠など創れはしない。
戦いを生み出す人間は生涯に渡り、流転して生き続ける者。
一時も留まる事無く、変化している者。
(…常に進化をして、成長する……それぞれの敵に対応する事が可能である…)
そんなものを人工的に創り出そうというのだ。
大変厳しい条件である。
(でも、私は)
女は赤い髪を揺らして、ため息をついた。
***
北欧神話の最高神、オーディン。
詩と戦いと死の神でもある他に極めて多くの名を持ち、9つあるという世界全てを分かる者。
しかし、それでも尚、彼は力を欲したのだ。
全智を授かるミミルの泉を飲む代償として片目を失い。
その力で、戦うために。
原始の世界の姿そのままに受け継いだ力を振る舞う巨人の神々と。
この世界でどちらが生き残るのか、退く事は赦されない生存競争の幕が上がる。
太古の昔に行われた永い戦争。
終わりの見えない連綿と続く荒々しい激突。
そして、神々の黄昏が全ての時を終わらせるために、始まらせるために、迫る。
大切なものを守るために力を手に入れたオーディンにすら。
***
男は微睡んでいた。
もう眠気は訪れないと分かっていながらも、強引に瞼を閉じては、また開く。
夢を見たような気もするし、何も見ていないのかも知れない。
大差の無い事。
覚えていなければ意味がない、のだから。
かといって夢に意味を求めた所で何になると言うのだろう。
―――今、この状況下で?
驚く程この部屋は静かだった。
人の気配は近くには無いが、何者かが居る事は知覚できる。
ベッドのスプリングが痛ましげな音色を耳に届けてくる。
雨は止んだ様だ、と窓の外に視線を移しながら。
無意識に手を動かした。
左胸に手を添えれば、力強く訴えてくる鼓動。
―――生きているのだ、俺は。
自身の名も、今までの記憶も思い出すことが出来ない。
それでも。
「……」
顔を横に向ければ、椅子が一つ。
靄のかかった思考の中、はっきりと映し出される映像。
銀髪の男が居た、そこに。
不思議と僅かな安心感を覚えるのは何故だろう。
***
「―――お早う、W15。何か不具合はないかしら?」
己が眠っていた時間は長かったのか、短かったのかは知らない。
目が覚めた瞬間、灰色の壁と数種類のコードが見えた。
薄暗い室内。
あちこちから聞こえてくるモーター音。
視覚聴覚ともに問題は無い、後は身体の駆動。
ゆっくりと上半身を起こした。
傍にいた人影――声から考えるなら、女だろう――がそう尋ねてきた。
「…今のところは」
別段身体の何処にも、不調を訴えてくる回路も器官も見当たらない。
立ち上がってみることで大まかな動作環境のシステムチェックは終了している。
先ずは、子細異常無し。
応える相手のその物言いに、何か思うところがあるのだろう、女が少し目を細めた。
しかし表情を変えることなく頷く。
手には数枚の書類。
其れに書き込みながら顔を上げることなく喋る。
「そう。なら…ウォーダン・ユミル、貴方の主に会ってきなさいな」
「……今、何と言った?」
一拍の間をおいて、相手の声音が訝しげなものになる。
くすり、と唇を曲げて女が笑った。
「聴覚神経とその接続回路に異常でもあるのかしらね。―――ウォーダン・ユミル、貴方の名よ」
「ウォーダン…ユミル……」
「ええ」
新しい情報を脳内回路で反芻しているらしく。
暫く沈黙を保つ。
その後、短く答えが返ってくる。
「…了解した」
「それと、御免なさいね」
「?」
突然謝る因果関係の理解が出来ない。
勿論、普通の人間でもその反応は同じだろう。
その点を鑑みると、上出来な仕上がりだ。
―――全体的な不安定さを補う要素として、
メイガスシステムとリンクしなければならない問題があるにはあるのだが。
「貴方の身体…左目のパーツだけが、
何故かどうしても接続エラーを起こしてしまうの…だからその代わりに、はいこれ」
「…マスク…?」
女が己に手渡したのは古めかしいデザインの仮面。
すっぽりと頭全体を覆うように設計されており、当たり前のように馴染む。
言われてみてからふと気付いたのだが、確かに左半分の視界が全く無い。
完全な死角がそこにはあるのだ、これでは任務に支障を来すも当然。
相手は沈黙を保ちつつ、仮面を被った。
凝視し続けたその姿を見て、胸中にある感想がよぎる。
「(鈍い、というよりは無頓着ね。…オリジナルがそうなのかしら)」
「……」
言われるまでは左側の視界が全くないことに何の疑問も抱かなかったに違いない。
元々、この部屋は薄暗いのだから仕方がないと言えばそうなるが。
それにしても表情が読み難い。
潜在的なプログラムとして絶対服従がすり込まれているものの、不安材料は尽きない。
オリジナルの性格パターンをコピーしたところで、自我に結びつくのかどうか。
『馬鹿なことは止めろ、無駄だ』と言い張る男の言うとおりなのか、それとも自身の読み通りに進んでくれるのか。
「(大きな賭けよね、ホント)」
自我と感情の相違点と類似点に着目したまでは良かったが、
敢えなく任務遂行のためには兵士に感情を持たせるべきではないと気付いたのもまた事実。
余りにも不安定すぎるその部分を見逃せないことも、また。
研究者としては大いに迷うところである。
今回の相手は、其れを観察する意味合いも含めた者。
「…確かに…問題無い」
「じゃあ、いってらっしゃい」
「了解」
すたすたと歩き出す“彼”の後ろ姿は迷い無き鋼の如く。
オリジナルの彼がそう名乗っていたように―――今度は“メイガスの剣”として生きるのだ。
主の命を阻む全てを切り捨てる者。
そんな強固な意志を折る者が居るとすれば。
分の悪い方を好む狼が現れるか、鏡に映された己自身か。
―――戦うことで、人類は更なる進歩を遂げ、外敵から自身を守ることが出来る!!
そう。
戦うことで、“彼”もまた。
「…でも…まだ……?」
女は呟く。
***
翌日。
男は未だ起きてこようとはしない。
しかし起きてきた所で、こちらには何か良い策があるわけでも無い。
意識は疾うに目覚めているのだが、眠り続けているようだ。
何を思ってのことかと、尋ねたくとも出来ぬまま、尋ねても答えが返ってくる筈も無く。
それでもつい何度も同じ問いを繰り返すのは。
深く椅子に腰を下ろして、背に己の身体を預けながら、
断定すら出来ずに親友が曖昧な笑みを浮かべるのを、初めて見たからか。
途方に暮れている、珍しい彼の姿を。
「私に、行くなと言うのか?」
「そうだ」
「何故?」
「……」
今までに経験してきた押し問答の中で、今回が一番厄介だった。
男は頑として、青年が眠り人に接触するを許さず、理由を尋ねても苦笑するばかり。
危険だからと強く説得した所で何の効果も出ない。
道理の通らない話をしているのだと分かっているのだろうに、何故か意志を曲げようとはしない。
それ故に、問う。
何故?
「しかし、君だけが彼の世話をするというのか? これからも?」
「…其れは…」
「閉じ込めておくのか?」
―――無理な話だ、と言外に漏らしている。
そんな事など男は疾うに承知している筈、だが。
(普段であれば、妬いてくれているのかと……徒に問い掛けるものだが)
今回ばかりはそうはいかない。
命の遣り取りをした相手が近くで眠っている。
覚醒しても尚眠り続けているその真の意図は。
一刻も早く、次の行動に移らなければならないのだ。
それなのに。
「予断すら、させてはくれないのだな」
「すまん」
「謝るのなら」
「…すまん」
遮られた言葉を飲み込み、青年は態とらしく大きなため息をつく。
「―――君の判断に一任する」
「…其れで良いのか?」
青年が苦笑した。
「良いも何も、君が納得しなければ話が進まない。…君の意志の強さが、こんな時には私にとって恨めしい」
そう戯けてみせた台詞の言い回しには、密かな警告が含まれている。
序でに少々の嫌みも。
本来ならばこのセーフハウスに多大なる危険因子を持ち込んだことを叱りたいのだろうが、
生憎そんな性分でもないことを承知している側にとって、意志さえ曲げなければ勝ちはなくとも負けは来ない。
青年は、惚れた弱みという苦みを噛み締めている。
未だ、肝心なことを問うてはいないのだ。
だが問うことを許さないのは彼自身すら理解不可能なのだろう。
あの男に対しての不安も迷いも浮かばない己は一体何処から湧いてくるのかと。
更にそうやって迷いを煽る結果になる。
自縄自縛に嵌り込んだ姿を見ては、何も問うことが出来ない。
悔しいが。
「(何故、だろうな…全く…)」
己自身が理解できない。
青年が問いかけても答えられない。
其れが、余計に。
―――互いを困らせている。
「ゼンガー、私は」
「エルザム、お前」
言葉を発するのは同時だったが、僅かに青年の方が早かったような気がする。
再び二人の間の空気が膠着状態に陥った。
***
彼の名は、守る為に傷つく者の名。
剣を振るい、雄々しく戦う姿は正に。
実際とは懸け離れた存在でありながらも、与えられた名に。
彼の運命は定められていたのか否か。
鏡に映した己の半身を垣間見ながら想起するは。
男達は夜を眠らぬ。
<続く>
<戻る>
writing by みみみ
© 2003 C A N A R Y
|