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はじめ通信9−1208
遅すぎた決断だが・・石原都政もついに観念!
来春から小学校低学年に少人数学級を検討


●本日12月8日、都議会定例会の代表質問で、自民・公明がこれまでさんざんケチをつけてきた少人数学級を唐突に要望しました。いずれも、今年7月に都教委が行なったという「小1プロブレム」と「中1ギャップ」などの調査報告が11月に発表され、小1プロブレムが約4分の1の小学校で見られるなどの結果を受けてのものです。

●両党は、初めての知見に衝撃を受けたようなそぶりでしたが、小1プロブレムは、2003年ごろからすでに指摘され、2004年第1回定例会のわが党の代表質問でも都内の小学校の新入生クラスのようすをリアルに紹介して、少人数学級の実施を訴えています。

●さらには2004年に初めて発行された東京都教育ビジョンにさえ「小1プロブレム」がとりあげられていたのです。
 当然、当時文教委員だった私は、問題の解決に「幼児教育との連携を検討」すると言う都教委に対して、それも必要だが、学校としてできる最大の打開の道は、教員がひとりひとりの子どもと向き合えるよう、学級定数を改善することを提案しました。(2004年6月11日の文教委質疑)

●当時の教育庁は、あいかわらず「切磋琢磨」や「社会性を養う」ことを理由に、四〇人学級に固執し、少人数教育が必要な場合は、都の「習熟度別」の少人数指導で対応するとの答弁を繰り返しました。
 私は、小学校の新入生クラスでは到達度にも差が無いため、事実上「習熟度別」の集団別け自体ができないことを明らかにして、どうしても少人数学級に踏み出そうとしない都教委を以下のように批判しました。
「社会性を養うといいながら、実態は、社会性云々の前に、生活集団としてももう崩壊状態か、それに近い状態にあるという現実からどう打開していくのかという、まさに都の教育委員会自身の教育条件、諸条件の改善という、これは教育基本法に定められた基本任務、基本使命を忘れているんじゃないかと思うんです。」

●5年半も前にはっきりしていた問題をいまごろ蒸し返して質問する方もほうだが、答弁もあきれるものでした。
 教育長は、5年半前すでに明白だった問題に決断できず、そのころ小1プロブレムを引きずったままの子どもたちがもう卒業する今ごろになって、小1問題を「早急に対策を講じなければならない重要で深刻な問題であると認識をして」いると認め、「教員が子どもと向き合う環境をつくるため、」「学級規模の縮小も可能とするなどの対応策について、早急に具体的な検討を進め」ると約束したのです。

●それでも今までの言い分を全面否定したくないらしく「検討に当たっては、四〇人学級のメリット、すなわち生活集団としての学級の教育効果、切磋琢磨による社会的適応能力の育成について十分配慮」すると言う、わけのわからない矛盾した尾ひれを付け足したのです。

●しかも共産党のたぞえ議員への答弁では、学級規模縮小などの小1問題への対策が「少人数学級を目的としたわけではない」という、これまたわけの分からない理屈をこね、とにかく少人数学級などやりたくないが、小1問題については他に方法が無いので渋々選択するというホンネがアリアリでした。
 つまり、他の道府県では少人数学級の成果が定着する中で、基礎学力を全体として引き上げるには、子どもどうしを競争させるより、教員が一人一人にしっかり教える条件づくりが有効だと気がついてきたのに、東京では相変わらず「切磋琢磨」の名で激しい競争と選別に子どもを追い込むことに躍起になっているということです。 

●こうした石原都政の教育政策の遅れとゆがみが、各学校におけるクラス集団の崩壊現象をこじれにこじれさせ、もはや5年前と違って学級定数の改善だけでは事態解決の決定打になりにくいレベルまで学校教育を深刻にしてしまったように、私は感じています。

●それは、子どもによる教師への暴言や暴力が中学から小学校まで急速に広がっているという最近の調査にも現われています。いったん子どもの教師へのいじめや暴力が始まると、もはや少人数学級にするだけでは解決しなくなるといわれています。
 子どもの教員いじめの原因には、子どもどうしのいじめがあり、それを教員がやめさせようとしても保護者との協力が困難だったり、保護者の教員への厳しい評価や無理解が子どもに反映している場合が圧倒的です。

●背景として、私は学区自由化や統廃合で学校が地域から孤立させられ子どもも競争原理でストレスが溜まってしまう競争主義の教育構造も原因になっていると考えています。
 いずれにしても一日も早く東京での少人数学級を全学年に広げ、競争主義の克服へと一歩を踏み出せるようにしなければなりません。

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