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はじめ通信7−1127
北区生活と健康を守る会の野田清野さんが、なくなりました

●北区のまもる会を、長く支えてきた一人である、神谷の野田 清野さんが、23日に、解離性大動脈瘤のため、78歳で亡くなりました。

●忘れられないのは、私の区議時代、私の長女のクラスメイトで、地元の桐ヶ丘団地に住んでいたHくんが小学校5年生のとき、親一人子一人のお母さんが急死され、卒業さえ危ぶまれたHくんを、お母さんの叔母であった野田さんが、彼を引き取って面倒を見て、卒業式にかろうじて間に合ったことです。
 失業式の日に、卒業証書授与に遅れてきたHくんに気づいた校長の細田礼子先生が、式の途中で彼を呼んで、壇上で卒業証書を渡したのを見て、父母やクラスの友人は、涙せずにはいられませんでした。

●残念ながら通夜にも告別式にも出られない私は、朝、出掛けに式場に立ち寄り、焼香を済ませた後、控え室に寄ると、久しぶりにH君が通夜の泊りで、きていました。
 懐かしく言葉を交わしたあと、下記のような、野田さんを送る言葉を手渡しました。

●葬式は、なくなった方の最後の晴れ舞台です。
 そこに立ち会えない私は、申し訳ない思いと同時に、野田さんを、庶民のためにたたかいぬいた、尊敬する先輩の一人として、私の拙い短文でも、いくばくかのはなむけになればと思い託しました。

 玄関を出るとき、無神論の私ですが、思わず合掌しました。


      野田清野さんを送ることば        曽根 肇

 ときには、きついことを言っても、誰かが困ったときに、まっさきにかけつけてくれたのは、野田さんでした。

 いつも誰かの世話を焼き、じぶんよりほかの人を心配していた野田さん、くらしをまもり、いのちをまもるための長い長いたたかいの人生、本当におつかれさまでした。

 私たちは、これからも野田さんの思いをだいて、また昔のような暗いみじめな社会に引き戻そうとする人たちとたたかいつづけます。

 野田 清野さん、本当にありがとうございました

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