トップページへ  はじめ通信目次へ   

はじめ通信7−11−11
07学力テストの残したもの・・シリーズ6
S校長を不正に走らせた競争主義の連鎖
その大元は誰がしかけたのか・・


●足立区のS小学校が、区独自テストで1回目の下位から2回目に一気に1位に躍り出た時、区内の学校関係者の多くが「思い当たる節があった」と、後で振り返っています。
 今年の7月に、障害児の成績を集計から除いたこと、テストの当日子どもの机を回りながら間違いを指摘する「指差し」をしたこと、さらに前回テストの問題をコピーしておいて、繰り返し子どもに練習させていたことなど、S小の複数教諭による証言がマスコミに報道され、区教委の調査に校長が不正を認めたとき、「やっぱり」という衝撃と感想が広がりました。

●それはS小の校長が「教育改革」の熱血漢で、新任の校長として赴任したS小が最初の都の学力テストで下位であったことに人一倍コンプレックスをもっていたからというのが、直接の理由でした。 ところが問題はそれだけではなく、S小の校長が、あえて不正に走っていったことに、暗黙の了解を与えるような区教委の対応があったことが、次々と明らかになってきました。

●区教委は何をやってきたのか・・2回目の独自テストに先立って次の4つの手立てを行っていたことが明らかになりました。
@学力テストで下位だった学校の校長を呼び出して奮起を促すとともに、挽回のための計画書の提出と実行を求めたこと。

A学力テストの平均点を元に、成績に比例して学校への配分予算に傾斜をつける方針を打ち出し、実際に実行したこと。

B都の学力テストの一月も前にテスト問題を各校長に渡し「活用する」よう指示したこと。(これについては、さすがにある校長から後でクレームがつき金庫に保管する指示に変更されたが)
 また過去問題や類似問題を子どもに練習させる指導法を事実上奨励したこと。

C障害児や自閉症児について保護者の了解があれば成績の集計から除くことができる措置をとったこと。

●区教委からこれだけの対応や動きがあれば、校長の中にはこれを真に受けて「これならば、もし不正をしても区教委は咎め立てしないだろう」とか「きっと他の校長もかなりの事をやるだろうから、うちはもっと凄いことをやらなければ上位に食い込めないだろう」と考える人物が出てきても不思議ではないでしょう。
 実際なんらかの不正もしくは不正に近い行為を指示した校長はS小学校だけではなかったと言われています。S小学校長が不正へと追いつめられていった流れには、区の教育委員会が直接かかわっていたと言えるでしょう。

●しかし程度はさまざまですが、足立区以外にも学力テストの成績アップのためにやっきになり、通常の授業を返上して類似問題のドリルを繰り返し子どもにやらせるなど、学力テストに振り回される姿が、都内各自治体で見られました。
 全国に比べても、東京の各地で学テをめぐる競争がエスカレートしたのはなぜでしょうか。

●前回号でも書いたように足立区の教育改革は、2000年ごろから主として学力の底上げを目標とし”わからない子を無くす”という実践を重視して始まりました。それが学校選択自由化と学力テストを契機に、成績上位者を優遇して競争をあおるというスタイルにやすやすと変って行ったのです。
 そこには、他の道府県では高いハードルであるはずの競争主義の原理が、東京ではすでに簡単に越えられるほど低くなっていたことが大きな要因としてあると思います。
 なによりも国に先立って全員参加の学力テストを実施したのも、都立高校の学区を廃止し、学校選択性導入を先導したのも東京都でした。
 都立高校をランクわけして下位の校長に「改善計画」を迫るやり方も、ランクに応じて予算や教員配分に差をつける手法も、ハンディーを抱えた生徒を隔離もしくは排除していく発想も、全て石原知事の「教育改革」でおしつけられ、今では多数の都立学校長が従わざるを得なくなっている、いわば「当たり前」のことになってしまいつつあるのです。

●足立区の教育長は10月12日の、学力テスト事前配布問題での調査報告の記者会見で、「子供達には罪は無い。学力調査にアレルギーにならずにいてほしい」「調査報告は不十分だと思うが、本来子供達のために費やす時間を割いて頑張ってきた。こんなことは二度としたくない。子供達が本当に笑顔でいられるよう協力いただきたい」と語り、涙をにじませたと報道されています。
 これだけ不正が明らかになりながら、それでもなお「競争は必要」といわざるを得ない自らの無惨を、「子どもに罪は無い」「子どもに笑顔を」という言葉で覆い隠そうとする姿に、私は、この国の、なかんずく東京の教育が、いかに歪められているかを痛感しました。

トップページへ  はじめ通信目次へ