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はじめ通信7−10−21
 07学力テストが残したもの・・シリーズ2
「テスト結果の公開問題で、なぜゆれるのか〜いっせいテストゆえの弊害〜 」

●右の記事は、10月18日の毎日新聞ですが、最近、学力テストをめぐる結果公表問題で、自治体や学校が大ゆれにゆれていることがさかんに報道されています。
 直接的には、昨年大阪府の枚方市が国に先駆けて行なった独自の学力テストについて、学校ごとの成績を非公開と決めた市教委に対し、住民から公開を求める提訴があり、大阪地裁で公開を認める判決が出されたためです。

●一方、今回の国の学力テストについて行過ぎた競争を避けるため、実施前から市町村や学校ごとの結果は公表すべきでないと言う指導文書が文科省から出ていました。
 ただ、最終的には各自治体ごとの判断に委ねるという姿勢だったことから、今年のテスト実施後も都教委の担当者は、都としての公表はまだ決めていないと話していました。

●それが急に、「非公開」を強く指導するようになったのは、やはり足立区での不正が明らかになってからでしょう。
 都教委は、自らの独自学力テストは、すでに区市町村別の結果を公表していますが、足立の事件を踏まえれば、国のテストは非公開とするのが当然ですが、どちらにしても大きな矛盾が起きることになります。

●国が非公開を指導してきた理由は、文科省としては学力テストの意義を「競争の導入」より「教育内容の目標管理」に重きを置いて捉えていた(前回のシリーズ1号を参照)ことと、40年前の学テの失敗から、競争の過熱でいずれ足立区のような事件がおきることを恐れていたのではないかと思います。

●しかし困るのは自治体や学校です。子ども全員にテストをさせた以上、そのデータが学校まで来ているのに子どもや保護者に発表しないのは、枚方市の裁判結果を待たずとも、説明がしにくくなるからです。
 「全国テストだから国が判断すべき」とげたを預けて済む問題でもありません。鳥取県が国からのデータ受け取りさえ躊躇したのもうなずけます。

●私はここで、マスコミでは殆ど取り上げられていませんが、学力テストによる学力調査は、今度のいっせいテストではなく、この40年間、抽出方式でずっと問題なく継続してきたのだと言うこと、少なくとも我々は是認できませんが「教育目標の到達管理」と言うテストの目的は、抽出方式で九割がた達成可能だということを指摘しておきたいと思います。
 残り一割は、いっせいテストだからこそ全ての子どもに全国との比較で個別指導ができる点ですが、それさえ今回は子どもの答案が返却されないのでほとんど不可能です。

 ちなみに40年間の抽出方式で結果の公開が問題になったこともありませんし、特定学年の平均学力の到達度を合理的に判定するため同じ問題を毎年出題するというやり方も、抽出方式なら問題なく可能ですが、いっせいテストでやれば、足立区で「過去問」を繰り返し子どもにやらせ、子どもは問題の解き方より答えだけ暗記させられていたという事態を繰り返すことになりかねないのです。

●こうしてみると、文科省があえてこれまでの抽出方式からいっせいテストに切り替えたことの真の動機は、「子どもの学力調査」を口実に、自治体や学校を全国テストの成績によるランク付けの競争に巻き込むことにあったことは間違いないと思えます。
 さらに言えばその裏には、国が教育の充実に本腰を入れるどころか、学級定数も先進国で最低のまま、教育予算も教員も削減し、安上がりで可能な管理統制政策や教育内容での戦争美化ばかりおしつけてきたことのひどさをカムフラージュしたいとの意図が透けて見えるように思えます。

●この狙いを貫徹するには、保護者への成績公開は避けて通れません。
 うがった見方をすれば、国は自らそれを指導しなくても、テストを続けていれば、自治体や学校は公開せざるを得なくなると踏んでいたのではないかとさえ思えるのです。
 しかし、国のごまかしのやり方は、国より早くお先棒を担ぐように独自テストを実施した東京都や足立区、枚方市などのテスト実施のずさんさによって、いち早く矛盾が露呈したと言えるでしょう。
 「悪事千里を走る」と言いますが、これを機に今回のいっせいテストの問題点を徹底的に明らかにし、テストを中止した上で学力テストのあり方を議論していくべきでしょう。

●次回は、国を先取りした都の学力テストの内容について、少し詳しく見てみたいと思います。

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