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はじめ通信7−0826
自民・公明安倍政権を破った力に確信持ち、
政党の力関係を地域から変える決意


(先日の党の会議で発言した内容から抜粋して掲載します)

●自民公明の政治を破綻させ、国民とともに新しい政治の流れを創る。そのために全力でたたかうとともに、総選挙はもちろん、2年後に期日の決まった私たちが候補者となる都議選に向けて新たなスタートを切る決意です。

●参院選の翌朝、赤羽の駅頭に立って、マイクを握ったとき、自分自身いま見てきたばかりの選挙結果をどう受け止め、何を語るべきか固まっていたわけではありませんでした。
 しかし、いつも「もっと元気を出してしゃべれ」とか「最近顔が見えないぞ」などと必ず一言注文をつけていく威勢のよいおやじさんが通りすがりに、「オウ、残念だったな。でも頑張ったよ、安倍をやっつけたじゃないか」と、はじめてほめてくれました。
 それを聞いて、「そうだ、改憲のもっとも危険な政権を破ったんだ。その危険性を最初から一貫して訴え続けた我々のたたかいに確信を持とう」と、駅頭にたつ中で、ようやく私自身の受け止めが定まりました。

●私がそうした選挙戦でのわが党のたたかいの意義や今後の決意を語っていくと、通行する人たちは共感を示しながら通っていきます。
 必ず選挙の翌朝から駅前で挨拶に立つ政党は私たちしかいないこともあって、共産党の姿を信頼の目で見てくれているという実感もありました。
 さらに今後も憲法をまもり公約実現に全力をつくし、次の選挙では必ず前進を果たす決意を表明すると暖かい拍手も寄せられました。
 急いで25部ほど用意していったその日の赤旗日刊紙はすぐに配布しきってしまいました。

●その後の街頭宣伝や後援会などの報告会でもこの反応は共通していました。
 比較できるかどうか分かりませんが、私たち都議団が昨年秋以来、石原知事の都政の私物化問題を徹底して追及したことが、石原知事の3期目は阻止できなかったものの、福祉重視や庶民減税を公約せざるを得ないところまで追い込みましたが、当時、都庁の内外で共産党への信頼や期待が大いに高まりました。ただ残念ながらそれが確実に選挙での支持となる保障にはまだなっていない、これと共通した印象が私にはあります。

●私たちはこれから、総選挙はもちろん時期の定まっている次の都議選までにはこの党への期待感を確実に1票につなげるところまで持っていくことが最大の課題です。
 それこそが新たな政治の流れを本物にし、政党の力関係を根底から変えていく道だと思います。

●政党の力関係を変えていくうえで一つの象徴的な取り組みとして、選挙をはさんでたたかってきた北区の神谷地域での都営住宅建替え問題があります。
 2棟百軒ほどを対象にした建替え計画がいきなり提示され、住民説明会は一度きりで、住民を遠い団地にばらばらに移転させ七〜八割は戻ってこないことを前提にした露骨な住民追い出しの計画でした。
 住民は再度の説明会や地元に残るための空き家など、改善要望の声を上げましたが、都はシャットアウト。公明党支持が圧倒的と言われた団地から多数の住民が寄り添うように、地元の木元良八区議に相談に来られました。

●木元区議と私は、まず住民の皆さんから要望を聞き、それをまとめて住民代表とともに都の住宅事務所を訪ね、担当課長に要望を提出しました。住民からもこもごも実情を訴えました。
 すると、その場では良い返事を全くしなかった都の担当者が、10日ほど後にわざわざ団地に来て集会室に住民を呼び出し、先日いちばん強く要望した「地元に残れるための仮移転用空き家住宅」を15戸ほど確保したという話をしたそうです。 若干の改善にはなりますが、15戸では地元に残りたい希望者の一部しか救われません。
 しかもそこには公明党議員が立ち会っており、都の担当者は「これは公明党の議員さんからいただいた宿題への回答です」と説明したそうです。水面下で都と公明党の動きがあったことは明白です。

●その後も、地元共産党支部の呼びかけで、この問題で超党派の相談会を開いたところ、入り口には創価学会の幹部が立って威圧し、団地と会場の間の道では宣伝カーで公明党の議員が「共産党の相談会に出ると金を取られる」と演説するなど、むき出しの妨害が行なわれました。それでも過半数の居住者が相談会に参加しました。

●私と木元区議は直ちに反撃の宣伝で「住民要望に力をつくすのが地方議員。要望実現に水をさす行為は本末転倒」と厳しく批判しました。
 参院選の最中も、可能な限り宣伝カーを回し、支持の訴えとともに、建替え問題で最後まで住民とともに頑張ると訴えました。
 はじめて共産党に投票してくれた方がたには悔しい思いをさせてしまいましたが、それでも選挙後「最後まで皆さんとともに頑張る」との私の訴えに、激励と拍手をいただきました。

●居住者の期待に何としても答えなければと、木元区議と私はさいごまで粘り抜いて地元の仮移転住宅を2倍近くまで増やさせ、移転先の抽選会までに、子どもを地元の学校に通わせている人や、海外から来て子どもがやっとなじんだ所で転校は不安だと言う人、高齢者の通院条件確保など、大多数の居住者が納得するところまで計画の改善を勝ち取ることができました。その日の夜や翌朝にはうれしそうな報告の電話がありました。

●一つの地域の、ささやかな経験ではありますが、公明党の党首を抱える東京12区のこの北区で、公明党の得票が過去最低水準に後退したことと合わせ、どの党が住民要望実現に最後まで頑張るのか、どの党が庶民の味方のような顔をしながら裏切ってきたのか、徹底して明らかにする中で、地域から政党の力関係を変えていけると確信しました。

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