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9・28都教委で日の丸君が代裁判への控訴を報告
委員からは、ひとことも発言なし

●定例の教育委員会が開かれ、指導部から、下のような資料が出され、中村教育長の権限で、9月21日の判決への控訴を行なう方針を決めたことが報告されました。
 都教委の進めてきた入学式・卒業式などで日の丸・君が代への起立・斉唱をおしつける03年10月23日通達以来の大量処分や学校への締め付けが、全て違憲・違法と判決を受けたにもかかわらず、たった一枚の資料と、教育長の権限で控訴を決めたとの報告でした。
 委員からは一言の発言も無いまま、了承されました。

●もちろん裁判での控訴を決める場合、重大な問題は教育委員会での審議・決定が必要とされているが、この問題は重要問題と考えていないので教育長が決め、報告の扱いにされたらしい。
 もし賠償金額が一人3万円で総額でも1200万円程度だったことが、「重要ではない」理由だとしたら、お金の多い少ないで事の重大さを測ることの是非が問われねばならないでしょう。
 仮に「判決自体が非常識で、高裁でたやすく逆転できる」との考えで審議を省略したのなら、私が本会議で追及したように、あまりに司法を軽視した不遜な姿勢と言わねばなりません。

●これまで「ピアノ伴奏拒否事件」など個別の裁判では原告が敗訴する判決が多かったので、都教委はいまだに9・21判決を甘く見ているようですが、実は今回厳しい判決が出たのには、これまでの裁判にはなかったこの間の都教委の通達や命令、処分の異常性と、あまりに大量の処分で社会的影響が大きいという「行過ぎた措置」という問題への世論の厳しい批判があることに、彼らはまだ自覚がないのだと思います。

●難波裁判長のこれまでの判決例を見ると、決して労働者側に有利な判決を出しそうな経歴ではないと言われています。しかし、なぜ憲法と教育基本法に極めて忠実に沿った判決がなされたのか・・。判決文をよく読むと、原告らの公判での証言内容を判決にとり入れていることに気づきます。原告の政治的主張と言うより、彼らが受けてきた都教委からの様ざまな仕打ちの中に、たとえ教員としての「国旗・国歌の指導の義務」があったとしても、侵してはならない教員自身の人となりのもっとも深い土台をなす部分にまで土足で踏み込んだことの道義的な不当性を見極めた判決だと考えられます。

●都教委の今回の控訴判断は、いずれ都民から厳しく指弾されることにならざるを得ないと思います。

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