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6−10−7はじめ通信
「フラガール」から見えるものは・・

●「ベタなドラマ」ブームの波を起こしただけに、ひねらず、呆れるほど月並みな本道を行く物語だ。途中で会話を予測しながら観ていると、その通りのせりふが流れてくる。

●にも拘らず心が動かされるのはこれが斜陽産業からの起死回生の町おこしという事実に基づき、町を守る為とはいえ炭鉱に代わってミスマッチのフラダンスリゾートを現実にした日本人の「恥も外聞もない」アイデアと許容力と根性にスポットを当てたからであり、さらに観客を納得させたのは限られた撮影期間にしずちゃんを含めて俳優がプロ並みのダンスを身につけ出演者もまた根性を見せたことだ。これがなければただのベタ映画になってしまう。

●炭鉱夫未亡人の顔から組合に背いても娘に協力する母親の顔まで、毅然とした演技を変えようもない富司純子も、屈折演技の代表格の豊川がドン臭い役柄をぎこちなくこなす姿も監督の狙いかもしれない。

●主人公の親友が家族のために無念の思いで去った先の夕張から真っ赤なコサージュを送ってくる。
 今、その夕張が行政の無責任と国や道の策略で破産宣告を受け、見せしめの生け贄・さらし物にされている。炭鉱の仕事にしがみついて厳寒の地に行ったあの家族はどうなったのか・・これも偶然だが皮肉な伏線になっている。

●それが本質だとは思わないが、当時炭鉱会社にはつぶれても地元で仕事を起こし、地元の人を雇うモラルがあった。ハワイアンセンターには東京の企業が社員旅行でこぞって出かけ、そこから職場ごとにもう1泊各地に散る拠点に利用した。

●私も就職した74年の社員旅行で常磐ハワイアンセンターから翌日、六日町温泉に泊って生涯1度だけのヌードショーに連れて行かれた記憶がある。
 熱海や鬼怒川、伊香保などに加えて東北のリゾート拠点としてキャンペーンは見事に当たったのだ。バブルを機に日本の企業にこれだけの才覚もモラルもなくなったことが日本型資本主義の堕落を示していることは間違いない。

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