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はじめ通信・子どもと教育のはた4−915

守ってやれなかった「水元高校」「久留米高校」と共に地元生の通う「志村高校」・・運動の方々に深くお詫びいたします

●「第4学区の高校統廃合を考える」会の佐藤朝子さんが、9月15日の文教委員会の統廃合見直しを求める請願審議の前に、私たちの運動の歴史ですと言って分厚い写真の束を貸してくれました。
 板橋区の都立志村高校が廃校にされると言う計画の発表が、99年の夏。全く唐突で、近所のお寺などを会場に、都議を呼んで事情を聞いたりしながら、まさかと思い半信半疑で運動が始まって丸5年以上。

●佐藤さんはそれ以前にも、住んでいる北区であり子どもが通う都立城北高校が、97年の第一次計画で「箸の上げ下ろしまで教えます」などという人を馬鹿にしたような宣伝文句のチャレンジスクールに変えられる計画への反対運動にも参加。足掛けで8年のたたかいです。(チャレンジは運動の成果もあって、立派な学校になりました)

●その城北も、募集停止を1年延ばしたものの「桐ヶ丘高校」となり、つい最近城北定時制の最後の卒業生が巣立って看板が下ろされました。
 しかし志村高校の場合、今まで24クラス・1000人近くが通っていた高校そのものが消えてなくなるのです。ちょっと羽目をはずすくらいににぎやかだっただけに、町は灯が消えたようになるでしょう。

●来年春の募集停止を控えて、水元、久留米、志村の関係者は、最後の望みを都議会に託してきました。9月のこの委員会で何とか趣旨採択でも勝ち取れれば、まだ来年の入試にぎりぎり間に合うという思いだったでしょう。
 しかし、結果は、共産党と少数会派以外は、自民・公明・民主の多数で「継続審査」。事実上の廃案です。

●ひどいのは、水元高校の地元葛飾で今年春、わが党の木村団長と共に集会にまで出て「必ず残したい」と豪語した当時の自民党政調会長。その後も「水元だけは大丈夫」と言い続けてきて、やっぱり結論は「継続」つまり「廃案」。葛飾の公明都議も同調。
 久留米高校の請願にも、地元の自民党、民主党の都議が紹介議員に名を連ねながら「廃案」。志村高校の場合も、稲葉議員、土屋議員などの名前が古館都議と共に並んでいたのに。(公明議員は現職死亡で欠員)

●佐藤さんたちのひたすら訴える姿を無にしたくはありません。悔しい思いです。よく観ていただくと、上から下にかけて、少しずつ同じ方々が年齢を重ねていく様子も分かります。まだ学校がなくなるまで何年かある。何としてもこのまま地域から学校を消え去らせるわけには行きません。

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