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はじめ通信・子どもと教育のはた4−1030
天皇の思惑は・・戦前の二の舞を避け、政治利用をかわすためか


●10月28日に皇居で行なわれた秋の園遊会での米長東京都教育委員と天皇との問答は、主な新聞のほとんどが報道しました。共通して伝えられたのは、「日本中の学校で国旗を掲げ国歌を斉唱させるのが私の仕事」という米長氏のちょっと舞い上がった感のある発言に対して、「やはり、強制になるということでないように」という、天皇の明らかに水をさす発言を伝え、あとで宮内庁次長の「強制でなく自発的というか、喜んで掲げ、歌うことが好ましいということで、国旗国歌法制定時の首相答弁に沿ったもの。政策や政治に踏み込んだものではない」との説明を付け加えています。

●ことの経過を少し詳しくみると、この園遊会には東京の教育関係者として小山内美江子氏と米長邦夫氏が招かれて、隣り合わせて並んでいました。もちろん皇居側できめられたもので、天皇は先に小山内氏の活動についてたずね、彼女は、脚本の仕事の傍ら、カンボジアで学校を造っていると答え、天皇は「ぜひ頑張ってください」と励ましの発言をしています。
 その次に米長氏の前に来て、「教育委員の仕事ごくろうさま。どうですか」と、水を向けました。護憲派の小山内氏が発言し、天皇から激励された後だけに、当然ながら米長氏は心理的あせりもあったのでしょう、天皇の前で少し対抗的な肩肘張った言い方にならざるを得なかったと思います。
 つまり全体として皇居側から意図して、日の丸君が代”強制派”急先鋒の米長氏にそのことを語らせた上で、「強制にならない様に」と天皇自ら発言をするための高度な演出があったと考えても不思議ではありません。

●そう考えると、天皇の真意は何か。
 状況としては、憲法改悪とそれに連動した教育基本法改悪の動きが急速に進んでおり、国会の力関係を見れば護憲派はごく少数となっており、このままではいずれ改定への国会論議、国民的論争が必至の情勢です。
 その前哨戦として、東京都では石原都政のもとで、まず学校教育への日の丸君が代の強制をはじめとする教育への介入と抑圧が始まり、次第にそれが埼玉、神奈川など、全国への広がりを見せ始めている。
 もちろん、心ある教育関係者・都民の反発と抵抗が広がってきており、日の丸・君が代の学校での義務化問題が、憲法・教育基本法論争の大きな争点となりつつあるという状況でしょう。
 少なくとも天皇は、石原知事やその周辺の勢力による、天皇制の象徴というべき日の丸・君が代強制という形での政治利用は、自分が意図したものではないとの一石を投じ、今後論争のエスカレートによる火の粉をかぶらないよう布石を打ったと見ることができるでしょう。

●悪く言えば、憲法や教育基本法を変えるのはもっとうまくやりなさいということか、私をだしに使うなということか、いずれにせよ自分は蚊帳の外に身をおいて、改憲が失敗したときの政治責任追及を逃れる意味はあったでしょう。
 もうすこし好意的に捉えれば、戦前に自分の父親が、関東軍の中国大陸での挑発と侵略に対して追認・奨励を繰り返したことから中国侵略、太平洋戦争が勃発・拡大し、後に国際的に戦争責任を厳しく問われ、あわや皇室と共にその存命を許されない寸前のところまで追いつめられたこと、それを回避するために人間宣言や、対米的な屈服をせざるを得なかったという、当時10代の多感な少年であった彼にとって痛苦の教訓を踏まえたものだという気も、私はするのです。

●マスコミは共通して事実のみを伝えるにとどまっていますが、今回の天皇発言は、改憲の動きとそのもとでの国民各層の立場が厳しく問われる場面が、われわれが思っている以上に切迫していることを裏返しの形で証明しているといえます。
 われわれも、この天皇発言を政治的に利用するのは適切ではないでしょうが、絶対君主制の頂点に立つ者の末路を、その後継者として見届けた現天皇の、戦前の二の舞はしたくないという表明であるとするなら、その点だけは受け止めるべきではないかと考えます。

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