はじめ通信11−0806
北地区の党会議での発言から
歴史の試練に耐え、信頼に足る政党として前進を
<8月3日、北区の党会議での、曽根はじめ前都議の発言の要旨を紹介します。>
●議席を失ってから2年が経過し、次期都議選での議席奪還に向けたとりくみも折り返し点を過ぎました。
大運動でのわが党の前進・強化の中で、皆さんと共に勝利をめざし、必ず議席を勝ち取る決意を表明します。
きょうは私の感じている情勢の動きと、それにどう立ち向かうかについて発言します。
●まず前回都議選前の時期と比べて、本当にたたかいやすい情勢だと思います。
前回選挙まで、私は石原都政の追及に労力の大半を費やしていました。
それは私が現役の都議だったせいもありますが、それ以上に石原知事の、教育基本法改悪につながる「日の丸・君が代」強制や教育現場に土足で踏み込む攻撃、新銀行への四百億円の追加出資、都民の台所・築地市場の土壌汚染の豊洲への移転ゴリ押し、そして文化事業を私物化したワンダーサイト、電通独占のオリンピック招致のムダ遣いなど、都民の立場からみて許しがたい問題が、都民生活に直結した福祉や介護などの問題以外にも山のようにあり、避けて通ることはできなかったからでもあります。
●しかし共産党都議団が、どれほど手間と苦労をかけて調べ上げた石原都政のうらの実態を暴露し、マスコミにたびたび登場しても、それで高まった都民の石原都政批判は、もっぱら民主党への政権交代の期待感に吸収され、成果の多くは都議選まぎわに野党ポーズをとった民主党に横取りされてしまいました。
●いま私自身は間違いなく、都議選でたたかうべき2大政党とその協力者・公明党による政治の腐敗や混乱と、真正面からたたかいつつあると感じています。
石原知事の悪政は相変わらずですが、都民・国民の期待もうすく勝ち目もないオリンピック再立候補にしがみつくしかない現状です。
●都議会の二大政党勢力も、国会以上に腐敗堕落しています。
7月1日、都議会最終本会議当日未明に、自民党都議のK氏が亡くなり自殺と見られています。
前日まで彼が元気だったと言う話を聞き、私にはK氏の死の真相がチラッと見えた気がしました。
K氏は自民党主流ではなく3年前には新銀行への400億追加出資の議決にも欠席し、以来ただ一人会派の中で干されていたようです。そんな彼には石原4期目を支える何の意欲も湧かなかったでしょう。
さらに都議選で民主が躍進してからの2年間、石原都政の予算や悪政がストップされる危機のなか、補欠選挙などの攻防で、やっと1議席差で自民・公明が過半数を握り返した時でした。彼は自分の死で再び石原都政が危機に陥ることを承知で、最終本会議の逆転劇を演出したのです。
●自民・公明が過半数を失ったことで動揺したのは、むしろ民主党でした。
都議会の逆転劇を都政新報は「民主党も都政の責任を背負う展開だ。杉並都議補選で負けた後、『本会議採決で与党に数で押し切られた』という弁明が成り立ち、責任が軽くなった一面は否定できなかった」と、皮肉交じりで、民主党の都民世論にこたえる姿勢が厳しく問われる展開になったことを報じています。
2大政党の党略的な駆け引きが再燃する都議会に、私・そねはじめも何としても議席を取り戻し、今度こそ都民の声が届く都議会・都政を築くためにがんばりぬく決意です。
●3・11以後、新自由主義政治の下、競争と自己責任論でバラバラだった国民の意識が変わり始めているといわれますが、二大政党への幻滅から、わが党の政治活動への反応もまだまだ厳しさがあります。
毎週4日朝の宣伝に立っていますが、私の自宅直近の北赤羽駅でも、5月ごろには1時間で私自身からビラを受け取った人は10人ほどでした。それが1週ごとにじわじわ増えて今30枚ほどになりました。 あらゆる工夫を重ね、いずれ必ずかつてのような三桁のビラを渡せるところまでなりたいと思います。
●共産党は時代と有権者から厳しく試されているのだと思います。
共産党が試練に耐えて、私たちの仲間を増やし機関紙や後援会を拡大して国民の信頼に足る力を身につけることができるかどうか。
私はそのためにも、被災地支援の活動や原発ゼロをめざす取り組みを通じて、私たちと共にたたかう仲間を増やす先頭にも立ちたいと思っています。
●8月1日に志位さんの記念講演を聞いて、少し反省した点があります。
これまでいくつかの会合で、私は党の国会議席が低迷したことで、福島原発の危険性を追及しながら過酷事故をくい止められなかった悔しさを語ってきました。
でも志位さんは、むしろ25箇所もの原発計画をつぶしてきた歴史にこそ住民とむすんでたたかうわが党の草の根の力があると強調しました。これこそが本当に前向きの確信の表現だと感じました。
ふり返れば私にも、地元の方々と25年間、国立病院廃止計画以来、いまの東京北社会保険病院を守るために営々と草の根でたたかってきた歴史があります。
●夜明け前の冷え込みにも似て、今後も紆余曲折があるでしょうが、かならず都議会に戻って、党や後援会の皆さん、そして地元住民の皆さんと共に奮闘できるよう、ご支援ご指導をお願いします。
|