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はじめ通信10−0601
鳩山政権崩壊シリーズ@

鳩山政権の政策がことごとく行き詰まり、誰の目にも内閣の崩壊が近いことが明瞭になりました。
その大きな要因を、私なりにレポートしてゆきたいと思います。
何回続くか分かりませんが、まずは最初の大きなインパクトとみられている社民党の政権離脱について考えてみました。
                2010・6・1   そねはじめ


 沈みゆく泥舟から慌てて逃げ出したが遅すぎた社民党の政権離脱

●内閣崩壊まぎわの政権からの逃亡

 普天間問題をめぐって鳩山内閣崩壊は時間の問題となり、社民党がついに政権を離脱しました。
 しかし党首が大臣を罷免されたのに、直ちに政権離脱を表明できなかったり、政権を離れても鳩山が辞任すれば選挙協力は可能と打診したと報道されるなど、よほど政権の座に未練を残しているようです。

 社民党幹部は「総理が普天間の結論を5月末と約束しなければ政権に残れた」とか「政権参加は間違っていなかった」などと発言し、マスコミも「涙を流しての苦渋の決断」ともてはやしています。

 しかし私は、かつての社会党分裂の教訓を少しでも生かすつもりがあるなら、政権参加そのものが社民党自身の命運に重大な禍根を残す誤りであったことをきびしく認識すべきだと思います。

●やはり沖縄をうらぎり崩壊した村山社会党

 村山内閣当時の社会党は自民党との連立政権で首相の座を得るのと引き換えに、すでに海外派兵していた自衛隊を「合憲」と認め、安保条約廃棄の旗を降ろして在日米軍の恒久的基地使用も認めてしまいました。その結果、何が起きたでしょうか。

 政権発足の翌年95年9月4日、沖縄で起きた少女暴行事件を機に米軍基地撤去の激しい世論とたたかいが巻き起こり、安保と自衛隊を容認して政権トップにありついた社会党の村山首相は96年1月辞任に追い込まれました。

 同時に、日米間でひそかに準備されていた「アクサ(ACSA)協定」・・在日米軍と自衛隊の間でいっさいの武器弾薬まで規格を統一し、全て日本側の負担で調達させるとともに、日米共同の軍事行動がいつでもどこでも可能となる戦争準備の最終協定・・は、米側のナイ国務次官補が、沖縄の大運動により来日できなくなり無期延期となったのです。

 そして「日本社会党」は直後の党大会で「社会民主党」と党名を変更、それを機に安保廃棄を掲げる新社会党や右派の民主党の前身勢力が袂を分かち、40年以上の社会党の歴史を閉じざるを得なかったのです。

●対米外交の出発点の誤り

 政権の椅子ほしさに、“悪政に苦しむ庶民を代弁してたたかう”という野党の魂まで売り渡せば、遠からず政権から放り出されることは目に見えていたはずです。

 福島党首は鳩山首相が途中まで「県外移設」に努力したが、防衛省や外務官僚の激しい巻き返しで孤立させられたと盛んに言いますが、鳩山総理はもちろん社民党自身の最大の弱点は、もともと米側の責任で撤去返還すべき普天間基地について、日本政府がわざわざ移設先を探してまわるという”責任のすり替え”を認めてしまったことにあります。

 仮に首相が「県外移設」をもちかけても、自治体ぐるみで引き受ける所などないことは、先日の全国知事会を見ても明らかです。
 グアムやテニアン等の名前も挙げていますが、これらは米国統治領であり最終的には米政府の決断がなければ実現しません。しかしアメリカ政府にとっては、日本の責任で国内に新基地を造る方が都合がよいに決まっています。実現すればただで新たな軍事拠点が手に入り、そこの住民が反対すれば、それを理由に普天間に居座わる口実にできるのですから。
 したがって出発点において日本政府が対米追随の態度を根本的に改めない限り、米側が国外移転を受け入れる可能性はないと言わざるを得ません。

 鳩山総理のむなしい「努力」を懸命に後押しして見せることで、沖縄県民が一貫して求めている政府の本腰を入れた対米返還交渉から一貫して世論を遠ざける役割を果たした社民党の責任は重いといわざるをえません。

●悪政とたたかう野党の魂をつらぬくとき

 不況で苦しむ国民のくらしや社会保障の問題に比べて、「沖縄の人たちは気の毒だが、大多数の国民にはかかわりない」とマスコミで扱われてきた安保問題が、沖縄のたたかいを出発点にして、やはり国政の根本をゆるがす大問題だということが改めて浮き彫りになってきました。日本共産党の、本当の野党としての真価が試されるときだと痛感させられます。

※写真は、普天間基地の情景(上)と、9万人が結集した4・25沖縄県民大会(下)※(赤旗号外より)

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