それはゆっくりと眼を覚ました。

誰に教えられるでもなく起床の刻が始まった事を知った。

それはゆっくりと進み始めた。

それこそ人の目ではわからない様な遅々とした動きで。

ほんの百メートル先には町がある。

あそこに到達するのにざっと二,三十年といったところか・・・

それでも構わない。

自分には時が有り余っているのだから・・・

それは動き続ける。

死徒二十七祖第七位『腑海林』アインナッシュは餌を求めて動き出す・・・

七『思考林・偽人樹』

アインナッシュが眼を覚ましてから数時間後、志貴達四名はある森林地帯を一望できる丘に辿り着いた。

一見すると親子三世代がハイキング、またはピクニックに訪れたかのような光景であったが、実態は四人の内二人は現存する魔法使い。

一人は魔法使いに準ずる扱いを受ける大魔術師。

そして残る一人は魔術師とも魔法使いとも呼ばれていないが、魔法使いと呼ばれるに相応しい底知れぬ力を秘めた、暗殺者。

まさしく世界最強のカルテットであった。

「志貴、あの森林地帯のうち四割から五割がアインナッシュよ」

青子は何時の間にか用意したこの地域の航空写真を出して志貴に説明している。

「これが・・・」

「ああそうや。これを全部始末するにゃあゼルレッチクラスの魔法使いが十人おらな、あかんで」

「それはまっとうにぶつかればの話であろう。しかし私と蒼崎が全力で援護しても相手に出来るのは僅か数パーセントに過ぎん。それも外側だけで・・・とてもでないが内部までは手が行かん。

「ええ、それにアインナッシュ丁度活動期に入ったから餌と見れば遠慮なく襲い掛かってくるわね」

「先生?活動期って?」

「ああ、志貴には説明を忘れていたわね。アインアッシュは五十年毎に眠りと活動を交互に行っているのよ。睡眠期には被害は皆無だけど真紅の実を実らせている本体には強力な結界を張って防御しているわ」

「先代は騙すだけなら姫はんを追い返せれる位の食わせもんやったからな。それを見事に受けついどる」

「真紅の実を手中に収めるなら活動期を狙うしかないと言うわけじゃよ」

青子の説明に続くようにコーバックとゼルレッチが苦々しい口調と表情で繋げる。

「で作戦としては・・・」

「まずわいがアインナッシュの外側を食い止めてから蒼崎はんとゼルレッチ、それに志貴が内部に侵入して・・・」

コーバックの言葉を志貴が遮った。

「待って下さい。内部に侵入するのは僕一人で行きます」

「なんやとぉ!!!」

コーバックは思わず大声を上げた。

「志貴、おんどれ正気か?あれはおのれの考えている以上に危険なんやで!!それを・・・」

「待て、コーバック」

ゼルレッチが今度は口を挟んだ。

「どないしたんや?」

「私も志貴君の意見に賛成する」

「どういう意味や!!」

「お主の言う通りアインナッシュの体内には、何が潜んでいるのかそれすら把握できぬ危険地帯だ」

「その通りや」

「しかし、志貴君の体術はここにいる者全てをはるかに凌駕しておる。私や蒼崎の方がむしろ足手まといとなるやも知れぬ」

「むむむむ・・・しかしやな・・・」

そこに

「私も老師の意見に賛成。アルカトラス、貴方の作戦が別に悪い訳じゃないの。ただ相手は死徒の常識がまったく通用しない相手。それならこちらも非常識な方法でぶつかるしかないわ」

ゼルレッチ・青子の意見に暫し唸っていたコーバックであったが、やがて。

「よっしゃ、わかったで。そんなら作戦変更や。わいがアインナッシュの外側押さえ込むのは一緒やが、侵入は志貴、蒼崎はんとゼルレッチは志貴が侵入した入り口から内部を攻撃。志貴の援護射撃を行う。それでどうや?」

三人とも頷いた。

「よっしゃ、そうと決まれば作戦をおっぱじめるで。三十分後、わいがあ奴を完全に封じて、侵入地点のみ開けとくからな」

「はい。コーバックさんよろしくお願いします」

「任せとき。その代わり志貴、己こそ、へますんなや」

「ではコーバック私達はこれから侵入地点に向かう。お主には護衛につけぬが気をつけよ」

「大丈夫や。隠密用の結界を張って置くさかい」

「到着したら合図を送るわ。それで開始と言う事で」

「おう、手早く頼むで」

お互いの無事を祈りつつ志貴・青子・ゼルレッチは予定の地点に向かう。

暫くすると派手な轟音が響き渡った。

きっちりと三十分後に。

「予定通りやな・・・さてと・・・ほんならまずは・・・」

手馴れた様子でコーバックは自身の周りに結界を張る。

姿を隠す隠密に加え、外からの攻撃をも遮断する優れものだ。

しかし、こんな物は彼にとっては初歩でしかない。

「さぁて・・・久しぶりに発動させましょか」

軽口を叩きつつその表情は次第に真剣なものに変わる。

『封印の魔法使い』としての顔に、死徒二十七祖第二十七位コーバック・アルカトラスとしての顔に変貌を遂げる。

「・・・ふぅぅぅぅぅぅぅ・・・」

深く息を吐き出し吸い込む。

その瞬間、アインナッシュの周囲の空気が重いものに変貌を遂げる。

コーバックの周囲も急激に空気が収束し拡散される。

コーバックは小刻みに震える両手で枠を生み出し、一望出来るアインナッシュをその枠で囲む。

―生れ落ちよ無限の迷宮―

その瞬間アインナッシュの周囲に薄い光の膜が張られた。

普通の人間には何も起こっていないかの様に見える。

しかし、実際にはアインナッシュには異変が起こっていた。







一方志貴達はその光景を間近で目撃していた。

突如、アインナッシュの周囲に薄い光の膜が現れアインナッシュを覆い込んだ。

その瞬間、膜の至近に存在した植物が次々と燃え上がり、凍てつき、雷に打たれる。

「・・・腕は錆びておらんな」

それを見てゼルレッチが安心したかのような声を出す。

「老師・・・これがアルカトラス・コーバックの・・・」

「そうじゃ。あやつが生み出した固有結界『永久回廊』・・・至高の封印結界」

そんなゼルレッチと青子の会話に志貴が混ざった。

「ゼルレッチさん・・・あれは・・・」

「あれは『永久回廊』コーバックが作り出した、封じると言うその一点だけを極めた固有結界」

「志貴、君がこの前、アルカトラスを助けた時に入った『悠久迷宮』はあの『永久回廊』が元となったと言われているの」

「自身が生み出した最高位の封印の結界を具現化したのが、至高の聖典の保管、封印の為に作り出された最高位の迷宮・・・さてと、無駄口はここまでじゃ。膜が作られておらぬあの一点が侵入地点。私と蒼崎で一度焼き払ったらアインナッシュの中に入り込むように」

「はい」

志貴は静かに『七つ夜』を構える。

「では・・・行くか蒼崎」

「はい老師」

最強と最凶の魔法使いがその侵入口も前に飛び出すとそれを待っていたかのように、吸血植物が枝や蔦を伸ばして二人に襲い掛かる。

しかし次の瞬間

―太陽の炎よこの地に降臨せよ―

―破壊の砲撃をここに―

メキドすら比較にならないほどの膨大な炎が植物を残らず焼き尽くし、その後に出現した巨大な魔力の塊が侵入口に飛び込み大爆発を起こした。

まるで手榴弾の様にその爆発は植物を根こそぎ吹き飛ばす。

その後には侵入口から半径数キロはまさしく荒地と化した。

「志貴!!」

「今だ!!飛び込め!!」

「はいっ!!!」

言われるまでも無いと言う風に志貴は侵入口からアインナッシュの体内に疾風の如く飛び込んでいく。

それを察した吸血植物が志貴の後を追わんと蔦や枝を伸ばしに行くが、

「行かせるか・・・

極地点の吹雪よここに―

「志貴の邪魔はさせないわよ!!」

行きなさい、破滅の弾道を―

今度は極寒の吹雪がアインナッシュの体内を縦横無尽に駆け巡り植物を氷の彫像と変えて行き、そこを機関銃の如く魔力の凝縮された弾丸が無慈悲に打ち砕く。

ただの四発で侵入口から半径十キロと言うアインナッシュの眷属たる植物達は灰と化し凍てつき、吹き飛ばされた。

しかし、二人の表情に笑みはない。

「蒼崎・・・来るぞ」

「はい」

そんな会話の直後荒地から突如芽が吹き出し始める。

その数秒後、瞬きほどの時間で青々とした植物が生い茂っていた。

「やはりか・・・」

苦い表情を作りながらもゼルレッチは事も無げに新たな魔術の発動を始め

「まったく・・・こんな物騒なモノとどうやって戦うって言うのよ?志貴・・・死んだら承知しないわよ」

青子は既に問答無用で魔術を発動させていた。







遥か後ろから爆発音が連鎖して聞こえてくる。

青子達が引き付けてくれているおかげで後ろの襲撃を気にしなくてもいい。

自分が受け持つのは前のみ。

左右など気にしない。

いや、出来ないと言った方が正しいか?

アインナッシュの吸血植物の襲撃は常に七夜の里で訓練を受けてきた志貴の想像を遥かに凌駕するものだった。

右から蔦が足を絡めようとすれば左から先端の尖った枝が咽喉元を串刺しにしようと迫る。

かと言ってそれに気を取られれば次には数倍の量の蔦やら枝が前方から迫ってくる。

―自分に後退は許されない―

それは悟っていた事。

しかし、それ以上にここに入って悟ったのはただ一つ

―迂回すら許されない―

真っ直ぐに目標のみを目指し勝負をつける。

帰りなど気にする事も出来ない。

そんな事を考えている暇があるのなら。

―いかに徹底的にあのやかましい植物の大群を仕留めるかそれだけを考えろ―

―閃鞘・八点衝―

八つの刃の風が植物に風穴を開ける。

それを見るやその穴から一気に突破する。

更に足元から草が志貴の足を捕らえようとするが

―閃鞘・八穿―

上空から切り裂き着地と同時に再度走り出す。

―閃鞘・伏竜―

頭上から降り注ぐ枝をことごとく一掃する。

そこから枝から枝に乗り移る。

枝が変動の気配を見せれば躊躇い無く飛び降り、

―閃鞘・七夜―

前方に現れた植物の群れを強行突破する。

後ろから残党が襲い掛かってくるが、次の瞬間には、はるか後ろから流れてきた魔力の弾丸で打ち砕かれる。

そして志貴は眼の前の植物を時には断ち切り、時には交わし、時には通り過ぎて襲撃全てを回避する。

そうして休息すらなく走り抜けて数時間経ったであろうか。

志貴は唐突に開けた空間に出た。

「???襲撃が来ない・・・」

志貴はそこで立ち止まった。

息は少しも切れていない。

周囲を見渡す。

そこには草が生えているだけで魔の気配は微塵も感じられない。

そう・・・眼の前の古木以外は。

志貴は身構える。

膨大な量の魔の気配をこの木から感じる。

しかし、木には何の動きも見せない。

訝しげながらも構えを解こうとした志貴の視線にその古木には、不釣合いなほどたわわに実った一つの実が映った。

(あれが・・・真紅の実!!)

そう理解した志貴は実に近付こうとしたが、その瞬間何処からとも無く枝が志貴の頭上から襲い掛かってきた。

予測済みであったのでかわすのは容易であった。

『七つ夜』で枝を次々と伐採し、古木と間合いを取る。

(ナニモノカ・・・)

そんな志貴に声が聞こえてきた。

(ホウ・・・ヒトカ・・・ヒトノミガココマデクルトハ・・・)

「貴方がアインナッシュですか」

(カツテハソウヨバレテイタナ・・・シカシイマデハナナドトウニナイ・・・タダノシト・・・ヒトヨ・・・ナンノユエンアッテココニキタカ?)

「貴方の持っている真紅の実を求めてここに来ました」

(ミヲ?ザンネンダガソレハデキヌ)

「何故!!!」

(コノミハワレニトッテシンゾウデアリワレジシン・・・ヒトヨ・・・オヌシモオノレジシンヲタシャニワタセマイ・・・ドウシテモミヲシュチュウニオサメタクバ・・・ワレヲタオシテミヲトルガヨイ・・・)

「それは宣戦布告と受け取ってよろしいのですね?」

そう言い志貴は『直死の魔眼』を解放し『七つ夜』を構える。

(ヒトヨ・・・ナカナカニツヨキチカラヲカンジル・・・コレデハワレモホンキニナラズヲエンナ・・・)

その言葉と共に、アインナッシュに異変が起こった。

突如古木小刻みに震え枝が次々とぱらぱらと落ちていく。

真紅の実が吸い込まれる様に古木の中へと消えていく。

その内に幹からも裂ける音と共にひびが入る。

やがて幹は真ん中からばっくりと裂け、その中から志貴と同じ大きさの人形が現れた。

そして驚く事にその人形は自分の意思で綺麗に着地した。

「・・・コノケイタイナラバ、スクナクトモイッポウテキニコロサレルコトハアルマイ・・・」

その人形から紡ぎ出される言葉は先程まで志貴に語り掛けてきたあの声であった。

「・・・ヒトヨ・・・ミハコノミノウチニソンザイスル。シュチュウニオサメタクバ、オノガチカラヲフルウガヨイ」

そう言いアインナッシュは両手から爪・・・いや枝を伸ばす。

「言われなくてもそうさせてもらうよ」

志貴も『七つ夜』を構え次の瞬間攻撃を始めていた。

―閃鞘・七夜―

志貴の一撃は寸分の狂い無くアインナッシュを切り裂く筈であった。

しかし、アインナッシュは志貴と同じ体勢から同じ技を繰り出していた。

―センサ・ナナヤ―

枝と『七つ夜』がぶつかり合う。

「えっ?」

志貴が一瞬呆然とする。

しかし、次の瞬間

―センサ・ハッテンショウ―

八つの斬撃が一瞬無防備と化した志貴に襲い掛かる。

「はっ!!」

―閃鞘・十星―

十の刺突が辛うじて致命傷を避ける。

しかし、その鋭い切っ先が無数のかすり傷を生み出す。

咄嗟に距離を置くが志貴は信じられない面持ちで眼の前の木人を見る。

『閃の七技』をあそこまで完全に会得している死徒がいたなんて思わなかった。

「くっ・・・な、なんで・・・」

「ヒトヨ・・・オシエヨウ。コノシンリンガワレジシンデアルコトハキイテイヨウ」

それは青子から事前に聞かされている。

「コノミハニクタイデアリ"コユウケッカイ"擬人樹・・・コノナイブデオコナワレルコトハ、スベテワレノチトナリニクトナル・・・ユエニコウイウコトモデキル」

そう言うと、アインナッシュは聞き取れない程の早口でなにやら呟く。

危険を本能で悟った志貴は近くの大木にまさに駆け上がる。

それと同時にアインナッシュの手から炎が吹き上がり、今まで志貴のいた草原を焼け野原に変えた。

「・・・あれは・・・ゼルレッチさんの・・・」

志貴は絶句した。

間違いなくあの炎の威力はアインナッシュに侵入する際にゼルレッチが見せた炎の魔術。

ここで自分の技を使うと言う事はアインナッシュに完全にコピーされると言う事。

それを志貴が悟った瞬間。

「・・・トッタ」

―センサ・フクリュウ―

隙を見極めていたアインナッシュの伏竜が大木を切り裂きながら志貴の目前まで迫っていた。

咄嗟にかわそうとするが、一瞬テンポが遅かった。

胸元から鮮血を撒き散らしてバランスを崩した志貴が地面へと落下していった。

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