「志貴さあ着いたわよ」
青子の声に志貴は我に返った。
眼の前には七夜の里にある巨木すら比較にならない大きな建物があった。
陰気になる位、静かに振り続ける細かい雨の中・・・
「ここが、『魔術教会』総本山、通称『時計塔』よ」
二『死徒』
あれから志貴と青子は里を移動魔術で後にして、それから成田で一路ロンドンを目指した。
その間志貴は様々な事を青子より学んだ。
彼女が所属する『魔術教会』の事。
欧州はもとより全世界の退魔機関の事。
更には、その中で最強と呼ばれる『埋葬機関』・『王立騎士団』の事。
そして・・・『死徒』・『真祖』と呼ばれる欧州版の魔の事も・・・
「それと志貴、君はここじゃあ私の弟子兼使用人と言う立場にするわ。他人の前で自分の力・・・特にその眼の力は絶対に見せちゃ駄目よ」
『時計塔』と呼ばれた建物の中を歩きながら志貴にそう注意する。
「はい、先生」
志貴はこの眼の恐ろしさを身を持って知っている。
頼まれたっておいそれと見せるものではない。
「とりあえずここが君の部屋よ」
そう言われて案内された部屋は石畳の上に絨毯がしかれた小奇麗な部屋。
畳部屋しか知らない志貴にとって部屋にある全てが珍しかった。
「今日の所はゆっくりと休みなさい。それと明日、また遠出するからここの時間で午前八時までに準備しておく事、良いわね」
「はい、先生お休みなさい」
「ええ、お休み」
そう言うと、青子は部屋を後にした。
そのまま志貴はゆっくりとベットと呼んでいた、大きな台に乗っかった布団の上に倒れこむ。
食事は既にここに来る前食べている為に空腹は無い。
普段なら更に眼の制御の訓練か普通の訓練を行うところであるが先生いわく『時差ぼけ』の為に体が異様に睡眠を欲している。
ここの時間はまだ午後の四時なのに里ではもう深夜だという事だ。
(里か・・・皆元気かな・・・)
それだけ思考すると志貴はゆっくりと眠りについていった。
翌日、志貴と青子はフランスに来ていた。
何でも青子の知り合いに志貴の力を見て貰う為だと言う事だ。
「先生、お知り合いというと先生みたいな魔法使いなんですか?」
「ええ、とりあえずはね。彼に君の魔術回路がどれ位か見て貰うのよ」
「へえ〜じゃあ凄い人なんですか?」
「うーん・・・凄いといったら凄い人よね・・・」
そこで何故か青子はどもった。
その様な事を言う内に二人はある街に到着した。
「さてと、志貴ここで少し休憩しましょう」
「・・・・・・」
青子の言葉に志貴は返事をしない。街をしきりに睨み付けて身構えている。
「志貴?どうしたの?」
「先生・・・この街・・・変です」
「変?何が変なの?」
「上手く言えないんですが・・・静か過ぎるんです。人が独りもいないんです。こんなに・・・まだ明るいのに・・・」
「そういえば・・・そうね・・・」
「それに体がしきりに熱くて・・・冷たいんです・・・頭の中で・・・殺せってうるさくて・・・」
それを聞いて青子は黄理の言葉を思い出していた。
(七夜一族の退魔衝動は半端でなく大きいと言っていた。この衝動に襲われる時全身の血が沸騰したかのように熱くなり、頭は急激に冷え切ると言う。おまけに全身の細胞が魔の抹殺を指令する・・・多分これが七夜の退魔衝動・・・)
「志貴!!落ち着きなさい!!」
このままでは志貴が暴走する、そう判断した青子は躊躇い無く志貴を叱咤する。
「はい・・・先生・・・」
その声を受けて志貴はようやく臨戦体勢を解く。
それでも志貴の顔色は良くない。
「とりあえずここから離れましょう」
「はい・・・先生・・・」
そう言うと、青子は志貴の手を引き街から離れて行った。
「はい、志貴はミルクね」
「ありがとうございます。先生」
例の街から数キロはなれたこじんまりとしたレストラン、ここで二人は食事をしていた。
「志貴大分体調は良くなった様ね」
「はい・・・ご迷惑をお掛けしました」
食事をしながら話し合う。
「ねえ志貴、七夜の退魔衝動っていつもこんななの?」
「はい、父さんの話だとこれの衝動には『耐える』と言った事が無いと言います。無理に耐えようとすると頭が壊れてしまうんだって・・・だから先生が止めていなかったらきっと・・・」
「なるほど・・・」
そう話している内に二人の若い男が入ってきた。
「・・・・・!!」
「!!!・・・・・」
その二人は興奮しながらしきりにレストランの主人に話しかけている。
「??先生、何を話しているんですか?あの人たち」
「えっ・・・ああ、そう言えば忘れていたわね。志貴、ちょっとこれ舐めなさい」
そう言うと、青子はなにやら飴のようなものを志貴の口に放り込んだ。
志貴がそれを舐めていると、
「・・・ら!!・・・ど言え・・わかるんだ!!」
「ですか・・・ゃくさん!!落ちついてくださいよ!!」
音がクリアになる様に向こうの会話が日本語になって聞こえてきた。
「わあ!!凄いや!!」
「こらっ志貴嬉しいのはわかるけど大声を出さないの!」
「あっ、すいません・・・」
「とりあえず聞き耳を立ててみるわよ」
そう言い青子は聞き耳を立てる。
「だからお客さん!!順序立てて説明して下さいよ」
「だからこの先の街に化け物がいるんだ!!」
「その化け物が街の住人の血を啜っているんだよ!!!」
「ですがね・・・お客さん、警察になんて言えば良いんです?『化け物が街の住人を襲っている』とでも言うんですか?とてもじゃあありませんが信じませんよ!!」
「それでも早くしねえとあの街が全滅しちまうぞ!!」
それ以降も口論が続いたが志貴達にはそれでもう充分であった。
「志貴・・・どうも君の判断が正しかったようね・・・七夜の退魔衝動って半端じゃないわね・・・」
「先生・・やはり『死徒』なんでしょうか?」
「おそらくね・・・でどうするの?」
「街に戻りましょう先生。あの人達の話だとまだ無事な人もいるかもしれません」
「やっぱりね・・・」
志貴の言葉に青子が苦笑気味にそう言う。
「??先生何がやはり何ですか?」
「君の台詞がね黄理とそっくりだったから」
「父さんと・・・」
「ええ・・・以前黄理と仕事をしていた時にそんな事を言ったのよ。やっぱり君は黄理の息子さんね・・・じゃあ行くとしましょうか?ただこの時間帯だとあの街に付くのは夜になると思うけど」
「はい、先生」
月が瞬く空のした志貴と青子は再び待ちの入り口に立っていた。
「志貴・・・感じる?」
「はい・・・昼来た時よりも強くて濃い・・・魔の気配が・・・」
二人は慎重に街に入っていく。
歩を進めるに従い、死臭と血臭が空気を支配する。
「間違いないわね・・・志貴・・・残念だけどこの街には生存者はいないわ。もうこの街は完全に『死都』と化しているわ」
その臭いに辟易しながら青子は志貴に教える。
「えっ・・・」
「つまりこの街はもう死都・・・死徒によって支配された、死者のみが暮らす街と化しているのよ」
「じゃあ・・・ここの人は・・・」
「ええ、もう人じゃないわ。だから志貴、これから先会う人間は全て敵よ。可哀想かも知れないけど彼らは死してなお死徒に操られているわ。だから志貴の手で楽にしてあげなさい」
「・・・・・・」
「辛いかもしれないけど死んでもまだ操られる方はもっと辛いわ。彼らは死にたくても死ぬ事すら出来ないのよ・・・だから志貴・・・」
「はい・・・判りました」
その二人の会話が終わると同時に建物の影から人影が現れる。
いや・・・かつては人であった残骸が・・・
「もうお出ましね・・・志貴一気に片付けるわ・・・」
青子の声が掛かるがその前に志貴は動いていた。
その時志貴の眼には異変が起こっていた。
ドクン
それらを眼にした瞬間視界が霞がかったようにぼやける。
一瞬自分の目が暴走したのかと思われたが違った。
志貴の視界にはあの線や点でなく
食いたい
血を飲みたい
貪りたい
声が文字となり視界一杯に広がる。
見ていていらいらする。
むかつく。
あの声を見ると腹が立ってしょうがない。
例え、あれらが元は犠牲者だと判っていてもだ。
―それならば殺せ―
更に頭の中から声が響く。
―嬲り殺せ―
―切り刻め―
―殺し尽くせ!!!!―
志貴はその声に忠実に従った。
何の備えも無く死者に突っ込んでいく。
それは自殺行為以外の何者でもなかった。
それを獲物と見たのかその内の一体が志貴を捕らえようとして・・・逆に体が縦一文字に断ち切られた。
―閃鞘・伏竜―
更に跳躍した志貴はそのままの体勢から
―閃鞘・八穿―
また一体が頭部を叩き切られる。
それはあたかも舞踊であった。
第三者が見れば人は殺しという優雅とは程遠い行為が、芸術にまで昇華する事が出来るのかと感嘆さしめるだろう。
現に青子は志貴の凄惨な殺人舞踊を呼吸すら忘れ見入っていた。
「・・・先生終わりました」
志貴の周囲にはものの見事に解体された死者が辺りに散乱している。
無論死者の血が撒き散らされている。
しかし、呆れた事に志貴には返り血は一滴も付いていない。
いや、それどころか確かに死者の解体を行った筈の『七つ夜』にすら血は付着していない。
志貴は『七つ夜』を軽く振ると刃を納め青子に近寄る。
「そ、そう・・・でも志貴・・・君かなり強いのね・・・」
実は青子自身としては志貴の実力を過小評価していた。
黄理からは志貴の実力を何度も聞いていたが彼の子煩悩を知っている彼女としては黄理の話より志貴の実力を低めに計算していた。
しかし、彼女のそれを『侮っている』と酷評するのは、あり意味酷であろう。
普通まだ九歳の子供がもはや意思が失せているとは言え、筋力が常人の数倍にまで高められた死者をここまで圧倒的に殺せるとは・・・誰も思う筈が無いであろう。
しかも、
「ねえ、志貴・・・君『根源の力』は・・・」
「いえ、使用していません。こんな雑魚に使う必要も有りませんでしたから。よっぽど父さんとの修行の方が厳しかったですよ」
事も無げに言った志貴の台詞に更に絶句した。
この少年の実力に唖然としていると、志貴が再び眼を細める。
「先生またお客さんのようです」
「そのようね・・・志貴少し下がってて」
「えっ?」
「大掃除するから」
そう言うと、志貴には理解不明の言葉を聞き取れない位早口で呟き最後に声も高らかに宣言した。
全ての意思を持って我彼のものに鉄槌を下す
怪鳥ガルーダ
汝らの力完全なる風と化し解放されよ
その瞬間死者の集団を中心に竜巻が現れ収まった時そこに死者の姿はいなかった。
吹き飛ばされたのではない。
どんな鋭利な刃より鋭い風の剣・・・かまいたちがまさしく奔流のように死者を切り刻み、原始単位まで破壊しつくしていた。
「・・・先生・・・すごい!!本当に魔法使いだったんだ!!」
思わず言った志貴の言葉に素早く反応した。
「あら志貴、じゃあ私の事は何だと思っていたの?」
「えっ・・・い、いやその〜」
「まあいいわ。この件についてはしっかり説明してもらうから」
志貴の一言に釘をさすと直ぐに眼の前を見据える。
「あら?もうここの主がご登場ね」
志貴もその方向を見るとそこには無数の死者を従えた人影がいた。
「ほう・・・これは思わぬ客人の登場だな」
それは女性だった。
黒のマント以外は一糸纏わぬ姿の黒と言うよりは紺に近い色の髪を背中の中ほどまで伸ばした綺麗な少女だった。
「しかし・・・姫君の到着までは楽しめそうだな」
だが、その声は紛れも無く男のものだった。
それを見ていた青子は眉間にしわを寄せた。
「まったく性質が悪いわね・・・まさかあんたが現れるなんてね・・・『アカシャの蛇=ミハイル・ロア・バルダムヨォン』」
「ほう・・・これは光栄ですな。現存する魔法使いの一人に名を覚えてもらえるとは・・・」
「こういった世界の人間であんたを知らない奴はいないわよ。『埋葬機関』創設者でありながら真祖の姫の死徒となり果て、挙句には適応者と見れば寄生虫の如く体を乗っ取る有史以来最低の死徒を」
「これはこれは手厳しい」
その少女・・・いや少女に寄生したらしいロアと呼ばれた男は愉快そうに頬を歪めて笑う。
「それにしても・・・趣味が変わったのかしら?随分と変わり種に寄生したわね」
「ああ・・・この娘ですか?・・・彼女はエレイシアと言いましてね、平凡なパン屋の娘ですよ。・・・ただし彼女の魔術回路の才能は素晴らしい・・・元の私のポテンシャルに匹敵する」
「オリジナルに?」
「ええ、富や名誉などは後からついて来ることも出来る。しかし、肉体的な問題は別ですからね・・・それよりもその少年は何者ですかな?」
そう言いながらロアの視線は志貴に向く。
「どう言う事?この子はただの私の弟子よ」
「ほう・・・ただのと言う事は無いでしょう。『ただの』少年が死者をあそこまで圧倒的に殺せるのですかな?」
「趣味悪いわね。覗き見なんて」
「何とでも言ってくださって結構。しかしこの少年は見過ごせませんな。かと言ってこのまま殺すのも勿体無き事。私の死者とさせていただきましょうか?」
そう言うと、周囲の死者がじりじりとにじり寄る。
「志貴・・・来るわよ」
青子はそう言って呪文の詠唱に入ろうとするが、その時初めて志貴の様子がおかしい事に気付いた。
志貴の視線はさっきからロアに釘付けとなっており、おまけに体をぶるぶる震わせている。
しかも志貴は涙を零している。
「志貴?どうしたの?」
「ほほう、さすがのその少年も怖気づきましたかな?」
その尋常でない様子に青子はいぶかしんでロアはあざ笑った。
その時志貴はポツリと呟いた。
「ふざけるな・・・」
時を戻そう。
ロアと青子の論戦の最中志貴の眼には再び異変が起こっていた。
ドクン
(あれっ?)
眼が熱くなる。
ドクン・ドクン
視界が再び白いもやにかかったようにぼやける。
ドクン・ドクン・ドクン・ドクンドクンドクンドクンドクンドクンドクドクドクドクドクドク・・・
(な、なんだろうこれ・・・)
自分の心臓の音で周囲の音も聞こえない。
視界も遂に真っ白になり果ててしまった。
ナニモミエナイ・・・
本当に?
ナニモキコエナイ・・・
そうなのか?
いや・・・何か見える・・・それは・・・
クサリニツナガレタショウジョ・・・
何か聞こえる・・・それは・・・
ワタシハ・・・ザイニン・・・
少女の声?
もっと見ろ
悲劇の系譜を
もっと聞け。
哀れなる慟哭を
お前自身の意思を持って・・・それを受け入れ解放させろ・・・
その瞬間志貴の視界は開け、声なき声が文字となり奔流と化して志貴に叩きつけられる。
ずっと後となり志貴はこの能力が自分に備わった本来の超能力である事を知りそれを『心眼』と呼ぶ事となる・・・
彼女は平凡な・・・本当に平凡なそれでも全てに満ち足りた家で生まれそして、育った。
職人気質で気難しく、それでも優しい父、おおらかで明るく優しい母。
そこに何の不満も無いはずだった・・・
そう、あの日が来るまでは・・・
あの日から全ての日常は奪われた。
ダレノテデ?
ある筈であった、毎日は失われた。
ダレガソレヲオコナッタ・・・
父や母親しき友人、顔見知りの街の人は生ける屍と化した。
ソノゲンキョウハダレダ!!
(スベテハ・・・ワタシノツミ・・・ワタシハコノテデオトウサン・・・オカアサン・・・マチノミンナヲコロシテシマッタ・・・ワタシハザイニン・・・コノゲンザイハ・・・キエナイ・・・エイエンニキエナイ・・・)
そこにいるのは自らを二重・三重に自責の鎖で繋ぎ・・・ただ泣く事しか出来ない少女・・・
それを見た時志貴はやりきれない思いに囚われた。
なんであのお姉ちゃんは背負わなくても良い大罪を背負わなくてはならない?
なんであんなにも自分を責め続けなくてはならない?
なんで・・・あんなにも哀しい思いをしなくてはならない!!
そう思うと涙が止まらなくなった。
そして・・・それと同時に志貴には怒りがこみ上げて来た。
こんな悲劇を起こしている男に・・・
その思いが志貴自身が今まで強い自制で行ってきた、封印を初めて自分の意思で・・・明確な退魔衝動で解放しようとしていた。
「ふざけるな・・・」
志貴が呟くと同時に殺気が志貴から陽炎のように立ち昇る。
「なに?」
「志貴?」
その声にロアと青子の視線が志貴に集まる。
しかし、志貴の独白は止まらない。
「何が面白い?この街の人達皆の人生をめちゃくちゃにしておいて・・・何が楽しい?お前の中であのお姉ちゃんは泣いているのに・・・」
俯き加減で志貴が一言言う毎に殺気の密度が上がっていく。
「本当に・・・苛付くよ・・・お前みたいな下種がでかい顔でのし歩いているなんて・・・おまけに支配者だなんて・・・もう我慢できない・・・貴様をこの場で殺す」
その言葉と同時に志貴は顔を上げる。
その瞬間
街に静寂が訪れた。
ただ無言になったのではない。
空気も時も、何もかもが動くのを止めたかのような錯覚を青子は覚えた。
意思など当の昔に失せた筈の死者すら一歩も進めなかった。
蒼き・・・夜の闇よりも蒼き瞳を持つ少年に全ての存在が戦いた。
ここより生誕した。
ナニガ?
これが降臨の瞬間だった。
ダレノ?
これが後に『真なる死神』と呼ばれ、終生外道より恐れられる事になるであろう男の本当の意味での生誕そして・・・降臨の瞬間であった。