「「ぜーーーーーーーーーーったいに反対!!!!!」」

その日の夜、黄理の屋敷では翡翠と琥珀の絶叫が響き渡っていた。

理由は単純、志貴が修行の為里を出るかもしれない事が二人の耳にも入った為だった。

その為、夕食後の居間では黄理・青子の修行推進派対翡翠・琥珀・真姫の反対派の壮絶な論戦の場と化していた。

一『出立』

「絶対に納得できない!!志貴ちゃんがここを出るなんて!!」

「そうよ!!幾らお父さんの言葉でもこれは納得できない!!志貴ちゃんと離れるなんてやだ!!」

「まあ、落ち着け」

「「落ち着いてなんていられない!!」」

「ふふっ、黄理すっかりお父さんしてるわね」

「誰の所為だ・・・蒼崎」

「御館様二人もこう申しておりますし、もう暫く時を置いてみては如何でしょうか?」

「ああそれは駄目よ。今くらいの歳が一番修行に適しているのよ。今を逃したら魔術回路が柔軟性を無くして志貴の成長を妨げてしまうわね」

ちなみに翡翠と琥珀には今回の修行は志貴の体内に眠る魔術の開発の為と説明し、妻には『極の四禁』の制御の為と説明しているがそれでも真相の半分は黙っている。

「「志貴ちゃんはここにいるのーーーーーー!!!!」」

そう言うと、翡翠と琥珀は居間を飛び出してしまった。

「ふう・・・」

それを見送ると黄理は息を吐き出す。

「御館様・・・少々拙速だったのでは?」

同じく見ていた妻は黄理をいささか恨めしそうに見つめる。

「ああ、判っている・・・少し志貴とも話してくるさ」

そう言うと、黄理は静かに部屋を後にした。







一方当の志貴は・・・

「・・・・・・」

里の一番高い木の頂上に登り夜空と月を見ていた。

しかしその視線はぼんやりとして心ここに在らずかのようであった。

無論修行で欧州に行くか否か迷っている所であった。

そこに、下から声が聞こえた。

「志貴・・・やはりここか・・・」

「父さん・・・うん・・・」

黄理が重力を感じさせない動きで志貴の隣に立つ。

「迷っているのか?」

「うん・・・」

黄理の問いに言葉少なげに返す志貴に黄理は問い掛ける。

「志貴お前はどうしたい?」

「僕は・・・本音としては行ってみたい・・・まだ強くなれるなら強くなりたい。お師匠様からもらった技法を極めたい・・・でも・・・」

「・・・」

黄理は問い詰めず焦らず志貴の言葉を待った。

「でも・・・怖いと感じる時もあるんだ。『強くなってどうしたいのか?極め尽くしたら何を目標とする気だ?この眼を使いこなして何を望むんだ?』って・・・」

「志貴・・・」

黄理は胸が痛んだ。

彼が息子に託し背負せているものは若干九歳の少年には余りにも重過ぎ、大き過ぎるものであった。

『閃の七技』『七夜死奥義』を筆頭とした七夜暗殺技法の数々、『根源に到達した眼』極め付けは禁技『極の四禁』。

一般の子供など言うに及ばず同じ、七夜の子供と比べても志貴のそれとは比較にならないほど大きく重く辛きものであった。

そんな自分に出来る事は・・・唯一つ、

「志貴」

「何?父さん・・・」

息子に導を示す事のみであった。

「お前・・・自分の声に屈してどうする?」

「えっ?」

「強くなったらどうしたい?極め尽くしたらなにを目標にする?その眼を使いこなして何を望む?そんなのは到達してから決める事だ。進む前から立ち尽くしてどうする?」

「父さん・・・」

「志貴、これはお前の人生だ。お前の人生はお前が決め、お前自身が進み、お前が全ての責を背負うものだ。それを他人の所為にする位なら自分の考えなんかは捨ててしまえ。他人の人形になっちまえ・・・しかしな・・・志貴、他者に責を押し付ける気が無いんだったら自由に進め。お前の望むがままに生きていけ。お前の人生お前が楽しんでいけ。そうすればきっと悔いなんて無い筈だ」

「父さん・・・ありがとう・・・うん・・・僕もう少し考えてみる」

「ああそうしろ。今日の修行は無しにしておくからな・・・それと大分冷えてきた。早く屋敷に戻れよ」

「はい。お休み父さん」

その言葉を残し黄理は屋敷に帰っていった。

それから暫く志貴は月を眺め一人物思いにふけるだけであった。







月が天頂に到達して、ようやく志貴は木から降りると屋敷に戻った。

そして、静かに自室に戻り寝ようとした時自分の布団に赤いものが入り込んでいるのが見えた。

それも二つ。

「??・・・」

志貴は訳もわからずその場で首を傾げていると

「すーすー・・・志貴・・・ちゃん・・・」

「・・・やだ・・・どっか・・・に行っちゃあ・・・やだよ・・・むにゃぬにゃ・・・」

安らかな、本当に安らかな寝息を立てて眠る翡翠と琥珀だった。

「翡翠ちゃん・・・琥珀ちゃん・・・」

志貴はそっと二人の髪に触れた。

すると、二人の手は志貴の両手を掴む。

寝息を立てているのでおそらく無意識なのだろう。

よくよく見ると二人とも閉じた眼には涙が滲んでいる。

それを見た志貴は心が痛んだ。

「ごめんね・・・二人とも・・・」

そう静かに呟く志貴の声は誰にも聞こえる筈も無かった。







翌日、屋敷の居間は昨夜以上に紛糾した様相を呈していた。

「父さん、先生。僕・・・欧州に行きます」

無論であるが、発端は志貴のこの台詞だった。

その言葉を聞き黄理と青子は静かに頷き、真姫はやや諦めた様に悲しげな顔で微笑むだけであった。

一方黙っていなかったのは翡翠に琥珀だった。

次の瞬間には志貴に食って掛かっていた。

「志貴ちゃん!!!なんで!!」

「理由教えてよぉ!!志貴ちゃん!!」

二人とも眼には涙を溜めている。

「ごめんね・・・でも僕知りたいんだ・・・自分が何処まで強くなるのか?・・・技法を極められるのか?それを知りたいんだ・・・」

志貴の決意にも二人は聴く耳持たない。

「志貴ちゃん充分に強いよ!!あの時だってあたしやお姉ちゃんを守ってくれたじゃない!!」

「そうだよぉ!私も翡翠ちゃんも志貴ちゃんがいたから、こんなにも楽しい日々を送れているの!!志貴ちゃんがいないと楽しさも無くなっちゃうよ!!」

必死の説得も志貴は撤回しない。

ただ『ごめん』を繰り返すだけだった。

二人とも判っていた。

志貴の意思を覆すのはもはや不可能だと言う事くらい・・・でも頭で・・・理屈で判っていても、心・・・感情が納得する訳は無かった。

「志貴ちゃんの・・・」

「志貴ちゃん・・・」

暫くして説得を二人は息もぴったりに片手を振り上げる。

志貴は微動だにせずそれをただ見ていた。

「「ばかーーーーー!!!」」

その途端乾いた音が立て続けに志貴の両頬から聞こえてきた。

二人が時間差をつけて志貴をひっぱたいた為だ。

「「うわあああああん!!!」」

二人はそのまま泣きじゃくると屋敷を飛び出してしまった。

「待ちなさい!!翡翠!琥珀!!」

「そっとさせておけ」

真姫呼び止めに黄理は静かにそう言っただけだった。

「ですが・・・」

「あの二人も判ってくれる。今は判っていても納得できないだけだ。志貴」

「はい」

「後で様子を見に行ってやれ。落ち着いた時にまた話せばいい。自分の決意も覚悟もな」

「うん・・・それで先生」

「なに?」

「聞き忘れていましたけど修行ってどれ位行うんですか?」

「そうね・・・七年か八年くらいは見ているわ。下手すれば十年、二十年かかる恐れもあるけど」

「つまり無期限というわけですか・・・」

「言い換えればそうね・・・でも大丈夫よ。君の魔術回路自体はかなり成長しているわ。だから、そんなに時間はかからない筈だから」

「はあ・・・そうだと良いんですが・・・じゃあ父さんちょっと二人を探してくるよ」

「ああ気を付けろよ」







志貴がようやく翡翠と琥珀を見つけ出したのは夕方も近くになっての事だった。

そこは三人でよく遊んだ草原だった。

「ここにいたんだ・・・」

「「・・・・・・」」

志貴の言葉を聞いても二人は無言だった。

「・・・そのままで良いから、聞いて・・・僕も最初は迷ったんだ。このままここで翡翠ちゃん達と楽しくいたいとも思ったんだ」

「「・・・・・・」」

「でも・・・それを遮る自分もいたんだ。『お前はまだ強くなれる』・『お前は限界を知りたくないのか?』って・・・結局その声に屈しちゃったけど、僕はまたここに帰ってくるよ。そうしたら・・・また一緒に暮らそう」

「「・・・・・・」」

「それと・・・本当にごめんね・・・」

結局二人は一言も喋らず志貴は半ば一方的に自分の思いを喋る事しか出来なかった。







その後、青子自身とも話し合い一月準備を行い今夜日が変わると同時に志貴は里を出立することが決まった。

「・・・遂に来たんだよな・・・今日が・・」

物思いに耽っていても、志貴の手はしっかりと準備をしていた様で気が付いた時には準備は万端、後は翌日の出発を待つのみとなっていた。

「さてと・・・そうだ父さんが呼んでいたな・・・」

志貴は立ち上がり黄理のいるであろう当主の間に向かった。







「失礼します」

「来たか・・・志貴」

当主の間には黄理が一人佇み、静かにこちらを見ている。

「準備は済んだか?」

「はい、後は明日・・・と言うか今夜の出発を待つだけです」

「そうか・・・ところで志貴あれから翡翠と琥珀とは?」

「いえ・・・話そうとするのですがどうしても避けられて・・・」

そう、志貴は出発が決まってから何度も翡翠・琥珀と仲直りしようしたのだが、肝心の二人が志貴を避けている。

その為に志貴はこの一ヶ月まともに二人と話した記憶がない。

「そうか・・・仕方ないか・・・」

「ぎりぎりまで粘ります」

「そうだな・・・そうしろ。後悔するのはお前やあの二人だからな・・・」

それ以降二人は沈黙を守り続けた。







「・・・志貴ちゃん」

当主の間を辞した志貴に声が掛かった。

振り返るとそこには琥珀が沈んだ面持ちで立っていた。

「あっ琥珀ちゃん・・・」

「・・・」

琥珀は無言で志貴の手を引く。

志貴もされるがままに琥珀の後を付いていった。

琥珀に連れて行かれた先はいつも三人が遊んだ草原だった。

そしてそこには琥珀と同じ様に沈んだ面持ちの翡翠がいた。

「翡翠ちゃんも・・・」

「・・・ねえ・・・」

翡翠が静かに問いかける。

「どうしたの?・・・」

「志貴ちゃん・・・帰って来るよね?・・・」

琥珀が涙混じりにそう聞く。

「えっ?」

「志貴ちゃん・・・帰って来るって約束したよね?あの時に」

今度は翡翠がそう聞く。

そこに来てようやく志貴は二人があのときの事を聞いているのだと思い至った。

「うん!!だってここは僕の故郷だし・・それにここには父さんや母さん里の皆や・・・何よりも翡翠ちゃんや琥珀ちゃんがいるから・・・必ず帰って来るよ」

「本当だよね?志貴ちゃん、帰って来るんだよね?」

「必ず帰ってきてね・・・志貴ちゃん」

「うん。約束するよ」

志貴がそう断言するとようやく二人に笑顔が戻る。

「じゃあさ志貴ちゃん」

「これ・・・」

そう言って二人が渡したのは二色のリボンだった。

琥珀から渡されたのは純白の、翡翠のそれは紺碧のリボンを。

「??これは?」

「これ、貸してあげる」

「だから志貴ちゃん、必ず返しに帰ってきてね」

そう言うと、志貴に抱きついた。

その反動で志貴達三人は草原に倒れこむ。

「・・・ぐすっ・・・志貴ちゃん・・・ごめんね・・・ごめんね・・・」

「ひっく・・・ごめん・・・なさい・・・志貴ちゃん・・・ごめんなさい・・・」

二人は志貴に縋り付いたままの体勢で泣きながらしきりに『ごめん』を繰り返していた。

それを志貴は・・・

「ありがとう・・・それとごめん・・・」

お礼とやはり『ごめん』を繰り返して言うだけだった。







夜となった。

志貴はただ静かに時が来るのを自室で待つ。

やがて・・・外から母の声が聞こえた。

「志貴・・・」

「母さん・・・来たの?先生・・・」

「ええ、里の広間でお待ちよ」

「はい。判りました」

そう言うと、志貴は静かに荷物を手にすると立ち上がり自室を出ようとする。

と、そこで一度振り返ると一礼し。

「じゃあ・・・行ってきます。必ず帰ってくるから・・・」

そう言うと、もう振り返る事無く部屋を後にした。







父達と共に屋敷を出て広間に着くと静かに青子が佇んでいた。

「志貴・・・来たわね」

「はい、先生。これより先色々とご迷惑をお掛けしますがよろしくお願いします」

「ふふっ覚悟しなさい。びしびし鍛えてあげるから。じゃあ黄理この子暫く借りるわね」

「ああ、よろしく頼むぞ」

「蒼崎様、なにとぞ志貴の事よろしくお願いいたします・・・」

「ええ、心配しなくてもよろしくされたわ」

「・・・志貴ちゃん・・・」

「行ってらっしゃい・・・」

「うん・・・行ってくるね・・・」

「じゃあ行くとしますか。志貴、私に近寄って」

「はい」

志貴が青子に近付くと同時に草原に一陣の風が巻き起こる。

そして、その風が収まった時志貴と青子の姿は掻き消えていた。







こうして『真なる死神』は故郷を巣立っていった。

彼がこの故郷の地に再び足を踏み入れる時歴史は、今すら比較にならぬ苦難と激変を青年にもたらす事となるがそれは今語られる歴史ではない・・・

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