あれから、二ヶ月過ぎた。

俺の周囲を取り巻く環境には何の変化も無く、朝にはアルクェイドが押しかけその際に先輩と大喧嘩になり翡翠に起こされ、秋葉に冷たい眼で見られ、琥珀さんと色々冗談を言い合い学校に行ってくる。

休日には何も用が無ければレンちゃんを膝に乗せて(もちろん猫状態で)一日中ぼーっと過ごす事だってある。

まあ、元主人の大猫に見つかればまた騒がしくなるが・・・

先生はごくごくたまに屋敷に来るがようやくあのタイムホール騒ぎにも一段落付きそうだと言っていた。

『凶断』・『凶薙』は俺の部屋の机に時代劇のような立て掛けに置いている。

流石にあれは持って出歩いているとまずい。

それの反動か、時々行う訓練にはこの二本を常に持って励んでいる。

そして・・・七夜鳳明の夢はあの日を境に見なくなった。

翡翠は「やっと志貴様の寝顔がいつもの寝顔になりました」といって喜んでいた。

ただ、俺としては最後の言葉を言えなかった事が心残りとなっていた。

そして鳳明さんと出会い俺自身の将来に漠然とした道を示した事も事実だった。

俺にとって鳳明さんは二人目の先生だったのかもしれない。

はるか、過去から来た俺の・・・

そんな思いを抱えていたある夜、俺は寝る直前漠然とだが(ああ今日は見るかもしれない)と予感を覚えた。

あの感覚を覚えると、見る時と見ない時の区別が言葉では言い表せれないが、何となく肌で感じるのだ。

そしてやはり見た。

七夜鳳明としての最後の日を・・・






「おや・・・・・かたさま・・・・御館様」

「うっ・・・どうした?・・・」

「いえ、屋敷の引き払いの準備も全て終わり後はここだけと・・・」

「そうか・・・ご苦労だった」

「いえ・・・申し訳ございません。お休み中・・・」

「いや気にするな・・・」

「・・・では失礼いたします」

そう言うと、その者は部屋を後とし、俺は再び床についた。

あの日から既に二十日近く過ぎていた。

紅装の叔父上は俺達が戻った時には既にこの屋敷を後としており、俺の帰りを待っていた衝は俺のこの状況を見て失神寸前だった。

この翌日俺と翠・珀そして紫晃は宮廷に依頼の完遂を報告しさらにその席で俺は職の辞意を告げた。

周囲の者は驚いた様子だったが、翠達や以外にも帝は何も言わず今までの労をねぎらった。

そしてこの日から屋敷の引き払いの準備に入る事になった。

しかしこの時俺の体はいよいよ衰弱の度合いを増し、歩く事すらもう困難となっていた。

報告の際も退席時に失神して同席していた衝に支えられた位だった。

その後、紫晃は陰陽道を極める為修行の旅に出た。

紅葉は妖術師の最後を見届けたので遠野の郷に帰っていった。

二人とも俺の体を一応に心配していたが、俺は敢えて二人には会わなかった。

もはや大丈夫と言う言葉すらもう嘘なのだから・・・

そして、セルトシェーレはあの夜から姿を消した。

しかし・・・何故かあいつがいなくなってから俺の中に占めるあいつの存在が大きくなってきた。

それが何を意味するのか、何故あいつをここまで気にかけるのか?この時の俺には分らなかった。

そして、今屋敷にいるのは衝達と・・・

「おはようございます。鳳明さん」

「鳳明様、おはようございます」

「ああ・・・」

翠と珀だった。

この二人だけは、強硬にこの屋敷にとどまると主張し今もここにいる。

「・・・今日の昼過ぎにはこの屋敷を引き払う・・・」

「はい存じております」

「だからお前たちとも・・・」

そう言葉を告げようとした時だった。

「はぁ、はぁ、ほ、鳳明様!!」

衝が俺の部屋に転がる勢いで入ってきたのだ。

「爺か・・・どうした?」

「ほ、ほ、ほ、法正様が・・・法正様が・・・」

「?法正がどうした」

「法正様がこられておりま・・・」

「叔父上!!」

衝の言葉を遮るように、部屋に一人の少年が姿を現した。

兄、七夜双影の息子七夜法正は、俺を一目見ると表情を緩めようとしたが俺の姿を確認すると絶句した。

「・・・お、叔父上・・・お痩せになられたのですか・・・」

「気にするな。それよりも法正、遠路からよく来たな。翠、すまないが立たせてくれればありがたい。珀、茶の用意を頼む。爺、法正を謁見の間に連れてやってくれないか?」

そう言うと翠は慌てて俺を支える形でそっと寄り添い、珀はそんな妹の様子を羨ましそうに見ていたが直ぐに席を立ち、衝は俺を少し見たが何も言わず、法正を連れ部屋を後にした。

「・・・鳳明様・・・」

「・・・・」

翠の声が聞こえたが俺は敢えてそれを無視した。

今の俺には何を言っても嘘になる。

謁見の間に着くと、俺は翠に支えられつつも上座に座り、翠と珀は俺に寄り添うように傍らに座った。

「御館様お久しゅうございます」

「ああ、法正お前も久しいな・・・で、どうしたのだ?ここに一人で」

「は、はい・・・」

法正は話の核心に触れると言葉が急激に減った。

元々口数の多い子ではないが、それでも本人は何を言って良いのか判らない様子であった。

そんな様子に俺は先刻から感じていた予感を確信に変えた。

「・・・法正・・・」

「は、はい」

これ以上苦しませたくなかった。

「・・・今回の俺の抹殺は長老達の意志か?」

「「「「!!!!!」」」」

俺のこの言葉に皆絶句した。

「お・叔父上・・・い、一体何の事を・・・」

「法正」

俺は軽く法正を嗜めた。

「・・・お前に嘘は似合わん。それに、一体何年お前の世話をしてきたと思っている?」

「・・・申し訳・・・御座いません・・・」

そう言うと法正は静かに泣き出した。

「法正泣くな、で・・・一応聞きたいのだが、何故長老達は遂に重い腰を上げた?」

「はっ・・・それは・・・今回の事件がやはりきっかけとなって・・・」

「法正様!それは一体・・・」

今まで絶句していた衝がそう絶叫した。

「・・・あの後長老様達からある意見が噴出したのが発端でした」

「その意見とは?」

「"このような事態となったのも元を正せば叔父上がご健在だからこそ、この機に叔父上を『凶夜』として抹消してしまえ"と・・・」

・・・衝は怒りの余り口を利く事が出来なかった。

翠と珀も怒りにその身を震わせていた。

「・・・そうか・・・そんな事を・・・」

俺は来るべき時が遂に来た事を悟った。

「紅装の大叔父上が強硬に反対なされたのですか・・・」

「数に任せて決定し、七夜の中で唯一俺に対抗できるお前を刺客として送ったか・・・法正」

「はっはいっ!!」

「外に出よう」

「えっ??」

「鳳明様?一体何を・・・」

「こんな室内ではお前の力を見極める事が出来ん。外でやる」

「鳳明さん!!」

「鳳明様!!」

俺のそんな言葉に反応して翠と珀は俺を止めようとしたが、衝が押しとどめた。

「爺・・・貴方には最後の最後まで迷惑を掛けるな」

「鳳明様・・・も、もしや・・・死ぬおつもりですか?」

「まさか、ただ法正とは純粋に腕を見たいだけだ・・・翠・珀すまないな、幼い頃のあの約束どうやら果たせそうに無い」

「「・・・・・・」」

二人とも無言で涙をこぼしつつも、じっと俺を凝視している。

中庭には既に屋敷の者が俺と法正を凝視している。

「・・・全員!!これは俺と法正の公正な決闘だ!!一切の介入は許さん!!・・・この七夜鳳明、もはや長くは無くとも、お前達を皆殺しにぐらいは出来るぞ!!」

「・・・・・・・」

答えは肯定を表す無言だった。

俺はそれを見極めるとふらふらとなった体を何とか奮い立たせて、法正と対峙した。

「叔父上・・・なぜ・・・」

「・・・別に気にするな。俺はただお前がどれだけ兄者を越える使い手になったか見たいだけだ。それに・・・例えお前が俺を殺す為にここに来たとしても、俺はお前を俺の後継者と見ている。お前に直接その事も言いたかった。その事関して俺は長老達に感謝している・・・」

「・・・・・・叔父上・・・やはり・・・やはり・・・叔父上は・・・わ・・・僕が目標とした・・・偉大な叔父上です・・・」

「さて、感傷はここまでだ。法正、構えろ」

「はいっ!!」

俺はこれから殺されるにも関わらず、まるで訓練を行うかのような口調でそう言うと七夜槍を両手に構えた。

しかし、今の俺には・・・もうこれを同時に振る事すら出来ない。

構えを取るのが精一杯だった。

それに対して法正は微かに涙が滲むものの、両端に長刀の様な刃の付いた鉄の棍を構え俺と相対した。

その構えは周囲の者や衝、そして俺も内心では肯いた程のものだった。

「では・・・」

「尋常に・・・」

「「勝負!!」」

言うが早いか法正が瞬く間に、俺との距離を詰め薙刀のように俺に斬りかかった。

俺はかろうじてその一撃をしゃがむ事でかわすと、下から七夜槍で斬りかかった。

それを法正は棍の下部分で受け止めたが、それは俺の狙い通りだった。

それは残ったもう一本で無防備な左の首筋に攻撃を仕掛けたが、その瞬間、棍が三等分に割れ、上で攻撃を防ぎ、さらに俺が体重を預けていた、下の部分は思わずつんのめった、俺目掛け斬りかかる。

それを俺は間一髪かわすと一旦距離を置いた。

しかし、かわしきれなかった様だった。俺の胸の部分は薄く横一文字に切られ、そこからうっすらと黒いしみが浮き出る。

「・・・さすがです叔父上。里にいる者でこの初撃をかわした者はいませんでした」

「・・・なるほどな。三節棍か」

確かにこれは意表をつかれた。

「ですが・・・これはどうですか?」

「!!」

そう言うと法正は中間の部分だけを持つと手首の動きだけで両端の部分を回転させ始めた。

そして、法正は手首の僅かな変化だけで上の部分をまるで生きているかのように俺に襲い掛かる。

それはかろうじて弾いたものの、僅かな時間差をおいて襲来した下の部分はかわし切れなかった。

かすり傷だが右ももを切られた。

(まずい)俺は直感で、危険を悟った。

確かに今のところは五分と五分だが俺の体力の消耗は全盛期の五・六倍はある。

今のところは、培った技術と体が覚えている本能で、五分を維持しているがそれもいつまで続くか分かったものでは無い。

一刻も早く決着をつけねばこの勝負負ける。

そして負けは俺の死を意味する。

(法正にはたった一箇所のみ隙が生じる時がある。そこを的確につくしかない)

それは普通の人間では見落とすだろう僅かで・・・ほんの瞬き程度の時間の隙だがそれは確かにあった。

そしてその機会を活かせるのはたった一回。

もう俺にはそれしか残されていなかった。

時間も・・・力も・・・

だがそれまでは気付かぬ振りを続けるしかない。

法正に知れればそれは全ての終わりを意味する。

暫くは気付かないふりを続け、好機を見出すしかなかった。

そして形式的には俺は近寄る事も出来ず、法正の猛攻を防ぐのがやっとと言った印象になった。

そして、

「・・・叔父上・・・申し訳御座いません・・・これで決着を・・・」

「来い・・・」

そう言うと法正は上下同時に一本は眉間にもう一本は心臓に的確な狙いと速さで振るってきた。

「・・・待っていた・・・」

俺は誰にも聞こえない程の声でそう呟いた。

その瞬間俺は残されていた力を使い、攻撃をかわすと法正の背後に回り込んだ。

「えっ!!」

そして法正が危険を察した時俺は法正の心臓と喉笛に七夜槍を突き立てていた。

そうこれが唯一の隙、法正は訓練を始めた頃からどうしても攻撃の際に後方の注意がおろそかになっていた。

成長していくにつれ、その隙は小さく、見分けにくいものとなっていったが、それでも確かに存在した。

さらに今回の場合、一対一の局面だった為と俺の衰弱を感じて、後方の注意が更におろそかになったのだろう。

「・・・・・・」

「・・・・・・・」

この態勢で数瞬無言になったが、法正がおもむろに、

「・・・お、叔父上・・・どうして・・・」

「どうして殺さないか?か、・・・お前を殺したら誰が次の当主になるんだ?それにお前を殺めたら、双影の兄者に未来永劫恨まれる。何よりも可愛い甥を殺す叔父が何処にいる?」

そう言うとおれは構えを解き、

「法正、もう俺にはお前の攻撃を受けるだけの力は残されていない。俺を殺すなら今の内だ」

「何故、叔父上は今の攻撃で僕を殺さなかったんですか?僕は間違いなく負けて、今ごろは死んでいた筈。なのに・・・」

「答えは簡単だ、法正」

俺は法正の視線を真っ直ぐに受け止めこう言った。

「俺にとって、これは当主継承の為に力を見たに過ぎない。そして・・・もう時間の無い俺が数時間だけ寿命が延びても仕方ないだろう」

「お・・・叔父上・・・」

法正は武器を落とすと、地面にひれ伏してまた泣き出した。

俺は静かに近寄ると、静かに法正の背中をさすって

「本当に強くなったな法正。これで俺もなんの憂いも無く逝ける」

「お・・・叔父上・・・ひっく・・・ま、だ・・・生きてください・・・・僕にもっと・・・」

「もう俺に教える事は何も無い。後はお前が自分で考えそして決めてゆくんだ。・・・爺!」

「はっ!!」

「そして全員に、七夜当主七夜鳳明の最後の命を下す!!・・・これより法正を俺と思い法正の命に従え!!・・・法正、立て」

「はいっ!!」

「法正お前が今日から七夜当主だ。長老達もそれを望んでいるだろうからな」

「叔父上は、如何なさるおつもりですか!!」

「俺か・・・俺はこのまま人に知られる事無く魂を天に還す。お前は長老達にこう言ってくれ。『七夜鳳明は最後に『凶夜』の本性を現し皆に襲い掛かろうとしたが自分達の手により抹殺された』とな」

そう言うと、俺は法正の肩を軽く叩き、

「・・・しっかり頼む。お前なら出来る筈だからな」

「・・・叔父上・・・あ、有難うございます」

「ああ」

次に俺は涙をこらえている衝の前に立つと、

「爺、本当にありがとう。貴方がいたからこそ俺は死ぬ時も七夜鳳明でいられる。どのような言葉でも俺の感謝の思いは伝わらない」

「御館様・・・いえ、鳳明様、そのようなお言葉もったいない事です」

「爺、俺を導いてくれたように法正も頼む。これが俺の最後の願いだ」

「はい・・・鳳明様・・・この衝、我が身命に賭けましても・・・」

「ああ、宜しく頼む・・・そして元気でな爺、長生きしてくれ・・・俺の分まで」

「は・・・はい鳳明様・・・」

その言葉に俺は静かに頷くと、最後に謁見の間で力無く床にへたり込んでいた翠と珀に近寄ると、

「翠・・・珀・・・お別れだ・・・・」

「「・・・・・・」」

二人とも何も言わない。

ただ体を小刻みに震わせて顔を俯かせていた。

どの様な表情をしているのか俺には察する事は出来なかった。

「・・・お前達を心の底から愛してくれる奴は必ずいるから・・・しあ」

「・・・いやです」

「私達には鳳明様しかいません・・・」

「えっ??」

「鳳明さん!!・・・お願いです・・・私達の・・・命・・・ひっく、・・・命なら、差し上げます。ですから私達の元に・・・」

「・・・そばにいて・・・お願い・・・鳳・・・明ちゃん・・・」

うわ言のように言いながら珀は泣きじゃくりながら哀願し、翠はそう呟いた後、声も無くすすり泣いていた。

「・・・・・・」

この二人にそこまでの思いを持たせたのは間違いなく俺の業。

本来ならこの二人のそばにいて幸せにしてやることこそ、責務だろう。

しかし・・・

「翠・珀・・・」

「は、はい・・・んっ」

「ほ、鳳明さん・・・んんっ」

俺は顔を上げた翠と珀にくちづけをした。

そして、二人がその余韻に酔っている隙をつき二人の頚動脈を手刀で軽く叩き、二人は幸福の表情のまま気を失った。

「・・・許して・・・くれる筈は無いな・・・だが・・・」

だがこの二人には俺の何倍・・・いや、何十倍でも幸福になって欲しかった。

例え二人にとっての幸福が俺と共にいる事だとしても・・・

「爺、二人を頼む。そして・・・法正もな」

「ははっ」

そう言うと俺は二人を静かに床に寝かせ、もう歩く事も難しいほど弱りきった体を奮い立たせ、静かに中庭に戻った。

「ではな・・・法正、爺、皆元気でな・・・後、翠と珀に『許してくれ。お前達を道連れには出来ん』と伝えてくれ・・・さらばだ・・・」

そう言うと俺は後ろに目もくれる事無く、僅かに残った力を結集させると屋敷を・・・京の都を後にした。






「はぁ・・・はぁ・・・もう・・・動かんな・・・」

そう呟くと俺は木にもたれて、天を見上げた。

「・・・満天の星空と・・・今宵は三日月だったか・・・」

そう呟いて静かに笑った。

あれから俺は自分の力が潰えるまで行使し続け遂にある森に入った所でもう跳べなくなった。

そこからさらに歩き、もう足すらも動けなくなり、そしてこの木にもたれかかったのだ。

「・・・もう無理か・・・」

俺の手足はもう指一本たりとも動かなかった。

「・・・そろそろお迎えがきても、おかしくは無いな・・・」

そう言って俺は自嘲気味に笑った。

平然と自らの死を悟り、あまつさえそれを受け容れようとしている自分を笑った。

そして、首から下がまるで無くなったかのように少しも動かないのに、首から上はいつも以上に研ぎ澄まされている事にも・・・

(恐らく体が一秒でも生き残る為の最期の足掻きなのだろう・・・それにしても・・・)

(これで、もう少し取り乱すぐらいの人間味ぐらいは俺にもあるだろうと思ったんだが・・・)

「まあ・・・いい・・・これでようやく・・・!!」

静かに目を閉じ、自分の死を受け容れる準備をしようとした時、気配を感じた。

(追い剥ぎか・・・まあ良い。自然に死ぬか他者の手にかかり死ぬかの違いだけだな)

そんな事を考えながら、静かに目を開けるとそこにいたのは追い剥ぎではなく、三日月の光でぼんやりと照らされ、まるで最初からそこにいたかのように彼女はいた。

「・・・・・おまえ・・・・・」

「・・・随分と気の利かぬ言葉じゃなホウメイ。妾の事をもう忘れたのか?」

やや気分を害したかのように彼女・・・セルトシェーレはそう言った。

俺は別に彼女を忘れた訳では無い。

その光景は余りにも幻想的な美しさだった為言葉を出せれなかった。

「セルトシェーレ、お前まだここにいたのか?」

「失礼な、それでは妾がいない方が良いと言うのか?」

「ははっ、そう言う訳では無い。今まで姿が見えなかったからな、てっきり自分の故郷に帰ったとばかり思っていたぞ」

「まさか、妾は一度決めた事は必ず守るからな」

「決めた事?」

「忘れたか?ホウメイ、お主を妾の死徒とすると」

「ああ、そう言えばそうだったな。しかしなセルトシェーレ、もう俺は動くとも出来ん。お前の力になれるとは到底思えんぞ」

俺はそう言って小さく笑った。

「・・・・・・」

そんな俺を見てセルトシェーレはじっと見つめている。

「?どうした一体?」

「・・・ぜじゃ?」

「なに?」

「何故じゃ?ホウメイ、お主は間もなく死ぬのじゃろう?なのに・・・なのにどうしてそこまで穏やかに、いつもと変わらぬ表情をしておるのじゃ?」

「さあな、俺にも判らん。俺も死ぬ間際になったら、みっともなく生にしがみついて泣き喚く自分ばかり想像していたが・・・それが現実ではこれだ。多分、生まれてから今まで、余りにも多過ぎる死を見てきた所為で、遂には自分の死にまで希薄になったのだろうな。まあ、こんな眼を持った事への感謝と言って良いのか・・・」

「判らん・・・ホウメイお主は一族にも疎まれ追放されたのじゃろう?何故一族への怨嗟を抱かぬ?お主にはそれを行う権利がある筈・・・何故なのじゃ!妾には到底理解できん!!お主と妾はここまで似ておると言うのに・・・どうして・・・」

「??どういう意味だ?俺とお前が似ている?」

「ああそうじゃ・・・妾は一族の中でも王族の名でもある『ブリュンスタッド』を受け、更にその強大な力で一族全てから敬われておった。・・・しかし・・・妾はそれ以上に・・・疎まれ忌み嫌われておった。この心の所為でな」

「心?」

「・・・妾は常にこう言われておった。『死徒狩りのみの者に心など必要ない。そのような邪魔なものとっとと捨ててしまえ』とな・・・妾は死徒達を狩る為、それだけの為に生み出され最初の頃は失敗作とまで言われた・・・そう言われる度に何度も心を捨てようとした・・・じゃが・・・出来なかった」

「・・・・・・」

いつの間にかセルトシェーレは地面に膝を付き、体を小刻みに震わせていた。

「・・・判らぬ・・・判らぬ・・・妾には判らぬ!どうしてじゃホウメイ?お主も一族を恨んだ事は一度でもあるはずじゃぞ。なのに・・・なのに・・・なのにどうしてお主はそうやって変わらぬ心で接していられる!!・・・どうして・・・妾までも優しく包もうとする・・・やっと心を捨てただの道具となれる筈じゃったのに・・・お主の所為でもう・・・妾の心は壊れなくなってしまった・・・もう一族の視線も気にならなくなってしまった・・・ただ・・・妾のそばにお主が・・・ホウメイさえいてくれれば・・・」

「・・・そうだったのか・・・」

俺は呆然と呟いた。

俺は唐突に何故自分が、目の前で子供の様に泣いている群蒼の姫を気にしていたのかわかった。

俺と彼女は似た者同士だったのだ。

俺は『凶夜』として異常すぎる力といつまでも狂う事の無い心ゆえに『凶夜』以上に俺は一族から疎まれ、こいつは真祖と呼ばれる一族から王族と言う事で形としては敬われても、必要の無いものを有した為忌み嫌われた。

これにどう違いがある?何も無い。

(そうだったのか・・・)

「それなら・・・・」

そう呟くと、今まで一ヶ所に集結していた感覚を全身に行き届かせた。

「・・・?ホウメイ??」

「くっ・・・さすがにきつい。これで少しは動けるが・・・」

そう言いながら朦朧となる意識を耐えつつも力無くセルトシェーレに近寄った。

それこそ直ぐ近くだったのにまるで千里歩くような疲労を感じた。

もう時間は無い。

率直に言いたい事だけ言ってしまおう。

「・・・セルトシェーレ、俺を・・・俺を・・・お前の・・・死徒にしろ」

「!!ホ、ホウメイ・・・良いのか?そうなれば・・・お主は・・・」

「もう俺には時間は無い。するのならさっさとしろ」

「じゃがお主は・・・んんっ!!」

まだ何か言おうとしたセルトシェーレの口を口づけで塞いだ。

「・・・・・・」

「セルトシェーレ・・・俺が必要なら永遠に傍にいてやる・・・お前を俺の魂が尽きるまで守り通す事も誓う。だから・・・何も心配するな・・・」

「・・・真か?・・・其の言葉に偽りは無いか?」

セルトシェーレは静かにそう尋ねた。

其の視線は今までの威厳など微塵も無い、普通の女性の眼だった。

「ああ・・・は、早く・・・し・・・ろ・・・も・・・もう・・・」

そう呟くのがもう精一杯だった。

俺の意識は消えるまさに其の瞬間、首筋に微かな痛みを感じた。

それを感じながら俺の意識は闇の底に落ちていった。

(もう、後戻りできないな・・・まあ良い・・・)

そんな事を静かに考えながら・・・







俺が次に気がついた時、そこはなんとも形容しがたい場所だった。

壁や床には石を整然と並べられ、その上に綿だろうか?大きな正方形の布が敷かれ、壁には強い色彩の絵が掛けられている。

「・・・ここは一体・・・何よりも俺は・・・」

死に行く身ではなかったのか?

そこまで思いが及ぶにつれ唐突に思い出した。

そうだ・・・俺は死の直前、あの蒼き吸血姫の弱々しい姿に傍にいてやろうと決断したのだ。

「・・・と言う事は今の俺は死徒とやらと言う事か・・・」

そう呟くと俺はおもむろに体を起こした。

あれほどあった、だるさは微塵も無く、むしろ体には力が漲っていた。

今、気が付いたが俺は床ではなく、布団を台の上に置いた奇妙な床に寝ていた。

それに服装はあの時のままだったし、懐には七夜槍がしっかりと残されている。

外は夜となっており空には満天の星、そして信じられないほど巨大な満月が煌々とこの部屋を照らしている。

「・・・?ホウメイ起きたのか?」

ふと背後からそんな声が聞こえてきた。

俺はその声に振り向く事無く、

「・・・ああ・・・今起きた所だ。セルトシェーレ」

そう答えた。

「・・・・・・」

ふと背中に誰かが寄り添うような感触がした。

誰が?後ろにいた群蒼の姫意外にいまい。

「・・・ホウメイ、もうお主は妾のものぞ。裏切ったら承知せぬぞ」

今まで聞いた事が無いほど穏やかでかつ、甘い声でそう囁いた。

「ああ、・・・判っているさ・・・ところでここは一体何処なんだ?・・・まあ、お前の故郷である事は判るがな・・・」

俺が目を覚ました時から感じていた疑問を投げ掛けるとセルトシェーレは静かにこう答えた。

「・・・ここはブリュンスタッド城・・・妾ら、真祖の王族の城・・・」

「そうか・・・俺のいた国から見て裏側に当たる所か・・・」

「そう言うことじゃ・・・ホウメイお主は妾の死徒となった・・・」

「・・・それで?」

「・・・お主は・・・これから先、人の血を吸わねば生きていけぬ」

「・・・どう言う事だ?」

「・・・たとえ老いる事無く、天寿を迎えぬ肉体であろうとも自然の摂理には勝てぬ。やがて、肉体は朽ち果て魂のみの存在となる。魂は器無ければ極めて脆弱な存在。じゃから死徒は他の生物の生命力を取り込み、己の肉体を補わねばならない。・・・殊にホウメイ、お主はただでさえ死にかけた身。普通の死徒の倍は生命力を取り込まねばならぬ」「・・・つまりその生命力の補充にうってつけなのが、人間の血液と言う事か・・・」

「そうじゃ」

「・・・おまえなあ・・・そう言う重要な事はもっと早く言え。別に何も不具合無く、永く生きられるとは思ってはいないが、そんなでたらめな不具合とは思わなかったぞ」

「すまぬ・・・」

「まあ・・・済んだ事だ仕方が無い。其の事についてはゆっくりと考えるとするか・・・」

「・・・・」

「ん?どうした?セルトシェーレ?人の顔をじっと見て」

「ホウメイ・・・お主まだ自我を保てるのか?」

セルトシェーレは俺の顔を見て信じられないような表情でそう呟いた。

「なんだそれは?」

「お主、自らの欲望のまま破壊を行いたいとは思っておらぬのか?領土や臣下を持ち、支配欲を満足させたいとは思わぬのか?」

そんな質問に俺が参ってしまった。

「・・・別にそんな事考えた事は無いな。静かで・・・こんな眼を使う事無く・・・穏やかに暮らせる安住の地さえあればいい。・・・いや、後俺の事を慕ってくれる奴がいれば、言う事は無い」

「し・・・信じられぬ」

「おい、お前俺がそんな望みを持っているのがそんなに不思議か?」

「ああ・・不思議じゃ。死徒にも関わらず物欲に乏しく、己をそこまで保てるとは・・・」

「そうか・・・人間だった頃から別に何かを欲しがるような事は余りしなかったからな」

「その眼を保有すると何かを手にする事すらも臆するのか?」

「そうだな・・・物が増えれば増えるほど俺の周りには破壊と死が増えていく。これは間違いない」

「左様か・・・じゃが・・・安心した」

「何がだ?」

俺がそう言うとセルトシェーレは微笑みながら俺に強く抱きついてきた。

「・・・妾達は真祖と死徒。常は主従の関係しかない・・・じゃが二人のみの時は対等にいられる・・・それが妾には嬉しい・・・」

「・・・セルトシェーレ、すまんが酒と小皿があればちょっと持ってきてくれないか?」

「?何なのじゃ?そのような物を一体何に使うつもりじゃ?」

首を傾げつつもセルトシェーレは直ぐに空想具現化の能力を使いそれらを出してくれた。

「・・・ほう・・・こちらの酒は色がついているのか?」

「そうじゃ、なんでも『ウイスキー』と言うらしいが」

俺は、なるほどと頷きながらその瓶の口を一気に叩き切ると、小皿にほんの少量注ぎ込んだ。 

「??ホウメイそれは一体・・・」

「ああ、三々九度って言う俺の国にある結婚の儀式だ」

「えっ・・・」

絶句したセルトシェーレを尻目に俺はその杯に見立てた小皿に注がれた御神酒代わりの酒をゆっくりと飲んだ。

そしていまだ唖然としているセルトシェーレに再び注いだそれを差し出した。

「本当はもっと、ごちゃごちゃしたものが有るんだが俺達にはこれが相応しいだろう。セルトシェーレ、飲むか?」

「・・・・・・」

セルトシェーレは震える手でその小皿を受け取り、それをゆっくり口元に近づけ、一口飲むとその紅き瞳から大粒の涙が零れ落ち俺に抱きついた。

「・・・ホウメイ・・・ホウメイ・・・ホウメイ・・・後生じゃから妾をもう一人にしないでおくれ・・・」

微かな嗚咽と共にセルトシェーレはそう言って哀願した。

「ああ・・・判ったよ・・・」そう言うと俺は未だ泣き伏している群蒼の姫の唇を重ねた。

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俺は未だ夜の明けぬ部屋で妻となった女性の傍らにいた。

あの後、興奮冷めぬ俺は、セルトシェーレを貪るように抱き続けた。

そして彼女は疲れ果てたのか、ぐっすりと眠っている。

俺はその傍らから離れると静かに外の光景を眺めた。

別に何か考えた訳では無い。ただ体が自然にそこに移動したに過ぎない。

「・・・さらばだ・・・」

そんな一言が出ると俺の瞳から一筋の涙が零れ落ちた。

誰に別れを告げたのか判らない。

七夜の里の皆になのか?それとも自分の事をただ一途に愛してくれた、双子の姉妹になのか?あるいはあの戦いを共に潜り抜けた陰陽師と混血の当主になのか?

それとも・・・人間七夜鳳明になのか・・・・

いやひょっとしたら・・・

(全てにかもな・・・)

俺はそう結論つけると小さく笑った。

そして俺は静かに窓を鎧戸と呼ばれる物で完全に閉じると妻の隣りに寄り添い、静かに目を閉じ、深い眠りについた。






俺は自然に眼が覚めた。

ふと時計を見ると夜中の二時。

「・・・多分今日が最期かもな」

そう呟くと俺は静かに起き上がる。

枕元に猫型のレンちゃんが丸くなって寝ているのだ。

俺は無言でその外の風景を眺める。

なんと奇遇な事か、その月は鳳明さんが見ていたような満月だった。

静かに俺はその光景をただ静かに眺める。

(鳳明さん・・・残りの時間、俺も俺らしく悔いの無いように生き抜きますよ。あなたが自らの身をもって俺に教えてくれたんですから・・・)

「鳳明さん・・・いえ、先生。遠い過去から、ありがとうございました」

そして俺は再び自らのベッドに横になり、再び目を閉じる。

今度は夢を見る事無く深い眠りに付くだろう。

そして、もう後ろを振り返る事も無い。

ここからは俺の時間なのだ・・・俺が自分で考え自分で決めていく道なのだから・・・







後書き

路空会合終章終わりました・・・

最初はどう続くか、どう終わるか、自分でもわからず右往左往しながら書いていましたが、どうにか人様の読めるものになったと思います。

さて、この物語は終わりですが『七夜の力に目覚め、魔殺刀『凶断』・『凶薙』を得た志貴』と言う設定については、自分でも   まだ書き足りない所もありますし、何よりも、書いた自分が言うのもなんですが、気に入ってしまったのでもう二・三設定を作って出してみようかと思います。(長編か短篇かはまだ不明)

ですが、この物語のもう一人の主人公七夜鳳明、彼に関しては、実はまだ終わりではありません。

二話ほど、後日談と言う形で鳳明のその後を書いて、それでこの長い物語に終止符を打とうと思います。

本当の終焉まではあと少しありますが取り敢えずこの場を借りまして、

今までこの物語を読んでくださった方ありがとうございます。

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