「ふう・・・まさか本当に俺の中に七夜鳳明の魂があるとは思わなかった」
再び小春日和の穏やかな日の下を俺はぶらぶらと歩いていた。
目的地は唯一つ。
あの池に向かう事だ。
(一体あれは何だったんだ?少し確認する必要があるな・・・)
そんな事を考えている内に俺は問題の池に到着していた。
周囲は鬱そうな茂みが生い茂っており、池と言うよりは沼と言った方が適切な程だった。
「やっぱり何も・・・ある訳無いよな」
そこは紛れも無くただの沼。
おかしい所など何一つある訳ない。
「やれやれとんだ取り越し苦労だ」
そう呟くと俺は少し苦笑しながらその沼を後にしてさて戻ろうかと思案していると近くの農道で地元の人と思われる人達が何かを指差して騒いでいる。
「また出たぞ!」
「これは3丁目の良平爺さんじゃないのか?」
「警察にも連絡しておいたぞ!」
内容も地元の人達の様子も何か尋常では無い。
俺は何だろうと思いながらそこに足を向けていた。
だが近付くにつれ言い知れぬ不安が頭をよぎった。
何か見てはいけないものに近付いてはいけないものを見ようとしているような、踏み込んではいけない事に首を突っ込もうとするような・・・
しかし俺の足はひとりでにその人の輪の外側に立っていた。
「ん?何だ君は?」
「あっすみません。この近くにある別荘に休養に来た者です。」
「ああ。あの遠野の別荘のかい」
「はい。で、どうしたんですか?こんなに騒いで」
「殺人だよ」
「!!」
地元の人のそんな一言に俺は凍りついた。
「さ・・・殺人・・・ですか?」
「ああ、ここ2週間でもう7人だよ君」
「違うだろ。今回の良平爺さんで8人目だよ」
「ああ、そうだそうだ。おまけに死体が恐ろしい事になっているしなぁー」
「えっ?」
俺がどういう意味なのか聞こうとした時、自転車に乗って警官がやって来た。
いかにも田舎の人の良さそうな駐在さんといったところだ。
「また出たんだって?」
「ああそうだ」
「第一発見者は?」
と言う風に質問が進んでいく。
「・・・なるほどな・・・ん?この少年は?見たところ地元の人間じゃ無さそうだが?」
「ああ、向こうの別荘にきた人だとよ」
「そうですか・・・すみませんが貴方の名は?」
「遠野志貴です」
ふむと頷くと
「で、君はここに何しに?」
「はい、朝の散歩をしていたのですが何か騒がしかったのでそれで・・・」
「なるほど・・・君、もう知っているかもしれないがここ最近この『禁断の森』付近じゃ殺人事件が多発しているから夜はなるべく出歩かない方がいいよ」
「はい。ご忠告ありがとうございます。・・・でなにか死体が恐ろしい事になっていると聞いたのですがそれは?」
「ああ、それは・・・」
「あんた聞かん方がいいぞ」
「そうだ。気の弱い奴なら見た途端失神してしまうでな」
「そうそう。鷲も二日間飯が喉に通らなかったからのー」
皆口々に言ってくる。
だがそれでも
「お願いします。教えて下さい」
俺は頭を下げた。
正直な所なぜそこまでこのような事に執着するのか判らなかった。
しかし、それでもこの事を知りたかった。
「・・・どうしてもと言うなら特別に見せても構わないが・・・ショックを受けても知らないからね」
遂に駐在さんが折れ、毛布でしっかりと隠したそれを俺に見せた。
それは・・・農作業用の服をきて、腰には手拭いをベルトに挟んだ・・・人間の皮があった。
それこそ目玉も歯も爪もないただ皮膚と体毛のみが存在する死体・・・
「・・・・・・」
「君?大丈夫かい?顔色が真っ青だよ?」
「は・・・はい・・・すみませんでした。ご無理を・・・」
「い、いやそれは構わないが・・・君本当に大丈夫かい?何だったら別荘まで送るが」
「い、いえ本当に大丈夫です。で、ではこれで失礼します・・・」
そう言って一礼すると俺はその場を逃げるように走り去った。
「・・・はあ、はあ・・・あ、ああああれは、まさか・・・いや違う。あれはただの夢・・・違う過去の事・・・じゃあ、あれは何なんだ?」
気が付けば俺は森の中で体を震わせぶつぶつ呟いていた。
「どうして、あの死体がこんな所にあるんだ?あんな死体を作れる奴は過去の奴なんだろ?じゃあなんで?・・・ま、まさか・・・」
俺の思考がある恐ろしい結論に達しようとした時、俺に目掛けて無機質な殺意が降り注いだ。
「!!」
俺が咄嗟にその場から飛び跳ねた瞬間、夢で嫌というほど見た、毒々しい触手が先程まで俺の首があった空間を巻き付いていた。
俺は眼鏡を叩き落とす様に取り、力を解放しながらナイフを手にして周囲を見回すと茂みからあれが現れた。
「・・・出やがったか・・・化物」
そう呟いた俺は既に遠野志貴から七夜志貴へと変わっていた。
目の前の獲物は夢で見た奴よりかなり小物のようだ。
だがそれでも人間の子供くらいの大きさを持つ巨大な鞠だ。
そしてあの毒々しい触手が俺を捕らえ夢の様に中身を全て奪おうとザワザワと蠢いている。
「・・・ふん、ワンパターンだな。」
そう呟くと俺は何の前触れもなく一気にナイフを手に奴との距離を縮めた。
下手に距離を置くと逆に奴の触手に翻弄されかねない。
リスクはでかいが短期決戦に持ち込まないとならなかった。
何しろ俺の能力ですら、奴を完全に殺すには『物の死』で無くてはならないのだ。
率直に言ってあの段階を長時間もたせる事は俺の脳に途方も無い負担を与える。
平気に見れると言ってもそれは長くても一分前後が限界なのだから・・・
奴はそんな俺の行動に一瞬戸惑ったようだが、直ぐに獲物を仕留めるべく触手を俺目掛け突き出した。
が、それも、直ぐに俺のナイフによって断ち切られていく。
しかし、俺も奴の雲霞の如く押し寄せる触手に一歩たりとも近付け無い有様だった。
「ちっ・・・やはりナイフ一本じゃ無理か・・・ならば!」
俺は一旦奴から離れると上着の下に隠すように身に付けていた小太刀を抜いた。
これも七夜の屋敷の地下書庫で発見した物で柄の部分には『凶断』(まがたち)の文字が彫られていた。
恐らくこれがこの小太刀の名なのだろう。
片手でも楽に扱える程の軽いこの小太刀を爺さんが御得意の未来予知で孫の為に残したのか、それともただの気まぐれで置いておいたのか?どちらにしろ今のこの状況では役に立つ事この上ない。
俺は構えもそこそこに一気に奴に目掛けて再突撃を開始した。
奴が息つく暇も与えず攻勢に転じた為だ。
だが奴の触手はナイフと『凶断』によって近付く前に全て断ち切られた。
そして、触手の防壁を突破するとナイフで右側面を、『凶断』で左側面を同時に線を断ち切った。
奴が三等分され、右と左が地面に落ちる前に今度は同時に武器を逆手に持ち替え中央に存在していた点を一気に貫いた。
同時に奴も残っていた触手を使い俺をぐるぐるに捕らえたが触手は瞬く間に砂となり、本体も形を瞬く間に崩してゆくとあっと言う間に一山の砂と変貌を遂げてしまった。
「・・・はあ、はあ、はあ・・・」
事が終わった事を自分の眼で確認するとゆっくり目を閉じてから力を緩やかに押さえ込みに入った。
急激に落とすと脳に負担が大きく掛かってしまう。
どんなに早くても一分はこのままにしていないといけない。
やがて、力が落ちていくと共に俺も七夜志貴から遠野志貴に戻っていく。
そしてゆっくりと目を開くと、まず、ナイフの刃をしまいポケットに入れ、地面に転がっている眼鏡を拾いそれを掛け、最後にベルトに挟んでおいた鞘を抜くと恐る恐る『凶断』を鞘に収めた。
パチンと良い音をして『凶断』を収めると、再びそれをベルトに挟みこんだ。
「・・・やはり間違いないな・・・」
そう呟くと、俺は踵を返してあの沼に向かった。
予感があったのだ。
案の定、まだ周りは昼だと言うのにそこだけは夜のように暗かった。
そしてそこにはやはり彼がいた。
"ひさしぶりだな"
"そうですか?俺は貴方と遭ってからそんなに時間は経っていませんが"
"そうか?まあいい。今宵はここに来ればお前に会える様な気がしたからな"
"貴方もですか"
"まあな。で何か用か?ただ単に世間話の為ではあるまい"
"はい。貴方が今追っている妖術師の化物の事でです。・・・俺の時代でも遭いました"
"なんだと?そいつは巨大な・・・"
"ええ。巨大な鞠の化物で触手を使い、捕らえた獲物の中身を吸い取る・・・"
"間違いない奴だ。しかしなぜ奴がそちらに?それにお前妙な事を言ったな『俺の時代』と・・・"
"はい実は・・・"
俺は彼・・・七夜鳳明にあの事を話した。
彼の時代と俺の時代は過去と未来なのだと言う事、今俺の魂と鳳明の魂が結ばれていると言う事、そしてこのままだとどちらかが消滅してしまう恐れがあると言う事を・・・
"なるほど・・・ではあの時水瓶に出て来たのはお前だったのか、志貴・・・"
"やはり貴方も見ましたか"
"ああ、あの時に漠然と考えたがな『あれは遥かな過去のものなのか、悠久の時を越えた未来なのか』とな"
"そうでしたか・・・"
"しかしそうなると一つ疑問が残るな。・・・奴はどうやってお前の時代に入り込んだのかだ"
"タイムホールからではないのですか?"
"俺が疑問に思っている事は入り込んだ方法じゃない。どの様にしてその時空の穴の入り口を見つけたのかだ"
"えっ?"
"お前ですら見つけるのに手間取るような物を偶然奴が見つけたとは到底思えん"
"やはり貴方もそう思いますか・・・"
"ああ、そして俺とお前が考えている結論は唯一つだろう"
"それは・・・" "そう・・・"
奴が・・・妖術師がタイムホールを操っている可能性があると言う事・・・
"そうなるとお前の時代にいるのが一匹とは到底考えられん"
"そうですね。現に奴の被害はこちらでも八人犠牲になっていますから・・・"
"余り考えたくは無いがそう考えた方がいいな。こちらもざっと数えて最初に遭った位の大きさの奴を十匹、一回り小物の奴なら二・三十は滅したからな"
"そ、そんなに・・・"
"まあな・・・"
"で、でも大丈夫なんですか?体の事は。いくら翠と珀に感応で生命力を貰ったと言っても限度が・・・"
"・・・確かにお前の言う通りだ。だがセルトシェーレや紅葉、それに紫晃にも手伝ってもらっている"
"そうですか・・・でもそれでも・・・"
"大丈夫だ。・・・さて、そろそろここで打ち切ろう。余り長いとまたセルトシェーレ達にどやされるからな"
"そうですね。俺も秋葉や皆に睨まれますから"
"ふふっ"
"?なんですかその笑いは?"
"いや、すまん。御互い女難に悩まされているみたいだなと思ってな"
"え?・・・ああ、そう言えばそうですね"
"そう言う事だ。では又会ったらその時にな志貴"
"はい鳳明さんもお気を付けて"
そんな会話を最後に俺の周囲は瞬く間に明るさを取り戻しそこはただの沼となっていた。
そしてこの光景を見ながら俺は確信していた。
やはり今のは七夜鳳明本人なんだと。
恐らくこの水が媒体となって俺は鳳明と話せるのだろう。
「でも何でここでだけ話せるんだ?まだわからん事だらけだな・・・ともかく戻るか。今ごろになって眠気が襲ってきやがった」
そうぼやくと俺は別荘に足を向けた。
「ただいまぁー・・・って、誰もいないのか?」
「ああ、お帰りなさい志貴」
「あれ?先生。アルクェイド達は?」
「ああ、お姫様達ならタイムホール探しよ」
「そんなに簡単に見つかる物なんですか?」
「ちょっと難しいけど皆、志貴が消えるのが嫌みたい。血眼になって探しているわ」
居間でただ一人お茶を飲んでいる先生とそんな事を言いながら俺は何気なく向かいのソファーに座った。」
「所で志貴、何か見つかった?」
「いえ、すみません。どうも俺の勘違いでした」
「そう、ならしょうがないわね」
先生も俺もそれっきり何も言うことも無く、俺が何気にベルトに挟んだ『凶断』を取り出すと、それを見た先生が
「あら?志貴その刀は?」
「ああ、これですか。七夜の屋敷で見つけんたんですよ。軽いからついつい持っているんですけど」
苦笑しながら頭をかいていたが
「・・・志貴ちょっとそれ見せて」
「え?はい良いですけど」
先生は真剣な表情でそんな事を言ってきた。
俺から『凶断』を受け取ると鞘を抜きゆっくり刀身をすかしたりしながら見ていたがやがて、
「間違いないわ。・・・七夜って恐ろしいわね。こんな物を自らの知恵のみでここまで精製するなんて・・・」
とぶつぶつ言い出した。
「せ、先生?どうしたんですか?それがなんなのか知っているんですか?」
「ええ。・・・とは言ってもこの刀ではなくこの刀の元となった鉱石についてだけと」
「どう言う事ですか?」
「この刀の鉱物はね魔の力を吸収し自らの力としてしまうの。私達はこれを『魔殺鉱(まさつこう)』と呼んでいるんだけど、実はこれ採掘も難しいけど精製はそれ以上に困難なのよ。採掘される場所はヨーロッパ東地区と南米、そして日本のごく一部分でしか採れない。しかも『魔殺鉱』は普通の鉱物よりも融解温度は高い上にその鉱石の扱いには熟練の鍛冶師でないとろくな物が出来ない。おまけに精製の為に魔力を使おうとするとそれすら『魔殺鉱』は吸い取ってしまう。だから『魔殺鉱』で出来た武器や防具は極めて少ないわ。でもその数少ないそれら・・・『魔殺武具』は最高の退魔の武具となるわ。何しろ小物の魔ならかすり傷でも致命傷となるし、お姫様ほどの真祖でもダメージは避けられないわ。おまけにこの刀は、そんな数少ない『魔殺武具』の中でも最高ランクの代物ね。ここまで武器としての性能だけでなく装飾品としても完成の域まで来ている。そんな『魔殺武具』私は見た事も聞いた事も無いわ。教会が知ったら是が非でも『譲れ』いえ、たぶん『よこせ』でしょうね」
俺は先生の真剣な表情での説明に呆然としていた。
「そういえば・・・」
『凶夜録』に自ら精製した退魔の武具で魔の者と戦う『凶夜』がいた。
その『凶夜』が七夜によって抹殺される寸前、彼は最高傑作と言える刀を創り残したと書には書いてあった。
(恐らくそれがこの『凶断』なのだろう。彼は何の為にこんな物を創ったのだろうか・・・)
ふとそんな事を考えていると
「たっだいまー」
と能天気な声が聞こえてきた。
「あらお姫様達が帰ってきたみたいね」
「はい・・・」
俺は未だに上の空だったが・・・
「あっ志貴様」
「遠野君帰っていたんですか?」
「?兄さんどうしたのですか?ぼーっとして」
「ああ、大丈夫よ別に体調がおかしい訳じゃないから」
「?ねえ志貴何持っているの?」
「うわー志貴さん綺麗な刀ですねぇー」
「!!・・・し、志貴さま・・・その刀・・・」
「・・・ブルー貴方また志貴に妙な物渡したの?」
「と、とととと遠野君・・・その刀」
「ええ、お察しの通り。その刀は魔殺武具よ。それも最高ランクのね・・・あっ一応言っとくけど私が渡したんじゃないわよ。七夜で過去に作られた物みたい」
「遠野君!!」
「は、はい?」
俺の上の空は先輩のその一声で終わりを遂げた。
「その刀を譲ってくれませんか?それさえあればこのあーぱー吸血姫を完全に抹殺できます。何しろ魔力をかすり傷でも吸い取れる代物ですから」
「ほら言うと思った。志貴駄目よ、こんな性悪女にその刀を渡すのは・・・でも私の死徒になれば魔殺武具を持った死徒かぁー」
「な、何言ってるんですか!!貴方みたいな未確認あーぱー生物に兄さんは渡さないと何十回言えば判るんですか!!」
「「「・・・・・・」」」(同感だと言わんばかりに頷く)
そんな騒ぎの中俺は静かに立ち上がると手にした『凶断』をゆっくりと抜いた。
全員がぎょっとして俺を凝視するが、それに構う事無く静かに構えると、何の前触れも無く窓から飛び出し『凶断』でそれを貫いた。
何時の間にか中庭にあの化け物が身を潜め、いつでも俺達を吸収しようとしていたようだ。
貫いた途端『凶断』はブルブルと震えだし、柄から強大なエネルギーが流れ込んでくるのがはっきりとわかった。
直ぐに流れ込む感覚は消えたが、その代わり『凶断』全体がすざましい勢いで震え出した。
「くっな、なんなんだ!!・・・っ!こいつは・・・」
苦労しながら押さえ込んでいる時、俺の脳裏にこいつの意思が伝わった。
「!!・・・ふっ、そうかい。お前・・・吐き出したいのか?この無様な化物を木っ端微塵にしたいのか?」
『凶断』の意思がはっきりとそうだと伝えた。
そしてその意思は俺の中の七夜志貴を目覚めさせていた。
更にこいつの意思は七夜志貴となるや否や更にはっきりと明確に俺の頭に流れ込まれる。
「さあてと、じゃ行くか・・・」
俺が小さくそう呟き、脳裏に爆発をイメージした瞬間今までぴくりともしなかった化物の体が不気味なピンクに点滅しクラッカーの様な音を立て次々と触手が小分けに破裂する。
更に本体は全体にひびが走りそのひびからやはり同じピンクの光が不気味に瞬いている。
もう十分と見るや俺はゆっくりと『凶断』を引き抜き、背を向けた。
その途端、後ろで小さくボンッ!と何かが破裂した音が聞こえ、それと同時に生暖かく何かの破片の混じった突風が俺の背中を叩きすぐに収まった。
何が破裂したのか言うまでも無い。
『凶断』によって残らず吸い取られた奴の生命力の一部が『凶断』を媒体としてすざましい攻撃性を有するエネルギーの奔流と化して逆流してきた為だった。
見ると皆、唖然として俺を見ている。
訳の判らない物を立て続けに見た所為だろう。
「琥珀さんすみません、俺の眼鏡とこいつの鞘を持って来て貰えますか?」
俺はそう言いながらナイフの刃を再び収めポケットに入れた。
「あっ、は、はい志貴さん。・・・どうぞ」
「うん、ありがとう」
そう言いながら俺はまず眼鏡をかけ、次に『凶断』を鞘に収めると、靴下を脱ぎ翡翠が持ってきてくれたタオルを使い土で少し汚れた素足を拭くと
「じゃあすみませんが少し昼寝してきます。やっぱりあんなにも早起きしたつけが今きたみたいで」
そう言うと、皆が何かに気付く前に居間を脱出した。
「ふぅー危なかった。今色々と説明されてもうまく説明できないからな」
俺はほっと一息つきながらベッドに横になっていた。
部屋には念入りに鍵も掛けた。
まあ、多分琥珀さん辺りがマスターキーを持っているだろうがまさか寝ている人間を起こすような事はしないだろう。
「・・・『凶断』の方はある程度説明できると思うけれどあっちの化物はな・・・」
少し考えもまとめる時間も欲しかったし何よりも本当に睡魔がどうしようもない所まで来て本気で眠くてしょうがないのだ。
「・・・まあ、いいや・・・起きてからまた考えよう。・・・寝む・・・」
そう呟くと、自然に瞼が重くなり視界が闇になるや俺の意識は深く沈んでいった。
・・・意識が途絶える直前
「志貴ぃー!!開けなさーい」
「あはー開けないと、こちらが開けちゃいますよー」
と皆の声が聞こえた気がした・・・
「・・・ふっ、七夜志貴か・・・」
俺は先刻まで話をしていた男を人間的に信頼に値すると思い、一族にしか見せない笑みを浮かべていた。
だがその笑みを直ぐに引っ込めると、思案に暮れた。
「だが・・・奴が時空の穴を使うとすれば、これだけ探しても未だ見つからないと言うのも頷けるが・・・」
「鳳明殿、こんな所で何をしているのかしら?」
「紅葉か・・・別に何もしておらんよ・・・で、本命は見つかったか?」
俺が振り向きもせずにそう尋ねると
「駄目ね、今日も雑魚は五匹片付けたけど、未だに奴は姿も見せない」
「もう既に奴がこの地を立ち去っていると言う可能性は?」
「それは無いわ。奴の僕は奴自身が離れてしまえば一日も経たずに死滅してしまうわ」
「つまり化物達が跳梁跋扈する今のこの状況こそが奴がまだこの地にいると言う何よりの証拠と言う事か・・・」
「ええ、そうよ」
「まあ、そのような事を考えてもしょうがないか・・・ところで紅葉、セルトセェーレ達は?」
「皆、戻っているわ、・・・全く、なんで遠野の当主たる私が退魔と一緒に行動なんか・・・」
「それは、しょうがあるまい。今のところ俺はあの化物と対等にやりあえるが、貴女達は協力しなければどうしようもない。まあ、この依頼が終わるまでの辛抱だ」
ぶつぶつ文句を言う紅葉に俺は苦笑いしつつそう言うとその場から離れ、翠達の待つ所に戻る為に歩を進め始めた。
・・・朝廷よりの依頼を受け既に十四日の日が過ぎた。
翌日から俺と翠・珀、紫晃、紅葉そしてセルトシェーレの六人は夜の巡回を行い、まずは奴の創り上げた化物達の掃討を行う事から始めた。
自分の創った物を次々と叩き潰されば本命がいずれ姿を見せるだろうと言う事だ。
最初俺以外の五人はかなり苦労したが、今では暗黙の内に連携する事を覚えたようで(その事に内心では不満だらけだろうが)まずセルトシェーレが突撃し、その補佐に紫晃と紅葉が回り、翠と珀は後方にて呪念による支援を行う。
この連携攻撃で数多くの化物を葬り去った。
だが、肝心の妖術師は全く姿を見せず、化物の掃討数のみが闇雲に増えて行くだけだった。
そんな時だった、七日目に俺がやはり一人で巡回に回っていた時人の気配を感じ駆けつけるとそこに彼が・・・七夜志貴がいた・・・
最初彼を見たとき俺は七夜・・・いや、『凶夜』の本能が今までに無いほどの高まりを覚えた。
そして本能の赴くまま彼を餌食にしようとしたが別の何かが俺の行動を押しとどめた。
そして俺は彼と話・・・正確にはあれが会話であったかどうか自信は無く、直接頭に響いたようなそんな気さえした・・・を行った。
そしてさっきも俺は彼と同じ会話をしていた。
(俺の中に志貴の魂がある・・・いや正確には彼と俺の魂は今共有していると言っていたな・・・急がねばなるまい。俺が死ねば恐らく志貴にも影響を与えるのは間違いないからな)
この魔眼の呪いで死ぬのは俺一人で充分だった。
いくら子孫と言え他人を巻き添えにするのは俺の本意では無い。
「・・・遅いぞ。ホウメイ」
「セルトシェーレか・・・済まんな」
「この人、また行き止まりでぼーっとしておりましたのよ」
「二度目ですよ七夜殿・・・」
「ああ、済まない」
合流した俺にセルトシェーレと紫晃は軽く責める視線を送っていた。
ただ翠と珀のみは心配そうに俺を見ていた。
「報告は紅葉から聞いたが今宵も本命は出てこなかったようだな」
「はい・・・」
「今宵は小物の方を五匹、それだけじゃよ」
「全く、そろそろ出てきてもおかしくないのにまだ追いかけっこしたいのかしら?」
紫晃はやや落胆して、セルトシェーレと紅葉は吐き捨てるようにそう言った。先刻から一言も発さぬ翠と珀も疲労の色が濃い。
「・・・止むを得ん。俺達は奴に関する手掛かりを何一つ掴んでいない。今はこうやって奴を炙り出すしかない。・・・まあ、犠牲者をあの時から皆無にしているのが唯一の救いだがな・・・ともかく今宵はこれで下がろう。全員かなり疲労しているしな」
俺の力の無い一言に皆頷き、屋敷に戻る事にした。
「・・・鳳明様・・・」
「どうした翠?・・・珀まで何だそのしけた眼は?」
ふとその途中で翠が躊躇いがちに、俺に声を掛けてきた。
珀は無言だったが不安に満ちた視線を俺に向けている。
「・・・そ、そのもしかしてお体が・・・」
「大丈夫だ。この前の感応で充分過ぎる程だ。それにお前達も疲れている筈だ。そんなに無茶するな」
「で、ですが・・・鳳明さん最近また顔色が悪くなってませんか?」
「大丈夫だ。そんなに心配するな」
「・・・鳳明様どうかご自愛をして下さい」
「私からもお願いします、鳳明さん」
「ああ、判っているさ・・・」
そう言うと二人に軽く頬にくちづけをしてやった。
その途端二人とも頬を紅く染め潤んだ視線を向けた。
屋敷に戻ると皆、無言で自室に戻り泥の様に眠りだした。
俺もさて眠ろうとすると
「・・・ホウメイおるか?」
と返事を聞くより早くセルトシェーレが入ってきた。
「・・・セルトシェーレ何か用か?」
「なに、お主と少々話がしたいと思うてな・・・」
「そうか・・・で、どんな話だ?・・と、その前に座れ」
「ああ、そうさせて貰う」
と言うと静かにセルトシェーレは腰を下ろした。
「・・・」
「・・・」
「・・・」
「・・・」
「・・・おい」
「なんじゃホウメイ」
「『なんじゃ』じゃない。何か話があったのだろう。お前が口火を切らないと俺としてもどうしようもない」
「・・・ああ、そうじゃったな・・・すまんお主の眼に見惚れておった」
「俺の眼?」
「ああ、本当に不思議な男じゃなホウメイ・・・妾でも時折恐怖を感じる眼だと言うのに普段はどの様なものでも自然に受け入れいておる・・・」
「そうか?俺としては別にそんな特別な事をしているつもりは無いんだが」
「その様な事は無い。現にお主は妾を受け容れ、尚且つ自然に接しておる。・・・同じ一族ですら妾と接する時はこうも自然にいる事は無いのに・・・」
そこまで会話が進んだ時、俺は不意にある事を思い出した。
「そう言えば聞いていなかったな。セルトシェーレ、お前の一族とはどの様な一族なのだ?別に言いたくなければそれでも良い」
「・・・そうじゃな、妾の一族か・・・一言で言うなら遠野の一族と同じ様な者といえば良いか・・・」
「と言う事は鬼の一族と言う事か?」
「それとはまた少々違う。・・・何といえば良いのか・・・向こうで妾達を滅ぼそうとしている人間どもは『吸血鬼』と呼んでいる」
「?だが最初の時お前達に魂を売った人間を『死徒』と呼んでいたがあれは?」
「ああ、あの表現は少々適切ではなかったかも知れんな。正確には妾達の血を受け容れた人間と言えば良かったな」
「血を受け容れる?」
「簡単に言えば妾達が人間の血を吸い、そして人間達に妾達の血を送る。その事でその人間は人間である事を辞め、妾達に極めて近い力と不死の体を持つ様になる。それが『死徒』と呼ばれる者達なのじゃよ。そして妾達は『真祖』。こう呼ばれておる・・・」
「なるほどな・・・ってちょっと待て今不死と言ったな。つまりお前は人と根本的に違う存在だと言う事か?」
「そうじゃな。そうだと言っても良い。じゃが不死と言っても永遠に死なぬ訳では無い。妾達にも無論『死徒』にも死は存在する。現にホウメイ、お主は見えておるのじゃろう。妾の死の線が・・・」
「ああ、だが、普通の奴に比べれば極端なほど少ない。おまけに夜になっちまえば細い上に殆ど見えなくなっている。もはやここまで来れば俺でも勝てないな」
「その割には、さほど悔しそうでは無さそうじゃな」
「お前は別格だと思っていたからな・・・?誰だ衝か?」
「御館様お起きででしたか・・・これはせるとしぇーれ様も」
「どうかしたか?」
「はっ『七夜の森』より紅装様がお見えです」
「紅装の叔父上が?わかった謁見の間で会おう。済まんセルトシェーレ。話しはまた今度な」
「左様か・・・名残惜しいが仕方あるまい。ホウメイ、今宵はまことに楽しかったぞ」
「ああ、お前も寝ろよ」
そう最後の言葉を掛けると俺は衝と共に謁見の間に向かった。
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