俺が目を覚ました時、時間は4時だった。

「・・・嘘だろ?・・・」

二日連続でこれだけ早起きできるのはやはり異常である。

「原因は・・・あの夢かな・・・」

今回も七夜鳳明の夢をはっきりと覚えていた。

「すごかった・・・」

夢にも関わらず俺の手には翠と珀と呼ばれた翡翠と琥珀さんそっくりな少女の体の感触が残っている。

「翡翠や琥珀さんを抱いた時も良かったけれど・・・あの夢は本当にすごかった・・・」

同時に双子の処女を俺が・・・嫌、違う、七夜鳳明が奪った時のあの興奮。

あれが本当に夢とは信じられないほど現実感に満ちた物だった。

「・・・けど・・・もう一つの方だよな・・・」

そう俺がここまで早く目を覚ましたのは『俺』の命がもうそんなに長くは無いということ・・・それにショックを受けたから・・・

「・・・ってちょっと待て、なぜ俺が長くないんだ?長くないのは鳳明の方なんだろ?・・・嫌、ちが・・・うっ!」

そこまで考えが行こうとした途端、俺は不意に嘔吐感に襲われた。

それこそ、いつ吐いてもおかしくないほど強い・・・でもこれって・・・どこかで・・・

「や、やばいぞ、このままじゃ本当に吐く」

考えは後だ、今は一刻も早くトイレなりで吐かないと部屋を汚しかねない。

俺は階段から一階に、文字通り飛び降りた。

着地の際、すごい音がしたが気にしていられなかった。

俺はわき目も振らずそのままトイレに駆け込むと(ノックすらもせず)、そのまま便器に顔を突っ込むと、「うげぇぇぇぇぇ!!」涙目になりつつも口からそれを吐き出した。

「はぁ、はぁ・・・?えっ?う、嘘だろ・・・こ、こんな馬鹿な・・・」

ようやく嘔吐も一段落ついたかと思い、手洗いで軽く口をゆすいで吐き出そうと便器から立ち上がった途端、俺の表情は凍りついた。

便器には水以外、胃の内容物は一つも無かった・・・そう、まるで墨のように黒く、黒く染まった水だけが・・・

俺は震える手で少し口を拭った。

手には血特有の軽くぬるっとした感触があった。更に俺はそれをぺろっと舐めた。

鉄に近い嫌な味がする・・・間違いなくこれは血だ。

では一体誰の血?俺しかいない・・・

「は、はは・・・じゃ・・・じゃあ何か?俺の命は鳳明と同じ長さしかないのか?う、嘘だろ・・・はっ」

俺が狂ったように笑おうとした瞬間、

「一体何なの!今のすごい音は?」

「貴女ではなかったんですね」

「当然でしょ!」

「では一体誰が・・・」

ま、まずい!先程の音で皆起きてしまっている。

何に焦ったのかわからない。

が、俺は弾かれるように手洗いで口をゆすぎ、更に便器の水も流してから顔を洗い口元の血も全て洗い落とした。

そしてタオルで顔を拭くと、なるべくいつも通りの表情を演じ、更にはとてつもなく間抜けな声で、

「ああ〜危なかった〜。あれ?皆どうしたの?」

と唖然としている皆にそう尋ねた。

「に、兄さん?」

「志貴?起きたの?」

「おい、『起きたの?』って、まるで俺が永遠に目を覚まさないかも知れないような口ぶりじゃないか」

「い、いえそう言うつもりでは無いんですけど・・・遠野君、どうしたんですか?こんなに朝・・・と言うかまだ夜も明けていないのに」

「えっ?一体今何時なの?」

俺はわざと、とぼける。

「まだ四時です志貴様・・・まだお休みになられた方が宜しいのではないでしょうか?」

翡翠が俺を心配げにそう言う。

「い、いやーちょっとトイレが我慢できなかった物だからさ、さてとじゃあ、ちょっと朝の・・・じゃない夜明け前の散歩にでも言ってくるよ」

同時に気分を落ち着ける為の時間も欲しかった。

正直に言って今のこの状態では何をしでかすのか、俺は俺自身に自信が全く、持てなかった。

「えっ?ですけど志貴さん・・・」

「だ、大丈夫だからさ琥珀さん、本当に少し周りをぶらつくだけだからさ」

「志貴さま・・・私もご一緒・・・」

「!駄目だ!!皆はまだ休んでいてくれ!!・・・あっご、御免・・・と、ともかく!30分位ですぐ戻るから!」

そう言うと、心配そうに俺を見ている皆を残して俺はそのまま別荘の外に出た。






「はあ、一体どうしたんだ?あんな事ぐらいでかっとなるなんて・・・」

まだ薄暗い道を俺は寝間着のままぶらぶらと歩いていた。

夜明け前の冷たくそれでも、新鮮な空気を吸う内に不安感はかなり消え失せていた。

そしていくら恐怖に駆られていたとはいえ皆に声を荒げた事を反省していた。

「この感覚以前のロアに取り込まれそうになった時と似てる・・・いや、表面的には似ているかもしれないけど・・・」

そう、根本的な何かが違っていた。

俺が俺で無くなる、そんな感覚は感じるのに何故か安らぎすらをも覚えてしまう。

ロアの時は取り込まれた後にあるであろう惨劇に恐怖しか覚えなかったのに・・・

ふと気付くと俺は何時の間にか森に少し中に入った所にある池に着いていた。

「あ、あれ?なんでこんな所に?」ふと振り返ると、日もかなり昇り始めている。

「さて・・・じゃあそろそろ帰・・・!!」

溜息を着きながらきびすを返そうとした瞬間、俺は後ろから唐突に発した、人の気配に本能で距離をとった。

後ろには池がある・・・これには変わりが無い。

だが、何故ここだけまだ夜の様に暗い?今は何時なんだ?そしてあの視線は・・・ああ、いた・・・

そこには・・・何者かがいた。

                               ―誰かいる―

             ―何者だ?―

  ―俺は咄嗟にナイフを構えた―

                            ―俺は本能に従い七夜槍を手に身構えた―

―姿はわからない―

                  ―しかしこいつは危険だと七夜の本能がそう伝える―

  ―でも直ぐには突っ込まない―

                     ―相手がどんな奴かわからない限りみだりに動くべきではない―

―けれど・・・―                ―だが―

             ―わかっていることがある―

                             ―確信はある―

              目の前にいる奴に下手をすれば殺される

―それは間違いようの無い確信―

                                     ―それが暗殺者としての俺の結論― 

        ―しかし・・・なぜ奴は仕掛けない?―

                             ―直ぐに攻撃を仕掛けないのはどうしてだ?―

     ―というより・・・―       ―どうして―

     ―俺は―                          ―俺には―

             あの男の考えている事が何故わかる?

―そう思うと急にあの男に対する敵意が失せた。奴も俺に殺意を向けるのを止めた様だ―

                 ―奴が構えを解いた。俺を襲う気が完全に失せたという事か・・・まあ、ありがたい―

     "このままぶつかったんでは御互い無傷ではすまないからな"

             "その点には全面的に賛同する。お前ほどの完成された暗殺者は見たことが無い"

"冗談はよせ。俺は一度とて人を殺したことは無い"

           "そう言う意味での完成ではない。お前は俺に極めて似ている"

                                      "どういうことだ?"        

"お前には生まれながらにして暗殺者しか道が用意されていない・・・俺と同じ様に・・・"

"・・・・・・・・"                                "・・・?どうした?"

                            "一つ聞きたい。お前の名は?"

                          "なに?"

     "お前の名が聞きたい"      

"貴様の名は?名を聞くからには名を名乗るのが礼儀だと思うが?"

                                "それもそうだな。俺の名は遠・・・いや、七夜志貴"

                                  "なに?・・・そうか・・・"

   "で、お前の名は?"

                  "そうだったな・・・俺の名は・・・七夜鳳明・・・"

「えっ?」

その名を聞いた途端、言葉が出た。

そして、更に言葉を紡ごうとした時、

「あーっ!!こんな所にいたー志貴〜!!」

後ろから聞こえた声に俺ははっとした。

向こうでもギョッとして後ろを振り向こうとした途端、池からその男の気配は消え失せ、景色も瞬く間に明るくなった。

まるで先程までの事が幻であったと言わんばかりに・・・

「ちょっと志貴!!どうしたのよ!!こんな所で突っ立って!」

そこに、ぷんぷんと言う擬音が正に相応しいアルクェイドが、やって来た。

「いや・・・ちょっとな・・・それよりもどうしたんだ?アルクェイド?」

俺がそう尋ね返すと、

「何言っているのよ!志貴が出てからもう4時間経っているのよ!」

「えっ?!」

「もう8時よ!」

「嘘だろ・・・」

だが、辺りを見合すと、太陽はかなり昇り、俺達を照らしている。

一体何時間ここにいたのか?いやそれ以前に・・・ここであった七夜鳳明はあの夢の中の七夜鳳明と同じ男なのか?

「志貴・・・どうしちゃったのよ?」

「えっ?どうしたって?」

「なんか、昨日から志貴変じゃない」

「そうですね。遠野君」

「あっ先輩・・・」

「こんな所にいたんですか・・・どうしちゃったんですか・・・いつもの遠野君らしくないですよ」

「い、いやそんな事は無いけれど・・・」

「そうよねー、何か志貴心ここにあらずって言うのここ最近多いから・・・」

「!!」

その言葉を聞いた途端、昨日のあの言葉が脳裏に甦った。

―七夜鳳明の魂が俺の中に―
体は震えが止まらない、昨日先生の言葉で吹っ切ったんじゃなかったのか?

ではこの震えは何だ?この恐怖は何だ?何故体が震える、何故だ?何故何故何故何故なぜなぜなぜナゼナゼナゼ!

「志貴!大丈夫?」

「!・・・・・・ご、ごめんな少し取り乱しちゃって・・・」

「さあ帰りましょう遠野君。琥珀さん達が待っていますから」

「そうね。それにお客も待っている事だし」

「客?一体誰が?」

「ああ、それは行ってからね」






俺が別荘に戻ると、

「おはよう志貴」

「せ、先生??どうしたんですか?」

「ええ、ちょっとね。君に話が合って」

「そ、そうですか・・・」

先生は優雅にお茶を飲みながらすっかりくつろいでいた。

「あっ志貴さんやっとお帰りですか?」

「うん、ごめん琥珀さん。余計な心配かけちゃって」

「そう言う事なら私より翡翠ちゃんや秋葉様に言って下さい。二人とも心配でそわそわしていたんですから」

「琥珀!!」

「姉さん!!」

「あはー良いじゃないですか?別に言っても」

「良くないの!!それよりも兄さん!かなり遅いお帰りですね?何処で油を売っていらっしゃったのですか?」

「い、いや、まあ・・・ちょっとな・・・別に変な事じゃないから。本当にごめん秋葉」

俺が素直に頭を下げると秋葉達はこれ以上の追求はしてこなかった。

しかし秋葉にとっては先生に対しての事が重要なのだろう。

この事での質問が始まった。

「それで兄さん後一つ、この方とはどういった関係でしょうか?『先生』と呼ぶ所を見るとかなり親しい方と見受けられますが」

「そうですね。遠野君どうしてブルーと対等に話せるのですか?」

「志貴、私はその眼鏡はブルーから貰った事は聞いたけど、ブルーが何の見返り無く志貴を助けるなんて信じられないわよ」

「あら、私は志貴が『大きくなったら先生の手伝いするって』言う風に言ってくれたのを覚えているけど」

「違うでしょ先生!手伝うといったのは昨夜のことでしょ!」

俺は慌ててその発言を打ち消した。

はっきり言ってこのメンバーに下手な事を言えばこの周辺は間違いなく焦土と化す。

「ふふっ、やっぱり君をからかうと面白いわね。まあこの話はまた後にしましょ・・・で志貴、ここからはちょっと真面目な話するわよ」

「・・・はい、先生」

俺は先生の口調からかなり深刻な話になると確信して姿勢を整え、先生と向かいのソファーに座った。

他の皆も真剣な面持ちでソファーに座った。

「・・・昨日言った、タイムホールの事なんだけどあれを一刻も早く塞ぐ必要が出て来たの。そうしないと志貴が志貴でなくなっちゃう恐れがあるのよ」

「?・・・それって一体どう言う事なんですか?」

「ええ、ここにいるお姫様達にはもう話しているけど志貴、昨夜君『最近よく七夜鳳明の夢を見る』と言ったわね?・・・あれね、正確には夢じゃないのよ」

「えっ?」

そう言うと先生は話し出した。

俺と七夜鳳明の魂がタイムホールと言う媒体の所為で繋がってしまい、このままでは俺が俺でいられなくなる。

いや、最悪魂の消滅の可能性だってあるという事を・・・

「・・・そうだったんですか・・・道理で」

「?志貴・・・あんまりショックは受けてないみたいね」

「ええ。そりゃそうですよ。今までは何が原因かわからなくてそれでびくびくしていたんですから。その時よりは遥かにましですよ。それに・・・昨日アルクェイドに言われて、漠然ではありましたが多分そうなんだろうとは、思ってましたから」

「えっ?私何か言った?」

「はあ・・・お前なあ、少しは覚えてろ。俺の中に七夜鳳明の魂があるかもって言っただろ」

「ああ、そう言えばそんなこと言ったけー」

「「「「「「「・・・・・・」」」」」」」

「な、何よ!この沈黙は!!」

「・・・はあ、あの純白の吸血姫がねぇー。ここまで変わっちゃうものなの?志貴?」

「それに関しては俺にもなんとも・・・それと先生一つ聞いてもよろしいですか?」

「なに?」

「その・・・魂が繋がった者同士起きている時に遭うと言う事はあるのですか?」

「そうね・・・鏡といった媒体を通じて対面する可能性はあるわ。でもそれ以上進行すると一方が活動を行っている時にはもう一方は強制的に睡眠に入ってしまう。その段階で遭う可能性は皆無に等しいわね。でどうしたの、そんな事聞いて?」

「い、いえ、あの時俺が見たのは七夜鳳明だったんだなと言う事を確信したもので・・・」

そう、ここに来て最初の夜に見た俺に瓜二つの男・・・それが七夜鳳明だったのだ。

「で・・・先生。やはりタイムホールはまだ見つからないのですか?」

「ええ、どうも今までのものとは違う可能性があるのよ」

「どう言う事ですか?」

「今までのタイムホールって力の反応とかがあると、力の未熟な者でも簡単に見つけられたのよ。でも今回の物は力の放出を可能な限り押さえ込んで場所をなかなか特定させないのよ」

「えっ?それって、もしかして・・・」

「タイムホール自身が意思を持つ様になってしまったのか?それとも何者かがタイムホールを操っているのかね・・・」

「・・・・・・・」

居間に沈黙がとずれた。

「ともかくそんな訳だから、志貴、君にも手伝ってくれれば私としてもありがたいけど?」

「わかりました。俺としても、七夜鳳明も融合は望んではいませんから・・・さてと・・・じゃあ早速ですけど少し出ます」

「何処に行くの志貴?」

「ちょっと気になる事があるので・・・」

と言いながら俺が席を立とうとすると、不意に呼び止められた。

「その前に兄さん」

「ん?何だ秋葉?」

「この4時間兄さんが何処に行かれたのかそれをお聞きしたいのですが?」

「あ、い、いやそれはなぁー」

しまった。

そう言えば俺は出る時に30分位で戻ると言ったんだった。

でもあの光景をどう説明すればいいのか?

だが、何か皆に納得のいく説明をしないと俺が殺されかねない。

「妹、そんな事より志貴とブルーとの関係よ」

「そうですね遠野君が何処で何をしていたのかも重要ですが、そちらの方がよほど重要ですね」

「それもそうでしたわね。兄さん差し支えなければぜひ教えて下さい」

「志貴様、私も是とも知りたいです」

「そうですねーぜひお聞かせください」

「・・・・・・」

助かった、皆俺と先生との関係を邪推してくれている。

いつもは勘弁してくれと言いたいが今回だけは感謝しよう。

「関係と言ったって子供の時に俺に色々と教えてくれてこの眼鏡をくれた人って言うぐらいだぞ。別に変な関係とかそんなのは無いぞ。俺にとっては本当に恩人で先生さ」

「むぅーでも志貴が他の女性に信頼向けているとむかつくー」

アルクェイドがそう言うと皆、表情の差こそあれこくんと頷いた。

「いやそんなこと言われてもな・・・」

すっかり途方に暮れていると

「ふふっ、志貴大変ね。もてると」

「先生、からかわないでください。と、ともかく、少し出るよ」

そう言うとまだやいのやいのと騒ぎ立てる皆を置いて俺は外に出た。

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