「・・・ま!・・・た様!・・・御館様!」
ふと、自分の耳に聞き慣れた声が聞こえる、ああそうだ、これは俺に長年仕えている、従者の衝だ。
「・・・」
俺は静かに目を開ける。
「御館様、お休みの所大変申し訳ございません」眼の前には片膝をついた衝が静かにそう告げる。
歳は俺の倍は既に越えている。
肉体的には若い者には到底、及ぶものでは無い。
今は現役の傍ら、歳若い者達に自分の技術の全てを注ぎ込んでいる。
だがこの男は信頼できる。
親父の代には、親父が長年最も頼りにしてきた腹心で、殺しの経歴では俺の及ぶところでは無い。
また人望も厚く、親父が亡き今では、我ら七夜一族の重鎮としてその存在感を常に示している。
「・・・どうかしたのか?爺」
俺は、今まで寝ていた寝床の上であぐらをかいて彼に聞いてきた。
俺はこの人を仕事以外では常に『爺』と呼んでいる。
俺にとって、彼は師であり、俺を最も慈しんでくれた人の一人であった。
これぐらいの礼儀は当然であろう。
「はい、朝廷の使いの者がいらしております。御館様にお会いしたいとの事ですが・・・」
「かまわん。通せ」
俺は衝のまだ途中の言葉を遮り、そう言った。
「宜しいのですか?使者は件(くだん)の・・・」
「ああ、奴か・・・構わん、下手に拒絶しようものなら、さらに五月蝿く噛み付いてくるのがおちだ。厄介事は早めに済ませる」
「ははっ!では、謁見の間に連れておきます」
俺が静かに頷くと、彼は風の様に部屋から消えていった。
「・・・しかし、爺、まだまだ現役でいられるだろう?」
俺は思わずそう呟いた。
実は彼は高齢を理由に今年いっぱいで引退を決意、残りの余生を次世代の育成に注ぐと言う事だ。
彼なら、安心して育成を任せられる。
しかし、やはり脳裏の一端には現役の彼を惜しむのもあるのは事実だ。
だが、もう彼が決めた事、これ以上他者が邪魔をするべきでは無い。
「さて、とっとと行くか、あまり待たせるものでもないからな」
俺はそう呟くと、謁見の間に向かう為、自分の寝室を後にした。
「あっ、御館様、御早いですね」
「御館様、おはようございます」
「ああ、今日もいい日和になりそうだな」
次々と俺に挨拶をする屋敷の者に俺は静かに返答をする。
「しかし、ここには女っ気がないな」
「は?御館様、何か?」
「・・・いや、なんでもない」
まずい、どうやら考えた事を口に出したようだ。
今、京の都に存在している七夜一族の仮屋敷には3、40人位の人間が共同生活している。
まあ、大半の者は仕事の無い夜に、非合法の(もっとも、この時代はそう言った事自体が禁止されていたが)遊女を買い、一夜の夢を得ている。
俺はこの都に来て数年、それらの世話には一度とてなった事は無い。
別に禁欲主義という事は無い。
俺とて一人の男、うまい物を食いたいし、美女を抱けるのなら抱きたい。
そう言った人並みの欲望は確かに存在していた。
ただ、億劫になっているだけ、それだけの事だった。
そのような事に思いをはせる内、に謁見の間の前に到着していた。
すっと襖を開けると、部屋にいた衝が深々一礼をし、ちょうど俺が座る上座の正面に座る、いかにも貴族然とした青年は踏ん反り返って礼すらもしない。
この男は何でも、今朝廷で権勢の頂点を謳歌している藤原氏でも、直系に連なる者だと言う事だ。
なぜ、この自分がこんな下賎の家に足を踏み入れなければないのか?
そう、眼で言っている。
その途端、ギシッ!と天井がきしむ音が複数聞こえてきた。
その貴族はびくりとして天井を薄気味悪そうに見上げていたが、なにも音がしないと見ると、気を取り直したように、御世辞程度の礼をしつつ、
「七夜の当主殿にはご機嫌・・・」
「使者殿、回りくどい口上はここではいらぬ、用件を聞こう」
「・・・」
その貴族は一瞬顔を歪め、憤りに満ちた視線をこちらに向けた。
おそらく、礼儀と言うものを知らぬ不届き者と言う所だろう。
「・・・まずは昨夜の一件についてです」
「?・・・はて、何か仕損じたのか?」
「いいえ、文句の付け様の無い仕事でした・・・ただ、従者、護衛を含めた屋敷の者全てを殺害と言うのは少々やり過ぎかと・・・」
「その事か。確かに行き過ぎた事は認める・・・だが、目標がどうしても、一人にならなかったものでな・・・」
「なるほど・・・流石は暗殺者七夜一族の歴代当主の中でも、最凶と謳われた七夜鳳明殿。何の罪の無い女子、幼子を手に掛ける事も、良心が痛まないと見える」
そんな、どきつい一言に周囲の者達が色めきだった。
その貴族の周囲に純真な殺意が沸き起こり、視線のみでも殺害が可能なほど集中している。
「よせ」
俺のその一言で殺気が一瞬で消滅した。
「使者殿・・・ここでは例え帝であろうと、当主に無礼な口を振るった時にはそれ相当の罰を受ける。この屋敷では気を付ける事だ」
「・・・・・・」
腰を抜かし、首だけをコクコクと動かす。
「それで・・・話はそれだけか?」
「・・・あっ、い、いえ実はもう一つ、こちらが本題と言えます」
「本題?」
「はい、・・・帝直々に頼みたい仕事があるとの事で」
「で、どのような仕事なのだ?」
「申し訳ございませんが、詳しい御話は帝が直々に御声を賜るとの事で・・・」
「ほう・・・」
少々面食らった。
(余程切羽詰っているようだな)
俺は静かにそう結論付けた、我らの様な何処の馬の骨とも知れぬ暗殺者を宮廷に呼ぶとは、
「では、七夜殿、翌日迎えをよこします」
「・・・今すぐでも構わんのだぞ?」
「いえ、実は今回の件には宮廷直属の陰陽師と後、巫浄(ふじょう)の当主殿にも依頼しているのです。さらに、巫浄の当主殿が明日都に上がる関係上明日までお待ちください」
何?俺は頭が一瞬混乱した。陰陽師?巫浄だと?何故巫浄が関係する?
「巫浄?陰陽師?失礼だが使者殿、それらと我ら七夜とは形式自体が違うのではないのか?」
俺はその疑問に率直に尋ねた。
が、その返答は
「さあ、そこは私にもわかりかねます。私は帝の使いに過ぎません」
ただそれだけの素っ気無いものだった。
そして、その一言を最後に、一礼すると貴族は屋敷を後にした。
「・・・衝、」
「御館様、ここに」
使者が立ち去ってから暫くして俺は自室へと戻り、そして衝を呼んだ。
「どう見る」
「巫浄の御当主殿と陰陽師がいると言う事ですか?」
「ああ、巫浄も陰陽師も、怨霊を専門に扱う者達、我ら七夜とは余りにも違い過ぎる」
「はい、ですが御館様、巫浄の者達は感応能力による肉体・精神強化を施せると聞いた事があります。恐らくはそれらの能力を期待しているのでは?」
「感応?・・・ああ、聞いた事がある。異性同士で交わる事で傷を癒したり、自らの能力を更なる高みに上げると言われる代物だな。・・・確かにそれなら説明が付くが・・・やはり陰陽師の存在が引っかかる」
「はい、それに関しては、私にも何とも・・・」
「まあ良い、それに関してはまた明日、実際に依頼を聞いてから考えるとしよう」
「そうですな・・・それはそうと・・・御館様」
衝が躊躇いがちに尋ねる。
「・・・今日はお体の方は・・・」
「・・・心配するな爺。昨夜は一瞬だったからな、さほどの影響は出てはおらん」
それを聞くと爺は心底安心したように、頬を緩ませた。
「それでは、私は若い者達の稽古がございますゆえ・・・」
「ああ、爺、存分に鍛え上げてやってくれ」
俺のそんな労いの言葉に一礼すると、再び爺は風の様に消えた。
「『死を呼ぶ黒き烏』はいまだ健在か・・・爺・・・やはりもうしばし、現役でも大丈夫なんじゃないのか?」
俺は人知れずそう呟いた後、さらに言葉を繋げた。
「感応能力か・・・」
巫女の血と能力を受け継ぐと言われる巫浄の家のみが代々持つと言われる治癒の力、その力ゆえ時の権力者の長寿などの下らぬ望みの為、幼なき子供すらその薄汚れた欲望の餌食になったと聞く、それにしても・・・
「・・・無様だな」
誰に対してそのような言葉を吐いたのか俺にも判らなかった。
ただの一個の人間などにその運命を翻弄され続ける巫浄の一族の者達になのか?
そのような、くだらない事を続ける権力者共になのか?
「・・・それとも・・・」
それとも、そんなくだらん人種に媚を売らねば生きてゆけぬ我ら七夜に対してなのか・・・。
今日も食欲は余り無い。
このまま寝てしまおう、ここ最近特に体を動かさなくても睡眠を貪欲に欲する自分がいるのだから・・・
後書き
路空会合一話いかがでしたでしょうか?
まだまだ序盤ですのでシリアスなのか何なのかわからない方もおりますでしょうが、この物語は基本的にはシリアスです。
また、この物語は基本的には志貴と鳳明この二人が主人公となります。
ですから、ヒロイン達に関しては、かなり影が薄くなります。
このあたりについてはご了承下さい。