「・・・ま、・・・様、志貴様。起きてください」

自分を呼ぶ声に俺はうっすらと目を空けた。

まだ意識は完全に覚醒はせず、ベットに半身を起こしてもまだぼけっとして窓から景色を見た。

もうすっかり日も昇り、今日もいい日和になりそうであった。

「志貴様」

と傍らから俺を呼ぶ声がする。

その声の方向に目を向けると、半年前から自分こと遠野志貴をずっと起こし続けてくれているメイドの翡翠が静かに無表情でこちらを見て立っていた。

「おはようございます志貴様」

と彼女はいつものように深深と一礼した。

「ああ、おはよう翡翠。毎朝本当にありがとう」

俺がいつもの様に挨拶と感謝を込めてそう返すと翡翠はうっすらと頬を朱に染めて、

「いえ、私の仕事はこれです。そのようなもったいない御言葉など、とんでもございません」

と微かな笑顔を浮かべながら代わらない言葉を返してくる。

実はこれが朝のささやかな楽しみでもあるのだが。

・・・?ん?翡翠は笑顔を引っ込めるとなにか心配そうな表情でこっちを見つめていた。

「どうしたの?翡翠?・・・あっ!ひょっとして時間もうやばい?」

慌てて時計を見る。・・・六時少し前、まだまだ充分にある。

と、言うよりこんな時間に目を覚ますなんて珍しい。

いや・・・これは異常としか言うほか無い。

「・・・いえ、時間のことではなく・・・その・・・」

と口ごもっていた。

「あっ。ひょっとして寝言でかなり恥ずかしいこと言ってた?・・・えーとたとえば翡翠の事とか・・・うっ」

翡翠の目がかなり冷たくなった。

「えーと・・・そう言えば・・・」

そうだ夕べは確かに何か夢は見た。

しかしどんな夢を?何か大切な夢を見た、これは間違いない。

しかし、内容は?誰が出た?どんな夢だ?肝心な事は何一つ思い出せれない。

しかしどんな夢かわからないと言うのに、本当に大切でかけがえの無い様な事で・・・ダメだ。

余りにもわからなすぎて頭がごっちゃごちゃになってきた。

「・・・・・・」

あ、余りに気難しいことを考えすぎた所為か翡翠が本当にこっちを心配し始めている。

「あ、ごめん翡翠。ちょっと考え事をし過ぎたみたいだ。その・・・どんな夢を見たのか思い出せなくて」

「いえ、・・・申し訳ございません志貴様。その・・・今朝の志貴様のご様子が・・・その・・・いつもと余りにも違い過ぎていたもので」

「違い過ぎる?」

俺が思わず首を傾げた。

「上手く言えないのですが・・・最初入った時には今朝の志貴様はいつもの様な寝顔でした。・・・ですが、」

「ですが?」

「はい・・・だんだんと不安になって来たのです」

「不安?でも翡翠、俺の様子はいつも通りだったんだろう?」

「・・・」

翡翠はこくんと頷いた。

「だったら・・・」

「はい・・・今になって思えばどうしてあんなに不安だったのか自分でも判らないのです。でも・・・あのままにしておいたら志貴様がその・・・私達の手の届かない所に行ってしまうような・・・そんな不安が漠然と湧きあがってきてそれで慌てて志貴様をお起こしして・・・そうしたら直ぐに起きてくださったのです」

と翡翠はこちらをじっと見つめてくる。

微かに瞳が潤んでいるようにも見えなくは無い。

「・・・・・・」

まあ、なんだ、翡翠が俺の事を本当に心配してくれたことは有難い。

しかし、俺が何処かに行ってしまう?どういう意味だ?確かにあの夢は自分にとって重要だったとは思う。

しかし、そんな俺自身の存在を消すような事は起こっては無いはずだ。

―ダッテ、アノユメハ―

                                       ―トウノシキニトッテ―

                       ―イイヤ―

                                                        ―ナナヤシキニトッテ―

「・・・サマ!・・・キ様!志貴様!!」

「・・・!」

はっとした。

どうやらまたぼけっとした様だ。

「ああ、ごめん翡翠。珍しくこんな朝早く目を覚ましたものだから、まだ体が"おいおい、もう少し寝てろよ"って言っているみたいだ」

「・・・」

冗談に紛れさせようとしたが失敗したようだ。

翡翠はますます心配そうにこちらを見つめてくる。

「志貴様・・・どうかご無理をなさらないで下さい」

と一言だけ言うとこちらに目を合わせようとせず、着替えの制服を置くとそのまま一礼して部屋を出てしまった。

「・・・翡翠・・・泣いていたな」

あの翡翠があそこまで言ったのだ、今朝の俺はよほど酷いのであろう。

しかし・・・俺は一体どんな夢を見た?さっきは一体何を考えていた?

「俺が何処か遠くに?どういう意味だ?」

俺は首を傾げるしかない。

確かに今俺は半年前のあの事件以来、5人もの美女、美少女(但し全員人外の力の持ち主)に迫られている毎日は送っている。

その内二人の人外は

「ねえ〜志貴。私と一緒に死徒退治に行こうよ〜」

「なっ、何言っているんですか!この不届きあーぱー吸血鬼!そんな事私が絶ッ対に許しませんよ!」

「ぶー、シエルうるさいーあんたの許可なんか要らないわよー」

と言った風に毎日毎日飽きもせず言い争いをしている。

まあ、そんなことはどうでも良い。

ぼーっとした所為か時間はそろそろ七時を回ろうとしている。

そろそろ着替えて朝飯でも食いに行かないと学校にマジで遅刻してしまう。

それにそろそろ居間に居るやかまし娘3人衆がこちらに乱入しかねない。

さてと着替え終わったしそろそろ・・・おっといけない、眼鏡を忘れた。

もうこれの御世話になる事も無いのだが、やはり、これが無いと困る。

と言うもの半年前、俺にとっての過去の清算を終えた後、8年前に奪われたままだった俺の命の内半分が元の持ち主へと戻ってきた。

それに関係したのかどうかは不明であるが、以前のように貧血でしょっちゅうぶっ倒れる事も無くなった。

それも喜ばしい事であるのは間違いないことだが、それよりも嬉しい事に、俺は直死の魔眼の能力を完璧に使いこなす事が出来始めていた。

以前はあの線を見る度に感じた頭痛が今では皆無とは言わないまでも、ほとんど感じなくなっていた。

それどころかアルクェイドの奴に言われた『鉱物の死』すらも、以前は廃人を覚悟で見なければならなかったのに、今ではそれすら自由に見ることが出来る。

さらに言えばもう、あの眼鏡が無くても、自分の意思で線も点も極めて見えにくくしている。

そのことを知った時、アルクェイドは"もうそんな物捨てちゃえ〜"と言っていた。

やはり、先生(あいつはブルーと呼んでいるが)の物を俺が大事に持っていたことは気に食わないようだ。

それでもおれはこの眼鏡を捨てる気は無い。

万が一また、自分の能力をコントロール出来ない時にはこれが必要となってくるに決まっている。

それに何よりもこれを失うと言うことは今、遠野志貴を形創って居る根源のようなものが喪われてしまいそうで怖かった。

・・・この眼が何であるかも知らず、ただ怯える事しか出来なかった自分に、色々な事を教えてくれた人。

まだ幼い遠野志貴に進むべき道をしっかりと示してくれたあの日々、あの時に先生と出会っていなければ、今の遠野志貴は存在などしていなかった。

眼鏡を捨てることによってそんな日々をも失ってしまいそうで怖かったのだ。

それに、別の意味でも僅かな恐怖感もある。

これを失う事で、万が一殺人貴となってしまった時それを食い止める術が俺にはこの眼鏡しか思い浮かばなかった。

こいつを付けている事が、俺を殺人貴に変貌させない最後の砦だった。

「・・・まあ、色々と言ったが、結局はこいつが無いとしっくりこないんだよな」

・・・そう、これが一番の理由。

確かに最初の頃は必要だったから止むを得ずこれを付けていた。

しかし、時が経つにつれ、この眼鏡は俺の体の一部として欠かせない部分となっていた。

この感覚はなんと呼べばいいのであろうか。

そう言えば昔、有間の家に居た頃、近所に古本屋があって、よく啓子さんや都古ちゃんと一緒にしょっちゅう中を覗いては漫画や小説を立ち読みしていた。

それが中学2年頃であろうか、都市計画の為、あっさりと閉店し店も取り壊され、今ではそこは住宅地の一角となっている。

店の取り壊しを間近に見た俺は心にどうすることも出来ない寂寥感が渦巻いていたことを今でもはっきり覚えている。

眼鏡を失うと言うことはそれに似ているのかもしれない。

いつも顔を出し、生活サイクルの一部となったあの店。

そこが無くなった時ポッカリト空いたその為の時間は何に使えば良いのであろうか?

まあ、何はともあれ、この眼鏡はもう、遠野志貴にとって体の一部となっているのだ。

「まあ、体の一部と言えば・・・」

そこまで思いを巡らせた途端、連想的にある物も思い出していた。

そっと鞄を手に取り開けてみると、いつもの勉強道具の他に『七ツ夜』と刻まれた10センチ程度の鉄の棒。

遠野志貴と元の名前、七夜志貴とを結びつけるたった一つの品。

俺は思わず苦笑した。

半年前のあの事件の時は嫌って言うほどこいつの世話になったが、無事平穏となった今とあっては別に捨てようが部屋の机の引き出しに封印しても構わないのだ。

でも、気が付けば学校の時は鞄に、遊びに出る際にもポケットにこの短刀を忍ばせている。

仮に眼鏡が遠野志貴にとっての平穏の象徴だとするなら、短刀は七夜志貴にとっての殺戮の象徴なのかもしれない。

だから、どちらか一方でも手放せば、象徴を失った遠野志貴、ないし七夜志貴の人格は失ってしまうのであろう。

これは予測ではなく確信だ。

生まれた時から七つそこそこまでの七夜志貴も、その後の遠野志貴も俺にとってかけがえの無い一部だ。

まあ、その途中には元の家の一族皆を遠野の一族によって殺されたり、自分自身も殺され掛け、その反動でこの世にあるもの全ての死を見れるようにもなってしまった。

だがそれが無ければ今俺の知っている人との絆の大半は存在しなかったに違いない。

七夜の一族が遠野の一族に滅ぼされ俺が連れて行かれなければ秋葉とも、翡翠や琥珀さん、そして何よりも四季・・・

皆に出会うことは無かった。

遠野の呪縛による七夜の記憶の封印が解かれた今、俺は遠野の家を恨む事も出来たかもしれない。

現に秋葉はそうなる事も覚悟をしてきた。

しかし、やはり俺にとって、秋葉は大切な妹だ。

恨む気持ちは確かに心のどこかに存在するかもしれない。

でも、それが心の全てを占める事などは永遠に存在しないだろう。

そして8年前の四季の反転(ロアの発現)によって殺されかけなければ俺と四季はずっと良い親友で居られたのだろうか?それはもう永遠の謎だ。

でも、殺されかけなければ俺は先生とも出会わなかった。

先生と出会わなければ俺は今の性格でいたかどうか自信が無い。

それにこの眼が無ければ半年前、あんな事件に巻き込まれる事も無かったであろう。

しかしあれに巻き込まれなければ、俺は、遥か昔に犯した原罪の贖罪の為にたった一人で居続けた純白の吸血姫とも、たった一つの願いの為にどんなに体がずたずたになっても戦い続けた埋葬者とも出会わなかっただろう。

そして、こんな甲斐性無しの兄貴のために自らの命を半分投げ出して救ってくれた、たった一人の妹にも、ただ一人の肉親のために自らの身を投げ出した姉、その姉のために心を閉ざし続けた妹。

そんな悲しみにも触れることも無かったかもしれない。

何よりも俺は彼女達の心に存在するそんな十字架から開放させる事は出来なかったに違いなかった。

「・・・結局神様は粋な計らいをしたってわけか」

つまらない結論を自分で出すと鞄を床に置き、部屋を後にした。






階段にまで差し掛かると俺は周囲を見回した。

誰も居ないなと確認すると、音も無く手すりの上に飛び乗った。

そして、天井に向かって飛び跳ねると、体を反転させ、足を思いっきり屈伸させ天井を足場にしてばねの様に一階の床めがけ急降下した。その途中で、捻りを加えた反転宙返りでやはり音も無く床に着地した。

遠野によって封印された七夜の記憶は半年前に全て開放された。

それに関係しているかは不明であるがその時から徐々にではあるが俺の肉体にも変化が訪れ出した。

貧血が起きにくくなり体が丈夫になった事もその一つだがそれよりも俺の身のこなしが素早く、軽業師のような真似を容易く行えるようになっていた。

それに、何かの衝動に駆られるように気付けば庭で尋常では考えられない事を行ってそれを訓練していた。

たとえば4・5メートルはあろうかと言う木に、助走の勢いで一気に上まで駆け上りそこから木から木へとまるでムササビのような身軽さで飛び移る。

それを3・4時間ぶっ通しで行うのだ。

俺は他に連中にこれが知れないようにはしていた。

知れれば何を言われるのか容易に予想はついていた。

あーぱーが大喜びしてそれに反発する形で残り4人が爆発してそのとばっちりを俺が受ける。

翡翠にそれを偶然見られ、そのこと知った残り4名の手に(翡翠はそれを見た途端気絶し、参戦していなかった)よって想像通りの事が起こった先日以降、俺の秘密の訓練を行う場所はどうすべきか思案に暮れていた。

「うーん。もう庭は使えないからなぁー。いっそのこと深夜のビルの屋上でやってみようか?」

「あら、兄さん、何をやろうと言うのですか?」

「!!」

居間方向からのその声にビクリとして、錆びたドアのようなギギィィ―という音が聞こえそうなほどぎこちなく首をこちらに向けると予想通り不機嫌な表情の上、髪を7・8割赤くした妹が立っていた。

「ああ、おはよう秋葉。どうしたんだ?この時間じゃあまだ、ゆっくりと紅茶飲んでる時間だろうに」

俺は極めて明るく振舞ってその場を凌ごうとした。

「ええ、おはようございます兄さん。余りにも何処かのお寝坊さんがゆっくりしておりますから私自ら起こそうかと思っていたのですが」

とさらりと返された。

・・・え、笑顔とは裏腹に赤くなりまくりの赤い髪が怖すぎるんですが・・・

「あ、秋葉さん、髪がどうして赤いのでしょうか?」

「ええ、先程の独白が気になりなして、兄さん一体ビルの屋上で何をなさろうと言うのですか?まさか、兄さんの後ろでこそこそしている未確認あーぱー生物と殺戮修道女と同じ事をなさることは無いと思いますが」

「ぶーぶー!にゃによー妹―その未確認あーぱー生物ってー」

「な、なにが、殺戮修道女ですかっ!私は不浄の生物を断罪して回るエクソシストですっ!」

何時の間にいたのかは不明であるが俺の後ろにはで空想具現化を発動寸前だったアルクェイドと第七聖典を構えたシエル先輩が立っていた。

「・・・」

俺は静かに溜息をついた。

「未確認は未確認です。さらに、ここ半年近くの不本意極まりない同居で正真正銘のあーぱーであることも判りましたけど。それと、アルクェイドさん、何度も言っていますがその妹は止めて下さい。たとえ兄さんがなんと言おうと貴方と兄さんを結婚させる気はありません。そして先輩、本当にエクソシストでしたら眼の前の未確認あーぱー生物をさっさと退治して御急ぎで御引取り下さい」

そう実はこの二人、あの事件が終わってから暫くすると、遠野家に居着き始め、今では居候に近い状態になっているのが現状である。

アルクェイドは、『志貴と一緒に住みたいから!』と理由をそう答えているし、先輩は『このあーぱー吸血鬼が人を襲わない様に監視します』と言っている。

それにしても・・・秋葉の奴、日が経つにつれ二人への攻撃も激しくなってきてるな。

しかし、その程度で怯む二人の訳は当然のことだが無かった。

「いいじゃないのよー。私は志貴さえいれば文句も無いんだし、妹も私との同居生活慣れておいた方がいいよー」

「!ですからその妹は止めて下さい!」

「そうです!第一、貴方が人間と普通に生活できる訳無いでしょう!」

と笑顔でのたまったアルクェイドの一言に秋葉と先輩が同時に噛み付いた。

さらに先輩は返す刀で秋葉に、

「退治できないのはしょうがありません!この生物を殺すことが出来るのは過去・現在・未来においても遠野君一人だけです!私では残念ながら封印が精一杯なのは事実ですけど、遠野君を私に貸してくだされば速攻でこれを、片付けて帰って差し上げます。・・・最もその時には遠野君も連れて行きますが」

と、宣言した。

「なっ!」

「むっ!」

そんな先輩のカウンターに秋葉の髪はザワザワと蠢きアルクェイドの奴に至っては本気で眼を金色にしかけてる。

「ふ、ふざけないで下さい!どうして兄さんを連れて行く必要があるんですか!」

「その点は妹に賛成ね。あんな頭の堅物ぞろいの巣窟に志貴を連れて行ったら志貴がどんな扱いを受けるのか貴方わかって言ってるの?」

"返答しだいでは本当に消滅させてやるわよ"

そんな殺気むんむんのアルクェイドや秋葉に対して先輩は

「あはは、何言っているんですか、誰も遠野君をあんな所に連れて行くとは言っていませんよ。私はアルクェイドを処分した後遠野君と二人っきりで何処か人外の化け物共の手が届かない静かな所に行くと言ったのですよ」

その一言に二人が完全に切れた。

「シエル〜化け物って何よー化け物って―!」

「あなた方御二人に決まっているでしょう!」

「ふざけないでください!この未確認あーぱー生物はともかくとしてどうして私まで―」

「ぶーぶー!だからその未確認あーぱー生物はにゃによー」

そんな遠野家の朝の恒例行事となり出した人外三人衆の口喧嘩を俺は居間のドア近くでしみじみと眺めていた。ちなみに俺はだんだんと空気が不穏となった時点で隠密裏に脱出成功。対岸の火事として眺めていた。

「三人とも屋敷を壊すなよー」

小声でそう言うと(大きな声で言うとあの三人がターゲットを変更させるのは目に見えているからだ)音も無く居間に体を滑り込ませた。






「あっ志貴さん、おはようございますー」

「おはよう琥珀さん。朝ごはん出来てる?」

偶然居間に居た琥珀さんに俺は挨拶を済ませるとそう尋ねた。

「はいーもう出来てますよー志貴さん、今日は珍しく少し早起きですねー」

琥珀さんは笑顔でそう言ってくる。

「ええ、きょうは珍しく翡翠の呼び掛け一回で・・・って?あれ?翡翠は?何処かの掃除ですか?」

そう言えば部屋で起こしてもらって以降、翡翠の姿を見ていない。

「はいーそのことですが秋葉様から志貴さんにお尋ねしたいことがあるということです。秋葉様とはもうお会いになられましたか?」

「ああ、秋葉だったらいつもの如くだよ。・・・って翡翠のことで聞きたいこと?」

俺は首を傾げた。

「はい。あんまりにも志貴さんが降りてくるのが遅いものですから秋葉様の堪忍袋の尾が切れちゃいまして、志貴さんを居間に強制連行するつまりだったんですよー」

こ・琥珀さん・・・あははーと笑っていますがそこ笑う場面じゃないです。

それに、琥珀さんもその笑い怖いです(顔は笑っていますが目は笑ってないよ!おまけにその眼に殺気をむんむんと感じるのは気のせいでしょうか?)。

「まあ、心臓に悪いお話しは朝ご飯の後にしましょうねー私もぜひともお聞きしたいですしー」

「あ、あの・・・琥珀さん俺、急用があったから朝飯いらな・・・だ・ダメですよねぇー」

「はい。もう秋葉様が学校に秋葉様と志貴さん、揃って体調を崩しましたので休みますと連絡を入れています。それにそんなこと言っちゃった時には夕べの御夕飯が志貴さんの最後の食事になっちゃいますよー」

琥珀さんはおどけて、いつもの『琥珀さん怒ってます』のポーズをした。

しかし俺は七夜の本能で悟っていた。

(本気だ!)と。

七夜の血も、アキラメロ・アキラメロを大合唱している。

「ハイ、ワカリマシタ。デハアサゴハンヲ、オネガイシマス。コハクサン」

「はいわかりましたー志貴さん」

結局俺は見えない鎖で全身をぐるぐる巻きにされた事を悟り、諦めて琥珀さんの後を追って食堂へと入っていった。







俺はどうにか味を少しも感じることは出来ない朝飯を胃の中に押し込んだ。

そして居間に戻るとそこには本来の目的を思い出したのか、秋葉・アルクェイド・そしてシエル先輩がのんびりとお茶を飲んでいた。

しかし俺にはその光景が三匹の肉食獣が狩りの前に休息をしている風に思えて仕方が無い。

出来ることなら、刺激を与えずにここから脱出して学校に一時避難したい。

「改めてだけど、おはよう三人とも」

取りあえず俺は無難にそう言うと三人ともギンッと冷たい視線を投げ掛けた。

背中からも同じくらい冷たい視線を感じている。

ダメダ!!俺はすぐに本能で一切の抵抗を諦めた。

一歩でも逃げる素振りを見せたら、その瞬間この世から遠野志貴は消滅することは間違いないであろう。

「兄さん、早速ですがそこにお掛け下さい。少し聞きたい事がございますので」

「ああ、わかった。なるべく手短に頼む。一応学校もあるから」

「あら、その心配はありません兄さん。既に学校には連絡を入れて私と兄さんは休むといってあります。・・・一日中兄さんの言い分を聞かなくてはならないかもしれませんから」

ああ、そういえば朝飯前に琥珀さんがそんな事を言っていた。

つまり、今日一日こんな針の筵のような感覚を味わなければいけないと言う事ですか・・・。

俺は絶望感にどっぷり浸りながら正面に髪はまだ黒髪なのが救いの秋葉、左右には俺を敵のような視線で睨み付ける先輩とアルクェイド、真後ろには未だ冷たい視線を投げ掛ける琥珀さんが立ち、文字通り完全包囲された状態の席に着いた。

「では全員揃ったところでこれより『遠野志貴弾劾裁判』を開幕いたします」

あ、あの秋葉、弾劾裁判って一体・・・

「まあ裁判といっても有罪か無罪かではなく死刑かそうじゃないかと言うものですけど・・・」

おい!俺の生殺与奪はここに居る4人が握っているということか。

「取りあえず直刀短入に御伺いします。・・・翡翠に一体何をしたんですか?兄さん」

その台詞が出た途端秋葉は髪を真っ赤にして髪の先端が俺に迫っているし右からの殺気は俺を押し潰さんばかりで、左からは金属音がさっきからしている。

それに後方では、これは見なくても判る。

おそらく琥珀さんが毒薬を既に用意している。

「あ、秋葉、翡翠が一体どうしたんだ?」

「とぼけないで下さい兄さん。翡翠が兄さんを起こしに行った後突然自分の部屋に閉じこもってしまったんです。私が聞いても、ただ『志貴様が・・・』としか言ってくれません」

「はい。それに翡翠ちゃんが志貴さんを起こしに行ったのは6時前。そして、その直後から翡翠ちゃんはお部屋から出てきません。これってどういう意味でしょうか?」

後方から冷たすぎる琥珀さんの声が聞こえる。

「はいそれに私が翡翠さんを見た時、翡翠さんの目は真っ赤で明らかに泣いておりました」

シエル先輩が表面だけ抑制の無い声でそう言う。だが、ちょっと刺激を加えればすぐに爆発するであろう。

「そうねー私が偶然翡翠の部屋の近くを通った時中からすすり泣く声が聞こえちゃったんだ。これって何を意味しているのかなー」

・・・ア、アルクェイド、声だけ陽気にしても眼を金色にしたんじゃあ、怖さだけが増すんですけど・・・。

「つまり、ここから導き出される結論は唯一つです。・・・兄さん・・・あなた、使用人と主人の立場を利用して、翡翠に・・・そ、その・・・い、いいいいい」

秋葉の奴、顔を髪と同じ位赤くしてやがる。

しかし、なるほど。

皆は揃って俺が翡翠に襲い掛かったと思い込んでいるようだ。

この誤解を解かないことには俺は明日の太陽を間違いなく見ることが出来ない。

「待て秋葉。先輩にアルクェイド、それに琥珀さん。単刀直入に言い返す。俺は無罪だ、冤罪だ」

「とぼけても無駄です、遠野君。翡翠さんのあの状態をどう説明するというんですか?」

あ、先輩の声に怒りがにじみ出てる。

「取りあえず今朝のことを説明させてくれ」

「まあ、良いでしょう。どんな言い訳を聞かせてくれるのでしょうか」

秋葉が冷たく言い放つ。
「まず一時間何をしていたかなんだけど、俺が珍しく6時前に眼が覚めたんだ。でも結構長い間ぼけっとしちゃって、俺が部屋を出たのがもう7時前だったんだよ」

「また随分とぼけっとしてたんだねー志貴は」

「では志貴さん翡翠ちゃんが泣いていた事についてはどう説明するんですか?」

「うん、それについては俺にも全くわからないんだ。ただ、翡翠がちょっと気になることを言って」

「気になる事って何ですか?兄さん」

「いやそれが・・・」

俺は翡翠が言った事をそのまま皆に伝えた。

「兄さんがどこかに行ってしまう?」

「うん。翡翠自身にもどういう事なのか判らないみたいだったけど」

「志貴さんには何か心当たりは無いんですか?」

「いや何も、ただ、夢を見てた気がするんだ」

「どんな夢なんですか遠野君?」

「わからない・・・でも何か大切な・・・かけがえの無いような・・・そんな夢を見てた気がする・・・ともかく、翡翠がそんな事を言ったからそれで考え事していたら、翡翠はそれを見て俺が無理していると思ったみたいなんだ。だから、特に翡翠に暴言を吐いたり、襲ったりはしてはいないよ」

俺がそう言うと、皆それぞれの表情で俺を見ている、先程までの殺気が跡形も無くなっている。

良かった、とりあえず命の危険は回避できたようだ。

「ねえ志貴、本当にどんな夢か思い出せないの?」

「ああ、・・・いや、違う何か・・・?何だこの名は・・・」

ふとアルクェイドの発したその一言が俺をまた妙な感覚へと追いやって行く。

この感覚はゼンカイモ、カンジタキオクガアル・・・。

「名前って一体どうしたのですか?遠野君?」

「・・・」

「兄さん!!」

「志貴さん!!」

「!ああ、ごめん」

「志貴、何か思い出したの?」

やばい、またぼうっとしていた様だ。

しかし、今日は多過ぎる。

一体なんだ?この状況は。

俺が俺で無くなる様な・・・おっと。そんな事よりもだ。

「・・・ホウメイ・・・」

「・・・」

「・・・」

「・・・」

「・・・志貴?・・・」

「ん?なんだ?」

「ホウメイとは一体誰のことですか兄さん?」

「・・・はい?」

「ちょっと志貴。冗談にしては笑えないわよ」

「えっと・・・俺、何か言ったの?」

「志貴さん何も覚えてないんですか?今志貴さん、『ホウメイ』とはっきりと仰られたのですよ」

「えっ?琥珀さんそれ本当?」

「はい」

「先輩も?」

「はい、私もはっきりと耳にしました。遠野君が思いっきり遠い目をして」

「『ホウメイ』・『大切』・『かけがえの無い』・・・・・・」

ぞくっとした。

何かぶつぶつ言っている秋葉の殺気が復活している・・・

「・・・兄さん・・・」

「は、はい」

多分俺の声は情けないものであったろう。

「今だったらほんのちょっと『略奪』するだけで許して差し上げます。『ホウメイ』とは一体何処の女性の事ですか?」

「へ?・・・」

秋葉・・・一体何の事だ?

「おい、秋葉いきなり何を言い出すんだよ。なあ、先輩・・・あの、先輩?・・・」

見ると先輩、手に黒鍵を持って俺に狙いを定めている。

「アルク・・・ェイドさん?・・・」

さらにアルクェイドは爪を既に伸ばしている。

「こ、琥珀さん!た、・・・あ、あの?琥珀さん?」

ヤバイ!本能で危機を察知した俺は琥珀さんに助けを求めようとしたが、琥珀さんの様子も一変していた。

表情がいつかのような能面のような不気味な笑み。おまけに・・・

「あ、あの琥珀さん。お盆の上のフラスコビンは一体何なんでしょうか?」

「嫌ですねー志貴さん。いざとなったら志貴さんの頭にかける硫酸じゃあないですか」

そんな事笑顔で言われても嬉しくもなんとも在りません。

それにそんな感情の無い笑顔では怖さが倍増します。

おまけにどうやってそんなものを入手したんですか?

などと軽く現実逃避している内、状況はさらに悪化していた。

「志貴」

「遠野君」

「兄さん」

「志貴さん」

「「「「何処の誰ですか(なの、ですかー)その『ホウメイ』と言うのは」」」」

皆が声を揃えて俺に迫ってきた。

ヤバイ!!ヤバスギル!!七夜の本能が俺に逃走もしくは闘争を命じている。

しかし、戦った所で勝ち目は無限にゼロに近い。

では、逃げるのは?いやダメだ。

逃げようとした途端俺の足には檻髪によって拘束されその後は拷問フルコースが待っているに違いない。

つまりは八方ふさがり、俺の未来は決定している。

と、その時、ガチャ・・・突然ドアが開き6人目の遠野家の住人が現れた。

「・・・姉さん、秋葉様、アルクェイド様にシエル様?それに志貴様まで、一体どうしたの?」

「あっ翡翠ちゃん大丈夫?もういいの?」

「うん。ごめんなさい姉さん」

「そうだわ、翡翠にも参加してもらいましょう」

「あ、秋葉?何に参加させるんだ?」

翡翠を見て唐突にそう言う秋葉に俺はそう尋ねた。

「あら、兄さんはもう判っているのではありませんか?」

「おおよその予測はついている。でも一応確認したいから」

「あら、そうですか。・・・翡翠」

「はい」

居間の状態を見て怪訝そうな表情を見せている翡翠に秋葉は、

「ちょっと兄さんに聞きたい事を洗いざらい聞こうと皆で集まっているの。貴方も兄さんに聞きたい事を聞いて良いのよ?」

秋葉・・・これはそんな生易しいものじゃないぞ。

「そうだよー翡翠も志貴に聞きたい事たっくさん有るんじゃない?この機会に聞いた方が良いよー今なら志貴は何でも答えてくれるから」

アルクェイド、答えるじゃなくて強引に吐かせるの間違いじゃないのか?

「そうですよ。翡翠さんも参加したらいかがですか?」

「翡翠ちゃんも参加しようよー」

「・・・」

翡翠!お願いだ。

どうか、断ってくれ!頼む!しかし、翡翠の答えは、無情にも

「はい、私も志貴様にお聞きした事がありますので」

・・・神様、俺は何処で道を間違えたのでしょうか?

「では秋葉様。早速、私も志貴様に聞きたいのですが宜しいでしょうか?」

「ええ良いわよ。私達の質問は結構、時間が掛かりそうだから」はいと、一言、言うと翡翠は俺の前に立ち、

「志貴様」

「な、なんだい翡翠?」

俺はこの時もうやけくそに近い状態になっていた。

何でも来いであったであろう。

しかし翡翠の次の台詞は俺の理解を超えていた。

「・・・実は今朝、聞き忘れた事がありました。・・・志貴様『ホウメイ』とは一体どのような方なのでしょうか?」

ビギィィ!部屋の温度が2、30℃一気に下がった感じがした。

ああ、4人の目に殺意が光る・・・。

「・・・翡翠」

秋葉が楽しそうに翡翠と俺を見比べている。

「奇遇ね。実は私もその事で兄さんに聞いていたのよ。貴方もその名前を聞いたの?」

「はい、秋葉様。・・・ですが、なぜその事で皆様が志貴様を詰問されているのですか?」

翡翠の質問に琥珀さんが、

「そんなの決まってるじゃないですかー志貴さんに『ホウメイ』と言う女性の事を聞くためですよー」

「そうね。志貴ったら私たちに内緒でね」

「はい。事情の如何によっては遠野君にお仕置きしないといけませんし」

俺にはもう反論の言葉も許されないのか?

(もうダメだ)

そう覚悟決めたとき、

「皆様・・・」

と翡翠が盛り上がっている4人に対して、

「失礼ですが、その『ホウメイ』と言う方は女性では無いと思います」

「「「「えっ?」」」」

あ、皆の声が見事にハモッタ。

「翡翠。それってどういう事なの?」

「そうよ。志貴を庇っているんなら別にしなくても良いんだから」

「そうですよ。翡翠ちゃん」

「翡翠さん。そうではないという根拠があるのですか?」

一斉に皆から反論の言葉が出たが、翡翠はそれらに直接には答えず俺に

「実は志貴様、志貴様を起こしする直前に志貴様が寝言で、『ナナヤホウメイ・・・』と呟かれたのです」

「えっ?」

「ナナヤ?ねえ、志貴、七夜ってなに?」

先輩が何事かと首を傾げ、アルクェイドがそう尋ねてきた。

「ああ、そういえば先輩達はまだ知らないのでしたね」

と、秋葉が呟くと琥珀さんが、

「アルクェイド様、シエル様、七夜と言うのは古来から続く退魔士の一族の事で志貴さんはその末裔なんですよ」

「えっ?じゃあさ、志貴と妹って・・・」

「はい、志貴様と秋葉様は血族的には義理の兄妹と言う事になります」

「それにしても面白い組み合わせと言うのか・・・遠野君が退魔士で、秋葉さんが吸血鬼もどきですか・・・」

「先輩・・・もどきとは何ですか?私をそこの推定年齢八百うんぬん歳の怪物と一緒にしないでくれますか?」

「なによ、それってものすごい差別よ妹。私は確かに八百歳は超えてるけど、貴方みたいに血をジュースの様に飲んでいる。悪魔とは大違いよ」

「・・・・・・」

「・・・・・・・」

「はいはい、秋葉様もアルクェイド様も少々落ち着いて、どちらにしろこれで、志貴さんの浮気容疑は完全ではないにしろ、かなりの高確率で潔白と判明しましたねぇー」

「なぜです?琥珀さん」

「それは・・・」

「その・・・」

「・・・」

「七夜一族は十年ぐらい前に遠野一族によって俺を除いて滅ぼされてしまったためだよ。先輩」

秋葉も琥珀さんも翡翠も言い辛そうだったので、おれが変わってそう答えた。

「・・・はい・・・そして、その時生き残った兄さんをお父様が養子として迎えたのです・・・」

見ると秋葉はさらに落ち込んでしまっている。

・・・七夜の記憶が完全に開放されたと言う事を俺は3人に話した時、琥珀さんと翡翠は素直に喜んでいたが、秋葉は顔色を真っ青にして床に崩れ落ちてしまった。

当然と言えば当然であった。

どんなに今まで兄妹として暮らしたとはいえ、自分は俺の家族を奪った一族の当主、俺に罵声を浴びせられる覚悟ぐらいは出来ていたのであろう。

だが、たとえ七夜志貴であろうと、遠野志貴であろうと、俺にとっては秋葉も翡翠も琥珀さんも、大切な家族。

新しい家族なのだ。

そう皆に伝えると翡翠と琥珀さんは涙ぐみ、秋葉は俺にしがみついて子供のように泣きじゃくっていた。

ふと気付くと、居間に気まずい静寂が訪れていた。アルクェイドや先輩は俺をチラチラと見ている。

「・・・翡翠。本当に俺、そう言ったんだな?」

「はい、その寝言を仰られたのは志貴様の寝顔が深過ぎる眠りの時でしたからはっきりと覚えているのです。私の知る限り、その状態で寝言を仰られたのは今回が初めてです」

しかし、ナナヤホウメイ・・・なんなんだこの違和感・・・絶対に俺はその者の事を何か知っている。思い出せ!もう少しで引っこ抜ける。

ホウメイ・・・ナナヤホウメイ・・・七夜ホウメイ・・・七夜鳳明!その瞬間に俺の脳裏にその名が浮かび上がった。

ガタンとおれは席を立つとドアに向かって歩き出した。

「に、兄さん?どこに?」

「すまない。ちょっと調べてくる」

とだけ言うと、唖然としている皆を尻目に居間を後にした。

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