「・・・エクスキューター・・・」
そのクラス名を聞いた時アイリスフィールは混乱した。
先程自身でも言っていたが、聖杯戦争において振り分けられるクラスは七つ、セイバー、アーチャー、ランサー、ライダー、アサシン、キャスター、バーサーカー。
それ以外のイレギュラークラスなど聞いた事がない。
だが、それよりも何よりもアイリスフィールを更なる混乱に落とし込んだのはその真名。
「・・・エミヤ・・・シロウ??」
そんな名前の英雄など聞いた事がない。
本当に小さい歴史の陰に埋もれた英雄なのかとも思ったが、服装を見る限り大昔の人物にも思えない。
それに・・・切嗣の顔を見ると、外れのサーヴァントを引いたとかそんな雰因気ではない。
もっと別の・・・そう、方向が違うだが、根本的な事に驚いているように思える。
「・・・エクスキューターと言ったね」
呆然自失から立ち直ったのか切嗣が声を振り絞る。
「ああ、爺さん」
「君は・・・何者だ?何故僕と同じ衛宮姓を名乗る?それに・・・何故僕の事を爺さんと親しげに・・・懐かしげに呼びかける?」
「・・・そうだな。まずはそこから話そうか。とりあえず場所を変えようか。俺は良いけど爺さんや・・・えーっと・・・」
「僕の妻だ」
「・・・アイリスフィール・フォン・アインツベルンです」
やや硬い声で名を告げる。
「妻・・・アインツベルン・・・と言う事は・・・ああ、イリヤのお母さんか」
「「!!」」
何気ない一言だった。
しかし、切嗣、アイリスフィールを再び絶句させるに足りる一言だった。
このサーヴァントは一体なんなのか?
何故イリヤの事を知っているのか?
何よりもどこまで知っているのか全く底が知れない。
特にアイリスフィールはすっかりこのサーヴァントを警戒した・・・いや、半分敵とみなす様な眼で見ている。
それを見てようやく士郎は自身の言動がこの事態を招いたと理解した。
少なくともイリヤの事はもう少し信用されてから口にするべきだったかと自省する。
しかし、
(言っちまったものは仕方ないか)
あっさりと切り替える。
士郎の言うように、もはや言ってしまったものは覆らない。
過去を悔やむよりも現状をどうするのか、それに集中するべきだ。
「・・・一先ず移動しよう爺さん。俺に話せる事は全て話す。それでも信用できない様なら令呪なりで俺に自害を命じても構わない」
きっぱりと断言した士郎に切嗣とアイリスフィールは顔を見合わせた。
結論としては一先ず二人共士郎の言う通り、場所を移して話を聞く事にした。
最もその場所は夫婦の私室であって今も最愛の娘が安眠している寝室ではないが、それもぎりぎりの妥協点なのだろう。
「・・・さて、エクスキューター場所も移した事だし本題に入ろうか」
「ああ」
切嗣の声は質問すると言うよりも尋問の色も多く見受けられる。
それは士郎も察していたし、義父でもあり自分の全てを救ってくれた人からの険しい眼差しは正直堪えたが、警戒されるに足りる事をし過ぎた以上甘んじて受け入れるべきと自分を納得させた。
「じゃあまずは・・・」
「当然お前の出自だ。一体お前は何者だ。全て話せ」
状況しだいによっても強硬手段に出る事も躊躇わない、そんな姿勢だった。
「・・・まずは此処からだな。俺の真名はさっきも言ったけど、俺は過去に存在した英雄じゃない」
「過去に存在した英雄じゃない・・・だと?」
「ああ、端的に言うとある並行世界で十数年後に起こった大戦争で不本意ながら英雄と呼ばれた、それが俺だ」
「つまり・・あなたは未来に出現する事になる英霊って事?」
「半分正解、俺は未来に現れる・・・と言うか多分この並行世界でもガキの頃の俺もいるだろうけど、今の俺は英霊じゃない」
「??どう言う事だ?サーヴァントとして呼ばれるのは英霊のみの筈、だが、お前はイレギュラーとは言えサーヴァントとして呼ばれた。ならば」
「爺さん、俺は英霊じゃない。神霊さ」
さらりと当然の様に言った為、危うく聞き逃す所だった。
「・・・何?」
「・・・嘘・・・神霊ですって」
「ああ、この世界にもまだ残っていればの話だけど、俺は最初に言った大戦争で人の極みに至り神から『代理人』に任ぜられ、その後俺が死んだ時神霊として神に任ぜられた」
その言葉に息を呑む。
これが本当なら英霊の格としては最上級のサーヴァントを切嗣は引いた事になる。
しかし、格と実力がイコールであるかどうかは別の話だが。
「なるほど・・・じゃあお前がイリヤを知っていたのは」
「その大戦争が起こる寸前に出会っているのさ。第五次聖杯戦争でマスター同士として」
『!!』
これで何度目だろうか士郎の言葉で息を呑んだのは。
だが、それはイリヤがマスターになった事ではない。
そんな事は既判りきっていた事だった。
アインツベルンがアイリスフィールに子を産ませたのは、愛情に目覚めたとかそんな安っぽい話ではない。
まだ第四次も始まっていないにも拘らず、その眼はすでに次の第五次にまで眼を向けていたからだった。
聖杯の器をその身に宿し、アインツベルンへの帰属意識を植え付けて自立させるそんなコンセプトで産み落とされたアイリスフィールの性能をより洗練させるべく選ばれたのがイリヤだった。
だから、驚愕したのはイリヤがそんな殺戮に参加した事ではなく、
「・・・第五次・・・だって・・・」
「じゃあ・・・聖杯戦争は・・・」
掠れた声での問い掛けに士郎は言葉を重ねる。
「ああ、第五次まで続いた。まあ俺が体験した『聖杯戦争』自体はその第五次に起こったある事件で完全に破綻して終焉を迎えたけど。で、俺が爺さんと出会ったのも聖杯戦争が関係している」
「??それはどう言う事だ」
切嗣の顔色は転げ落ちる様にどんどん悪くなっている。
アイリスフィールの顔色はもっと悪い、もはや土気色になりつつある。
止めた方が良いのかもしれないが、話せる事は全て話すと言った以上、全て話すのが自分の義務だろうと考え直す。
「・・・第四次聖杯戦争終戦前後、冬木市新都と中心に大規模な火災が発生した。死者は推定五百人以上、その犠牲者数は冬木市一年間の平均死者数の半分近くに匹敵した。その時家族も友人もその全てを失い瀕死状態に陥った俺を助けてくれたのが爺さん、あんただ。そして救われた俺は爺さんも養子になって衛宮士郎になった」
「・・・まさかと思うがその火災は・・・」
「・・・嘘でしょう・・・」
二人の声には願望にも似た色が混ざっている。
「・・・お二人の予想通り聖杯戦争・・・いや、正確には聖杯の影響で」
「!!嘘だ!!」
遂に耐えきれなくなったのだろう、切嗣が士郎の言葉を遮る。
「そんな・・・そんな事を信じろと言うのか!聖杯が・・・聖杯が・・・」
言葉を続けられないのだろう口だけが空しく開閉を繰り返す。
「キリツグ・・・」
そんな夫の姿をアイリスフィールは痛ましい視線を向ける。
士郎も辛そうに表情を歪める。
「爺さん・・・」
士郎の躊躇いがちな声にも
「もう良い・・・もう何を話すな・・・聞きたくない・・・」
ただ拒絶の声しか発しない。
気持ちは痛いほど判る、だがそれでも心を鬼にする。
「爺さん!!」
両肩を掴み強引に顔をこちらに向けさせる。
「もういい!聞きたくない!そんな事・・・」
「頼む!聞いてくれ。聞きたくないと言うのは判る!だけど聞かなくちゃいけないんだ!これは」
その気迫に押されたのだろう、切嗣もアイリスフィールも顔色は悪い中、呆けた表情を浮かべる。
少なくとも士郎の話を拒絶する気はなくなった、そう判断し士郎は話を再開する。
「話を続けるよ。さっきも言ったけどその大火災は聖杯が引き起こした。いや正確には聖杯の中に潜んでいたものによって」
「聖杯の中にってどう言う事?」
今まで口を挟まなかったアイリスフィールが思わず声を発する。
「・・・アイリスフィールさん、聞いていませんか?前回の・・・第三次聖杯戦争でアインツベルンが召喚したサーヴァントの事を」
その言葉を聞いた士郎は訝しげに、だが、どこか納得したような反する感情を絶妙に混ぜた声で問いかけた。
「??いいえ、何も。ただ、サーヴァントを召喚したけどあっという間に敗退したとしか・・・」
「なるほど・・・何も聞いていない・・・何も教えていないと言うのか・・・現場での独断で行ったのか・・・それともこれを恥として秘匿したのか・・・」
アイリスフィールの返答に思考に沈む。
「・・・どうかしたのか?」
そう問いかける切嗣に視線を向ける。
「・・・前もって言っておくけど爺さん、これから話す事は俺の世界での聖杯戦争の事だ。だからこの聖杯でも起こっていると確信は出来ない。その前提で聞いてくれ」
静かに頷く。
もはやここまで来れば何を言われても驚かない、そんな心境だったのだろう。
見れば隣でアイリスフィールも顔色は未だに優れないが、狼狽はせず話を聞く心構えが出来たようだった。
二人の様子を見て一つ頷いた士郎は口を開いた。
「・・・全ての発端は第三次聖杯戦争に遡る。聖杯を・・・いや正確には第三魔法『天の杯(ヘブンスフィール)』を手中に収めんとアインツベルンは絶対に呼んではならないサーヴァントを呼んだ」
士郎が第三魔法の事を知っているのは二人共この際スルーした。
ここまで色々知っていればそれも知っているだろうと思ったし、何よりもこれ以上驚いていてはもう身がもたない。
「呼んでは・・・ならない・・・」
「サーヴァントですって・・・」
「ああ、全ては第三魔法を手に入れる為に呼び出したそのクラスは復讐者(アヴェンジャー)、その真名はアンリ・マユ」
いきなり出て来たその名に驚愕した。
「アンリ・マユって・・・拝火教で全ての悪を統べるとされる悪神の事?」
「そうです。それを呼び出し聖杯を手中に収めようとした」
「ちょっと待ってくれ。エクスキューター、神そのものを呼び出したと言うのか?それだけのものを呼び出せる器が聖杯にあると言うのか?」
「いや、結論から言えばそれは不可能だ」
「でけど、エクスキューター貴方は・・・」
「俺についてはハンデをいくつか背負って格を英霊に落としています。ですが、それについては後で詳しく説明します。話を戻しますが、アインツベルンはそれを呼び出しましたが、それはアンリ・マユであってアンリ・マユではなかったんです」
なぞかけの様な言葉に何度目かになる顔を見合わせる事をやってのけた。
「アインツベルンが呼び出したのは悪神としてのアンリ・マユではありませんでした。ですが、アンリ・マユと言う英雄は存在したんです。遥か悠久の昔、小さな村だけで世界の全てが収まっていたと人々が信じていた時代、悪である事を恐れた人々はある気違い沙汰な事を実行に移した。一人の人間に全ての悪を押し付け、全ての悪の根源であると決めつけ悪であると呼び、悪として恨み憎みその人間の全てを壊した。負の感情全てを押し付けられた結果、その人間は最終的には反英雄として英霊になりそれはもう一人のアンリ・マユとなった」
「では第三次で呼び出したのは・・・」
「その反英雄としてのアンリ・マユです。ですが、そのアンリ・マユはただ人から悪だと決めつけられた、それだけに過ぎない平凡な人間です。である以上、本物の英霊に叶う筈もない、当然ですがあっという間に敗退しました。ですが・・・それが全ての始まりでした」
「始まり・・・どう言う事だ?」
「お二人は知っているでしょうが、聖杯戦争で敗退したサーヴァントは聖杯に取り込み第三魔法起動の動力とします。当然アヴェンジャ―として取り込まれたアンリ・マユもそこに送られました。ですが、彼は普通の英霊と違い万人から『悪であれ』と願われ英霊に祀り上げられた存在、すなわち人々の負の願望そのものです」
そこで気付いたのだろう、アイリスフィールは先程から悪い顔色を更に悪くし、掠れた声を漏らした。
「もしかして・・・」
「想像している事で正しいです。願望が英霊の形を取ったそれを聖杯が取り込んだ事で全てが逆転し、聖杯の願いはアンリ・マユに乗っ取られました。『本物の悪神として悪の限りを尽くすべし』との願いを」
「では・・・最初の大火災は・・・」
「ああ、その力の一端が引き起こした。完全に解き放たれる前に爺さんは自分のサーヴァントに命じて聖杯を破壊したから」
そこでしばし区切る。
「さっきも言ったけどこれがこの並行世界でも起こっているとは思わない。もしかしたら聖杯にアンリ・マユはいないかもしれない。だけどいるかも知れない。ともかくこれで俺の話は終わりだ」
それで士郎の話は終わりを告げ、しばし重い沈黙が辺りを包み込んだ。
切嗣もアイリスフィールも何を言って良いものか判らなかった。
その為だろう、その沈黙を破ったのはやはり士郎だった。
「で、爺さん、アイリスフィールさん。お二人は聖杯に何を望みますか?」
二人の答えは沈黙だった。
本心を言ってしまえば聖杯を持って世界の恒久平和を叶えたい。
しかし、もしも士郎の言う様なものが聖杯に宿っているとすれば平和どころか全人類を恐怖と絶望の底に叩き込む魔神が産み落とされる。
信じたくはない。
だが、信じるに足るものを士郎に感じた以上、頭ごなしに否定なども出来ない。
「・・・」
しばしの時が流れた時だった。
「やはりお前か士郎、久しぶりだな」
いる筈のない第四の声が響いた。
『!!』
全員が視線を向けるとそこには一人の老人がいた。
だが、士郎は良く知っていた。
そして切嗣とアイリスフィールは直接あった事は無いが本能でこれが誰なのかよく判った。
切嗣の様な邪道の魔術師でも名前くらいはよく知っていた。
「師匠」
「万華鏡(カレイドスコープ)・・・」
「・・・キシュア・・・」
それは士郎の師であり、かつて大聖杯完成に立ち会った第二魔法の担い手、そして死徒二十七祖第四位にその名を刻む者、キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグ、それが突然の闖入者の名であった。
「師匠、どうしてここに?」
立ち直った士郎が師へと問いかける。
「何、お前も神霊になった事で並行世界を回っていたが、この並行世界で懐かしい魔力を感じてな押し掛けて来ただけだ。しかしやはり人生は面白い、神霊のお前と出会うか、それもこの聖杯戦争でサーヴァントとして呼ばれたお前と」
そう言って不敵に笑う。
「俺も呼ばれたくて呼ばれた訳でもないのですが・・・まあ人生・・・っと俺はもう死んだ身ですけど何が起こるかわからないと言うのは同意です」
「時に志貴とはどうだ?」
「ありがたい事に向こうでも友人付き合いしてくれています。アルクェイドさん達とも夫婦円満・・・と言うか万年新婚夫婦状態です」
志貴が聞けばお前もだろうと反論する様な事を笑いながら言う。
「さてと」
区切りがついた所でゼルレッチが呆然からようやく立ち直りつつある切嗣とアイリスフィールに視線を向ける。
「冬の聖女の末裔に理想に燃える若き魔術師よ、お前達の迷いの程はよく判る。だがな」
そこで不自然に言葉を区切った。
「師匠、もしかして」
「ああ、この聖杯は既に邪杯に堕ちた」
その言葉は全員に戦慄を齎した。
士郎はやはりかという納得とこの並行世界でも最悪の愚を犯したのかという落胆を。
切嗣は自分の理想を果たすための術が完全に断たれたと言う事を理解した事による絶望を覚え、膝をつく。
だが、それもまだ軽くアイリスフィールは誰よりも深い絶望を味わっていた。
何しろ最愛の夫の夢と理想を完膚なきまでに汚し、貶め破壊し尽くしてしまったのだから。
近くのイスに崩れ落ちる。
その表情に生気は存在せず死人にすら思えた。
嘘だと信じたかった、虚偽にすぎないと思い込みたかった。
だが、悟ってしまった。
理屈ではなく本能で、士郎の、あの魔法使いの言葉に一片の偽りはないと言う事に。
嘘だと言い返せれない事にこそ何よりも二人は打ちのめされていた
しばし、重く苦しい沈黙が続くかに思えた。
だが、アイリスフィールの視線が切嗣を捕えた・・・いや、正確には切嗣と眼があった時一変した。
「!!」
その美貌を恐怖で歪め、怯える様に切嗣から離れる様に後ずさる。
見ればその両目からは涙が零れ落ちつつある。
「アイリ・・・」
切嗣が立ち上がり近寄ろうと一歩踏み出すや恐怖に震える様に首を左右に振りながら、さらに後ずさる。
それに構わず切嗣がさらに一歩踏み込もうとした瞬間、身を翻すやそのまま部屋を飛び出してしまった。
「アイリ!」
それを即座に追いかける切嗣。
それを士郎、ゼルレッチは止める事無く見届けていた。
「士郎、良いのか追わなくて?」
「ええ、俺はこの並行世界においては異邦人、『生半可な意思と覚悟しか持たぬ者が歴史を弄ぶ所業に及ぶな』確か師匠の言葉だったと思いましたが、ならば最終的に決断を下すのは俺じゃない。爺さんやアイリスフィールさんです」
「覚えていたのか士郎」
「ええ、神霊になってから生前以上に戒めるようにしました。だがら、爺さん達がどんな決断を下そうとも俺はそれを尊重します。たとえ事実に眼を背け聖杯を求める事になろうとも・・・」
「・・・そうだな。たとえどんな決断を下そうとも、それはあの二人が迷い苦しみ・・・考えた末に決めた事である筈。それを侮辱する事は誰にも出来ぬし、する資格もない・・・誰にもな」
「はい」
神霊と魔法使い、二人はただ、切嗣とアイリスフィールが出て行った先を見つめていた。