一方、士郎達が教会に突入したのと同じ時間において・・・とある場所では
「マスター、何故です!何故あそこで撤退を命じたのですか!」
セイバーが新たなるマスターに食って掛かっていた。
「お前の・・・力の程は良く判っている。何しろ・・・お前は・・・あのアーサー王だ・・・。バーサーカーにも・・・匹敵・・・いや凌駕・・・するほどの力がある・・・だが、エクスキューターに・・・加えてライダーまで現れた・・・あの・・・状況では万が一の事がある」
それに対する男の・・・間桐雁夜は言葉は途切れ途切れ、声もか細く呼吸も荒いが眼光のみは鋭かった。
「万が一など・・・それがどうしたというのです!聖杯を手に入れるのであれば多少の苦難など当然の事、ましてやあのような卑劣漢共に背を向けるなど」
「忘れるな・・・セイバー、俺達には・・・敗北も失敗も・・・許されないんだ。唯一つも」
「っ!」
マスターの言葉に声を詰まらせる。
何時死んでもおかしくない程の衰弱なのに、その眼光はセイバーすらもたじろかせる何かを秘めていた
「だがな・・・俺は信じている・・・セイバー・・・お前なら・・・どのような・・・難敵が現れようとも・・・必ず駆逐できると・・・だからこそ・・・耐え難いんだ・・・お前ほどの奴が・・・つまらない事で・・・敗れる事が・・・だから・・・頼む・・・耐えてくれ」
「マスター・・・」
雁夜の容態とその言葉はセイバーの心に染み渡る。
今まで自分の願いを否定され、騎士道を嘲弄され、心が通じ合っていたと信じていたアイリスフィールすらも裏では自分を嘲笑っていた。
そんな中目の前の新たなマスターだけは自分を心の底から信じてくれた、頼ってくれた。
その事実にセイバーは歓喜する。
「ええ・・・ええ!判りました!カリヤ!必ずや貴方の期待に応えましょう!そして・・・」
あの裏切り者共に、そして王を僭称する暴君共に正道のなんたるかを見せつける。
そんな知らず知らずの内に歪みきってしまった決意を漲らせるセイバーに雁夜は満足そうに頷き、
「セイバー・・・一先ず周囲の警戒を・・・兼ねて休んでいてくれ・・・ここはまだばれては・・・いないと・・・思うが・・・念には念を・・・入れる」
「判りましたカリヤ」
そう言ってセイバーは立ち去る。
セイバーの気配が完全に離れた時、セイバーが立ち去った反対側から
「見事なものだな。すっかりセイバーを手懐けたのか?」
感心しているのかどうか判断の付きかねる声で姿を現したのは綺礼。
「人聞きの・・・悪い事を・・・言うな・・・俺は本音をセイバーに・・・ぶつけただけだ・・・」
そう言って綺礼を睨みつける雁夜の言葉に偽りはない。
バーサーカーを失い、残る命も二、三日程度しかない雁夜にとって目の前の男の力を借りて再契約を果たしたセイバーが最後の希望、それに間違いは無い。
だが、全てを話した訳でもない。
「まあ・・・あそこまで・・・容易く・・・こちらを・・・信用する事に・・・いささか・・・拍子抜けした・・・のも・・・事実・・・だがな」
「言ったであろう。『今のセイバーは自分を無条件かつ無批判で賞賛してくれるものを欲する暗君。ああいうタイプは望みのものをくれてやればそれで十分だと』な」
「ああ・・・あんたの・・・言った通りだったな・・・それよりも・・・用事は何だ?・・・世間話する・・・為じゃないだろう・・・」
「ああ、無論だ。現状の情勢を伝えておこうと思ってな。まず、エクスキューターとライダーが完全に手を組んだようだ。先刻遠坂邸の結界が破壊され教会にも踏み込まれた。間違いなくこちらの事もばれただろうな」
「そうか・・・ならいよいよ・・・決戦か」
「ああ、決戦の舞台はこちらで整える。明日には全ての決着が付くだろう。それまで英気を養っておく事だ」
言いたいことだけ言うと振り返る事も無く綺礼は姿を消す。
「ああ・・・言われずとも・・・そうするさ」
誰にとも無く呟くと雁夜は牛歩よりも遅い歩みで更に別の方向に歩き、その先にあったドアを開ける。
そこは寝室なのかぼろぼろのベッドがあり、そこには一人の女がシーツを掛けられて横たわっている。
ピクリとも動かないので人形か死体かと思われたがかすかに胸部が上下している所を見ると生きているようであった。
だが・・・その顔は見開かれた瞳に光は存在せず、その口元には笑みが浮かんではいるが、人の微笑と言うよりは人形の笑みに近く、いたましいというよりはおぞましいという嫌悪が勝る。
しかも、女自身は十人中八人は美女と呼ぶ端正な顔立ちである分嫌悪感は更に増していた。
そんな人形もどきの女に恐れる事も無く雁夜は近寄ると女の頬に触れる。
「・・・もう少しだ・・・もう少しで・・・全てが・・・終わる・・・葵・・・」
愛おしげに囁くように呟くとその女・・・葵に口付ける。
それに対して葵は何も反応はしない。
否・・・反応が無いというのは間違いだろう。
葵に反応はあった。
だが、それは
「・・・ふふふふふふふふ・・・」
掠れた声で不気味な笑い声の欠片を零すだけでその表情に変化は無い。
誰がどう見ても精神に異常をきたしているとしか思えない。
だが、雁夜にとってその笑みは自分を後押しし勝利を祈るものにしか見えない。
「ああ・・・そうだ・・・そうだよ・・・葵・・・俺は必ず・・・勝利する。そうすれば・・・また・・・暮らせるんだ・・・凛ちゃんは・・・桜ちゃんと・・・一緒に遊べる・・・そして葵・・・お前は・・・だから・・・祈ってくれ・・・俺の勝利を・・・」
そう言いやや乱暴にシーツを剥ぎ取る。
そこには一糸纏わぬ葵の姿。
「葵・・・葵・・・葵・・・」
「・・・ふふふ・・・ふふふふふふ・・・」
何処までも噛み合わぬ哀れな男と女が交わりを始めるのにはさほど時間は掛からなかった。
裏口から出て行った綺礼はある一画に視線を向ける。
今頃は哀れな傀儡と化した雁夜が生ける屍と化した葵に一方的な情欲をぶつけている事だろう。
「・・・」
その様を想像しながらも特に感情を出す事も無く綺礼は数秒だけ立ち止まったが、直ぐに何事も無かったように歩き始める。
そこに
「何をしている神父?」
周囲を哨戒していたセイバーが姿を現した。
「別に何もしてはいないさ。そうも敵意をむき出しにするな。一応は協力者なのだがな」
「そのような事は判っている」
そう言いつつもセイバーの表情に変化はない。
確かに綺礼の言うように目の前の男は自分を貶め裏切り見捨てようとしていた裏切り者達の姦計から自分を救い、自分と真のマスターである雁夜との縁を繋いでくれた事には感謝している。
しているのだが・・・何故かこの男を心の底から信頼する事が出来ない。
セイバーの直感が告げているのだ、奴を信用するなと・・・
信用したが最後、自分は取り返しのつかない所まで堕ちると・・・
そんなセイバーの内心を知ってか知らずか綺礼はと言えば淡々と
「強いて言えば・・・お前の真のマスターの容態を診に来たのと・・・決戦の時は間近い事を伝えに来ただけさ」
その言葉を聞いてセイバーの顔が戦意に逸る。
「それは本当か!それは何時なのだ!」
「焦るな。色々と準備もある。間桐雁夜にも告げたが今は力を蓄えろ。ライダーもそうだがエクスキューターの実力のほどはお前も良く判っているだろう」
その言葉に苦い表情で、だが首を縦に振る。
「おそらく明日には全ての用意が終わる。それまではここにいる事だ。一日、二日ならここは安全だ」
そう言って綺礼は闇に消えた。
「・・・」
セイバーはしばし綺礼が消えた闇を睨みつけていたが、気を取り直したのか哨戒を再開した。
「待っていろ・・・裏切り者共・・・貴様達は私が必ず・・・」
綺礼が一時の隠れ家とした場所に戻ってきたのはそれから二時間後の事だった。
反来であればもっと早く戻れるのだが、どこに切嗣の眼があるか判ったものではない。
切嗣相手に油断は微塵も出来ない。
それ故に警戒に警戒を重ねた結果これだけの時間を要してしまった。
「遅かったな、綺礼」
そんな綺礼を出迎えたのは私服のアーチャー。
何処から用意したのか不釣合いな新品のソファに腰掛けて教会からかっぱらってきた綺礼の酒を飲んでいた。
「どういった風の吹き回しだ?このような『かび臭いあばら家』に」
そんなアーチャーに皮肉げに問いかける綺礼。
それも無理は無い。
現在綺礼が潜伏先として選んだのは深山に存在するある廃墟だが、ここは魔術協会預かりの物件だった。
というのもこの物件の前の持ち主は北欧の名門エーデルフェルト。
第三次聖杯戦争で外来のマスターとして参戦した折に建設して臨んだが結果は見るも無惨な惨敗。
双子で参戦したが一方は戦死、もう一方は命からがら帰国、土地諸共協会に譲渡して二度と冬木というか日本を来訪する事は無かった。
尚、当時その双子は異常と言えるほど仲が悪く、同じ場所にもいたく無かったのか新都にも全く同じ屋敷を建設している。
事情を知る者はこれを『エーデルフェルトの双子館』と呼んでいる。
綺礼は時臣と行動を共にする中でこの館の存在を知り、ここを仮宿として潜伏する事にした。
ちなみに新セイバー陣営は新都側の館に身を潜めて貰っている。
無論ここの存在は切嗣も掴んでいるだろうが、一日二日程度なら身を隠すのに問題は無いだろうと判断しての事だった。
尚、アーチャーは一目見た瞬間『まさかとは思うが、このようなかび臭いあばら家に入れと言うつもりか?』と、冷たく吐き捨て、それを予測していた綺礼は先立つものを渡して行動の自由を与える事にした。
あれほど嫌悪していたあばら家にわざわざ入ってくるのだから皮肉も少し言ってやりたい。
「ふん、我とてあばら家にいたくも無いが、一つ忘れていた事があったのでな」
「忘れていた事だと?」
「ああ、貴様が我の為に興じた見世物の総評だ」
ああ、と綺礼はアーチャーに第二幕を見るか否かと問いかけた時に、『面白い、やってみろ。綺礼その上で再評価してやろう。だが、もしもその第二幕とやらが駄作以下だった時は・・・判っていような』と激励とも脅迫とも付かぬ事を言っていた事を思い出した。
「そう言えばそうだったな。それでアーチャー。どうだった?」
「ふん、結論から言えば及第点のままだ。あの娼婦の無様極まる醜態には笑わせてもらった。よもや道化の素質まであるとはな。理想の王だの王は民の為だの世迷言をほざかせるよりは余程有益だな」
その事を思い出したのか口元に冷笑を浮べる。
「しかも、その道化と道化を組ませるか・・・中々面白い事を考え付くな綺礼。そこは高く評価してやろう」
及第点と言った割には手放しで賞賛するアーチャーに綺礼はにこりともしない。
何故ならば・・・
「だが、いささか小細工と小道具に走りすぎたきらいがあるな。そこは減点だ」
やはりと言うべきか上げて落とすことをさらりとやってのけた。
「そこは自覚しているさ。だが、あそこまで歪み落ちぶれたとは言え、無条件でアインツベルンを裏切る事をセイバーはしない。であれば最後の一押しが必要だったからな」
綺礼の弁解とも説明ともつかぬ言葉につまらなそうに鼻を鳴らしながら。
「で、その一押しとやらがあの子細工と小道具か。まあ良い。それを差し引いても我を十分に愉しませた。それゆえの及第点だ。今後も精進しろよ」
「気が向いたらな、で、用件はそれだけか?アーチャー」
「ああ、やはりあばら家に長くいるものではないな。せっかくの逸品も台無しだ」
そう言いながら心底不味そうな表情で残っていた酒を飲み干す事無くグラスごと投げ捨てて、服の臭いを嗅いで眉を顰める。
「かび臭さに加えて蟲臭さまで加わった。もはや着る気にもならん!こんな襤褸切れ」
そう吐き捨てて服を破り捨てるといつもの甲冑を纏う。
「綺礼、次に我が来る時にはかび臭さと蟲臭さを駆除しておけ」
そう言い捨てて霊体化して姿を消した。
「・・・」
無言でアーチャーが投げ捨てて床の染みになった酒を見遣るが、やがて部屋の一角に視線を向けると
「・・・それで何時までそこにいるつもりだ?」
黒鍵を構えてそんな事を口にした。
すると、
「・・・くかかか・・・いかに小僧とはいえ流石に代行者、それなりに鼻が利くか」
闇から滲み出るように姿を現したそれを綺礼は直ぐには人と認識できなかった。
もっとおぞましい・・・蟲の塊に見えた。
だが、それも一瞬直ぐにその姿は小柄な老人になった。
痩せ細り綺礼が本気の一撃を加えれば原型を留める事無く肉塊になる事は疑う余地の無いであろう脆弱な老人。
だが、代行者としての綺礼は惑わされなかった。
その貧弱な姿からは想像も出来ぬほどの瘴気が滲み出ているのを。
「何者か?」
「そうも警戒するな。貴様が籠絡した小童の身内よ」
その説明だけで綺礼は老人の正体を知った。
「貴様・・・間桐・・・臓硯か」
「左様、わしの名を知っているとは、遠坂の小倅め。弟子の教育はしっかりと行っておった様じゃな」
綺礼の問いに愉快そうに笑う。
間桐臓硯・・・御三家の一角を占める間桐家の真の当主であり、冬木の聖杯降臨の儀式に立ち会った最後の一人。
いかなる手段を用いてかは知らぬが少なくとも聖杯降臨から二百年・・・もしかすればそれ以上の長きに判りこの世ならざる術で延命に告ぐ延命処置を施し、もはや人ではなく死徒もしくは正真正銘の魔に堕ちた魔性。
時臣をして『真正面で戦えば自分も無事では済むまい』とまで言わしめた怪物。
その異端の魔術師が今自分の前に立っている。
「・・・驚いたな、その名も名高き間桐の当主がわざわざこのようなあばら家に出向くとは」
皮肉を口にする綺礼にそれほど気分を害した様子も無い。
「なに、敗退同然の可愛い孫に敗者復活の機会を与えてくれた上、あのような主役にまで持ち上げてくれた貴様に礼がしたくてのぉ・・・最も主役は主役でも三文喜劇の道化であるがな」
前半の台詞だけであれば孫の行く末を案じる好々爺にも思えるが、後半の内容と加虐の悦に浸る表情、そして声が全てを裏切っていた。
「・・・随分な言い様だな仮にも貴様の孫だろう」
「孫だからこそよ」
綺礼の問いに臓硯は不快げに表情を歪める。
「いかに尻に卵の殻も取れぬひよっことは言え、貴様のような青二才風情にいいように操られるとは情けないわ。まあ、それも無様に踊り狂う様を見れる上に、無様に壊れるのを特等席で見れておるのだから、その分溜飲を下げているがのぉ」
と、そこで言葉を区切ると綺礼に視線を向ける。
「それにしても・・・貴様がのぉ・・・四角四面の堅物神父の息子にしては随分な逸材ではないか。まだまだ青二才である事を考慮しても実に興味深い」
「何が言いたい?」
苛立たしげに臓硯の言葉を遮る。
「かかか・・・猛るな猛るな。他意はない。消化試合以下の価値しかない今回の聖杯戦争をここまで面白くしてくれた事に対する賞賛じゃよ」
臓硯の言葉に今回の聖杯戦争に関わった全てに対する嘲弄が込められているのは明らかだった。
「??どう言う事だ?貴様も御三家、であれば聖杯の獲得は悲願であろう。その機会である聖杯戦争を何故自ら貶める?」
綺礼の問いに帰ってきたのは侮蔑だった。
「何を言うのかと思えば・・・わしに言わせれば遠坂もアインツベルンも堕落したと言う他ない。前回、何が起こったのかを記憶しておるのであれば今回何かが起こると警戒するのが至極当然の事。キャスターを見れば判るであろう。あのような存在が英霊として呼ばれる事こそが聖杯に異常が起こっている確固たる証拠。であれば聖杯戦争よりもまずは聖杯のシステムを調査するのが最優先であろうに」
怪老の言葉には無視できぬものがあった。
間違いなく碌なルールすら確立されていなかった第一次から現在まで、聖杯戦争の中心にいたこの男は本能で聖杯戦争の・・・いや、聖杯自体の深刻な異常を感じ取っているのだろう。
「なるほどな・・・であればエクスキューターの存在も異常の一環か。奴の存在を把握した時点で調査を行うべきだったと言う事か」
キャスターとは別の意味で今回の聖杯戦争を引っ掻き回し続けるイレギュラーの存在を口にした時、臓硯の表情は綺礼の想像もしない方向に変わる。
「・・・あれが異常の一環だと?たわけ、確かにあれが呼ばれたのは異常が原因であろう。だが、あれは最も警戒せねばならぬ相手じゃった。遠坂の小倅が、どうせ潰すなら全陣営が健在の時に適当な冤罪でも被せて排除すればよかったものを、中途半端な時にしおって」
皺だらけの顔が歪む。
それは嫌悪と言うよりは恐怖、若しくは怒りや憤りの類に綺礼には思えた。
それはどう言う事なのかと問い詰めようとしたがそれに気付いたのか臓硯は話題を変えた。
「だからこそ間桐は今回は捨て試合のつもりで様子見に徹して聖杯の異常を調べ上げ、次の第五次に繋げるつもりであっただがな」
「待て、では何故間桐雁夜を使い捨てとは言え参戦させた?」
「高みの見物と言うのも面白みがかけるのでな、適当なサーヴァントと代役をあてがって義理程度で参戦するつもりだっただけよ。本来はもう一人の出来損ないにやらせるつもりでおったがタイミングよく雁夜が名乗りを上げてくれたから、その役が奴に代わっただけだが?」
そこで言葉を区切った臓硯の表情が更なる愉悦に歪む。
「だが、雁夜は実に良くやっておる。ここまで生き延びた事では無いぞ。ここまでの醜態を見せつけて実に愉しませてくれる、そして遂には超えてはならぬ一線をも越えた。あれでは無様かつ悲惨な末路を辿る事は確実。ああ・・・実に実に待ち遠しい。あれが億に一つの可能性で得るかも知れぬ聖杯と天秤をかけてしまうほどの魅力的なものよ」
その愉悦の笑みは自身の本性を自覚しつつあった綺礼であっても許容しがたいものだった。
「・・・貴様、肉親の不幸をそこまで喜べるものなのか?」
それに返って来たのは
「判らぬというのか?同類である貴様であればわしの心情を理解出来ると思ったのじゃが」
その言葉に反射で手持ちの黒鍵を全て叩き込んだ。
黒鍵は狙いを違える事無く臓硯の身体を貫いたかに見えたが、次の瞬間には怪老の姿は闇に呑まれる様に消え、澄んだ金属音が不協和音を奏でる。
『かかかかっ、何じゃ何じゃ自覚しておったかと思ったが、まだ、自分の本性に罪悪感を抱いておったのか?そこはまだまだ青二才か、とは言え歴戦の代行者ともなればおちょくるのも命がけじゃな。まあ良い、いずれまた会おうぞ小僧。それまでにわしと茶飲み話出来る位には成長しておけよ』
嘲笑交じりの声を残して臓硯の気配はかすかに漂う蟲の残滓を残して消え失せた。
「・・・っ!」
怒りの表情を浮べた綺礼は感情のまま黒鍵を壁に向かって全力で投擲する。
勢いのまま壁に突き刺さるそれを見ても綺礼の怒りは治まらない。
臓硯と綺礼、確かにその本性は似通ったものに違いない。
だが、奴とは相容れない、絶対に。
方向は同じだが、根本的なものが自分と奴とでは致命的に違えている。
そして・・・同時に綺礼は確信を抱いていた。
間桐臓硯、奴は決して生かしてはならないと・・・
と、その時蟲の気配が再び強まった。
『おっと、おちょくるのが愉しくて忘れかけたわい。青二才よ、これは年長者からの助言じゃ。あのエクスキューターに関してはいかなる手段を用いてでも即刻滅ぼせ。さもなくば・・・今聖杯に起こっている異常とは異なる意味でこの地の聖杯に取り返しのつかぬ事態が起こる。信じるも信じぬも貴様次第じゃがな』
その伝言を残して今度こそ蟲の気配は残滓すらも消え失せた。
「・・・」
少しは冷静になった綺礼は臓硯が最後に残したメッセージについて考えてみた。
綺礼への嫌がらせの為にいった可能性も考えられたが、それを即座に否定する。
その根拠は先刻のエクスキューターの事を話した時に見せた臓硯の反応だった。
自分をもからかう余裕を見せていた怪物があの時に見せた感情・・・恐怖や、怒りといったそれは、どう考えてもエクスキューターを極めて重大な脅威とみなしているが故の反応としか思えない。
時臣や璃正ですら把握出来なかった。聖杯の異常を掴んでいる奴が聖杯に関する事で虚偽を告げるとも思えない。
「まあ・・・あのような蟲に言われるまでもないがな」
そう呟いた綺礼の言葉にもまた偽りは無い。
綺礼の中ではエクスキューターはもはや単なるイレギュラーではない、セイバー、ライダー所かアーチャーにも匹敵しうる難敵という位置にある。
油断などすれば敗れるのはこちらの方だ。
セイバーもそうだが、アーチャーは尚更エクスキューターの事を決して見逃しはしないだろう。
それに・・・何よりも・・・エクスキューターのマスターはあの男・・・憎き怨敵衛宮切嗣だ。
奴の希望を目の前で奪いつくし絶望を与えねば気が済まない。
それが叶わなくとも、奴にだけは聖杯を渡す訳には行かない。
そう・・・負ける訳には行かない・・・決してだ・・・
その為には切嗣に主導権を握らせる訳には行かない。
主導権を奪われれば最後、自分も雁夜も成す術無く切嗣に暗殺されてしまう。
既に自分と雁夜が手を組んだ事を把握している筈だ。
であれば・・・次に切嗣達が取るのは雁夜の行方を探す事であり今頃は間桐邸に乗りこんでいるだろう。
それも空振りに終われば捜索を中断して体勢を立て直すか、夜通しかけて冬木中を探し回るかの判断を迫られるだろう。
だが、綺礼は切嗣は前者を取ると確信していた。
切嗣の戦歴を見れば判る。
奴は無理もするし無茶もやらかすが無謀はしないし、無駄も選択しない。
間桐邸襲撃が空振りに終われば手がかりは全て無くなる以上、自分達の探索は一端取り止めるだろうと踏んでいた。
その間に決着の準備をこちらで整えてしまい一気に勝負をつける。
そして次に合間見えた時には今度こそ・・・
意識してか無意識か綺礼の拳は硬く握り締められ指の隙間から血が滴り落ち、床に小さな小さな血だまりを作り上げた。